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記憶の中の悪魔──「悪魔教恐怖」論 吉永進一
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投稿者 へなちょこ 日時 2005 年 4 月 06 日 00:39:43: Ll6.QZOjNOr.w

(回答先: カルト 科学 哲学 セクト 投稿者 へなちょこ 日時 2005 年 4 月 03 日 21:51:10)

http://homepage1.nifty.com/pyramid/psycho/devilmemory.html
記憶の中の悪魔──「悪魔教恐怖」論

吉永進一


「悪魔は人間を動物の一つであると述べている。四つ足動物より良いときもあるが、多くの場合劣っている。「神聖な霊的で知的な発展」のおかげであらゆる動物の中で最も邪悪である!」

  アントン・ラヴィ「悪魔の九箇条」より(1)


はじめに

 1980年代から、北米では「悪魔」に絡む奇妙な事件が立て続けに起こっている。たとえば、大手洗剤会社P&G社は、ロゴマークが悪魔の印と噂され、不買運動まで起こされため、ロゴマークの変更を余儀なくされた。1985年には「ナイト・ストーカー」と呼ばれた自称悪魔教徒リチャード・ラミレスによる連続殺人、翌年にはやはり自称悪魔教徒の高校生、ショーン・セラーズが両親を含む三人を殺した事件、そして89年にはメキシコのマタモロスでテキサス大生を含む13の死体が見つかり、アドルフォ・コンスタンソを首魁とする悪魔崇拝教団の儀礼的殺人と報道された。さらに、悪魔教カルト(satanic cult)が身近な場所にも出没するという噂が地域に広まり、そのために学校が休校するなど、社会活動が麻痺してしまう「噂パニック」(rumor panic)が頻発している。もちろん、こうした悪魔教への恐怖を原因とする事件の多くはローカルな話題にとどまり、全国的な問題となることは少ない。しかし、社会学者ジェフリー・S・ヴィクターによれば、噂パニックの件数は、彼の知る限りだけでも、1982年から92年までの11年間にアメリカ、カナダで62回に上るという(2)。

 さらに80年代半ばからは、幼稚園で悪魔教カルトが幼児に性的虐待を加えているという噂がとんだ。幼稚園の保父や保母たちが実は悪魔信者で、園児を儀式に参加させ猟奇的な行為に及んだ−−これを悪魔儀式的虐待(satanic ritual abuse)、略してSRAと呼ぶ−−このような嫌疑をかけられ、保父や保母が告発されるという事件が連続した。決め手となる物証は一切無く、幼児の証言も荒唐無稽なものであったが、それにもかかわらず、多くの人々が逮捕されて裁判にかけられた。今なお獄中にいる被害者の数は、類似の事件の被害者を含め、少なくとも51名になるというから(1995年現在(3) )現代の魔女狩りという呼称も誇張ではない。

 悪魔教カルトへの恐怖は90年代に入ると鎮静化に向っていったが、代わってこれと隣接する問題が次第に広がりを見せていた。MPD(multiple personality disorder。多重人格障害のこと)で治療を受けていた患者の中から、悪魔教カルト信者だった母親や父親から受けた幼児期の虐待を思いだす者が出てきたのである。さらにはより軽度の不調で治療を受けていた者たちの中からも、悪魔教カルトや近親者による虐待記憶を回復する患者が出てきた。しかもそれらの記憶は必ずしも親たちの記憶や事実と一致しなかったために、子供(多くは成人した女性)から突然告訴されて、とまどう親たちが続出した。1992年には、告発された親たちや心理学者、精神科医などが集まって支援組織「虚偽記憶症候群財団」(False Memory Syndrome Foundation。以下FMS財団と略記)が結成され、その活動もあって精神医学界からも回復記憶治療を問題視する動きが出てきた。しかし、はたして回復記憶は治療家の誘導で生まれた虚偽記憶なのか、あるいは虐待によって記憶は完全に抑圧されることがあるのか。この問題は、抑圧や記憶という精神分析の根幹の概念にかかわるだけに、精神医学の世界では、現在なお回復記憶の信憑性をめぐって党派的論争が繰り広げられている。

 さて、こうした魔女狩り事件はアメリカでは初めてのことではない。植民地時代には有名なセーラムの魔女狩り事件があり、19世紀前半には、フリーメーソンの陰謀論や反カトリック運動が盛んであったし、1950年代の「赤狩り」は言うまでもない。こうした事件の背景には、ヨーロッパ諸国の脅威や、ソビエトとの冷戦など、何らかの外圧が存在したが、「悪魔教カルト」の場合、外の敵はあまり見あたらない。むしろ幼稚園に出没するという伝説が示すように、身近な場所、内なる問題を反映していると言われる。研究者の多くが指摘するのは様々なアメリカ社会内部の問題である。本論文では、そのすべてについて詳述する余裕は無いので、以下、悪魔教伝説の拡大と事件の推移、事件を生んだ社会的要因に分けて紹介した上で、最後に簡単に類似現象との比較を行ってみたい。


1伝説の拡大と事件の発生

 悪魔教カルト伝説は無から生まれたわけではなく、そこに事実の核がいくつかある。最初の核の一つは、1969年ロサンジェルスで起こったチャールズ・マンスンとそのグループによる連続殺人事件であった。被害者にハリウッドのスター女優が入っていたこと、犯人が平均的な若い女性だったことなど、事件自体の衝撃もさることながら、この事件について書かれたノンフィクションによってマンスンの恐怖は実像以上に拡大され、”神話”が生まれていった。若者たちを洗脳する魔力を持ったリーダーに率いられたヒッピー集団、殺人を好みドラッグを常習し悪魔を崇拝するカルト−−しかも、カリフォルニアにはマンスン一家無きあとも、人間を生け贄にする秘密教団がいくつも暗躍していると断言する者さえいた(4)。

 次に悪魔教カルトの伝説をさらに拡大させた事件は、1970年代半ばからカンサス州、コロラド州、モンタナ州などの牧場で起こった畜牛切断(cattle mutilation)事件である。牧場の牛が組織を鋭利なもので切りとられ、血液をすべて抜きとられて死んでいるというもので、原因が不明だったために、宇宙人の仕業という説や、悪魔教カルトによる生け贄という説が流れた。中には、「ジ・オカルト」という集団が大平原地域を黒いマークのないヘリコプターでパトロールし、牛をエンジェルダスト(麻薬の一種)で殺しては、黒ミサで使うために血を抜いて性器をえぐるという説さえあり、これを信用する警察関係者もいた(5)。その後、牛は自然死と判明したが、悪魔教カルト儀式説は消えなかった(6)。

 70年代に悪魔教カルトの恐怖を説いて回ったのは、キリスト教伝道師である。たとえば1971年からモリス・セルーロ、マイク・ワーンカの二人が悪魔崇拝の危険について巡回説教を始めている。特にワーンカは1972年に、ドラッグ中毒のヒッピーで元・悪魔教カルトの信者であったという過去をつづったThe Satan Sellerを発表しベストセラーとなる(7)。興味深いことに、マンスン、ワーンカ、いずれも60年代対抗文化の負の符号を背負っている。

 しかし1980年代以降の悪魔教伝説の形式は、1980年に出版されたMichelle Remembersに始まる。これはカナダ、ヴィクトリア市在住の精神分析医ローレンス・パズダーが、その患者ミシェル・スミスの治療過程をつづったものである。1976年の夏、ミシェルは流産の後遺症からパズダーの治療を受けるが、その分析過程で、人格が5才時に退行し、隠されていた当時の経験を思い出し始める。彼女の母親は実は極秘の悪魔教カルトの信者であり、そのためにミシェルはカルトによって監禁され虐待を受けた(カルトの医師によって角と尾を移植されたともいう)。心理操作によってこの時まで事件の記憶を完全に消し去られていたが、肉体記憶なるものがあり、悪魔が赤く焼けた尾を首に巻きつけたことを思い出すとミシェルのその部位に発疹が出来た(8)。結局、客観的な証拠はこの肉体記憶だけであったにもかかわらず(9)、この本はノンフィクションとしてベストセラーとなった。

 この後、明らかにミシェルの告白の影響を受けたと思われる、Satan's Underground、Suffer the Child、Satan's Childrenなど(10)、カルトの「生存者」(survivor)の告白がいくつか出版されている。ミシェルの場合と同様、犠牲者は幼児期から悪魔教カルトにとらわれ、動物や人間の生け贄を伴う儀式に参加し、奇怪な性行為などの虐待を受ける、その後カルトの洗脳によっていったん記憶を失うが、トラウマの治療過程で記憶を回復するという設定である。思春期までカルトにとらわれていた女性の場合には、生け贄用の嬰児を確保するために、カルト信者によって妊娠させられる事が多い。こうした告白は、客観的証拠が乏しいのはもちろん、時間的空間的にも曖昧、現実的な細部に欠け、極めて類型的である。つまり実話というより伝説の可能性が高いのだが、「儀礼的虐待を堪え忍んだと治療家に語る患者は全国に多数いる。患者は相互の接触が無いにもかかわらず、その報告は驚くほどよく似ている」(11)から真実なのであると、一人の著者は述べている。

 こうした80年代以降の「デモノロジー」は、それ以前のものと比べるといくつか違いがある。まずキリスト教の説教師の代わりに、精神医学関係の専門家(博士、看護婦など)が著者となっている場合が多く、一般向けノンフィクションとして出版される事も多い。Michelle Remembersでは、随所にパズダー医師の霊的なカトリック信仰が色濃く出ているにもかかわらず、医学博士号がこの本に科学的な外見を与えていたため、社会的影響力は大きなものになった。また、それまでカルトの元・信者が成人で自らも悪魔教徒だったのに対し、80年代以降の生存者は幼児期から思春期にかけて被害に遭い、一方的な被害者という設定である。さらに、キリスト教への改宗による救済という宗教告白には必ずつきものの結末がそれまでのものであるとすれば、新しい伝説は精神科医の治療が物語の発端であり結末であり、病は救済のための必要なステップではなく、超自然的意味合いのまったく欠如した単なる苦しみに変わっている。あるいは、ワーンカの物語にはキリスト教やヒッピー社会といった一般市民の日常生活と別の世界での出来事という枠があったが、それ以降の生存者の告白ではこの枠は取りはずされ、近親者が悪魔教徒であるばかりか、過去という現在の自分にとってもっとも身近な場所に悪魔が隠れているという設定になっている。次の段階では、この新しい悪魔教カルト伝説が、過去から現在の社会生活へ侵犯してくる。

 1983年8月、最初の幼稚園を舞台にした悪魔教カルト事件が起こる。問題の幼稚園は、カリフォルニア州マンハッタンビーチという裕福な地域にあった、親子三代で経営するマクマーチン幼稚園(McMartin Preschool)である。一人の母親が、二才半になる息子が、園長ペギーの息子で保父をしていたレイ・バッキーから性的ないたずらをされたと警察に告発したことに始まる。次第に幼稚園の父母たちの間にはパニックが広がり、児童虐待の専門家キー・マクファーレンらによって執拗な事情聴取が行われた。その結果、ほとんどの子供が被害を訴えだし、警察は幼稚園ぐるみの組織的な犯行を疑った(一時はレイの妹、母親、高齢の祖母のヴィクトリア・マクマーチン、職員まで逮捕された)。この事件に悪魔教カルトの要素が入ったのはどの経路かははっきりしない。80年代初めからすでにミシェル以外のMPD患者、あるいは子供たちの間で悪魔教カルトの話は伝説として広まっていたという説があるが、マンハッタンビーチ地域にもその噂がすでにあったのかどうかは分らない。あるいは後に悪魔教カルト問題専門家となる保護者の一人がこのアイデアを持ち込んだとも言われる(12)。いずれにしても、84年には父母たちはローレンス・パズダー医師と会い、国際的悪魔教カルトの陰謀説を聞いているので、Michelle Remembersの影響があったことは間違いない。ともかくこの結果、保育所は悪魔教カルトの巣窟であり、その儀式の一環で子供たちに性的な虐待が行われた、彼らは幼児ポルノを製作し、保育所の地下には秘密のトンネルまで掘ってあるとさえ噂された(後に裁判が終焉した後父母たちの手で実際に発掘が行われた(13))。もちろん幼児の証言以外に十分な物証は無く、そのため捜査と裁判は長く高価なものとなった。全員最終的に無罪を勝ち取るのだが、レイとその母親の裁判は87年から28カ月という前例の無い長さであった。一方、その間に、恐怖は近隣の幼稚園だけでなく、全国へと飛び火していた。

 この前後、83年から86年までの間、国会では児童を巻き込んだ性犯罪についての公聴会が13回も開かれていた(14)。マクマーチン事件は、児童の危険を主張する論者にとっては格好の題材であった。国会などの場では、悪魔教という語を避けて「儀式的虐待」、幼児性愛を満足させるための変質者の秘密情報交換組織「セックス・リング」、幼児ポルノを製作する「多数の犠牲者と多数の犯罪者を伴った」組織といった官僚的用語に置き換えられたが、その指すところは「悪魔教カルト事件」にほかならなかった。84年の公聴会では、マクマーチン事件で児童の尋問を担当した児童福祉活動家マクファーレンが児童性犯罪事件調査のための予算確保を訴え、85年に開かれたチャイルド・ポルノ問題に関するミース委員会は、マクマーチン事件を犯罪として立件するためUCLAの研究者に補助金を出すなど(15)幼稚園の事件は政治問題化していった。しかも1984年にはFBIが組織的な児童への性犯罪について特集した『FBI法執行公報』FBI Law Enforcement Bulletinを発行、警察ではカルト犯罪などのセミナーが開かれる。さらに世論の動きを受けて、多くの州ではビデオ録画した児童の証言を証拠として採用するなど、裁判手続きが緩和された。児童への性的虐待問題は政治家にとって票につながり、法執行官にとっては業績になったのである。司法行政組織が肯定的な態度に変わったために、マクマーチン事件のような物証無き虐待事件が各地で次々に起こるのである。

 幼稚園や保育所を舞台にした冤罪事件は、84年から85年にかけてフェルズ・エイカズ託児所、ウィー・ケア保育園、カントリー・ウォークなど、この2年間に立て続けに起こっている(16)。またカリフォルニア州カーン郡では多数の住人を巻き込んだ、複数の「セックス・リング」告発事件が起こり30名以上が逮捕されている(17)。一説では1989年までに五十人ほどの人間が儀式的性的虐待の廉で裁判にかけられ、およそ半数は釈放されたが、残りは有罪判決を受け、その多くは終身刑であった(18)。

 テレビもこの話題を追った。1985年に人気ニュース番組『20/20』が「悪魔崇拝者」を特集して評判を呼び、次いでオプラ・ウィンフリー、サリー・ジェシー・ラファエル、ジェラルド・リヴェラなどがホストをつとめるトーク番組(19)が次々にこの話題を取り上げている。『20/20』の放映直後にはオハイオ州トリード近郊の郡シェリフが、秘密の悪魔教カルトによって虐殺された死体が埋められていると主張、6月にはマスコミ注視の中で大がかりな捜索が行われ、ほとんど何も発見されなかったが、この事件は後に現代伝説と化した(20)。1987年に放映された「悪魔教カルトと子供たち」と題するジェラルドのショーは、放映直後にニューヨーク州ジェイムズタウンにパニックをもたらした(21)。また翌年の十月にはハローウィン−−悪魔教徒が事を起こすという伝説の日−−に合わせて、ジェラルド・ショーは通常の時間帯で「十代の悪魔教」と「悪魔の種畜:生け贄のための嬰児」を放映し、25日のゴールデンタイムには「悪魔崇拝」と題する特別番組「悪魔崇拝」を放映した。この特別番組の影響力は大きく、12月にはカンサス・シティーで番組の影響と思われる噂パニックが起こっている(22)。ジェラルド・ショー以外にも、88年から89年にかけてはSatan's Undergroundの出版、89年にはマタモロス事件、リトル・ラスカルズ託児所事件(23)など、噂の核となる事件が立て続けに起こり、噂パニックはピークを迎える(24)。

 しかし1990年マクマーチン事件に無罪判決が出る。1993年にはリトル・ラスカルズ事件が冤罪であることを暴露したテレビ番組Innocence Lostが放映されて反響を呼んでいる。同年に行われたサンディエゴのデイル・アキキ裁判では、被告が先天的な障害者で知恵遅れだったこともあり、裁判の問題点が全国に広く報道された。次第にマスコミも懐疑的な論調が主流になっていく。1995年にはワシントン州ウィナチで大規模なセックス・リング事件(25)が起こり、組織的性犯罪妄想が司法機関から完全に消滅したわけでないことを改めて示したが、裁判には被告たちを支援する人々から多くの非難が寄せられた。また、イギリスなどアメリカ以外の西欧諸国でも同様の誣告事件が出現したのも90年代に入ってからである(26)。それでも悪魔教カルト恐怖が鎮静化に向いつつあるのは間違いない。

 さて、最初に述べたように、悪魔の噂が姿を潜めると、代わって多発するようになったものが回復記憶による訴訟事件である。子供が回復記憶を用いる心理療法を受けている最中に、父親との近親姦や性的虐待事件を「思い出し」、その結果、親と絶縁状態になったり、刑事あるいは民事訴訟を起こすというケースである。民事訴訟で徹底的に争った場合、たとえ勝訴を勝ち取っても、多額の裁判費用を費やした上に子供との関係を修復できない可能性が高い。そのために多くの親は、法廷外での示談に応じる傾向にある。中には、虐待の記憶はまったく無かったが、子供の言い分を理解するために、子供と同じ治療家にかかった父親の場合もある。この父親は、治療家から、通常の人格と虐待者人格に分裂しているので、虐待の記憶を覚えていないと診断され、強制的に入院させられて、自らが悪魔教カルトの大祭司であったことを告白させられたのである(27)。

 こうした事件が起こる家庭のパターンについて、研究者マーク・ペンダーグラストは、FMS財団の集会で観察した結果、中流から上流の白人家庭が多いと述べているが、もちろんこれは、記憶を回復するのに多額の治療費が必要だからである。多くは親密な結婚生活を送っているが、そうでない者もいる。子供と親密な家庭もあればそうでない家庭もある。結局のところ「適当な環境さえそろえば、いかなる人も事実に基づくことなく近親姦で告発される可能性がある」(28)。1997年にFMS財団が行った調査で確かなことは、告発者は92%弱が女性で、記憶の抑圧と回復を伴うものも93%弱、その内18%程度が悪魔儀礼的虐待を伴うものだということである(29)。同調査によれば、この種の事件も、1991年と92年(それぞれ487件、407件)をピークとして、1995年は92件、96年には60件と、現在は激減している。しかも、告発者が虐待の主張を撤回した家庭が、93年の調査では0%だったものが、97年の調査では7%の家庭に増えている。そして今度は、回復記憶療法を行った分析医や心理療法士を医療過誤で告訴する事件が増えているという。

 以上が悪魔教カルト伝説の発生から虚偽記憶症候群に至る事件の一部始終である。しかし、こうした奇矯な伝説がなぜ大真面目に論じられたのか。一体どういう集団に受容されていったか、とりわけ、司法関係者、精神医療関係者など、むしろ社会的パラノイアに警鐘を発する立場の人々が信じたのはなぜか。それを次に見ることにしたい。


2社会的要因

 悪魔教カルト伝説自体は決して新しいものではない。たとえば儀式殺人と人肉嗜食は5世紀のキリスト教徒に対しても言われた(30)。1830年代アメリカでは、カトリックの恐怖が叫ばれ、尼僧院でのセックスや嬰児殺しの「告白」がベストセラーとなった(31)。つまりこのような伝説は昔から存在していたのである。それではなぜ80年代になって「伝説」ではなく「現実」として通用しはじめたのか。社会学者J・リチャードソンらは、ファンダメンタリスト・キリスト教、反カルト運動、悪魔教会、児童保護、回復運動の五つの先駆する社会運動から悪魔教恐怖が構成されたとしているが(32)、ここでは事件を構成する「悪魔教」「カルト」「児童」「セラピー」の4つの要素に従って先行する運動を整理してみたい。


(1)悪魔教

 警官、ソーシャルワーカーを対象に行われる悪魔教カルトのセミナーでは、悪魔教活動に4段階あると説明される(33)。最初の段階は面白半分にヘビーメタル音楽などを聞き悪魔教のまねごとをする若者、第2段階は自称悪魔教徒で悪魔教を口実に犯罪を行う者、第3段階は組織的悪魔教徒であり教団活動を行っている、第4段階には伝統的悪魔教徒がいて、これが極秘の国際的ネットワークを形成し幼児に対する儀礼的虐待あるいは幼児ポルノ製作を行っている。そしてこれらの4つの段階は連続しているとされる。

 もちろんここにも核となる事実は存在する。「悪魔教」を名乗る教団はいくつか実在し、中でもアントン・ラヴィの「悪魔教会」(Church of Satan)が有名である。元サーカスの芸人であったラヴィは、1960年代にサンフランシスコでオカルトのサークルを作り、66年に悪魔教会を創立する。ショーマンであったラヴィは様々な話題を提供してマスコミの注目を集めるが、オカルティスト、アレスター・クロウリーに影響を受けた彼の教義は、本質的には厳しい人間理解を韜晦した形で表現したもので、それほどセンセーショナルなものではない。人間の意志を重視し、儀礼は人間の能力を増進するための手段と合理的に解釈される。殺人と麻薬を禁止し、性を肯定するなど、むしろ健康的で現実的でさえある。信者数ははっきりしないが、最盛期の1970年代前半でも5千人ほどではなかったかと推測されている。ほかにも有名な組織には、ラヴィの弟子であったマイケル・アキノが70年代に設立した「セトの神殿」(Temple of Set)、あるいは元サイエントロジー信者のデ・グリムトン夫妻が60年代に開始したプロセス(Process)などがある。プロセスにはマンスンに悪魔教を教えたという噂が流れるが、後に否定されている(34)。アキノは87年に幼稚園の性的虐待事件に絡む嫌疑をかけられたが、類似の事件同様、告訴には至らなかった(35)。この他、クローリーの系譜を引く魔術教団や、ジェラルド・ガードナーの再興した新異教主義や魔女術などの信奉者も悪魔教徒とあやまって混同されることも多い。

 結局、歴史的に見れば、悪魔教伝承なるものが最初から実体としては存在せず、過去2世紀の間に保守的なキリスト教徒を中心とする反悪魔教主義者によって作成された(36)以上、そこは妄想の外敵を描く格好の材料なのである。

 1970年代には、反悪魔教の主力は、ファンダメンタリストだった。ファンダメンタリズムは、一方で超自然を認めない世俗的人間中心主義に反対し、他方では超自然力の乱用を批判し、オカルト現象の流行を悪魔の仕業と非難する(たとえば著名なファンダメンタリスト、ハル・リンゼイは、『サタン』(37)で、心霊能力を悪魔の働きと主張している)。彼らが守るものは伝統的家族制度であり、妊娠中絶に対しては強く反対する。中絶反対を叫ぶ直接行動団体Operation Rescueが結成された1988年、Satan's Undergroundが出版されるが、この本がハル・リンゼイらに信用され、ファンダメンタリストたちに売れた理由の一つには、カルトによって生まされた嬰児は生け贄に使われたというエピソードが中絶を思わせるためではないだろうか。

 1979年には、テレビ説教師ジェリー・フォルウェルによって代表的組織モラル・マジョリティが結成されている。これに象徴されるようなファンダメンタリズムの高まりと並行して、アメリカ人で悪魔の存在を信じる者の割合は増加している(64年には37%だったものが、73年に50%(38)。一方、神の存在を信じる者の割合は44年で97%、81年でも95%と高い値で安定している(39))。70年代のファンダメンタリズム躍進が、後の悪魔教恐怖の素地を作ったのは間違いない。とはいえ、80年代後半の悪魔教恐怖がピークに達した時期、プロパガンダの中心にいたのは、ファンダメンタリズムの傾向が強いとは思えない児童福祉活動家と子供たちの父母であったが(一方、フォルウェルら大物の説教師たちは、この時期相次いでゴシップにまきこまれている(40))。


(2)カルト

 「カルト」という用語が危険な集団と同義で使われ始めたのは、前出のチャールズ・マンソンのグループを指してマスコミが使用してからと言われる(41)。1970年代に流行した新宗教教団の多くは東洋から流入したもので、主流派プロテスタントとは倫理から服装に至るまでかけ離れたものだった。また、入信して家出する子供たちが後を絶たなかった。1978年にガイアナのジョーンズタウンでジム・ジョーンズの人民寺院集団自殺事件が起こる。ジョーンズの教会は元来ディサイプルズ派の教会として出発し、統一教会やハレ・クリシュナのようないわゆるカルトと呼ばれるものとは教義的にも一線を画し、主流派の教会の一つとしてキリスト教界から認められていたにもかかわらず、集団自殺事件以降は「カルト」に同一視され、その結果、「”カルト”は、人を操作する狂信者によって率いられ、洗脳によって指導者の権威に服従する精神の抜けた弟子たちからなる集団を指すようになった」(42)。

 こうしてカルトという語には、強制的改宗、集団生活、カリスマ的リーダー、狂信といったイメージがつきまとうようになる。一方、親たちは子供を取り戻すために、カルト情報を交換し脱会の相談にのる、Cult Awareness NetworkやAmerican Family Foundation(ただし前者は現在はサイエントロジーに買収され、反・反カルト団体である)などの反カルト団体を結成している。家族とキリスト教を守るという点からすれば、悪魔教カルトに対しては懐疑より警戒態勢を取るのも当然である。1993年に発行されたAFFの参考書には「託児所における児童の儀礼的虐待」と「十代の悪魔教」という、カルトの存在を前提とした論文が収められている(43)。

 このように反カルト運動の一部は儀式虐待を肯定している。しかし、反カルト運動と反悪魔教運動が同一かどうかは疑問である。たとえば、AFFの代表的な会員、心理学者マーガレット・シンガーは、儀式虐待理論に対して批判的なスタンスを取るFMS財団の諮問委員に名を連ねている。また、シンガーと同じく強硬な洗脳=反カルト論者リチャード・オフシーもFMS財団の諮問委員会に入っている(いずれも1998年度現在)。この理由は、FMS理論を信奉する科学者が、回復セラピーの方を儀式虐待の虚偽記憶を植えつける一種の洗脳カルトと見なしているからである。D・ネイサンの指摘では、こうした人脈関係だけでなく、保守的な家族観、60年代対抗文化に対する否定的意見など、反カルト運動とFMS財団には共通する価値観もあるという(44)。

 反カルト運動は必ずしも悪魔教カルト恐怖の拡大にプラスに働いたわけではない。しかし「被害者への精神操作」という悪魔教カルト伝説を構成する重要な要素を一般に流布したのは、反カルト運動が、宗教社会学者などからの批判が大きかったにもかかわらず、洗脳、マインドコントロールという概念を一般化させていたからであろう。そのために、悪魔教カルトを肯定する側も否定する側も、同じ枠組みの中の言葉を使わざるをえなかった。


(3)児童

 児童虐待問題が注目されたのは1960年代に遡る。最初に注目された問題は、扶養義務怠慢であったが、これは貧困と階級差別、人種問題などがその原因である以上解決は難しく、しかも貧困問題に対しては当時のニクソン大統領を始めとする保守派の反対が強かった。そこでモンデイル上院議院は、問題を扶養義務怠慢から虐待に変更し、1974年に「児童虐待の防止と治療法」(Child Abuse Prrevention and Treatment Act)を成立させた。同時にParents Anonymousという虐待を行う親たちの自助グループへの公費補助が始まり、虐待の原因は心の病という構図が定着していく。

 この法律が扱っていた問題は、当初は暴力行為であったが、次第にアメリカ社会の児童の性に対するオブセッションが表面化し、性的虐待が中心的問題となっていく。

 まず、70年代末にかけて児童売春とポルノに関する風説がいくつも流れる。1977年の公聴会では、120万人の児童がポルノ産業に巻き込まれているという誇大な説が出たため(45)、翌年にはFBIなどが児童ポルノの摘発に動いたが成果はほとんど無かった(46)。同時にフェミニズムの反ポルノ運動が盛んになる。被害者学の進展で全女性の54%は児童期に性的虐待を受けているという調査結果も発表された(47)。児童と女性はカテゴリカルに純潔であり被害者であり、成人男性は逆に獣欲に支配された加害者であるといった風潮が一部に広まっていった。さらに1980年代始めには、子供の失踪が話題となり、年間5万人は誘拐されているという説がマスコミに流れた。児童ポルノ産業に売られているとも言われ、親たちは恐慌をきたした(後に、子供の誘拐の大多数は、離婚した片親によるものと判明した)(48)。この一方、家庭内の脅威については、フェミニストのレイプ研究が進み、近親姦が従前考えられていたよりはるかに高い頻度で起こることが判明した。しかし70年代まで裁判所は近親姦被害者に対しては物証が得られないなどの理由から冷淡に扱いがちであり、その対策も充分ではなかった。また。被害者は家庭崩壊を恐れて否認する傾向があることも次第に分ってきた。80年代に入って司法制度が原告に寛大な方向に動いていったのはこの反省からである。

 つまり、アメリカの児童保護政策は、貧困という社会的問題から個人の心理的問題な問題に目を向け、医学的な視点が優勢になっていった。さらに児童虐待問題全体の中では必ずしも比重が高いとは言えないが、中流以上の父母の関心を集めやすい児童の性的虐待問題に収斂していったわけである。マスコミや政治の場で問題になれば予算が増え、予算が増えればさらに問題を掘り起こし仕事を増やす、という悪循環が始まり、性的虐待事件が異常に増えていったのである(49)。

 しかし、そこから児童福祉活動家たちが、悪魔的儀礼虐待という陰謀論に移行した理由については、さすがに説得力ある回答はまだ出ていないように思われる。フェミニズム系精神分析に見られる陰謀論の影響とも考えられるが、その点は不明である。ただ、60年代には若き理想主義者だったキー・マクファーレインがマクマーチン事件の際は悪魔虐待陰謀論者に変貌していった過程(50)は、その間の時代風潮の変化(60年代の社会改革、70年代の自己探し、80年代〜90年代の陰謀論)を考えると、むしろ異常ではないのかもしれない。

 ともかく、80年代、90年代のアメリカは、児童問題については、他の社会問題と比べると、バランスを失した過剰な反応を示した。とくに幼稚園児の父母たちは、なぜヒステリックな反応を示したのか。一つには家庭の制度的問題が隠れているという分析がある。

 デイヴィッド・G・ブロムリーの分析によれば、それは70年代から80年代に起こった中流家族の構造の変化に起因するという。つまり実質賃金の低下、離婚率の上昇と家族規模の縮小、個人の自己実現を優先する人生観などによって、女性が社会に進出せざるをえないし、またそれは認められ奨励されるべきこととなった。そのために託児所の重要性は増したが、とはいえ親たちは託児所に預けることを必ずしも歓迎していない。ここで矛盾が起こる。一方で子育ては家庭の任であるべきと思い、他方、現実には託児所に預けざるをえない。これをブロムリーは伝統的家庭をcovenant sphere、その外の社会をcontractual sphereと分け、前者に後者が侵入してきたと述べている。親は伝統的な家庭像を守りたいと願うが、侵入してくるのは自分のキャリア追求を行っている領域でもある。この問題は、社会の局所に原因があるのではなく、二つの制度間の矛盾にある以上、特定することで解消できない。そこでその原因に名前を与え、緊張を緩和するためのシンボルとして悪魔教が利用されたのであろうし、そのメタファーという限りにおいては悪魔教は真実であるとブロムリーは述べている。

 この分析は優れたものだが、しかし、疑問が無いわけではない。たとえばリトル・ラスカルズ事件で、園児の虐待を率先して告発したのは制度的な矛盾に悩んでいるはずのキャリア・ウーマンではなく、専業主婦だったという(51)。むしろ、covenant sphereに押し込められた女性たちから、contractual sphereに進出し自己を実現しているように見える女性たちへの嫉妬、そしてそれを支える託児所への憎悪が、幼稚園を舞台としたパニックの主要な動因であったかもしれない。


(4)セラピー

 児童虐待問題が社会問題から医療問題化したように、70年代以降、アメリカ社会では様々な人間行動が病気のせいとされ、医療あるいは「癒し」の枠組みが様々な領域を覆っている。そして、共同して相互に治療に当たるための組織も多数に上る。

 Alcoholics Anonymousが、12ステップのプログラムと患者同士の自助組織によって、アルコール依存症に対してかなりの成功を収めたため、80年代になるとこれを模倣する自助グループ(self-help group)がいくつも出現した。性依存症にはSex and Love Addicts Anonymous、薬物中毒患者にはNarcotics Anonymous、アルコール中毒患者に虐待された過去を持つ人間のためのAdult Children of Alcoholicsなどが有名なもので、これらは回復運動(recovery movement)と総称される。

 たとえばセラピスト、チャールズ・ウィットフィールドは、機能不全の家庭は人口の80%から95%に上ると見なし、そのような人はセラピーを受け、抑圧されたインナー・チャイルド、つまり「真の自己」に触れなければならない。最初は否定しても、子供時代の素晴らしい思い出と親に対する怒りを蘇らせ、トラウマを掘り起こすことができるのだ、と彼は言う(52)。このように回復運動では、「自己」と子供時代を特別視する。アダルト・チルドレン運動のグル、ジョン・ブラッドショーは幼児期の「オリジナル・トラウマ」は消えることなく成人の病的行動を生み続けると断言している。裏を返せば、現在の自分には責任は無いということになる。最初は誰でも否認するが、それこそトラウマ/悪魔の儀式的虐待/近親姦などのあった証拠という論理は、マクマーチン事件以降の幼児虐待事件の事情聴取の際には前提となっていた。

 このような回復運動を調査したW・カーミナーは、集会では会員たちが些細な事件を誇大に言う、あるいは自分の病状の告白を競う傾向があると指摘している。対して、クメール・ルージュの虐殺を逃れたカンボジア難民たちの集会では、自らの悲惨な体験を互いに告白しあったりすることはないが、回復グループには見られない笑いと明るさがあったとも述べている(53)。深刻な苦悩が無いからこそ苦悩を語るのかもしれないが、ともかく、こうした告白競争は、ヒステリー症状の感染のように、病の無い参加者にも病をもたらす可能性があるため、このような自助集団の中から、近親姦の記憶や悪魔教カルトの記憶を回復する者もいる(54)。

 回復運動のガイドブックの中でもとりわけ影響力を持ったものが、1988年の出版以来75万部以上発行されたThe Courage to Heal(55)であった。この本には虐待からの回復を段階を追って具体的に解説されているが、たとえば、「起こったことを信じること」という章では、「児童期の性的虐待を癒すには、自分が犠牲者であったこと、虐待が本当に起こったことを信じなければなりません」(56)とあり、さらに「怒り──癒しのバックボーン」の章では、「復讐を望むのは自然な衝動です、正常な反応です。好きなだけ想像してもかまいません。復讐を視覚的に想像することは、実に心を満たしてくれます・・・非暴力的な報復手段を探してごらんなさい。虐待者を告訴すること、警察などにつきだすのも、方法でしょう・・・ある女性は、祖父から性的虐待を受けたのですが、危篤状態の祖父の所に行き、親戚すべてを前にして、病院の中で思い切り怒りをぶつけたのです」(57)とある。問題は近親姦の事実がありそれを覚えている女性ではなく、事実が無い女性が読んだ場合の反応である。


 一方、80年代にフェミニズムなどの影響を受けて、精神医学界の学説も変化したが、それらも回復記憶に有利に働いた。その変化として、おそらく次の4点が挙げられるだろう。

 ?@「多重人格症」の復活。多重人格理論は前世紀末、精神医学界では重要な理論の一つであったが、フロイトの無意識説以降、長く無視されてきた。それが復活したのは1973年にフローラ・シュライバーのSybilというノンフィクションが出版されて評判を呼んでからと言われる。しかし、MPD患者が爆発的に増加したのは、1980年に改定された「精神疾患の診断統計マニュアル第3版」(DSM−?。)に多重人格症が記載されてからである。その後、1994年に出たDSM−?「では「解離性同一性障害」(Dissociative Identity Disorder)と改められている。

 ?A誘惑理論の復活。フロイトが一八九六年に発表した論文「ヒステリー病因論」で主張したもので、幼児が成人から受けた性的誘惑がトラウマとなって神経症を引き起こすという説である。しかし後にこれが治療過程で催眠状態になった患者の妄想であったとフロイトは判断して、この説を放棄、逆に子供の側の性的欲望を原因とするエディプス・コンプレックスを唱える。しかし80年代になってアリス・ミラー、ジェフリー・マッソンらから誘惑理論の復活が主張されると、近親姦の実態が明らかになったこと、トラウマ研究が進んだこともあって、誘惑理論は広く認められるようになる。

 ?B催眠術の復活。誘惑理論を放棄したと同時にフロイトは催眠術も放棄したが、第1次大戦後、多量に発生した神経症患者(現在言うところの外傷後ストレス障害患者)を治療するために催眠術が復活した。治療はトラウマの記憶を回復、解除、カタルシスという過程をとるが、それをスピードアップするために催眠術が利用されるようになった。さらには催眠術が効かない患者のためにはアミタール塩などの自白剤を用いる手法も開発された(58)。

 ?Cトラウマ研究の進展。上で述べたように戦争に付随してトラウマ治療は進展してきたが、とりわけベトナム戦争の帰還兵の問題が引金となって、「外傷後ストレス障害」(Posttraumatic Stress Disorder)が認知されるに至った(DSM−?。)。さらにジュディス・ハーマンらのフェミニズム研究者は、これをレイプや家庭内暴力、虐待などの問題に広げた。ハーマンは近親姦被害者を想定して、長期間に渡る虐待による症候群を複雑性PTSDと名づけ、その下位にMPDを含めるべきだと提案している(59)。つまり長期に渡るトラウマがMPDを発症するという理論だが、これは悪魔教カルトの「生存者」たちの症状を説明するのに格好の理論であった。

 誘惑理論とトラウマ理論は、共に内的現実に立脚する理論では説明しきれない病気に対し、歴史的現実による説明を与えたとも言えるだろう。しかし、一つの問題は、80年代から、病気をすべてトラウマで説明する風潮が出たことである(動物磁気を万病の原因と見なしたメスメル以来の伝統かもしれないが)。それ自体も問題であるが、そこから派生する論理的帰結の方がさらなる問題かもしれない。つまり、病は外部の事件に原因を持つ以上、治療者は外部の社会的問題に関心を持たざるを得ない、しかし、そこから社会的な意識に向うのではなく(たとえば初期のウィルヘルム・ライヒのように)、最後には病に戻るのである。このような限定つきでの社会的関心が、トラウマ研究をいささかいびつなものに見せているように思われる(60)。

 もう一つの問題は、催眠術は歴史的現実を回復するのには役に立たないのだが(「催眠は記憶と空想を区別する能力を減退させる」(61))、催眠下の告白を分析医自身が歴史的現実と勘違いしたことである。

 MPDという病気自体、地域的には北米、時期的には80年以降に偏りすぎているので、医者と患者の間で社会的に構成された病気ではないかという疑いも強い(62)。しかも、MPD患者の中から、悪魔教カルトの告白をする者が多く出た(1985年の「多重人格・解離状態」国際会議での調査では、参加者の25%がそうした症状の治療に当たったという(63))。医師の中にはこれを信じたばかりか、患者に信じ込ませた者もいた。たとえばシカゴのラッシュ・メディカル・センターのMPD病棟の創設者で多重人格解離研究国際学会の会長(1984年)を勤めたベネット・ブローンは、女性患者をMPD患者と診断し、様々な薬物投与などによって、悪魔教カルトの大祭司であると思い込ませたという疑いで告訴されている(64)。あるいはヒューストンの医師ジュディス・ピーターソンはMPD患者の診断を乱発し、母親にカルト信者であると信じ込ませて入院させ、多額の医療費を稼いでいたと言われる(65)。

 さらに、元臨床催眠学会の会長コライドン・ハモンド博士の説はこうである。戦争中ドイツの強制収容所に入れられていたグリーンバウムなるユダヤ人が、ナチの医師から学んだ洗脳技術をカバラと結びつけ完全な洗脳技術を開発した、彼は戦後CIAによってアメリカに連行され、グリーン博士なる名前で悪魔教カルトを指導している。おなじくMPD研究者コリン・ロスの説では、悪魔教カルトではなくCIAが1940年代より子供を使用して洗脳実験を繰り返しているという意見で、回復記憶がセラピーで生まれたものだという説は、真実を隠蔽するための戦略だという(66)。


 以上のように、悪魔教伝説を流布させた主な媒体は、ファンダメンタリスト説教師や反カルト運動といったいわば周辺的なメディアではなく、マスコミ、政府機関、児童福祉活動家、精神科医といった中心的な部分であった。そのような「世俗的な」媒体で流布したというだけでなく、悪魔教カルトにはあまり超自然的な意味がなく、性的逸脱者の集団にすぎない、あるいは救済も神からではなく精神科医からもたらされる(あるいは、もたらされるはず)という点でも、世俗的といっていいかもしれない。この世俗的という点については、最後に少し述べてみたい。


結語

 回復記憶を利用するセラピーは、悪魔教カルトの性的虐待ばかりではないが、なかでもその類似と相違において興味ある現象は、UFOによる誘拐事例である。1961年のヒル夫妻の事件に始まるが、これが話題となったのは80年代に入って作家W・ストリーバーが自らの誘拐体験をノンフィクションとして発表した事、そしてバド・ホプキンズ、デイヴィッド・ジェイコブズ、ジョン・マックらの誘拐事例研究が知られ始めたことによる。簡単に言えば、宇宙人に誘拐されて身体を検査あるいは手術されるが、一旦その記憶は消され、後になって退行催眠などのセラピーを受けて、記憶を回復するというものである。

 SRA事件との表面的な類似は言うまでもないだろう。さらに言えば、いずれも畜牛切断事件に関係ある、いずれも出産に関係した話がある(生け贄の材料とするために出産/混血児を作るために宇宙人に卵子を取られる)。しかし、ビル・エリスがその論文中で指摘しているように相違点の方が大きい(67)。彼はそれを、悪魔教カルトの話は経験的で、UFO誘拐は神話的であると述べている。重要な違いは、前者は人間が行うという点で、後者は人間を超えた存在によって行われるという点である。UFOの場合、他界の存在であるために、その物語は規範的な世界観からは逸脱し、被害者は新しい世界観と新しい神話の創造に向わざるをえない。悪魔教カルトの場合は、加害者が同じ社会に住んでいる以上、それを探して追放することが可能であるため魔女狩りが起こる。別個の世界観を建てる必要はなく、むしろ被害者は周辺から脱することを望む。その結果、UFO被誘拐者の場合は、経験に新しい意味付けをしてプラスの価値を与える可能性があるが、」の被虐待者は、最後まで病者というマイナスの符号がつきまとう。

 このような超自然性を排除した悪の伝説が生まれたのは、一つの仮定ではあるが、70年代の自己探し、あるいは80年代のニューエイジ運動からかもしれない。つまり70年代にベビーブーマーが社会変革から自己探しへと向って以来、「自己探し」はアメリカ文化の重要な一部となっている。しかし、この「自己」がかつては東洋宗教や神秘主義的な、自我を超えた広がりを持つ「自己」であったのに、ある時期から、幼児期にあったとされる無垢の自己にすりかえられてしまったのではないか。つまり、神話的時間の中にあった「自己」が、歴史的な時間の中に置かれてしまった。探すべきは子供時代の自分であり、それこそが無傷の本来の私である。このように楽園神話を自分の歴史の上に置く事で、一方では無名で無価値の存在から特別な価値ある存在へ、自分の尊厳を取り戻すことができるが、同時に悪の問題が等閑視されてしまう。しかしインナー・チャイルドと交流したところで現実世界の苦悩や悪は無くなるわけではない。そこで悪と苦悩の発生を説明する「楽園追放」神話の代用品としてトラウマが出てくる。「自己」は無垢であったのだから、現在の自分が悪いのはトラウマを与えた現実の大人たちというわけである。現実にあるなら操作して除去すれば良いという結末は、幼児期の自己への無反省な回帰願望の当然の帰結ではなかろうか。しかしそのためにさらなる悪と苦悩が生まれたのだが(68)。

 「いいや君はしていない、彼らがひどいことを君に対して行ったのは明らかだ、君は何も悪いことはしていない」(69)


(1)Anton Szandor LaVey, The Satanic Bible (New York : Avon, 1969), p.25.

(2)Jeffrey S.Victor, Satanic Panic (Chicago and La Salle, IL: Open Court, 1993), Appendix IV.

(3)Debbie Nathan and Michael Snedeker, Satan's Silence (New York : Basic Books, 1995)扉。

(4)ファミリーに関する「伝説」はヴィンセント・ブリオージ(担当地方検事)やエド・サンダースのノンフィクションで広められた。人身供犠の根拠ない風説は、エド・サンダース、小鷹信光訳『ファミリー』(東京:草思社、1974)[原題Ed Sanders, The Family, 1971 ]13章を見よ。マンソン本人が語った実像は、ニューエル・エモンズ著、越智道雄/樋口幸子訳『悪魔の告白』(東京:ジャプラン出版、1990)[原題Nuel Emmons, Manson in His Own Words, 1986]を参照のこと。さらにアーサー・ライアンズ、広瀬美樹他訳『黒魔術のアメリカ』(東京:徳間書店、1994)[原題Arthur Lyons, Satan Wants You, 1986]第7章を参照。

(5)Paul Siveking, "Poor Cow" in FORTEAN TIMES no.68 Apr/May 1993, p.24.

(6)1989年4月16日付Fort Worth Star-Telegramには地元警察筋の談として「切断された動物がこの地域至るところで発見されている。しかし悪魔教徒活動中という危険信号を掲げているのは、血を抜きとられた動物、組織を切除された牛、頭を刎ねられた羊である」とあったという。Jeffrey Victor, ibid, p.12.

(7)この自伝に虚偽が多いことは1992年にキリスト教系雑誌Cornerstoneによって暴露される。その顛末とMike Wernkeの教会Holy Orthosox Catholic Church in Kentuckyの奇妙な由来についてはMike Hertenstein and Jon Trott, Selling Satan (Chicago IL: Cornerstone Press, 1993)を参照。

(8)Michelle Smith and Laurence Pazder, Michelle Remembers (Pocket Books, 1981).

(9)ミシェルの二人の姉妹はいずれも虐待の事実を覚えていない。隣人たちはミシェルがカルトに監禁されていたはずの時期に毎日学校に通う彼女の姿を覚えているという。Mark Pendergrast, Victims of Memory, second edition (Hinesburg, VT: Upper Access Books, 1996), p.35fn.

(10)1.Lauren Stratford, Satan's Underground (Eugene OR : Harvest House, 1988). 2.Judith Spencer, Suffer the Child (New York : Pocket, 1989). 3.Robert S.Mayer, Satan's Children (New York : Avon, 1991). 1のStratfordは筆名で、内容が事実とくいちがうこと、精神的に問題のある性格だったことなど、出版の翌年にCornerstone誌に暴露された。その後、版元は絶版に付している。2の著者は看護婦。邦訳はジュディス・スペンサー、小林宏明訳『ジェニーの中の400人』(早川書房、1993)。3の著者も分析医。

(11)Robert S.Mayer, Satan's Children , p.261.

(12)Debbie Nathan, "Satanism and Child Molestation" in The Satanism Scare eds. J.T.Richardson, Joel Best and David Bromley (New York: Aldine De Gruyter, 1991), pp.81, 82.

(13)McMartin幼稚園の地下トンネルについてはThe Snta Cruz Ritual Abuse Task Force (http://members.cruzio.com/~ratf )を参照。

(14)Debbie Nathan, "Satanism and Child Molestation", p.82.

(15)Debbie Nathan, "Satanism and Child Molestation", pp.82,83.

(16)フェルズ・エイカズ託児所(Fells Acres Day Care Center)はマサチューセッツ州の事件で、告発されたのはGerald Amiraultとその母親と妹。幼児ポルノ製作の容疑で物証無しに有罪判決が下されたが、現在も裁判に問題があったとして係争中。ウィー・ケア保育園(Wee Care Nursery School)はニュージャージー州の事件で被害者はKelly Michaels、一旦は47年の懲役刑を宣告されたがマスコミに報道されてから支援弁護士がつき、93年に控訴審で有罪破棄。カントリー・ウォーク(Country Walk)事件は、フロリダ州の同地在住のキューバ移民Frank Fusterが、自宅で運営している託児所で起こった事件。Frankは終身刑に処せられたが、彼を有罪にする上で最も重要な証言をした妻のIlleanaはその後、証言を翻している。この事件の捜査を指揮した検事(後の司法長官)ジャネット・リノについては、Illeanaへの尋問など調査に行き過ぎがあったという疑いが出ている。さらにリノは、無罪に終わった13歳の少年Bobby Finjneの同様の幼児虐待事件の捜査でも問題があったと言われる。カントリー・ウォーク事件の背景についてはDebbie Nathanの詳細な調査がある。Debbie Nathan and Michael Snedeker, Satan's Silence , pp.170ff.参照。

(17)Debbie Nathan and Michael Snedeker, Satan's Silence , chapter 5参照。

(18)Debbie Nathan and Michael Snedeker,Satan's Silence , ,p.76.

(19)ゲストの衝撃的な告白と、疑似教養番組的な構成で、タブロイドTVと揶揄される。Charles Panati, Panati's Paradise of Fads, Follies, and Manias (New York : HarperPerennial, 1991), p.472ff. によれば、ある月のジェラルド・ショーには、トップレス喫茶店、連続強姦魔、妊娠した囚人、セックスリング、レズビアン家庭内暴力といった話題が並んだという。オプラを典型として「告白」→「癒し」というフォーマットがあるが、それについてはWendy Kaminer, I'm Dysfunctional, You're Dysfunctional ( New York : Vintage Books, 1993). chapter 2参照。

(20)Jeffrey S.Victor, Satanic Panic, p.20.

(21)Jeffrey S.Victor, "The Dynamics of Rumor-Panics about Satanic Cults," in The Satanism Scare , p.228.

(22)ジェラルド・リヴェラ(Gerald Rivera)についてはRELIGIOUS TOLERANCEのホームページ、GERALDO RIVERA'S INFLUENCE ON THE SATANIC RITUAL ABUSE AND RECOVERED MEMORY HOAXES (http://www.religioustolerance.org/geraldo.htm)1999/1/21 参照。彼は1995年の末の番組の中で、それまでの悪魔カルト報道があやまちだったことを認めている。

(23)ノースカロライナ州での事件。園長Robert Kellyと職員のDawn Wilsonが終身刑の判決を受け、95年に控訴審で有罪判決は破棄された。

(24)Jeffrey S.Victor,Satanic Panic, p.25.

(25)市の性犯罪捜査官ボブ・ペレスが自分の養子に強制して、ペンテコステ派の教会のRobertson牧師などを性的虐待のかどで告発させたと言われている。私選弁護士を雇う資力のある被告はすべて放免され、国選弁護人がついた被告はすべて刑務所に服役した。Katryn Lyon, Witch Hunt ( New York : Avon Books, 1998)参照。

(26)イギリス、オークニー島で牧師Morris McKenzieを被害者とする冤罪事件。1991年にはニュージーランドのクライストチャーチでは、市民保育センターのPeter Ellis が子供から性的虐待を告発される。

(27)Mark Pendergrast, Victims of Memory, p.303 ff.

(28)Mark Pendergrast, Victims of Memory, p.284.

(29)FMS財団が1997年1月から3月にかけて、2056家庭を対象に行った結果。この数値は、1993年の調査と大きな変動は無かったという。"Family Survey Update" FMS FOUNDATION NEWSLETTER (e-mail edition)Vol 6 No. 4, April 1, 1997

(30)Philips Stevens, Jr., "The Demonology of Satanism : An Anthropological View", in The Satanism Scare .参照

(31)告白本の題名はThe Awful Disclosure of Maria Monk (1835)。Brian Regal, "Nuns on the Run" in Fortean Times 87, JUNE 1996,P.34ff.参照。

(32)James T.Richardson, Joel Best and David Bromley, "Satanism as a Social Problem", in The Satanism Scare 参照。

(33)David G.Bromley, "Satanism: The New Cult Scare" in The Satanism Scare p.54.

(34)アーサー・ライアンズ『黒魔術のアメリカ』第7章を参照。

(35)David G.Bromley and Susan G.Ainsley, "Satanism and Satanic Church" in America's Alternative Religions ed. Timothy Miller (Albany, NY : State University of New York, 1995)参照。

(36)J.Gordon Melton, Encyclopedic Handbook of Cults in America (New York and Londo: Garland Publishing Inc., 1986), p.76.

(37)Hal Lindsey with C.C.Carlson, Satan is Alive and Well on Planet Earth (Grand Rapids, MI : Zondervan Publishing House, 1972). [邦訳 ハル・リンゼイ、松代幸太郎訳『サタン』(東京:いのちのことば社、1975)]。Erwin W.Lutzer and John F.DeVries, Satan's "Evangelistic" Strategy For This New Age (Wheaton, IL: Victor Books, 1989)という題名通りの本もある。逆にファンダメンタリズムのニューエイジ攻撃を非難した本にR.A.Gilbert, Casting The First Stone (Longmead, Shaftesbury, Dorset: Element, 1993)がある。

(38)James T.Richardson, Joel Best and David G.Bromley, メSatanism as as Social Problemモ in Satanism Scare, p.7.

(39)AIPO(アメリカ世論研究所)の調査。Andrew M.Greeley, Religious Change in America (Cambridge, MA: Haravard University Press, 1989), pp.13,14.による。

(40)PTLクラブという福音伝道番組のネットワークを率いていた人気説教師ジム・バッカーは1987年に人気テレビ説教師のジミー・スウォガートに女性スキャンダルを暴露され、PTLをいったんジェリー・フォルウェルに譲るが、すぐにフォルウェルの陰謀だったと主張。フォルウェルはこれに対抗して、さらなるスキャンダルを暴露。この後スウォガート自身が、売春婦を買っていたことが暴露される。同年、別の説教師オーラル・ロバーツは寄付が予定額に達しなければ自分は神に召されると信者をおどかした。PTLの顛末はHunter James, Smile Pretty and Say Jesus (Athens, GA: The University of Georgia Press, 1993).

(41)Jeffrey S.Victor,Satanic Panic, p.9.

(42)Jeffrey S.Victor,Satanic Panic, p.9.

(43)Susan J.Kelley, "Ritualistic Abuse of Children in Day-Care Centers," and Rob Tucker, "Teen Satanism" in Recovery from Cults ed. Michael D.Langone (New York and London: W.W.Horton, 1993).

(44)Nathan and Snedeker,Satan's Silence., pp.238, 239.

(45)Nathan and Snedeker,Satan's Silence., p.39.

(46)Nathan and Snedeker,Satan's Silence., p.42.

(47)Nathan and Snedeker,Satan's Silence., p.42.この対象になったのは幼児から十代後半の女性、虐待は肉体的なものから言語による誘惑までを含む。

(48)Nathan and Snedeker,Satan's Silence., p.44.

(49)例を挙げると、 ニューハンプシャー州では青少年家庭局が85年から95年までの間に予算が865%の伸びを示した。一方虐待と扶養怠慢の件数は、SRA騒動が盛んだった86年には1338だったものが、それが過ぎ去った94年には822に減少。サウスダコタ州では1983年に立件した虐待が2888件、立件しなかったものが2689件。国会でマクマーチン事件が問題となった翌年の85年には前者が3957件、後者が5079件と急増している。その後も虐待事件は増加し続け91年にピークを迎えたあとは減少に転じている。86年度以降は毎年、虐待容疑件数を含めた件数が1万件以上を数えているが、立件できた事件の件数は92年、93年と急落し、94年には1923件まで下がっている。FMS FOUNDATION NEWSLETTER (e-mail edition) Vol 5 No. 7, July 1, 1996

(50)Nathan and Snedeker,Satan's Silence., pasim.

(51)Mike Dash,"Bedevilled" in Fortean Times 72 Dec 1993/Jan 1994. p.47ff.

(52)Mark Pendergrast, Victims of Memory, p.437.

(53)Wendy Kaminer, I'm Dysfunctional, You're Dysfunctional chap.4.

(54)Mark Pendergrast, Victims of Memory, p.258. Frieda MaybryはRe-Evaluation Co-Counselingという自助グループに入っていて、SRAの被害を思い出した。

(55)Ellen Bass and Laura Davis, The Courage to Heal ( New York : HarperPerennial, 1988)。なお,SRA被害者も一人(Annette)含まれている。この女性は48歳で近親姦を思い出し、その7、8年後に今度は儀式的虐待を思い出したという。

(56)Bass and Davis, The Courage to Heal , p.86.

(57)Bass and Davis, The Courage to Heal , pp.128,129.

(58)John F.Kihlstrom, "Exhumed Memory" inTruth in Memory eds. Steven Jay Lynn and Kevin M.McConkey (New York: The Guliford Press, 1998).

(59) Judith Herman, Trauma and Recovery (New York: BasicBooks, 1997), chap.6.[邦訳 ジュディス・L・ハーマン、中井久夫訳『心的外傷と回復』(東京:みすず書房、1996)]

(60)ジュディス・ハーマンはTrauma and Recoveryの1997年版の後書きで、内戦に伴う集団暴行を非難し、東欧、南アフリカなどの過去の政治家たちが罪を償わない姿を、逃げ回る虐待者に比定し、回復記憶を否定するものは児童虐待者の弁護者であると非難している。しかし彼女の非難する戦争犯罪には、大国の大量破壊兵器による暴力は含まれないようである。

(61)John F.Kihlstrom, "Exhumed Memory", p.11.

(62)ジョンズ・ホプキンス医科大の精神科医ポール・マクヒューは「MPDは医原的行動症候群であり、暗示によって悪化し、患者への注目、社会的結果、集団への忠誠心によって維持されている」と述べている。Mark Pendergrast, Victims of Memory, p.167.

(63)Sherill Mullhern, "Satanism and Psychotherapy" in The Satanism Scare, p.154.

(64)Richard Ofsea and Ethan Waters, Making Monsters (Berkley and Los Angeles, CA: University of California Press, 1994), chap.11.なおこの件は1060万ドルという記録的な額を支払うことで和解したという(FMS FOUNDATION NEWSLETTER Vol 6 No. 11, December 1997 [ e-mail edition ] )

(65)Mark Pendergrast, Victims of Memory, p.172.

(66)Mark Pendergrast, Victims of Memory, pp.193,194. さらに詳しくはOfsea and Waters, Making Monsters , chap.9参照のこと。

(67)Bill Ellis, "Flying Saucers from Hell", in Magonia no.40 (London: John Rimmer, 1991). なおUFO誘拐事例と記憶については他にRobert A.Baker, Hidden Memories (Amherst, NY: Prometheus Books, 1996)あるいはLeonard S.Newman and Roy F.Baumeiser, "Abducted by Aliens" in Truth in Memoryなどの研究がある。

(68)この幼児期へのオブセッションについてはウルズラ・ヌーバー、丘沢静也訳『<傷つきやすい子ども>という神話』(東京:岩波書店、1997)が参考になる。

(69)Smith and Pazder, Michelle Remembers, p.35.

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