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(回答先: Re: 神の無茶な要求 投稿者 jack2 日時 2005 年 4 月 23 日 23:18:53)
布教活動において、その国の言語に訳された聖書が、信者と神をつないでいる。
聖書は神との契約であり、生活の指針であり、人生の規範として活用するべきと教えられる。
しかし、今までも投稿してきたように矛盾や教えと正反対の記述も多い。
それは、布教側にとって有利な意訳に徹し、内容をゆがめている。
神を疑ってはならず、試してもいけない。
神の言葉は絶対で、その集約されたものが聖書の教えである。
信者も布教側も、書かれている通り理解するべきなのだと聖書は自ら言う。
一神教の起こす争いは絶えない。
不完全なものを完全と思い込むとき、狂気じみた信仰がある。
私は日本人であり、日本で行われている布教のご都合主義を正したい。
聖書には書かれている。
しかし、都合の悪い部分は、変な理屈か時代背景のせいにされてしまう。
原爆や東京大空襲やベトナムやイラクなんかに対する無慈悲な攻撃は、聖書に書かれている価値観と矛盾しない。
大分、聖書読破が進み、まとめた投稿が出来る様になってきたと思う。
バチカンの件もあり、新設されたこの板に投稿させていただく。