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(回答先: オランダ:軍のイラク撤退懸念 アラウィ首相(毎日新聞)−−−私(アラウィ)を守ってください。 投稿者 竹中半兵衛 日時 2004 年 11 月 06 日 10:23:51)
上記毎日新聞のURL抜けてました。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/america/news/20041106k0000e030012000c.html
イラクにもアフガンにも「暫定」の枕詞を傀儡政権にかぶせているけれど、どこも戦況は泥沼化している。
先達こそあらま欲しけれとの処世術などとても通用せぬ馬鹿者ブッシュ。
不謹慎の謗りを敢えて省みず一曲。
息子どこゆく青筋立ててキュッキュキューキュッキュキュー(と父親)
裏の畑(イラク)に種まきに、ブンガチャッチャブンガチャッチャ(と息子)
このあと山のあけびは無縁につき以下略。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%AD
グエン・カオ・キ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』
グエン・カオ・キ(Nguyen Cao Ky, 1930年 - )は、ベトナム戦争当時の南ベトナムの政治家。南ベトナム空軍司令官。1965年空軍将校のときクーデターで南ベトナム政府の実権を掌握し、首相を経て1967年に南の副大統領に就任した。
同じ軍人出身のグエン・バン・チュー大統領とともにアメリカの支援を受けて北ベトナムと戦ったが、1975年サイゴン陥落ののちアメリカに亡命した。
アメリカで貿易商として活動し、2004年1月に約30年ぶりに故国の土を踏んだ。
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ベトナム戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%88%A6%E4%BA%89
ベトナム戦争(1960年 - 1975年)は、第二次インドシナ戦争の通称名。第一次インドシナ戦争後に、ベトナムの独立と南北統一をめぐって戦われた戦争。宣戦布告なき戦争であるためベトナム紛争とも呼ばれる。
目次 [表示非表示]
1 冷戦構造と独立運動
2 第一次インドシナ戦争
3 アメリカの介入とベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)勃発
4 戦争の拡大と終結
5 評価
6 日本への影響
7 関連記事
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冷戦構造と独立運動
第二次世界大戦後、 アジア、 中南米、 アフリカの多くの国で軍事行動を伴う激しい独立運動が発生し、既得権を守ろうとする欧米の宗主国と紛争を繰り返した。独立運動は共産主義勢力によって指導されている場合が多く、アメリカに対抗する独裁者スターリンに率いられるソビエト連邦は、当然、各地の共産主義勢力を支援したが、米ソともに核兵器を保有していることから直接戦うことは避け “冷たい戦争” と呼ばれる冷戦構造が成立した。その対立は朝鮮戦争、キューバ危機に見られるように代理戦争の形をとって表面化した。自由主義の盟主を自認するアメリカは、中華人民共和国や東ヨーロッパでの共産主義政権の成立が“ドミノ倒し”のように発生したこともあって、一国の共産化が周辺国へのさらなる共産化を招くというドミノ理論に怯え、反共産主義勢力を支援して各地の紛争に深く介入するようになった。
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第一次インドシナ戦争
1945年にベトナムから日本軍が撤退すると、コミンテルンの構成員であったホー・チ・ミンはハノイに首都を置いてベトナム民主共和国(北ベトナム)を成立させ共産主義による国造りを目指した。ベトナムの再支配を目論む旧宗主国フランスは独立を認めず、ベトナムに進駐すると旧阮朝皇帝バオ・ダイを首班とするコーチシナ共和国をサイゴン市(現ホー・チ・ミン市)に成立させた。
フランスはホー・チ・ミンと鋭く対立したが、1954年5月、ボー・グエン・ザップ将軍が率いるベトナム人民軍にディエンビエンフーの戦で惨敗しベトナムからの撤退を余儀なくされた。戦後、関係国の間でジュネーブ協定が取り交わされベトナム民主共和国の独立が正式に承認されたが、北緯17度線を境界として南部ベトナムにはコーチシナ共和国が存続した。
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アメリカの介入とベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)勃発
第一次インドシナ戦争の間、アメリカは一貫してフランスを支持し、フランスのベトナム撤退以降は南ベトナムの歴代政権を軍事・経済両面で支え続けた。1955年、南ベトナムで実施された大統領選挙でゴ・ディン・ジェム首相が大統領に就任して、アメリカの傀儡国家・ベトナム共和国(通称南ベトナム)が成立したが、大統領一族による圧制は国民を苦しめゴ・ディン・ジェムは国民の信頼を失った。その機に、1960年、北のベトナム民主共和国に指導された南ベトナム解放民族戦線(ベトコン=越共)が結成されゲリラ活動を本格化させたことからベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)が開始される。
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戦争の拡大と終結
1963年1月、アプバクの戦いの敗北によりベトナム共和国政府軍の無力が露呈すると、ケネディ大統領はアメリカ軍による直接的な軍事介入を決断した。さらにアメリカの支援によってクーデターが発生しゴ・ディン・ジェムが暗殺され軍事政権が成立する。本格的な開戦に難色を示したケネディが暗殺されると、アメリカの戦争介入の体制が整った。
1965年にジョンソン大統領は、その前年に発生したトンキン湾事件を口実にベトナム民主共和国中枢の爆撃(北爆)を開始した。これに対してベトナム民主共和国はソビエト連邦や中華人民共和国の支援を受けて、直接アメリカ軍と戦火を交えるようになった。その後アメリカは、北から南への補給路を断つため隣国ラオスやカンボジアにも攻撃を加え、パテトラオやクメール・ルージュの共産主義勢力とも戦うようになり戦域は一挙に拡大した。こうしてベトナム戦争は第二次インドシナ戦争へと拡大した。
1967年には最大50万人ものアメリカ兵がベトナムに投入されたが(そのほか同盟国軍5万人)、アメリカにとって戦況の好転は見られず、莫大な戦費調達と内外の反戦運動に苦しむことになった。ジョンソン大統領は任期切れを前に1968年には北爆中止を宣言した。
1969年に登場したニクソン大統領は人的損害の多い地上軍を削減して、アメリカ国内の反戦世論を沈静化させようとした。1972年に北爆を再開するが、それは圧倒的な航空戦力を使って北の補給路を遮断し、地上軍の削減とその南ベトナム化を狙った作戦変更であった。しかし、北爆は国際世論の猛反発を受けて短期間で中止させられた。
北爆が停止されると補給路を確保した北側は、頻繁に南側に大攻勢をかけるようになった。ついにベトナム共和国の指導者であったグエン・バン・チュー大統領やグエン・カオ・キ副大統領がベトナムを脱出して、1975年4月30日、人民軍がサイゴン市(ホーチ・ミン市)に突入、陥落。アメリカの支援も首都も失った南ベトナムは遂に崩壊した。1976年7月、ベトナム統一とベトナム社会主義共和国の成立を宣言した。
この戦争によってベトナムは100万人の戦死者を出して国土は荒廃し、多くのベトナム難民を生んだ。またアメリカ軍がゲリラ掃討を目的に密林で撒いた枯葉剤は、毒性の強いダイオキシンを含んでいたため、現在まで環境に深刻な影響を与えている。
アメリカは戦死者58,000余名と1,700機の航空機損失を出し、膨大な戦費負担は経済を直撃した。また戦争をめぐっての国内世論の分裂や敗北による挫折感は既成の価値観を崩壊させた。 “勝利” を獲得できなかったベトナム帰還兵への非難や中傷が社会問題化したこともあった。
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評価
ベトナム戦争は従来の戦争と形態を異にした。生々しい戦闘シーンが連日テレビで報道され、戦争の悲惨さと空しさを全世界に伝えた。帝国主義に翻弄され続けた小国ベトナムを超大国アメリカが攻撃するその姿は、理由の如何を問わず、見る者を “大義のない戦争” と思わせるのに十分であった。
インドシナ半島でも、中越戦争、ポルポトの独裁とベトナム軍のカンボジア侵攻などが起きて不安定な状況が長く続いた。その背景にはインドシナ半島をめぐる中ソの覇権争いがあり、ソビエト連邦や中華人民共和国が純粋に人道上の理由でベトナム解放を支援したものではないことも明らかになった。
後世の歴史評価を待たなければならないが、ベトナム戦争が民族自決の大義と尊厳を世界に問うたことだけは明白である。
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日本への影響
ベトナム戦争は日本社会に大きな影響を与えた。日本政府は軍事基地提供や補給基地としてアメリカを一貫して支え続けた。いっぽう市民運動はベトナム戦争をポスト安保闘争の中核とみなして、反戦運動(その一環として脱走兵支援も)や過激な学生運動が大いに盛り上がりを見せた。漁船などの船舶を用いた難民ボート・ピープルが日本にも多く流れ着いた。彼らの取り扱いに伴う問題は現在にいたるも解決されたとはいえない。
画像:Vietcong.jpg
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