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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu82.htm
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愚かな疑似宗教が世界の最強国アメリカを支配する。
米国の福音派は9・11が堕落に対する天罰ととらえた
2004年11月8日 月曜日
◆擬似宗教が勝った米大統領選 アクエリアン
http://aquarian.cocolog-nifty.com/masaqua/2004/11/post_1.html#more
宗教、あるいは宗教らしきものは、人間と社会にとってまことに厄介なものである。宗教にどれだけ支配されているか、それとも解放されているか。それを社会を見る判断基準とするのも、一つの考え方である。宗教あるいは疑似宗教は、成熟した社会の、人間にとって住みやすい社会の、敵であることを、私はHPなどでの主張の一つの柱にしてきた。そう主張しながらも、人間は救いがたく宗教を必要としており、宗教や疑似宗教の超克は、未来永劫できないだろう、との悲観論にも立っている。
アメリカの大統領選にブッシュが勝った。事前の動向からそうなるのではないかと憂いながらも、逆転の可能性を多少期待していた。しかしやはり、宗教とも疑似宗教ともいうべき側が勝った。Alas!
ここで宗教あるいは疑似宗教といっているのは、例のファンダメンタルなキリスト教や、キリスト教右派のことではない。ものごとの判断を善と悪、黒と白とに峻別し、悪を力を持って滅ぼすしかないとする単純思考。現実を自分で見ようとせず、単純思考のフレームワークとそれを主唱するリーダに帰依することにより安心を得ようとする支持者。硬直化したモラルや家族の価値と呼ばれるものへの固執。自国の偉大さへの信仰。自分たちの価値に敵対するものは人間でないとして、平然とその抹殺を容認すること。そのような政治行動全体は、ある種の宗教の様相を呈している。それを疑似宗教と見るのである。
彼らは不寛容であり、イデオロギーは硬直化しており、反対するものを声高にののしり、排除し、価値観を共有するゆえに団結力は強固であり、この宗教を広めるために草の根で献身的に努力する。それが疑似宗教たるブッシュの支持者であり、彼らの力が、そのような宗教を批判的に見る人々にまさった。それゆえにブッシュが勝った。そう私は見る。
政策論争はとことん行われた。あらん限りの戦術を駆使しての選挙戦も戦われた。しかし、政策の現実的な是非以前に、ある種の神学論争で決着がつけられてしまっていた。信者のぐらつきを回避するための巧みな戦術も功を奏した。宗教批判側は良く戦ったとはいえ、しょせん信じるものの強さを突き破れなかった。
このアメリカの政治風土は、ヨーロッパと著しく違っている。ヨーロッパ諸国は、長い歴史の中で、宗教ゆえの血みどろの戦いを経験してきた。ナチズムあるいは共産主義という疑似宗教の恐ろしさも経験し、乗り越えてきた。宗教を過去のものとして離れる人が増えるとともに、宗教の支配力は減退した。宗教同志が互いに寛容に共存する知恵を習得した。多様な価値の共存を歴史に学んだヨーロッパと対照的に、多様な民族が共存しているはずのアメリカ合衆国が、少なくともその半分が、えらくモノトーンな価値観に支配されている。それが今のアメリカである。私はそれを疑似宗教のゆえだと見る。
ナチズムも、共産主義も、疑似宗教だったと上に書いた。非寛容な教条を人間の上位に置き、全体主義的に支配するさまは、宗教そのものに近い。同じような意味で、神国日本も、反共マッカーシズムも、過激で不寛容だった新左翼運動の一部なども、疑似宗教と言っていい。私は、ナショナリズムに疑似宗教のにおいを感じて、生理的に嫌悪を覚える。民主主義すらも場合によっては疑似宗教となりかねない。
このような疑似宗教にどう立ち向かったらいいのだろうか。かつて宗教の蒙昧(もうまい)に、啓蒙思想が立ち向かった。科学がそれをサポートした。しかし近代化が人間と社会に深刻な問題をもたらしたゆえに、啓蒙思想は色あせた。だがブッシュを支持するかなり多くの人々が、宗教を科学の上位に置き、進化論を否定しているような現実は、イスラム世界で女性にかぶりものを強要しているのと、啓蒙の度合いにおいては大差はない。
宗教あるいは疑似宗教は堅固である。それ自体の内部での変革を待つとか、あるいは外の世界とのふれあいでじょじょに溶けていくのを待つしかない。外部からの影響を受けて「たが」が緩むと、必ず原理主義者が過激な引き締めに走る。そんなことの繰り返しの中で、人間尊重の常識的な考えが徐々に見直されていくのだろう。
あと四年、愚かな疑似宗教が世界の最強国アメリカを支配するのを見なければならない。うんざりだが、不寛容な疑似宗教は、きっと破綻すると、その時を待つことにしよう。そして、落胆の中にあるアメリカの宗教批判者たちの立ち直りに期待しよう。
◆'It's the culture, stupid' By Spengler ,
http://www.atimes.com/atimes/Front_Page/FK05Aa02.html
ジェームズ・カービル(ビル・クリントンの1992の法律顧問)は言葉(「大事なのは経済じゃないか、馬鹿だなあ」)を守りました。彼のオフィス壁に付けられました。「経済」の代わりに「文化」を用いてください。そうすれば、ジョージ・Wブッシュ米国大統領の再選勝利の基礎は、明白になります。
福音主義キリスト教徒はアメリカの人口で40%を作ります。また、それらの四分の三は恐らく現職に投票しました。投票者参加、のために従来の民主党の選挙民はほとんど変わりませんでした。しかし、ちょうどブッシュ政治顧問カール・ローブが予言したように、福音の投票者の数は急増しました。利用可能なデータから、福音の投票者参加の増加が大統領の350万票の勝利の差のすべてを説明したことは妥当性のあるように見えます。
何がもう400万人の福音の投票者を、前の大統領選挙でよりも投票所へ連れて来ましたか。米国の福音の移動は政治的な自然によりません。家族は、彼らの子どもたちを夢中にさせる恐れのある大衆文化の腐敗性の流れに対する避難所として福音の教会に参加します。福音の関係は、家族問題、全国ではなく育児と個人の値あるいは地球政治に集中します。
寛大なコメンテーターは11の州が同性間結婚に対する投票国民投票を運んだと述べて、福音の投票者数を偏狭の責任にします。その観察での真実は誤解を招きやすい。
共和党員が福音の問題を政治にしたのは真実です、しかし、それは同じくらいまったく真実で、はるかに重要です、evangelicalsは政治問題を宗教の問題にしました。それは、ブッシュ政権のテロリズムに対する反応に特に該当します。この考えがどのように発展するかそれらは想像することができたが、個人のものが政治的であると最初に述べたのは1960年代のフェミニストでした。
世界は、アメリカ人が2001年9月11日にどのように答えるか推測しました。過去に、アメリカはそれが行ったことのための攻撃を受けました;日本の真珠湾襲撃は、エネルギーと原料へのアクセスを遮断した米国不買同盟に応答しました。9月11日に、米国は、過去のその状態のための攻撃を受けました。オサマ・ビン・ラディンの米国との論争は資料ではなく文化的でした。
彼が投げた先週のビデオテープでは、飛行機は、アメリカのレバノンのイスラエルの侵入の支援のための報復として20年前に攻撃します。11月2日に公表された風刺文中でオサマがアメリカを伝えたかもしれないこと 私は、彼の根本的な動機を描写することを試みました。米国は、かろうじて自滅せずに、現代の世界の自由を受け入れることができます;同じ力は完全にアラブ世界を荒らすでしょう。それは、米国が数世紀にわたって開発した抵抗を欠きます。
アメリカ人はそれらのレスポンスを明瞭に表現するのに苦労しますが、ほとんどはメッセージを誤解するほどかすかではありません。アメリカの文化は判事席にあります。それらは軽蔑および暴力さえ相当しますか、イスラム教徒はそれらを上に与えます?それらが攻撃者に対する独善的な怒りで沸騰するとともに、アメリカ人はそれら自身を評価しますか。11月2日に明白な答えは、それらのうちの多数が行ったということです。
9月11日の後に、尊師ジェリー・ファーウェルを含む多くの福音のリーダーは、攻撃がアメリカの罪に対する天罰であると主張しました。それがばかげたように思えたが、ファーウェルのステートメントは根本的な真実を秘密にしました。
その娯楽産業の下方の範囲に関連した「自由」が、その他の世界へのその最も可視の顔であるので、米国は、イスラム教の世界に対する憎悪を刺激します。米国は、ほとんどの世界へ、グローバルな可動性また家族、尊敬の崩壊、伝統の無視のブレークダウンも表わします。
第一に、アメリカのイスラム教を備えた悲劇の遭遇は対決です、1つの、現代、そして伝統的社会(伝統的社会は単にそで負けることができる)。さらに、それはキリスト教とイスラム教の間の対決です、伝統的社会の脆弱性への根本的に異なる道の中で答える2つの宗教、対決をなおさらひどくします。
イスラム教は、それ自身のイメージ中でそれらを克服し変形することによるその敵から、コミュニティー(ummah)を守るために外へ見ます。その性質によって、それは自己批判ができるというよりむしろ攻撃的です。キリスト教は、信仰者が自分の罪に内部へ目を向けることを要求します。9月11日が作ったものだった後、自己分析、個人、米国において非常に政治的。
米国は社会腐敗の危険にあります-描写されたビン・ラディンの、だが危険中の私のハロウィーン幻とよりひどく、それにもかかわらず同じくらいでありません。女子大生の5分の2が拒食症または貪食症に苦しみ、6分の1がうつ病に苦しむ場合、1960年代に始まった性の実験の魔女安息日が広範囲の悲惨に結びついたことは明らかです。親は、猛烈なポルノグラフィーから分離して子どもたちを育てることができません;若い人々は、兄弟関係パーティーの彼らの生活を築くことができません。
それは、「道徳問題」を投票者にとって非常に重要にする豊富な暗黒のアメリカの生命の困難な現実です。出産中絶と同性間結婚が重大案件になったのは福音の投票者が頑固者であるからではありません。これに反して、親は家族と敵文化の間の線を引くために正確にevangelicalsになります。これ、遠くにそれ以上ない、大多数のアメリカ人は11月2日に社会実験の問題について言いました。
ヨーロッパ人(その意気消沈は過疎化に結びついた)と異なり、アメリカ人は、まだ、アメリカの力の最終の落下を脅かす(しかしまだ保証しない)、腐敗の力と戦っています。それは11月2日のメッセージです。
(私のコメント)
昨日の続きになりますが、今回のブッシュ再選においてアメリカの福音派の強大な政治力が示されました。臆病な日本のマスコミは相変わらず福音派のことには触れようとしません。しかし欧米の記事を見れば福音派の事がでかでかと出ている。おそらく日本のマスコミは創価学会や統一教会からのいじめにあって、宗教の事には口を噤み続けるのだろう。
すでにアメリカでは福音派が40%も占めているから、アメリカの国教と言ってもいいのだろう。その事を日本の読者に伝えない日本のテレビや新聞は読むに値しない。大統領の開票速報を見ていても、キリスト教右派と僅かに伝えるのみで、日本の視聴者にはどういう宗派なのかを伝えるべきなのですが触れようとしない。
ネット上でも創価学会や統一教会の事はよくとり上げられているサイトもありますが、キリスト教福音派の問題を取り上げたサイトはあまりない。しかしこの問題はアメリカを二分するほどの大問題であり、カトリックや北部のプロテスタントなどの従来のキリスト教と、南部のプロテスタントの福音派では深刻な亀裂を生じさせている。
教義的には似ていても政治に対する関与に対する態度が全く違う。さらには異教徒に対する態度にも多民族国家のアメリカらしからぬ不寛容さを持っている。ブッシュ大統領が盛んに聖書の言葉を引用したり、米軍を十字軍となぞらえたり、異教徒に対する残虐なふるまいは福音派の影響が露骨になってきたからだ。
キリスト教右派とも呼ばれるように彼らは非常に保守的であり、異教徒に不寛容であり、だから人種差別的でもある。しかしユダヤ人シオニストやイスラエルに対しては、彼等と連帯を組み、大イスラエルを建設し石の神殿を再建することを夢見ている。そのためにはハルマゲドンを起こしてキリストの再臨を望んでいるのだ。
同じキリスト教徒のヨーロッパ人から見れば、そのようなことは馬鹿げた事と見ていますが、宗教戦争を繰り返して宗教勢力が衰退したヨーロッパと比べて、アメリカは宗教戦争の悲惨さを歴史上で学んでいない。むしろアメリカを新たなる神に選ばれたイスラエルとして見ているのだ。
日本人としてはアメリカ人もついにここまで狂ったかと見てしまうのですが、ナチズムも共産主義もシオニズムも擬似宗教であり、アメリカも擬似宗教に汚染されたと見るべきなのだろう。ヨーロッパや日本のような精神的先進国から見れば、アメリカや中国は恐ろしく観念的でありイデオロギー的であり狂信的だ。もちろんアメリカ人の全てがそうだと言うわけではないが、日本人に対してお説教をする癖はそこから来ているのだ。