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(回答先: パレスチナ議長選:アッバス氏勝利宣言 歴史の転換点(毎日新聞) 投稿者 はまち 日時 2005 年 1 月 10 日 21:53:27)
パレスチナ選挙:マフムード・アッバス当選
"Cette election ne sert a rien"
「この選挙は何の役にも立たない」
1月10日付け ラ・リーブル・ベルジック EMILIE SUEUR(ベイルート特派員)
元記事はこちら http://www.lalibre.be/article.phtml?id=10&subid=83&art_id=200679
1月9日にパレスチナ自治政府の議長選挙が行われ、与党PLOの主流ファタハの候補者で本命のマフムード・アッバス氏が当選しました。この選挙を、パレスチナ人でありながら選挙権を持たない難民の目から見たリーブル・ベルジックの記事をご紹介します。
(翻訳はじめ)
パレスチナの同胞からわずか数100kmしか離れていないところに彼らはいる。レバノンに非難したおよそ40万人のパレスチナ難民は、しかし選挙権をもたず、傍観者としてパレスチナ議長選を経験した。中には56年前から難民キャンプの惨状を知り尽くしている者もおり、自らの将来に不安を抱きつつ選挙を注視した。
2004年11月11日、世界がヤセル・アラファトの死を知らされた時、レバノンのパレスチナ難民キャンプには不安が広がった。アブ・アマール(ヤセル・アラファトの軍人としての愛称)はレバノンのパレスチナ難民に対して特別な愛着を持っていたからだ。アラファトは1965年から1983までレバノンに滞在していたが、根城がイスラエルとシリアによる急襲を受けたためレバノンから離れた。ファタハによってヤセル・アラファトの後継者として担ぎ出されたマフムード・アッバスは、パレスチナ難民の帰国問題へのこだわりに関してアラファトのように熱心ではないと、難民たちから疑いの目で見られている。
FDLP(パレスチナ解放民主戦線)の代表で、ベイルート近郊のマール・エリアス難民キャンプで暮らしているスハイル・ナトゥールは「アブ・マゼン(訳註:マフムード・アッバスの愛称)と言えば、なによりもまず、難民問題交渉を先延ばしにすることを予定したオスロ合意の産みの親です」と説明する。「また、アブ・マゼンが首相を務めていた時、ヤセル・アラファトはその政策に反対しました。アブ・マゼンの政策はパレスチナ再興にはなんの役にも立ちませんでした。続いて、2003年6月のアカバ首脳会議(訳註:ヨルダンで行われたアメリカ・イスラエル・パレスチナの三者首脳会談)の時、アブ・マゼンはイスラエル国家のユダヤ性原則を承認しました。ところがその承認と難民の帰国権はリンクされていませんでした。難民がショックを受けるのも当然です」
こんにち、レバノン最大の難民キャンプ、アイン・エル・ヘルエで、多くの人はマフムード・アッバスを支持するしか道はないと考えている。PLO書記官のカリル・アリフはその筆頭に挙げられる。「1月1日、アブ・マゼンは私たちを召集し、難民の帰国問題に取り組むとあらためて表明しました」とアリフは強調する。その数週間前、パレスチナの新リーダーは歴史的なシリア・レバノン訪問を実行した。アラファトとこの2カ国との関係が最悪だったため、パレスチナの高官は長い間まったく両国を訪れていなかった。このキャンプ内でのファタハの情報担当官、ブラヒム・ハディドは「この訪問は時代の変わり目を象徴しています」と説明する。
事実、多くの難民がファタハの候補者アッバスを支持していた。31歳の薬剤師、アジズ・オスマンは「アブ・マゼンはアイン・エル・ヘルエに来てくれました。私たちのことを忘れていないという証拠です」と語る。いっぽう40歳の自動車整備工、ブラヒムは「アブ・マゼンはアラファトの後を継ぐために選ばれました。だから私たちは彼を支持します」と説明する。この選挙に投票できなかった悔しさを隠し切れない20歳のアハマドは、「名誉あるパレスチナの指導者なら全員、アラファトがパレスチナ人とパレスチナ難民にした約束を忘れることなどできるはずがありません」と熱を込めて語った。
しかしながら、明らかな懐疑の目を向ける者もいる。自分の肉屋の店先に腰掛けた髭もじゃの大男、イッサムは「この選挙は何の役にも立ちません。ヤセル・アラファトというシンボルがいなくなってしまったからです」と吐き出した。1948年から難民として生活している老モハメドはなお一層幻滅している。「選挙なんてどうでもいいよ。みんな選挙に夢中だが、俺はただ家に帰りたいんだ。一艘の船が迎えに来てくれるのを待っているんだ!」
原則の問題
事実パレスチナ難民にとって、イスラエルとの交渉再開に関する論議に優先するのは、世代を超えて受け継がれてきた「帰国する権利」という具体的な問題なのだ。そして、アブ・マゼンがイスラエルとの交渉の枠内でこの問題に関して譲歩する能力があるのか?という問いが常に突きつけられる。パレスチナ人のフリーの研究者、ヤベル・スレイマンは、これは何よりも原則の問題だと語る。「私自身、いつか帰国したいと思っているのかどうかはっきりしないところがあります。でも、私たちにとって、また私自身にとって、生まれ故郷の村に帰るか帰らないかを選択できるという自由を持つことこそが本質的な問題なのです」
(翻訳おわり)
http://blog.livedoor.jp/media_francophonie/archives/12123730.html
http://blog.livedoor.jp/media_francophonie/