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スコプチ(去勢教徒)
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/412.html
投稿者 へなちょこ 日時 2005 年 5 月 03 日 12:48:07: Ll6.QZOjNOr.w

(回答先: 神様たちの受難(大本教弾圧/戦前、戦後の新興宗教) 投稿者 へなちょこ 日時 2005 年 5 月 03 日 10:55:22)

http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/scopti.html
名称 スコプチ(去勢教徒) 発生時期 18世紀末
開祖 コンドラティ・セリワノフ 発生地 ロシア
崇拝対象 全知全能の神、イエス・キリスト 信徒数概算 数千人
教団の特色
18世紀末の帝政下ロシアで発生した、全人類の去勢を最終目標とする異端のキリスト教。コンドラティ・セリワノフという逃亡農奴が起こした会派です。驚くことに、現在でも少数の信者がロシア国内に存在するといいます。おそろしい・・・
去勢とは、いわずもがな、生殖器を切り取る行為であります。去勢手術は、一説によると焼いて熱せられた鉄棒で行ったとされていますが、一般にはナイフやはさみが用いられたようです。もちろん手術は麻酔なしで行われます。しかも手術といっても、スコプチの聖職者が儀式として行うものであり医者が行うわけではありませんので、これは非常に危険な手術であり、医学の発達していなかった当時は命を落とすものも多かったといいます。
去勢には段階があり、不完全な去勢状態を「白ガチョウ」、完全な去勢状態を「白鳩」と呼んでいるそうです。ちなみに不完全な去勢とは、男性なら睾丸の切除、女性ならクリトリスと乳首の切除を指すと言われ、完全な去勢とは、生殖器全体の切除、女性の場合はさらに乳房の切除も含まれるそうです(真偽の程は不明)。

切除された部分は、会衆の面前で燃え盛るストーブの中に投げ入れられ、焼かれたといいます。スコプチではこれを「火のパプテスマ(洗礼)」といいます。火のパプテスマを受けることによってはじめて、真のスコプチ信者になるのです。これはキリスト教が水の洗礼を行うのとは対照的です。なお、去勢は子供には行わず、思春期に達してから手術を行ったといいます。成人してからスコプチの信者となったものは、去勢前に結婚して子供を産み、次世代の去勢候補を残すことに努めたといいます。中には、去勢されることを望まない子供たちが逃亡を試みたりもしたようですが、逃亡者はロシア国内にいる限り執拗に追跡され、見つかると強制的に去勢されるか暗殺されたといいます。まさに究極のカルト教団です。脱会者を殺す教団というのは世界広しといえどもそうありません(日本ではオウム真理教くらいか)。

スコプチが去勢にこだわるのは、性欲を悪とするキリスト教(カトリック教会)の思想が根底にあります。スコプチではこの思想が極端な形で現れており、戦争がおこるのも犯罪が起こるのもすべて肉欲が原因で、肉欲こそが諸悪の根源であると考えています。よって、これを取り除くことによって人間ははるかに高いレベルへと進化できると信じています。この理論の根拠となったのは、新約聖書マタイ伝第19章に以下の一節があることによります。

「・・・母の体内から独身者に生まれついているものがあり、また他から独身者にされたものもあり、また天国のために、自ら進んで独身者になったものもある。この言葉を受けられるものは、受け入れるがよい。」

なんだかよくわかりませんが、ここでいう「独身者」という言葉は口語訳聖書の誤訳で、実は「不能者」と訳さないと意味が通じないのだといいます。つまりスコプチではイエス・キリストの言葉をそのまま忠実に解釈してそれを実行しようとしているのです。
が、これは既存キリスト教会からすると完全な曲解・誤解らしいです。とどのつまり発端は帝政下ロシアの農民の無知と狂信から生じたものなのです。

スコプチでは、「白鳩」(完全に去勢された者)が14万4000人になったとき、キリスト・セリワノフがシベリアからやってきて、モスクワでツアーの鐘を鳴らすと信じられていました。このとき、すべてのスコプチが再来したキリストの周りに集まり、地球上にスコプチの王国を打ち立てるとされています。現存するスコプチではどういう教えになっているのかわかりませんが、もしかしたら当時のままの教えがそのまま受け継がれているのかもしれません。ちなみに14万4000という数字は、新約聖書のヨハネ黙示録第14章にある
「・・・また、14万4000人の人々が子羊とともにおり、その額に子羊の名とその父の名が書かれていた。・・・彼らは女に触れたことのない者である。彼らは純潔なものである。・・・彼らは、神と子羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である」

の数節が根拠になっているそうです。ヨハネ黙示録は新約聖書の一番最後に収録されているもので、イエス・キリストが再臨するとき、すなわち神の裁きが下り新しい天と地が創造される時の様子を、天国のイエス・キリストから御使いにより教えられた使徒ヨハネの著作による(とされている)ものです。
しかし、去勢することが14万4000人の中に入る条件であるとはもちろんどこにも書かれてません。しかも「女に触れたことがない」ということは、男だけ? 私はキリスト教信者でもないので、神学的にこの部分をどう解釈するのかわかりませんが・・・。いずれにせよ、そのとき(最後の審判のとき)は近づいていると黙示録には記されていますが、そういわれつつ、かれこれ2000年近く時は経過しております。
話は戻りますが、最初は農民の間で信仰されたスコプチですが、のちに商人や貴族の間にも浸透し、教勢の拡大を恐れた当時のロシア帝国政府はスコプチを迫害します。しかしロシア革命によりソビエト政権下になっても滅ぶことなく、1930年代には2000人近いスコプチ信徒がソ連国内にいたといいます。宗教を否定する共産主義政府は、迷信と狂信こそ宗教の醜悪な面であるとして、スコプチをネタにして利用しました。また独裁政治家スターリンはスコプチの信者を多数捕らえ、処刑したそうです。

現在でもロシアの寒村地域にはひっそりとスコプチの信者が部落を作って暮らしているそうな。去勢者ばかりなら子孫も絶えいずれ消滅すると思われますが、前述のようにスコプチ信者は子孫を残してから去勢しますので、この風習が続く限りスコプチはなくならないのです。あぁ恐ろしきかな宗教。

教団の発祥
教祖コンドラティ・セリワノフ(またの名をアンドレ・イワノフ・ブローチン)は、元はフリスチというキリスト教のセクトに属していた。フリスチでは、儀式として恍惚状態に入るためのテンポの速いダンスを踊ることを特徴としていた(ヴゥードゥー教など、ダンスにより恍惚状態になる宗教は世界的には結構ある)。ダンスにより恍惚状態になると、自分の体を自分で鞭打つことが多かったといい、そのためフリスチは鞭行派ともいわれる。そして興奮が絶頂に達すると室内の明かりが消され、暗黒の中で信者同士の性的放縦(要は乱交パーティ)が始まる。一種の秘儀である。
スコプチでもフリスチの特徴をいくつか引き継ぎ、去勢時にはダンスによって恍惚状態になるが、逆にスコプチでは絶対的禁欲を教義としている。1770年頃、セリワノフは性的禁欲を守り抜くことが不可能と悟り、自ら去勢することによって教祖となった(この時点での去勢は部分的なものであった)。セリワノフは自らをキリストの再来であり、自分はピョートル3世だと名乗っていた。ピョートル3世はロシア帝国の皇帝であった実在の人物だが、皇位の座にいたのはわずか半年で、暗殺されてしまった悲劇の皇帝である。なおスコプチの教義ではイエス・キリスト自身も去勢者であり、火と精霊の洗礼による去勢こそ、最高の秘儀であるとしている。

セリワノフはスコプチを創設後、彼が去勢したコンドラティ・トリフオノフを助手として、4年間で60人を去勢したという。スコプチの拡大を恐れたロシア政府は、セリワノフを捕らえ鞭打刑に処した後、シベリアのネルチンスクへ流刑に処したが、セリワノフは流刑前に自らを完全な去勢者へ仕立て上げ(生殖器をすべて切除)、流刑地では自らをピョートル3世と名乗り布教活動をした。本物のピョートル3世は農民層に人気があったこと、また不能者であったことがセリワノフをピョートル3世と同一視させたこともあり、順調に信者を増やした。シベリアにいた22年間でセリワノフは100人以上の信者を去勢したとしている。

1796年、女帝エカテリーナ2世(大帝。ピョートル3世の妻)が逝去、息子であるパーヴェル1世の治世となるが、皇帝は1797年にセリワノフをペテルブルグ(当時、ロシア帝国の首都があった)へ呼び返し謁見した。パーヴェル1世はピョートル3世の息子(とされていた)であり、自分の父であると名乗るセリワノフに興味があったのだろう。しかし、セリワノフのあまりの狂信ぶりにあきれたパーヴェル1世は、セリワノフを精神病院に監禁してしまう。

が、セリワノフは強運の持ち主である。パーヴェル1世は1801年に逝去、アレクサンドル1世の治世になると共にセリワノフは解放される。アレクサンドル1世は神秘主義者であった。セリワノフは1802年頃からペトログラードの裕福な商人の信者たちと一緒に暮らすようになったが、のちに信者の一人が宮殿のような立派な屋敷を建て、そこにセリワノフを住まわせた。ベトログラード市内のみならず、ロシア各地からこの「キリスト・ピョートル3世」を拝みに巡礼者が絶えなかったという。

のちに教勢が拡大し、農民や商人のみならず、官吏や軍人の中にも信者が増えてきたことから、事態を無視できなくなったロシア政府は彼を再び捕らえ、監獄へ入れてしまう。1832年にセリワノフは100歳で逝去するが、それまでの30年間あまり、監獄でスコプチの布教を続けたという。

スコプチの信者たちの中には、ロシア国内での迫害を恐れ、ルーマニアへ逃れたものが多数いた。そのためか、1872年にはルーマニアで新しいキリストの再臨が現れ、新スコプチを創設した。その後新スコプチは勢力を拡大しロシアに遠征に出るが、捕らえられ全員シベリアに流されてしまったという。

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