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ゆっくり批判検討するために=「歴史認識が争われる時代」秦郁彦 
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投稿者 木田貴常 日時 2005 年 3 月 14 日 22:39:25: RlhpPT16qKgB2

http://www.asyura2.com/bigdata/up1/source/517.gif
この
"もっともらしさ"こそ、批判検討の要あり。
ただし、重要な論点多し。

ゆっくり批判検討するために、とりあえずアップしておきます。

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学士会館報 No.851

【歴史認識が争われる時代】秦 郁彦 (はた いくひこ)

 (歴史研究家・元千葉大学・日本大学教授・東大・法・昭31)

 二〇〇五年の新春を歴史家としてどんな感慨で迎え

たのかと自問してみた。いろいろな思いが去来するが、

舞いこんだ賀状を眺めると、鶏をあしらったカットが

圧倒的多数で、すべて世は事もなし、というのどかな

気分に溢れていた。なかに「平和主義者たちが暴力を

放棄できるのは、ほかの人々が彼らに代って暴力を行

使してくれるからだ」というジョージ・オーウェルの

辛辣な一句を引用した人があり、ぎくりとさせられた。

 医者が血を見なれてしだいに鈍感となるのに似て、

歴史家は一般人より過去のさまざまな事例に通じてい

る。ぎょっとするような事件が起きても、まず似たよ

うな先例を記憶のなかから拾い出すのが習性になって

いるせいか、少々のことではおどろかない。

 自戒せねばならぬところだが、翌一月二日の民放テ

レビに「ビートたけしの陰謀のシナリオ!! 日本を震

撼させた戦後七大事件はアメリカの陰謀!?」と題する

二時間番組を見つけてチャンネルをまわした。ビート

たけしの司会で十人ばかりのゲストが並び、帝銀事件

(一九四八)、下山事件(一九四九)、日航もく星号墜落

(一九五二)から、三億円事件、ロッキード事件まで、

戦後日本の怪事件はすべてアメリカ(CIA?)の謀略

らしいというシナリオになっている。

 とは言っても、テレビ局は責任を問われても困るか

らだろう。全体を陰謀!? と巧みにぼかし、七大事件

の解釈も一応は両論併記の体裁をとっていた。びっく

りしたのは、ゲストの感想ないしコメントで、一話終

るごとに「信憑性をどう思いますか」と聞かれて九五

%、九八%、100%と陰謀説を支持する人が続出し

たことだった。「謎は深まるばかり」とか「謎はさらに

深まった」と合間に流れる間投詞の影響もあったろう。

 だが帝銀、下山、松川、もく星号の米軍謀略説は、

小説家松本清張の妄想に発したという主旨の一文を発

表した(拙著『昭和史の謎を追う』文春文庫、を参照)

ことのある私は、あらためて陰謀史観の影響力と歴史家

の無力さを痛感した。

 しかり、陰謀史観は簡単には亡びず、日々新たに生

産されつづけているのである。最近に話題となったも

のをいくつかあげると、ルーズベルト大統領は日本の

真珠湾攻撃を知りつつ現地指揮官に通報しなかったと

いうルーズベルト陰謀説、田中義一首相が東アジアと

世界征服のプログラムを昭和天皇に上奏したとされる

「田中上奏文」(中国語では田中奏摺)事件、日中戦争の

発端となった虚溝橋事件の第一発は中国共産党の謀略

工作員が放ったという説などがある。

 本屋へ行くと、かならずフリーメーソンやユダヤの

陰謀説を主題にした本を一冊か二冊は見かける。今年

は源義経の大河ドラマが始まるので、「ジンギスカンは

義経なり」のリバイバルが起きるだろうとにらんでい

るが、ここまでオトギ話めくと人畜無害であって歴史

家が気にする必要もないが、なかにはこうした作り話

が巨額の賠償要求につながる一件もあるから用心する

にしくはない。

 例を田中上奏文にとってみよう。日中英独仏露語版

が世界中に流布されたのは一九二九年である。日本政

府が証拠をあげて誰かの意図的偽作と反論しても疑惑

は消えず、東京裁判でも真偽が論議されたが、疑わし

いと判定されたのか証拠には採用されなかった。

 偽造となれば、偽作者を割り出す作業が必要になる

が、一九六〇年になって「私が書いた」と名のり出る

人が現われた。慶応大学出身で満洲軍閥の張学良の秘

書をつとめ、のちに三十歳で国民政府の外交部次長に

就任した王家禎(一九〇〇−八四)である。

 王が中国文史資料研究委員会編『文史資料集』に偽

造の来歴を告白する手記を発表したのは一九六〇年だ

が、内部資料だったこともあり一般には知られず、私

が中国の友人からコピーを入手したのは一九八〇年頃

だった。

 しかし中国、ソ連、モンゴル、台湾などの刊行物で

は相変わらず田中上奏文が歴史的事実として登場して

いるのを見かける。私は前記の四カ国代表が顔を出す

学術シンポジウムなどで、既定の史実であるかのよう

にこの偽造文書が語られるのを見聞してきた。そのた

びに反論し、「百の説法より一つの証拠」と考えて王家

禎手記のコピーをプレゼントしたが、さっぱり効果が

見えない。

 ところが二年前に東京で日米中の研究者を集めた非

公式のシンポが開かれたさい、例のごとく中国代表が

田中上奏文を持ち出したので、王手記を御存知ないの

かと質問した。すると 「そうした説もあるのは知って

います」との反応が返ってきた。少なくとも初耳では

ないことがわかり効果があったらしいと喜んだのだ

が、現行の中国高校教科書(『中国の歴史』明石書店、二

〇〇四) には、相変らず田中上奏文が七行にわたって

堂々と書かれているのを知り、がっかりした。

 古森義久毎日新聞特派員によると、この教科書の教

科用指導書(いわゆる虎の巻)には「日本帝国主義への

深い恨みと激しい怒りを生徒の胸に刻ませよう。南京              

大虐殺の時間的経過と日本軍に殺された中国軍民の人

数を生徒に覚えさせよ」 (『日中再考』)と書いてあると

いうから、何をか言わんやである。覚えさせるべき人

数とは「身に寸鉄も帯びない中国人住民と武器を捨て

た兵士で虐殺された者の数は三〇万人以上」 のくだり

だろうが、史実を無視した宣伝文書のたぐいはどこか

でほころびを見せるもの。

 三〇万人はもちろん白髪三千丈式の誇大な数だが、

そのまま信じるとしても、この表現では首都防衛戦で

奮闘して死んだ兵士は皆無、全員が捕虜になって殺さ

れたことになってしまう。彼らの名誉に関わると思う

のだが。

「百人斬り」 の世界


 南京の虐殺記念館は全土で十数カ所あるこの種の抗

日戦争記念館のなかではもっとも有名で、日本の高校

生が修学旅行によく訪れる観光スポットになっている

が、入口の壁には「遭難300000」と大きく刻み

こんである。「この数字は何とかなりませんかね」とよ

く聞かれるが、「国定の数字だから現政権がつづくかぎ

り当分はむりでしょうね」と私は答えている。

 何しろ日本の親中派学者たちが中国の言い分に折れ

合おうとして、「犠牲者の数は「十数万以上、それも二

○万人近いかあるいはそれ以上の中国軍民」(笠原十九

司『南京事件』岩波新書)と涙ぐましい配慮を示しても、

三〇万は一人も減らせないと猛反発される始末であ

る。ついでながら笠原論文の英訳を見ると、「十数万以

上」という表現は英語にないためか「十万以上」とな

っていた。笠原氏のホンネの部分はこのあたりなのか

もしれない。

 同巧異曲の話だが、年末にタイムズ紙の中国支局長

が訪ねてきた。「江沢民前主席が日中戦争の人的被害は

三五〇〇万人と言い出し、今や定着していますが、ど

ぅ思うか」と聞くので、「ちょっと簡単な計算をしてみ

ましょう」とエンピツで数式を書いてみた。日本の中

国駐屯兵力は八〇万人ぐらいだから、戦闘要員が半分

と仮定して兵士の全員が「百人斬り」しないと計算が

合いませんよね、と言うと「なるほど」とうなずき、

にやりと笑っていた。

 三五〇〇万人(一九九五年)の前は二一〇〇万人(一

九八〇年)、東京裁判では三二〇万人だったから、半世

紀の間に一〇倍以上も膨張したことになるが、先日の

新聞は日中首脳会談で温家宝首相が「中国人が何人死

んだか知っているか。しかも中国は日本に損害賠償請

求はしていない」などと「異例の激しさで詰め寄った」

(産経〇四年十二月四日付)と報じていた。小泉首相が

ODA援助をそろそろ「卒業」させたいと発言したこ

とへの反発ないし牽制らしい。

 従来も靖国問題をふくめ中国が歴史カードを切るの

は、ODAの増額とか減額反対といった実利獲得にか

らんでのことが多いのだが、戦争を知らぬ世代への反

日教育の薬が利きすぎて政府や党のコントロールも利

きにくくなってきているのは、昨年の西安事件やサッ

ヵー騒動絶唱ても見当がつく。

「歴史を鑑として未来に向かう」(以史為鑑)は中国古

典の資治通鑑が典拠とされるが、江沢民が訪日のさい

何回も口にしていらい中国の指導者が日本人を見ると

お経のようにくり返す常套句となってしまった。いか

にも深遠な哲理に聞こえぬこともないが、わかるよう

でわからない含蓄に富むところがミソか。

 その前にはヴアイツゼッカー西ドイツ大統領(当時)

の「過去に目を閉ざすものは、結局のところ現在をも

見ることができない」という演説の一句が日本のマス

コミや評論家にもてはやされていた。

 だがどうにでも解釈できるこの種の殺し文句を政治

家が持ち出す背景には、強烈な政治的思惑が秘められ

てのこと。「以史為鑑」も文化大革命時の「批林批孔」

(林彪・孔子批判)のスローガンと同類だろう。林彪は

わかるが、恐れ多くも孔子とは誰を指すのか、周恩来

首相のことらしいと臆測が乱れ飛んだのを思いだす

が、江沢民の思惑が日中関係の歴史解釈権は中国だけ

が持ち、日本には渡さないとする意思表示だったこと

は今や明白である。

 同じ中国の古典でも「春秋に義戦なし」とか「天下

でもっとも残酷な学問は歴史である」(魯迅)といった

逆方向の殺し文句もあるのだから、日本側もそういう

例をひいて切り返してもよさそうなものだが、憲法第

九条の精神を信奉する戦後の日本政府や多くの学界人

はおし黙るか、ごもっともと肯くばかり。

 見かねて一部の政治家や歴史家が反撃すると、中国

政府は右翼とか軍国主義者のレッテルを貼り、日本政

府を叩き萎縮させるという構図がいつのまにか出来上

がってしまった。だが同情すべき余地もある。

 他国なら黙っていても盾の役割を買って出るプロの

歴史家集団が無力なうえ、イデオロギー上の分裂が冷

戦終結後も修復されていないからだ。この現象を「歴

史学の知的ヘゲモニーの喪失」(吉田仲之)と片づける

人もいるが、事態はもう少し深刻といえる。

 戦後歴史学の主流となってきたマルクス主義とその

亜流の歴史学者は今は表面的には失権したかに見えな

くもないが、初中等教育界を最後の拠点として反君が

代・国旗、右派教科書の排撃、過激なフェミニズムの

推進など反体制的な政治闘争を進めている。

 往時に比べ労働組合の多くが脱落、日教組も組織率

が三割台にまで低落しているため戦線の全正面を維持

するのはむりとなったので、彼らは同調者を動員しや

すい教科書闘争を展開、当面の敵である新しい歴史教

科書をつくる会編の日本史教科書(扶桑社版)の攻撃に

全力を傾注しているように見える。例えば共闘態勢を

とった中国・韓国両政府からの内政干渉がましい外交

圧力を辛うじてかわした文科省が大幅に修正して検定

を通過させると、つくる会反対派は方向を不採択運動

へ転じた。採択権を持つ各地教育委員会にデモや威迫

を加え、事務所に火焔放射攻撃を加えるなど、手段を

えらばぬ妨害工作によって採択率を会の目標とする一

〇%はおろか一%を下まわる全国数校の私立校だけに

押さえこむことに成功した。

 それから四年、情勢はかなり変った。今年の採択で

は東京都をはじめ全国各地で、つくる会の歴史教科書

を採択する公立校がふえそうだと予想されている。中

国や韓国の露骨な介入が日本国民のナショナリズム意

識を刺激したからで、「過ぎたるは及ばざる如し」の典

型かもしれない。

 私は以前から「つくる会」の教科書をどう思うかと

聞かれることが多い。それに対しては、歴史観で違和

感を覚える点は少なくなかったが、文科省の修正で国

際的にもマイルドなナショナリズムと評してよいレベ

ルになっている。それに他国に例を見ないほどの自虐

史観で書かれた教科書が多数を占めているわが国の現

状は異常で、せっかくの自由発行(検定はあるが)の利

占雀生かし、もう少し多様な史観に立った歴史教科書

が並立するのが望ましいと答えてきた。

 しかし、問題は中国や韓国が日本側の歴史認識に介

入してくるのは、必ずしも本気とはいえない点にある。

先方はプロパガンダと割り切っているからで、呼応し

てくれる日本のマスコミや歴史家がいなければ、政治

カードどころか逆効果にしかならないと認識している

からだ。

 もう十年以上も前になg郷り慰安婦問題が狂騒のピ

ークに達していたころ、盧泰愚前韓国大統領が浅利慶

太氏との対談で「(韓国人慰安婦問題は)実際は日本の言

論機関の方がこの間題を提起し、我が国の国民の反日

感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました」と

率直に語ったことがある(拙著『慰安婦と戦場の性』、新

潮社を参照)。

 日本と近隣諸国の歴史問題をめぐるトラブルの多く

が、同様の契機と径路で大火事になったのは否定しよ

ぅもない事実だし、「捕えて見れば我が子」なりと判明

した時の後味の悪さは言うまでもなかろう。

 自省を兼ねてでもあるが、もう少し「捕えて見れば」

の実例を紹介したい。

捕えて見れば我が子!?


 まずは江沢民の唱えだした被害者(死傷)三五〇〇万

人についてだが、実教出版の現用高校教科書「日本史

B」(執筆者は大江志乃夫、君島和彦、石山久男など)の巻

末にある「大東亜共栄圏−日本の加害」と題した折り

こみ地図(および本文一九九ページ)を見ると、地域別

の被害者数(死者)が並んでいる。

 計二二〇九万人のうち中国が首位の一〇〇〇万を占

め、インドネシアの四〇〇万、インドの三五〇万がつ

つく。負傷者の数は不詳だが、死者の約三倍というの

が常識だから足し合わせると中国は四〇〇〇万人にな

り、江沢民の数字を軽く超える。

 私は以前に折り込み地図の地域別被害者数を「白髪

三千丈」型(中国)、「風が吹けば桶屋」型(ベトナム、

インド)、「カン違い」型(インドネシア)、「取りかえば

や」型(朝鮮、台湾)、「その他」の五タイプに分けて論

評したことがある(『諸君!』〇三年七月号の拙稿)。標題

からおよその見当はつこうが、「カン違い」型のインド

ネシアの例で説明すると、ここでは最後まで戦争らし

い戦争はなかったから戦死者は皆無に近い。

 そのかわり四〇〇万人(日本政府の主張は一四〜一六

万)の労務者が動員され、数千人が死んだと同国の中学

教科書が書いている。実教の教科書に出てくるインド

ネシアの死者四〇〇万は、どうやら動員数を不注意か

故意で取り違えたものと推察する。

 このように、出所にかまわず手当りしだいに多そう

な数字を積みあげていった「悪意」 の産物が死者二二

〇九万人かと思われる。数字だけではない。本文の記

述ぶりもそれ相応だから省略するが、底に流れている

のは 「自虐」 と 「冷笑」だと要約すれば執筆者は怒る

だろうか。

 ちなみに私なりの計算をしてみると計二〇〇万人

弱、実教本の執筆陣には申しわけないが一〇分の一以

下に減ってしまう。文科省の検定官は何をしているの

かという声も出そうだが、彼らを責めるのもやや気の

毒というもの。一九八二年の宮沢官房長官談話に発す

る「近隣諸国条項」が検定基準に加えられ、アジア諸

国に関する歴史教科書の記述は実質的にノーチェック

という体制が今もつづいているからである。

 その反面、日教組講師団による 「ウラ検定」 が採択

を左右するようになり、教科書出版社は販売対策のた

めマルクス主義の残党史家を執筆者に起用してきた。

気のきいた左翼史家は次々に 「転向」したので、執筆

陣のレベルがどんどん落ちこみ、検定官は初歩的な事

実ミスの修正作業に追われ、史観の偏向チェックにま

で手がまわらないと聞く。

 こうした惨状を象徴する一例として、訴訟進行中の

大学入試センター事件の概要を紹介したい。

 平成十六年一月十七日に実施されたセンター試験に

不適切な設問があったため、不利益を蒙ったとして受

験生の一人が地裁に仮処分を申請したのは直後の二月

三日(却下)、早大新入生ら七人がセンターを相手どり

提訴したのは七月七日だった。

 係争のタネとなった設問は二つあった。ひとつは昭

和初期の日本経済をマルクス経済学の手法で分析した

『日本資本主義発達史講座』 にマークさせるもの、も

うひとつは日本統治下の朝鮮における 「強制連行」を

主題とするものだが、ここでは後者をとりあげてみる。

 設問は次のような四つの選択肢から正しいものを一

つだけ択ばせるもので、正解はCとされた。

@朝鮮総督府が置かれ、初代総督として伊藤博文が赴

任した。

A朝鮮は、日本が明治維新以降初めて獲得した海外領

土であった。

B日本による併合と同時に、創氏改名が実施された。

C第二次世界大戦中、日本への強制連行が行われた(世

界史B)。

 @の初代総督は寺内正毅、Aは台湾、Bは創氏改名

の実施時期は一九四〇年なので、残るCを正解とする

のが出題者の狙いだろうと、受験勉強ずれした生徒は

迷わずマークしたようだ。

 しかし強制連行の定義について論争があることを知

っている受験生なら、「歴史的事実に反し思想良心の自

由を踏みにじられた」(仮処分の訴状)とか、「一種の踏

み絵」と不快に感じてもふしぎはない。

『歴史と教育』二月号によると、インターネットの掲

示板にはセンター試験終了前から受験生による四千件

以上の書きこみがあったそうで、「空気を読み、Cにマ

ークしました。どうしても点数を稼がなくちゃいけな

いんです。許してください」とか「悩んだあげくCに

しました」といった反応が多かったらしい。

 いっぼう、「Cだと思ったけど、『徴用で強制連行

じゃない!』と私の心がCにマークするのを許しませ

んでした。センター得点率八割五分あったから別に良

いですけど、こんな問題、間違ってると思いました」

とか「受験生が過去問に取り組む年数分から消える頃

を見計らって、若者を洗脳し続けるつもりなんだろう」

と、出題者を手玉にとる醒めた若者もいたらしい。

 今では国民徴用令による「徴用」のうち、朝鮮人だ

けを「強制連行」と呼び変える事例は前記の実教本を

ふくめかなりふえているものの、元来は在日の朝鮮大

学校教員で『朝鮮人強制連行の記録』(一九六五)を刊

行した朴慶植が創出した新造語だったことを突きとめ

たのは、鄭大均(都立大学教授)である。

 韓国の国定教科書も「強制連行」は使っていないが、

自由募集、官斡旋、徴用(一九四四年から)の三段階が

あり、法的強制の期間は数カ月にすぎず定義が困難と

いう事情もあるらしい。センター試験にこの種の定義

も確立していない俗語を持ちこむのは、本来ありえな

いはずで、やはり近隣諸国条項のもたらした副産物と

見てよい。

逃げまわるセンター試験出題者


 それ以上に問題なのは、受験生が提起し国会でもと

りあげられた本件に大学入試センター(文科省の外郭機

関)ばかりか文科省、問題作成者をふくむ歴史家たちが

逃げまくるか、沈黙をきめこんでいることだろう。

 とくに作成者の氏名を公表せよという要求にセンタ

ーは渋り、怒った自民党議員グループに追及され「作

成者が辞める時点で公表する」と約束したが、実効は

期待できない。ほとぽりが醒めるまで作成者を引きと

めかねないからである。

 まともな作成者なら堂々と名のり出て弁明しそうな

ものだが、そうならないのは本人が不適切を承知で出

題した「確信犯」で、「しまった。ばれたか」と舌打ち

しっつも、支援勢力が守ってくれると安心しているか

らではあるまいか。

 実際に、「氏名を公表するな」と圧力をかけた組織は

いくつもあった。そのひとつは十六年三月五日付で「東

京大学史料編纂所教員有志」 (23名)の名義でネットを

通じ公表した声明で、「歴史の研究と教育に携わる者と

して、私たちは重大な危惧をいだかずにはいられませ

ん」と大げさなわりに、「有志23名」の氏名どころか代

表者の名も出していない。

 裁判はまだ準備書面交換の段階だが、センター側は

「強制連行」 が史実であるか否かは争わない、定義す

るのもセンターの職務ではない、相当数の高校教科書

が記載していれば出題対象として可で、四割の教科書

が記載していないから不当だという原告の言い分には

同意できぬ、と反論している。

 どう決着するか予見はできないが、秋の早大祭のシ

ンポで四人の原告学生が自前の言葉で決意を語る場面

に居あわせ、たのもしく感じた。彼らの世代が社会の

中堅を占める頃には、不自然な自虐史観で書かれた教

科書も少しは減るのではないかと期待している。

 近代史学の祖ランケは歴史家の任務を「そもそも何

が起こつたのか、そしてそれはなぜ起こつたのか」を

探索することにあると定義した。前段は歴史における

実証主義の宣言と解されている。問題は後段だが、私

は因果関係の解明、それも直接の因果に限り、「風が吹

けば桶屋」式の間接因果や拡大解釈を排す主旨と理解

したい。

 そして、この禁則を破り歴史を政治の具として悪用

する動きを監視し、必要あれば遠慮なく指摘していく

作業もまた、歴史家の任務だろうと信じている。

 (歴史研究家・元千葉大学・日本大学教授・東大・法・昭31)』
 
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(引用おわり)

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