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(回答先: 人の心を試すのに【慈しみ】と【残忍さ】のどちらが聖書では正しいか?A 投稿者 アンチキリスト666 日時 2005 年 4 月 24 日 23:42:47)
敬虔なヨブもついに神に理不尽を訴えはじめる。
【私は潔白で、あやまちを犯していません。私は罪なく、悪い事は何一つしていません。それでも神は私を責めるスキを狙い、私を神の敵と見なされる。】ヨブ記33章9項〜10項
「神にとって人間は【うじ虫】や【虫けら】のような存在」ヨブ記25章6項
たとえ矮小な存在でも、ヨブの訴えは当然だ。
しかし、「慈愛深き神」は同情どころか、怒り狂う。
「おまえ何様のつもりだ?誰に向かって口を利いてるんだ?」ヨブ記40章2項
「この全宇宙、森羅万象、すべて、万物を創造したのは誰だ?答えろ。」ヨブ記38章4項
以降4章にわたり自分が「創造主」であることを主張し続ける。
「誰が大地を作ったと思っている?」
「誰が大海を造ったと思っている?」
「朝が毎日くるのは誰のおかげだ?」
「雪を降らせるのは誰だ?」
「アラレを降らせるのも誰だ?」
「雨を降らせるのは誰だ?」
「天に星を作ったのは誰だ?」
「お前は洪水や稲妻を起こせるのか?」ヨブ記38章4項〜41章26項
その間、そもそもの原因が、サタンの挑発に乗せられた神自身にあるということは一言も語らない。
ただただヨブを恫喝する。
【汝、我が定めを否定するのか?我を非として、己を是とするのか】ヨブ記40章8項
ヨブ記は聖書にある神の理不尽さを教えてくれている。
「悪いのは無条件で人間である。口答えは許されない。」ヨブ記1章1項〜42章16項