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(回答先: 国際戦略コラム NO.1845 第三の道へ 投稿者 愛国心を主張する者ほど売国奴 日時 2004 年 12 月 20 日 21:11:42)
1841.「バック・パッシングについて」
「バック・パッシングについて」 byコバケン 04-12/12
▼YS氏の論文から
国際戦略コラムの主要論者であるYS氏の2004年の11月29日付けの記事、「"左手に兵器、右手に聖書"連合の素敵な旅立ち」の中に、「バック・パッシング合戦の行方」という項目がある。熱心な読者の方だったらなんだろうと少し気になったかもしれない。以下、その部分をひとまず引用して紹介する。
『彼らにとって既に内部崩壊の兆候が見え始めた北朝鮮は緊張を煽るための道具でしかない。北朝鮮問題を契機に北東アジア一帯の緊張を高めることで巨大な兵器庫を作り上げることが狙いである。
しかも、ネオコンが何と言おうが裏にいる彼らは北東アジアの地では脅しだけで最後まで自ら手を下すことはない。他国に対峙させ、場合によっては打ち負かす仕事をやらせる戦略を採る。そして、息の根を止める最後の一撃の瞬間に彼らは現れる。これが戦略としてのバック・パッシング(buck-passing=責任転嫁)」である。』
(以上:引用は1825.「"左手に兵器、右手に聖書"連合の素敵な旅立ち」から) http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k6/161130.htm
この「バック・パッシング」という名前の戦略であるが、日本ではほとんど知られていない。それもそのはず、このような国家戦略用語は、日本にはほとんど輸入されてこないからである。
なぜ輸入されないのかというと、答えは簡単。日本にはそういう学問が根付いていないからである。戦後の日本はあまりにも平和志向(?)になってしまったために、国際関係を学ぶ際の「国家戦略用語」さえ輸入されなくなってしまったのだ。
ところが世界がきな臭くなりつつある昨今、世界の情勢を大きく見るためには、どうしてもこういう戦略用語やメカニズムを知ることが必要になってくる。幸いにも本コラムにはYS氏のようにするどい論者がおり、さまざまな戦略用語が多少ではあるが、日本にも普及しつつある。
この代表的なものが、前述した「バック・パッシング」である。本稿では、この「バック・パッシング」のような国家戦略用語を、その背景や情報を補足して解説してみたい。これによって、多少なりともYS氏が言わんとしていたことがクリアーになって理解していただければ、私コバケンの本望とするところである。
▼なぜ国際戦略用語が日本で流行らないか
「バック・パッシング」そのものの言葉を解説する前に、そもそもこの「国家戦略用語」なるものがどういう背景で出てきたものなのかを解説したい。
このような国家戦略用語であるが、日本ではほとんど無視されている「リアリズム」(Realism)という、国際関係論の最強の学派から出てきた考え方である。
この「リアリズム」については、私コバケンが本コラムの過去の記事で多少解説しているのでそちらを参照されていただきたいのだが、もう一度簡単にいうと、「国際社会は国と国との権力闘争の場である」という見方であり、「力(powerパワー)」という概念を基礎において、国際社会の動きを分析・解説・予測しようとする学派のことである。
面白いのが、このリアリズムという学派が、欧米で現在も主流であり、この学問の基礎であるにも関わらず、日本の大学ではほとんど"カス"扱いされていることである。たしかに考えてみれば、「戦後平和主義」という流れの中では、このような物騒なもの見方は敬遠されがちだったからである。
ところがこのような学派のアイディアのなかにこそ、アメリカおよび世界の国々の戦略を理解するための重要な概念・言葉などが、とくに戦後になってから多く出てきている。これに取り残されたのは日本で国際関係を教えている学者たちと、そんな遅れた彼らの意見を聞いて勉強する私たちであった。
日本の学者たちはマルクス主義による見方ばかりを強調しており、このようなリアリズムはほとんどタブーに近かったからである。ところが国際関係論の中でも一番重要であり、しかも有効なのは、やはりリアリズムなのである。欧米では、これが共通認識である。
竹村健一がどこかで言っていた通り、「日本の常識は世界の非常識」、または「世界の常識は日本の非常識」なのである。
▼ 「ネオリアリズム」という合理主義
このような世界の国家戦略を理解する上で重要なリアリズムという学派であるが、70年末なってから、経済学の理論を流用することで一気に本格的な科学理論へと飛躍したかに見えた。これがケネス・ウォルツ(Kenneth N. Waltz)という学者の書いた、「国際関係の理論」(Theory of International Relations)という79年に出た本で紹介した、ネオリアリズムと呼ばれる理論である。
この本の内容を一言でいうと、世界には国家の上に立つ「世界政府(world government)」のような存在がないから「アナキー(anarchy)」なのだが、国際社会の枠組みという意味の「システム(system)」があり、この中で世界中の国々はパワーを求めつつ生き残ろうとしている、ということである。
経済学の理論をまねて、ウォルツは「お金」の代わりとなるものが、彼の国際関係論の理論では「パワー」であり、人の代わりになるのが「国家」であるとして理論を構築したのである。こうすれば複雑な国際関係の動きも物理学的にすっきり説明できそうだし、経済現象のように、ある程度の予測も可能になりそうだったからである。
もちろんこの本が出たときは米ソ冷戦時代の真っ只中だったので、この国際システムというのが米ソを頂点におく「二極システム(bipolar system)」であると著者のウォルツは想定していた。このように、システムという見方からパワーを基礎において国際関係を分析する学派は、しだいに「ネオリアリズム(Neorealism)」と呼ばれるようになったのである。
もちろん冷戦が終わってネオリアリズムのいう「二極システム」は終わりを迎えたかに見えるのだが、ここで大事になってくるのは、このネオリアリズムの金字塔ともいえる本の中で、ウォルツが弟子のアイディアだとして、国家が使う戦略を紹介していることである。これが「バランシング」と「バンドワゴニング」であった。
これらの国家戦略について細かく解説しているスペースはここにはないので省略させていただくが、とにかくこのように、国家は自らの生き残りを図るために色々と戦略を使っていることが、ウォルツの本の中で紹介されたのである。後にこれをウォルツの弟子たちや、リアリズムの仲間たちが色々と試行錯誤をして発展させており、この中の一つが、「バック・パッシング(buck-passing)」と呼ばれる戦略である。
日本には当然、こういうリアリズムの行っている国家戦略の議論はほとんど輸入されてこない。
▼「バック・パッシング」のメカニズムとその結末
ではこの「バック・パッシング」とはどういう戦略であるかを説明してみよう。「バック・パッシング」というのは、日本語で言えば「責任転嫁」という意味である。
これがどういう戦略なのかというと、YS氏が記しているように「他国に対峙させ、場合によっては打ち負かす仕事をやらせる戦略」なのである。
もっと具体的にいえば、これは、どこかの地域に新たに"脅威"(threat)/"侵略国"(aggressor)となる国などが発生してきて、今まで国家間に存在していた勢力均衡(バランス・オブ・パワー)をくずすような動きになりそうになったとき、それを防ぐために使われる戦略なのである。
具体的な例で考えると、中国に対して、今アメリカが行っている戦略がまさにそれである。
中国というのはご存知の通り、北東アジアにおいて経済的・軍事的に発展の目覚しい国である。しかもあまりのその発展のスピードが速いために、今まで北東アジアにあった勢力バランスを崩しそうな勢いである。これは第二次世界大戦後からこの地域で秩序を守ってきたという自負のあるアメリカとしては、許しがたいことなのである。
しかも中国は、歴史的にもこの地域の覇権を確立した時期もあったし、いまだに世界の中心である(中華というのは世界の中心で花が咲き誇っている場所という意味)という思想をもっている。要するに国民感情的にも、北東アジアを制覇したいという欲求を実行に移すことが許される国家なのである。
ではこのような中国に対してアメリカはどうするのかというと、自らノコノコ出かけていって直接的に対峙するというはアホらしい。もし何かがあった場合は自国の兵士が血を流すことになるし、そもそもアメリカの戦略家には自分たちが島国(シーパワー)であるという意識があるので、できたらあまりアジア大陸には深入りしたくないという意識があるのだ。ベトナム戦争などの教訓もある。
そこでどうするのかというと、その中国の周辺部の国々に、責任を肩代わりさせて、その脅威に対抗させるのである。
こうすれば、中国は周辺国に意識を向けていることになり、アメリカとしても周囲の国々がケンカしている間に自分の国力は温存できる。うまいこといけばその間でつぶし合いの戦争になって、中国の国力が激減して脅威の度合いが落ちるかもしれないし、相対的にアメリカの国力があがるのだ。まさに魅力的な戦略である。これが「バック・パッシング」なのである。
この場合、アメリカは「バック・パッサー」(buck-passer)といって、責任を押し付ける側になる。日本や韓国、台湾など、アメリカから責任を押し付けられて中国と対向させられる側は、それとは反対に「バック・キャッチャー」(buck-catcher)と呼ばれるのだ。
日本にとって中国にぶつけられるのは迷惑千万なことなのだが、ご主人様のアメリカがけしかけるのでなんとも仕方がない。イラク問題でアジアのほうまで手の回らないアメリカは、中国の脅威を封じ込めるためには、周辺の国々(特に中国と対峙できるだけの力をもっていそうな国)に中国と険悪な雰囲気にさせておいて、いざとなれば直接戦争をさせることもいとわないのである。
実はアメリカほどではないが、日本や他の国々も、「バック・パッシング」を昔から行っている。わかりやすい例では、中国や北朝鮮に対してアメリカをけしかけていた戦後から冷戦終了までの時期に、ある意味で日本は"平和憲法"を盾にとって「バック・パッシング」を行っていたといえる。アメリカに対して自国の安全保障問題の責任を押し付けて肩代わりしてもらっていたのだ。
▼「バック・パッシング」の終焉 → 「バランシング」
ところがこのような責任転嫁という戦略は、いつまでも長続きするわけではない。
たとえばアメリカの場合では、日本の経済が大破綻したり、クーデタが起こったり(?)して国内問題が山積みになり、中国との軍拡競争や対外戦争などやっていられない、ということになってきた時、最終的には自分から出て行って直接中国と対決するというシナリオも考えられる。
この時にアメリカの使う戦略が、「バランシング」(balancing)と呼ばれる戦略である。これもある地域に発生しつつある脅威を防ぐために行われる戦略なのだが、「バック・パッシング」との違いは、アメリカのような「封じ込める側の国」が直接出て行って対処する、という部分である。
日本の場合でも同じである。たとえばアメリカがもう北朝鮮・中国などの脅威に対して責任を背負ってくれないということになった場合、日本が直接出て行ってそれらの国の問題と直接対峙することになるのである。韓国が北朝鮮と統一してしまった場合は、とくにその脅威が対馬海峡を越えてすぐそばになる、というシナリオだってあるのだ。
こうなったときには、日本も「バランシング」しなければならないことになるかも知れないのだ。
▼リアリズムを研究せよ
以上のように、このような国家が使っている戦略というのは、国際関係論のリアリズム系の学者の間ではかなりその研究が発展してきているのだが、残念ながら日本にはほとんど紹介されていないのが現状である。
国際関係を物理的・メカニズム的に理解しようとするものであるから、文系の好きな日本の学者たちには非常に人気がないのもうなずけるのだが、こういう視点がないと、いつまでたってもアメリカや中国のような戦略を肌から知っている国々の思い通りに政治が動かされるということになってしまう。このまま国際戦略オンチでは、日本はただ混乱するだけである。
YS氏のように、企業人脈などから世界を見るとともに、地政学・地経学、そしてリアリズムの理論から世界を見ることは非常に有効であり、まだ大事なことである。人脈学や地政学や地経学というのは公式な学問としては確立されたとはいえず、主に個人研究者の力量に頼るところが多いのだが、リアリズムはすでに学問として確立しており、国家戦略の動きをここまであからさまに教えてくれる、かなり有益なものなのだ。
このような学問を学ばないというのは、とんでもないムダであることは明らかである。日本もそろそろリアリズムを本気で勉強しないと、まずいことになる。
■参考文献
YS氏 国際戦略コラム:1825."左手に兵器、右手に聖書"連合の素敵な旅立ち
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k6/161130.htm
ケネス・ウォルツ "Theory of International Relations"(邦訳ナシ)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0075548526/asyuracom-22
ジョン・ミアシャイマー "The Tragedy of Great Power Politics"(邦訳進行中?)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/039332396X/asyuracom-22
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/161218.htm