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以下二つのパラグラフ(・・・・・〜〜〜〜〜・・・・)は、「『民主主義のガバナンス』を考える(4/4)」の部分的な再録です。
<注>「『民主主義のガバナンス』を考える(4/4)」については下記URLを参照。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050405/p1
・・・・・明治維新後の日本が近代国家へ向かう動きの一環として見逃せないのが「自由民権運動」です。教科書的な説明によると「自由民権運動」とは、藩閥政治に対抗するため士族が中心となって行われた民主化運動であり、1874年の「民撰議院設立建白書」が口火となって起こった、とされています。この運動は1889年に「大同団結運動」が分裂することで消滅し、やがて自由党、立憲改進党などの「政党」が成立する時代に入ります。しかし、近年の研究が次第に明らかにしつつあることですが、このような「自由民権運動と政党」が成立する過程で「任侠ヤクザ集団」がかなり大きな役割を担っていたと考えられており、いわゆる「民権博徒的な政治結社」の存在が無視できなくなっています。ともかくも、この辺りの事情に「政党」と「任侠ヤクザ集団」の類縁性にかかわるルーツがあるようです。このため、今でも我が国の「政治結社」や「政党」には一種独特の胡散臭い雰囲気が漂っています。そして、それは殆ど無意識に近いことでしょうが、我われ日本人の精神構造の奥深いところには、安全な日常生活を確保する「寺銭」(テラセン)としての政治献金を当然のこととして受け入れる“遺伝的とさえいえる庶民感覚”が残存しているのです。
いつまで経っても政治家をめぐる疑獄事件や政治を舞台とする贈収賄事件が後を絶たない背景には、このような「政党」の発展史的な事情が存在すると考えられます。なお、明治維新期には、このような「任侠ヤクザ集団」との類縁性を窺わせる政党のほかに、立憲帝政党という「政府の御用政党」が創られたこともシッカリ記憶に止める必要があるようです。また、現代のヤクザ(暴力団)のルーツは、国会議員でもあった吉田磯吉(北九州の筑豊炭田を仕切った大親分)だとされており、吉田磯吉の門下から大阪・横浜・神戸・四国などでヤクザ集団の分派が誕生しています。更に、神戸の分派の中で大島組を創設した大島秀吉は神戸市議会に介入し、一時期は神戸市政を牛耳ることになります。大島秀吉の子分の一人であった山口春吉が創設したヤクザ組織が、現在、全国にネットワークを張るヤクザ業界で最大規模を誇る山口組です。いずれにせよ、このような近代日本における「任侠集団」の歴史を概観すると、いわゆるヤクザ・任侠集団が、「政治結社」や「政党」と不可分の関係を維持しながら明治維新以降の「保守政治」や地方自治体の「政治」に深くかかわってきたことが理解できるので。・・・・・
●ここで記述した「ヤクザ(暴力団)」と、いわゆる「右翼」の違いを明瞭に線引きすることは中々難しいようです。また、一般的には、第二次世界大戦が終結した時に、GHQがこれらの地下組織や団体・集団等をことごとく強制的に解体したと理解されています。しかし、現実には、これら暴力を伴う超国家主義的なイデオロギー集団は変幻自在に様々な組織や団体の形に姿形を変えながら保守本流と目される政党の中枢部分に深く浸透して生き続けているようです。
●21世紀型の「新しい市民中心の民主主義社会」を実現するためには、このような現実が存在することも近・現代の日本の歴史の中からシッカリ学んでおくべきだと思われます。
<注>このような現実の理解に役立つHPを下に記しておきます。
玄洋社(ウイキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%84%E6%B4%8B%E7%A4%BE
玄洋社
http://www.tabiken.com/history/doc/F/F350R100.HTM
血盟団事件
http://www.geocities.jp/since7903/zibiki/ke.htm
頭山満『幕末三舟記』 (松岡正剛の千夜千冊)
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0896.html
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