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「生きてこそ」胸にーー拉致帰国者・地村保志さんの手記に感銘をうけました2003/10/16 長壁 満子、40代、金融
拉致帰国者を熱狂的な歓迎で迎えてから一年。拉致帰国者にとっては、日本の家族との再会と引き換えに北の共和国にいる家族との別離でもあった。
この間、当人の思いとは別に、着々と実効されていく日本政府の思惑があった。改めて記すまでもなく、この間、日本は拉致という駒を最大限利用した。仮想敵国=北朝鮮有事のシナリオのもと、日本国民の情動を煽りたてる翼賛体制報道を敷き、戦争法案を成立。平和憲法日本国家は、見事な軍事国家に、いともたやすく変身したのである。
認めたくない人々は多いがまた、純粋に拉致帰国者に思いを寄せ、支援する人々が圧倒的であるとは思うが、現実は国策で動いているのである。
「子供たちの今後の処遇については、北朝鮮が子供の問題を外交カードに利用している以上、身の安全は保証されるものと確信していた」と語る地村さんだが、同じく、日本政府もまた、それ以上の外交カードとして積極的に利用したのである。韓国大統領訪日の最中、有事法案を可決させ、靖国参拝を臆面もなく実行する首相の腹黒さを思えば、このシナリオは容易に理解できる。
拉致帰国者の思い、苛立ち、双方の国への不信といった、個々の感情とは切り離されたところで、冷徹な外交カードがきられているということである。
一年経って、私はようやく、地村さんの肉声、それも思慮深い誠実な人間性に基づいた、心の叫びに触れた思いがする。私がもっとも最初に聞きたかった、知りたかった当然の心情である。以下、朝日新聞から抜粋・引用する。
子供の帰国を待つ心境
ーー子供たちの早期帰国の問題も自分たちと全く同じケースである。日本政府が動かない限り解決の糸口は見いだせないというのが現実だ。そういった意味で政治家でもない自分たちにできることと言えばただ子供たちの早期帰国実現を日本政府に訴えるしかない。そこに当事者としての無力感を感じる。
「家族・親子が一緒に暮らす」というのは、通常の生活形態である。しかし、世の中には家族・親子がそれぞれ生き別れになって生死も分からず暮らす不幸な人々がたくさんいる。身近な例を挙げれば、在日韓国・朝鮮人の人、この人たちは個々の事情により自ら日本に渡って来た人もいると思うが、過去の戦争による犠牲者も少なからずいる。また朝鮮半島においては、朝鮮戦争時、生き別れになり今日までお互いの生死すら分からないまま暮らしている離散家族と呼ばれる不幸な人々がたくさんいる。これらの人々ににとって「家族の絆」というものは並々ならぬ想いがある。
そもそも北朝鮮による拉致事件はなぜ起きたかを考えると、そのひとつに戦後国交が正常化されていない日本との対立関係が背景にあるものと考えられる。そういった意味で拉致は戦争の延長、犠牲とも受け止められる。このように国家間或いは国内の内戦の犠牲になり生き別れになった人々にとっての唯一の願いは、家族の再会であると思う。
しかし私自身、拉致問題は戦後に起きた国家犯罪であり、北朝鮮が拉致事実を認めた以上、早期解決と謝罪があって当然だと思う。まして家族の帰国問題は、人道上の観点から考えても、無条件、即時実現されるべきである。 以上
私が最初、拉致帰国者への同情を寄せることにひっかかりを感じたのは、こうした地村さんの「拉致の悲劇を問う」姿勢が一切封印された、世論の異常性へであった。日朝の歴史に起因することは誰の目にも明らかなのに、故意に隠蔽し、まるで、狂った個人が犯罪を犯したごとく、北朝鮮を攻め立てる。挙句は国家犯罪である、テロであるといったブッシュのシナリオにまんまと乗せられ、唱和する人々。誘導する人間が国策側にいることが明らかであるというのに、そうした権力犯罪には頓着しない。ここさざ波でさえ最初からそして今も、この路線にあくまでしがみつきたい人がいる。
当事者でもなかろうに(中には身近な人もいるだろうが)、全くエキセントリックな感情に呼応する方々がいる。
地村さんの後半「まして、家族の帰国問題は、人道上の観点から考えても、無条件、即時実現されるべき」は勿論、当然の感情であり、異議申し立てである。
個人の被害感情からしてみれば、たまたま海沿いに住んでいたから、あるいは、きれいな海岸線を散歩していたから、拉致され、運命を変えられるなんてことはあってはならないものである。先がアメリカであろうと、フランスであろうと許されないことであろう。地村さんが拉致を徹底的に糾弾されるのは当然である。
が、国が絡んでいるときに、地村さんでない私達日本人が、自国の政府を飛び越えて、拉致した北朝鮮をのみ、汚い言葉でバッシングし、煽りたてるのは常軌を逸した行為である。ましてや、矛先は在日のチマチョゴリをきた女子学生にむけられ、朝鮮総連への爆弾攻撃になり、在日の足ともいえる万景峰号に向けられる。明らかに、それぞれの矛先への攻撃は、冷静なき然とした対処といえる代物ではなく、報復感情のみ拡大させた、また戦争策動に便乗した輩の狂気の行動であろう。そうした行為を厳しく批難しない政府もまた傍観という国策を弄しているのである。
在日の方々になされる攻撃・差別は、その万分の一も報道されてはいない。ここのところを、私達日本人は、しっかりと心する必要があるのではないか。さざ波で指摘された在日の差別を「理解も10%がやがては100%になるでしょう」などと脳天気なことばで言い募る人がいるが、ここまでくるともはや、犯罪的ですらある。このような人には、言葉をなくす。
とにかく、歴史、緊張関係にある他国間といった状況をいっさい無視し、事実を事実とてとらえられない人の発想は、国策にいいように乗せらるだけである。地村さんでさえ、北を露骨には批判してはいない。こうかくとまた、排外右翼者は、批判できないのは「北の家族の安全」云々というのでしょうが、この一年、日本は、どれほど、北朝鮮を糞みそにいってきたことか。そして、そうした人々に支援されているのが地村さんたち拉致帰国者であるという事実である。この事実が伝わらないことがあろう筈がない。仮に、日本で行われているバッシングが北に伝わらないなら、それこそ、拉致帰国者は何をいってもいいことになる。安全である。このように、北朝鮮バッシング派のやること、いってることは、矛盾だらけ、支離滅裂なのである。
経済制裁ということも度々とりあげられるが、経済制裁が即、北の民衆を殺すことに直結するということが、どうして理解できないのか。誤解を承知であえていうが、どなたかの言説だと、北朝鮮の民衆は15%が餓死しているという。資本主義でないのだから、さらに経済制裁で食料等入手が困難になれば、そのしわ寄せは即民衆にいくのではないか。15%の餓死が20、30%になるかもしれない。北はパレードでも、武器を携帯しなかったほど?経済的にも、困窮しているともいう。ならば、日米からの緊張がたかまればたかまるほど、武器等戦費に費やされ、ますます、北の民衆は困窮するであろう。
金政権だって、民衆がどんどん死ねば困るのである。余裕がなくなればなくなるほど、人間的な「情」は削減されていく。だれもがいっていることだが、金政権だって、じぶんがかわいいだろう。独裁だかなんだか知らないが、政権維持は民衆の支持がなければ崩壊するのである。ブッシュ政権だって、民衆支持のために、戦争というトリックをしかけ、ここにきて、また100ほどの捏造シナリオを企んでいるという。来年3月の選挙に向けてである。ブッシュは国民のことなど、一切考えていない。金正日ほどにもである。米国ネオコンにあるのは、欲望のみである。ありあまる利権をねらうためには、地球破壊も人類滅亡も歯牙にもかけない。こうした米国と闘っているのが、北朝鮮であり、イラクであり、イラン・シリアその他の国々である。
それにしても、ここにきてようやく勇気ある肉声を地村さんがあげてくれ、わたしは安堵している。拉致帰国者自らの声であるなら、とりあげないわけにはいかないマスコミである。ようやくにして、真っ当な人間性あふれる地村さんの人となりを報道した日本のマスコミである。
日本では今、イラク人を殺しに、劣化ウラン弾を浴びに、日本の軍隊が派遣されようとしている。そんなときの地村さんの冷静な告発の手記である。心配なのは、よもやここでまた、排外右翼が騒ぎ立てないかだが、選挙を前にして少しは慎重であるだろう。自衛隊の愚行を遂行するまでは下手にさわぎたてはしないだろう。
それよりも、私は米国と日本のシナリオで、日朝の歴史など吹き飛ばすような「捏造口実」が企画されてはいないかと危ぶむ。劣化ウラン弾も人殺しも自殺もフイにしかねないような「大口実」が戦争国策として遂行されないかと。
戦争は いつでもつくられる
戦争は 人の恐怖と不安を 最大限利用する
米国の これまでやってきた戦争シナリオをみれば
明らかである
ここまできてもまだ、こうした仕組みがわかっていないかたがたを称して、私はゆで蛙と呼ばせてもらう。自分がゆで蛙でないと思う方は、それでいいのである。私はさざ波のみなさんの一部の人に向って、背後にいる日本国民のなかのゆで蛙を批判しているのである。そして、その批判の底にあるのは「どうか熱さを知覚してほしい、目を覚ましてほしい」という痛切な願いである。
私はゆでがえるのみなさんと心中したくはないのである。