現在地 HOME > 掲示板 > 戦争64 > 671.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
記者の目:
「戦ノ匂ヒ」強まった横須賀 網谷利一郎
日本を一目で見たいならヨコスカに来ればいい。米海軍と自衛隊の基地があり、小泉純一郎首相の地元でもある神奈川県横須賀市は「日本の縮図」だ。自衛隊のイラク派遣延長が決まった。この街で取材を始め2年半、旧軍港は「戦ノ匂(にお)ヒ」が強まったと体感している。
「守るも攻むるも黒鉄(くろがね)の」と「軍艦マーチ」が岸壁に流れたのは、2月16日だった。イラク派遣の護衛艦「むらさめ」が、海上自衛隊横須賀基地を出港した。アフガニスタンのテロ対策支援で、インド洋へ護衛艦が何度も出たが、軍艦マーチを演奏したことはなかった。
「テロ対策の時は演奏命令がなかった。今回は命令があった」と関係者。「政治家からの要請」との情報が流れたが、不明だ。
続いて「皇国の興廃、この一戦にあり」と玉沢徳一郎元防衛庁長官が激励した。日露戦争の故事を引き合いに出した。「やはり、これは戦争なのだ」。昭和21年生まれの“戦争を知らない”世代の私は、妙に納得した。
02年4月、横須賀通信部に赴任した。1キロほどの距離で米海軍と海上自衛隊の基地が並ぶ。制服の多い街だな、というのが第一印象だった。90年から5年間、北京に駐在したが、そこでは軍服が威張っていた。横須賀の違いは、米兵が行き交うことだ。
海軍鎮守府があったこの街は、旧軍港のにおいを今も色濃く残している。先の大戦の時、真珠湾攻撃の反攻で米軍が日本本土を初爆撃した「ドゥーリットル空襲」(1942年4月)では、横須賀は東京とともに狙われた。
小泉首相が「親米」なのは、むべなるかな。米艦船が帰港するたびに、街では米兵と連れ立つ若い日本人女性の姿が日常化する。進駐軍の黒人兵士と結婚した日本人女性の苦悩を描いた有吉佐和子作「非色」(1964年刊)は、今や別世界なのか。
90年代初め、中国の李鵬首相(当時)は「富国強兵」政策を掲げた。海洋権益を守るため、海軍の増強が必要だ。最近の海底資源の開発、それを守る潜水艦の出没は政策遂行を物語る。
明治以降、わが国も「富国強兵」が大目標だった。その帰結は一言で言えば軍事路線、敗戦だった。戦後は「戦前の過ちを二度と繰り返さない」が国民の願いではなかったか。
米海軍基地の兵士の口からは「二つの戦争」が飛び出す。アフガニスタンとイラク。どちらも「戦争」なのだ。02年12月、イージス艦「きりしま」が出動したとき、対岸の米艦船に「ご武運をお祈りします」と横断幕が出た。「二つの戦争」を通じ、自衛隊と米軍の連携は緊密化している。
小泉首相の「自衛隊がいるところは非戦闘地域」との発言は、「参戦」を糊塗(こと)するものだ。「日本は参戦している」との意識が、国民に薄いのはなぜか。
インド洋から帰港した護衛艦の隊員たちは「6キロやせた」「40度を超す暑さ」と日焼けした顔で話す。酷暑の洋上での厳しい任務がうかがえる。サマワの陸上自衛隊員はさらに緊張を強いられる激務だろう。派兵延長で「戦死者」が出ないことを願うのみだ。
「小泉君」と呼ぶ人が横須賀にいる。新自由クラブ元代表、田川誠一さん(86)だ。陸軍少尉で千葉県で終戦を迎えた田川さんは「戦争の悲惨さ、怖さを知っている世代ほど、小泉君の性急さに危惧(きぐ)を感じている」と静かに語る。「イラク派兵延長も、もっと国会で議論し、国民に説明すべきだ。憲法9条問題だって、もっと時間をかけて議論をつめるものだろう」
この夏、地元の商店街は「純ちゃん祭り」を中止した。「純ちゃんランチ」のメニューも消えた。「もう純ちゃんでは客がこない」と老店主はこぼす。
「九条を 迂回(うかい)してゆく日章旗」
「自衛隊 どこの自衛と孫が問う」
横須賀川柳協会の川柳には、地元の宰相に辛口の句が多い。九条の句を作った男性(74)は「小泉さんに期待したが、言葉に実がない。ブッシュのフレンドでいいのか」と舌ぽうは鋭い。
知人でワシントン在住の邦人ジャーナリストは「ブッシュ政権のテロ強硬策以降、米世論が右傾化し、自分の座標軸がどんどんずれてゆく」と言う。横須賀でも同じ思いだ。
市内の三笠公園には、日露戦争の旗艦「みかさ」が飾られている。来年5月には日本海海戦100周年を迎える。「勝った、勝った」の懐旧儀式ではなく、日本の近代1世紀を考えるきっかけになればと思う。
東郷平八郎元帥の銅像が公園に立つ。イラク派兵延長で、海戦史に残る有名な東郷ターンならぬ「小泉ターン」(自衛隊撤退の決断)はいつになるのか。(横須賀通信部)
毎日新聞 2004年12月14日 0時07分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20041214k0000m070154000c.html