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(回答先: それも愛、これも愛、あれも愛? 投稿者 kokopon 日時 2005 年 4 月 27 日 10:41:12)
こんにちは、kokopon さん。
聖書の中で、愛と訳されている語にはアガペー、フィリアの他に「ストルゲー」があります。
ギリシャ人はこの語を、血縁に基づいた強い家族愛、つまり自然の情愛という意味で使いました。
「血は水よりも濃い」ということわざが生まれた原因はこの愛にあるそうですよ。
ちなみに、ストルゲーは聖書の中で、次のように用いられています。
・テサロニケ第一 2:7
それどころか,乳をふくませる母親が自分の子供を慈しむときのように,あなた方の中にあって物柔らかな者となりました。(”慈しむ”がそうです)
・テモテ第二 3:1,3
しかし、このことを知っておきなさい。すなわち、終わりの日には、対処しにくい危機の時代が来ます。・・・自然の情愛を持たない者、
容易に合意しない者、中傷する者、自制心のない者、粗暴な者、善良さを愛さない者。(「自然の情愛」)
たいていの宗教が愛を説いていますが、実践となると多くの宗教は失敗していますすね。
「汝の隣人を愛せよ」。教えは明快なのですが、何がそれを行ないにくくさせているのでしょう。
愛に関して、面白いエピソードがありますのでご紹介します。愛が無いと赤ちゃんは死んでしまうのですね。
人間関係に関するある実務研究会で講演者は、病院にある、孤児の赤ちゃんのいっぱいいる部屋の話を
しました。長い列をなすベッドの中で赤ちゃんたちは病気になり、中には死んだ子もいました。ところ
が一番端のベッドの赤ちゃんだけは別で、よく発育しました。医師は不思議に思いました。全部の赤ち
ゃんが、食事を与えられ、ふろに入れてもらい、温かくしてもらって、同じように世話を受けています。
それなのに一番端のベッドの赤ちゃんだけがよく育つのです。何か月かたつと新しい赤ちゃんたちが連
れて来られますが、そのことは同じで変わりません。一番端のベッドの赤ちゃんだけが元気に育ちます。
それでついに医師は物陰に身をひそめて様子を見守っていました。すると真夜中に掃除のおばさんが入
って来ました。そして床に四つんばいになり、ブラシで床を端から端までごしごし洗いました。掃除が
終わるとおばさんは立ち上がり、腰を伸ばし、背中をさすりました。それから一番端のベッドのところ
へ行くと赤ちゃんを抱き上げ、愛撫したり、話しかけたり、腕の中で揺すったりしながら部屋の中を歩
きまわりました。そして赤ちゃんをもとのベッドに戻すと帰っていきました。その医師は次の晩も、そ
の次の晩も見ていました。毎晩同じことが起きました。抱き上げられ、愛撫され、話しかけられ、愛さ
れたのはいつも一番端のベッドの赤ちゃんでした。連れて来られたどの新しい赤ちゃんのグループの場
合も、よく発育したのは一番端のベッドの赤ちゃんで、ほかの赤ちゃんは病気になり、死ぬ子もいました。
愛が必要なのは、赤ちゃんのときだけではないと思うのですが。
隣人でした。