現在地 HOME > 掲示板 > 戦争63 > 178.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: ファルージャのイラク人記者報告「人々は飢えに苦しむ」【BBC/Ashahi.com】 投稿者 木田貴常 日時 2004 年 11 月 15 日 07:37:28)
■ 「われわれは亡霊のようなものだ:飢餓、そして世界からの孤立」- 制圧された町ファルージャから、一般市民の声
ファルージャの町.......
「まるでゴーストタウン。爆撃の残臭と死体の悪臭に充ちた‥。」(Fadhil Badrani ジャーナリスト)
「破壊し尽くされた町、まるで別の惑星にいるかのようだ。そして全てのものから、全世界から隔絶している。」(Hamid Flewa 弁護士)
「1000人ばかりの(ゲリラ)戦士のせいで、破壊されるという罪業を負った町」(Shawn Gniazdowski 米海兵隊中尉)
「ファルージャの市街戦はゲリラ型で、最後の最後まで接近戦による戦闘はひじょに激しいものだった」(Roy Meek 軍曹)
200ものイスラム教寺院の尖塔がそびえる町。ザルカウィの隠れ家、多くの人質の監禁場所。一週間前から米軍の攻撃を受け、昨日事実上戦闘が終結したファルージャの町から届く生の声はわずかなものだった。
電力のブラックアウト(携帯電話でさえ数日前から使用不能状態だった)、恐怖感から町の外へ逃げ出す人々(それがもし可能なら)あるいは廃墟や寺院に籠る人々。
そんな中、フリーランスジャーナリストのイラク人Badrani氏は、町に残留した一握りのジャーナリストの一人として、ロイター通信からアル・ジャジーラまで数多くのメディアに発言し続けた人物である。
「もう今日が何日なのかわからない」「街路はもぬけの殻。戦闘の合間に音が全くなくなる、不吉な沈黙の時間がながれる。ゴーストタウンにいるかのようだ」「まるで亡霊の町。その亡霊さながらに、ある晩ぼくの家に食糧を求めて知らない家族が訪ねて来た。彼等に”アラファトが亡くなった”と告げるとショックを受け、”ファルージャで起きていることの影を薄くするための陰謀に違いない”と言った。ファルージャの町のことをメディアは伝えているのかどうか、みんなが僕らに聞くのだ」
- ”孤立感”症候群、世界中から忘れ去られるという恐怖感 -
「水がない、電気もない、そして逃れることもできない。このメッセージがアメリカとイギリスに住む兄弟たちに届くことを祈っている。そして、この自分が、別の惑星からやって来て着陸したばかりの異邦人でないことを信じたい」と、ファルージャの町からインターネットのサイトに書き込んだのは弁護士のFlewa氏。「街路には放置された死体。そして家族たちは庭に身内の死体を埋めている。」
『ファルージャの抵抗』という文章をインターネットで伝えたYunis Daoudは、町を覆い尽くした”恐怖感”について語る。「だれもが想像できなかったほど激しい空爆だった。ぼくは家族を疎開させ、友人らとともに町に残った。でも一昨日の朝ユーフラテス河を小舟で渡って、米軍の知らない小道を通って逃げ出したんだ。」
しかし町に残った人々に恐怖感から逃れるすべはなかった。Ahmad Al Rawiは「住民が一番怖れていたのは狙撃兵の存在だった。負傷者は街路に放置されていた。」と語る。
そして飢餓。
「住民はナツメヤシを食べて生き延びていた」
と14日に町に入る許可を得たばかりの赤十字のFardus Al Ubaidi氏は説明する。「食糧の貯えが十分でなかった人が多かった。その貯えも、電気がなく冷凍食品は食べられなくなった。食べ物、飲料水、医薬品、ガソリン、何もかもなかった。」
- さらに聞こえてこない米兵の声、証言 -
戦闘の終了とともに、時がたてば米兵の生の声も伝えらてくるだろう。その多くが”部外秘密”となるであろうが。
現時点では、BBCのPaul Wood、NYタイムズのDexter Filkins といった数少ない公式リポーターが伝えるニュースからわずかなエピソードが拾えるだけである。
まるで映画のシーンのような、”150人の海兵隊とたった一人のイラク人狙撃兵の数時間にわたる戦いの模様(この狙撃兵は確か最後に自転車で逃げ去った)。
あるいは、”ムジャヒディン万歳”と書かれた壁の落書きを”ムジャヒディンを殺る者万歳”と書き換えたと語る海兵隊員の話。
軍関係者の「ファルージャでは、北部にいた奴らより南部の奴らのほうが鉄砲の打ち方がうまかった」(Steven Brench軍曹)といった類いのエピソードだけである。
(チェチリア・ゼッキネッリ記者)
http://www.corriere.it/Primo_Piano/Esteri/2004/11_Novembre/14/testimonianze.shtml