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(回答先: 前後不覚の泥酔者がなぜ無事に帰宅できるか 投稿者 さすれば 日時 2005 年 5 月 25 日 22:33:43)
さすればさん、レスありがとうございます。
私も昔、酔って記憶を失いながらスナックで手拍子していたのを思い出しました(友人談・笑)。
その時私が考えたのは、手拍子をしていたとき意識はあり、そしてその意識があったことを忘れてしまったのだろうと思っておりました。
あるボクサー(誰だったか)が意識を失いながら無意識状態で数ラウンドを戦い、その後戦っている最中に意識を取り戻したらしく、その無意識状態時の戦いぶりは別人のように俊敏な動きをしていたと聞いたことがあります。
これを考えると記憶を忘れてしまったというよりは、意識というプラグが一時的に外れてしまった状態ではないかと考えるほうがスムーズかもしれません。
ただ日々の呼吸も含めて無意識でも行動できるというのは、自分の中にはもう一人の自分がいるように、感覚的には不思議ですね。
デイヴィット・ボームが提示しているように、ホログラム(正確には常に変化しているのでホロムーブメント)に内在するあるひとつの意識というものがあって、その干渉パターンとして物質、つまり我々人間が存在しており、そして人間の無意識状態が、その内在する意識の一体性のある行動パターンを周囲の事物と連動しながら表現することができたということなのかもしれませんね。
あとご紹介の下條信輔著の『意識とは何か』については読んではおりませんので、時間ができたら手にして見たいと思っております。
『「意識」とは何だろうか―脳の来歴、知覚の錯誤』
(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061494392/ref=pd_bxgy_text_2/249-9321414-8776363)
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