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オプス・デイ会員がブレア政権の閣僚に!(ABC紙より)
12月22日付のABC紙(電子版)は、The Sunday Times紙の記事を引用し、北アイルランド出身36歳のオプス・デイの女性会員Ruth Kelly氏が、英国ブレア政権の教育相に就任したことを伝えています。
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『オプス・デイの女性がブレア政府に』(ABC:2004年12月22日)
http://www.abc.es/abc/pg041222/prensa/noticias/Internacional/Europa/200412/22/NAC-INT-043.asp
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この記事によりますと、
「Kelly氏は1968年に北アイルランドLimavedyに生まれ、家族が北アイルランド紛争を避けてアイルランド共和国に移住した後、オクスフォードとロンドン経済学校で経済学を学んだ。その後The Guardian紙の経済担当記者として働いた後、1994年にイングランド銀行、後に英国大蔵省で働く。現在4児の母。
Kelly氏は、David Blunkett内相の辞任に伴う内閣改造で、Charles Clarkeの後任として就任した。氏は政治家としての経験は浅く労働党内でもフェミニズム運動で活躍したことは無い。同じカトリック教徒のCherie Blair首相夫人の手腕があったものと見られ、彼女の就任は労働党左派からの批判を受けている。しかしThe Sunday Times紙は、彼女の思想信条が教育相として仕事を妨げることは無い、としている。」
オプス・デイの女性閣僚としては前スペイン外相のアナ・パラシオがいました。しかし、教育相とはいっても大英帝国の閣僚にこの教団のメンバーが入ったとなると、ちょっと話は別です。このまま労働党政権が続くなら、将来はRuth Kellyの大蔵省、そして他の閣僚にも、あるいは官僚層の中にもかなり食い込んでくる可能性があります。
オプス・デイは英国での活動を昔から非常に重視しており、創始者のエスクリバー・デ・バラゲーがローマにその本拠地を移したと同じ年の1946年に、英国に支部を創設しています。この教団の外国進出の最初は1945年のポルトガルで、そして次の年にイタリアと英国にその手を伸ばしているわけで、カトリックの伝統がある国々はともかく、伝統的にカトリックとは対立関係(であるはず)の英国にこれほど早く進出している、といういことは、最初から英国王室、ロスチャイルドや諜報機関との関係が考えられます。
しかもオプス・デイ最大のイデオローグフロレンティノ・ペレス・アンビッド、そして創始者エスクリバーに最も信頼の厚かったラファエル・カルボ・セレルが、英国スペイン研究所の所長に就任しているのです。この教団がその歴史の初期から欧州支配層の「奥の院」に入り込んでいる可能性が高いわけです。そういえばいわゆる「P2事件」で『自殺死体』となったアンブロシアーノ銀行頭取のロベルト・カルビが死んだのも、なぜか英国でした。オプス・デイはこの事件にも裏で深く絡んでいる、といわれています。
それにしても英国首相ブレアの女房が、恐らくオプス・デイに近い筋の、カトリックだったことがはっきりしたわけです。どうりでブレアの挙動が不審なはずだ! 実はスペインでもアスナールの女房アナ・ボテジャがオプス・デイに熱を上げていることは有名で、ひょっとすると、どっちもヨメさんに引きずられてイラク戦争に加担したのかな?