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(回答先: Des Pascha Comutusによるとイエス・キリストの誕生日は3月28日 投稿者 ネオファイト 日時 2005 年 3 月 30 日 18:26:09)
はじめまして、ネオファイト さん。隣人 といいます。
"Des Pascha Comutus"という書物、私も知らないのですが気になりますね。
聖書はキリスト生誕の日も月も明示してはいないため、日付に関し様々な説が提唱されました。
3世紀には、エジプトの神学者の一団がそれを5月20日としましたが、そのほかに3月28日、4月2日、
4月19日など、もう少し早い日付を好む人々もいたようです。18世紀になるころには、1年のうち
のどの月もイエスが誕生した月とされていました。最終的に12月25日に落ち着くことになりました
が、その理由について大半の学者の意見は、カトリック教会が12月25日をイエスの誕生日に指定し
たという点で一致しています。
なぜその日なのか?新ブリタニカ百科事典は、「恐らく初期クリスチャンがその日を、“征服され
ざる太陽の誕生日”を祝うローマの異教の祭りと同じ日にすることを願ったからであろう」と述べ
ています。
しかし、それまで2世紀半にわたって異教徒からひどく迫害されてきたクリスチャンが、どうして
突然、迫害者に譲歩するようになったのかも不思議ですね。
参考に次の記事も引用しておきます。
----引用始まり------
キリスト生誕の日付の最新情報(といっても1981年の記事です。引用者註)
● ドイツ連邦共和国,ギリシャ,米国の少なくとも十のプラネタリウムでは,この冬上映した
内容を変更して,キリスト生誕のより正確な年を反映するものにしました。何世紀にもわたって
学者たちは,ユダヤ史家ヨセフスがヘロデ大王の死の前に生じたと述べている月食を基にイエス
の誕生を西暦前5年もしくはそれ以前とみなしてきました。しかし今になって,米国ロサンゼル
スのグリフィス天文台のジョン・モスリーは,最近の研究が,「ヨセフスの述べている月食は
……西暦前4年の月食とは考えられないことを明らかにする納得のいく証拠」を提出している,
と語っています。
ヨセフスが念頭に置いていたのは,西暦前1年に生じた二度の月食のいずれかだったに違いありま
せん。UPIの報道はそれを示して次のように伝えています。「ヘロデが実際に死んだのは,一般に
信じられている西暦前4年ではなく,西暦前1年のことである。イエスが誕生した時にヘロデが生
きていたことを新約聖書の記録は明らかにしているゆえ,この問題は非常に重要である」。また
同通信社によると「イエスの誕生は[これまでより遅い]西暦前3年もしくは西暦前2年の夏か初秋
であることを研究の結果は示して」います。
ここでも,明確な証拠によって権威者たちは聖書の歴史的記録を認めるに至りました。ルカの福
音書の記録は,イエスがヨハネからバプテスマを受けられた時,「およそ三十歳」であったと述
べています。ヨハネはその半年前の「ティベリウス・カエサルの治世の第十五年」に業を開始し
ました。世俗の歴史によれば,それは西暦29年のことです。ですから,イエスの誕生を西暦前2年
の……初秋」あたりとすると,イエスのバプテスマが「およそ三十歳」であったという記述と合
致します。―ルカ 1:34‐36,60; 3:1,2,23。
----引用終わり------
ここに出てくるヨセフスの記述とは次のようなものです。
「さて、ヘローデースはマッティアスを大祭司職から解任したが、もう一人のマッティアスすなわち
騒ぎの扇動者のほうは、その幾人かの同志とともに焚刑に処した。しかし、その処刑の行われたまさ
にその夜に月蝕がおこった。」(「ユダヤ古代誌」XVII 167 フラウィウス・ヨセフス著、秦 剛平訳)
ちなみ、イエスが亡くなった日は聖書には記されています。
ユダヤ暦ニサンの月、14日で、今年は3月24日の日没後から始まりました.
クリスチャンにとってはむしろこちらの日のほうが重要なんですよ。
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