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(回答先: Re: ある老年キリスト者の(苦しい)思索 - 2 投稿者 NAVI 日時 2004 年 11 月 13 日 02:37:33)
スペイン人のごく普通の口癖「神に糞をひりかけてやる!」
NAVIさん、興味深い情報、ありがとうございます。
日本の熱心なクリスチャンが聞いたら気絶するかもしれませんし、アメリカの福音主義者が聞いたら「イスラム教徒と一緒に殺してしまえ!」と叫ぶかもしれませんが、スペイン人が腹を立てたときに、老若男女を問わずごく普通に使う言葉に「メ・カゴ・エン・ディオス(¡Me cago en Dios!)」というものがあります。
これは「神に糞をひりかけてやる!」という意味で、神(Dios)の代わりに、ミサで使われるキリストの聖体であるホスチア(スペイン語ではオスティアhostia)が使われたり、レチェleche(牛乳のこと)やプータputa(売春婦)やビルヘンvirgen(聖母マリア)になったりと、いろいろですが、要するに頭に来たスペイン人にとっては、神やキリストや聖母マリアは糞をひりかける対象でしかないわけです。
日ごろは教会に通って、神父さんのいうことをよく聞いて、手を合わせてお祈りして、時には告悔室で懺悔したり、てなことを、しおらくしやっていても、ひとたび頭に血が上った瞬間に腹の底にあるものを思わず吐き出してしまうのです。「神に糞をひりかけてやる!」と。
これは、キリスト教が長い間直接的な民衆支配の機関として働いてきた歴史の無い日本のクリスチャンや、インディアンを大量虐殺して土地を奪い黒人奴隷を動物としてこき使って良い目ばかりに遭ってきたアメリカの新教キリスト教徒にはとうてい理解できないことでしょう。
スペインでは近代になる前はまだ、残忍な貴族や領主たちからの暴行や収奪に対して、たまには教会が民衆の盾になるような場合もあったようですが、19世紀に教会の土地が没収されて独自の収入基盤を失ってからは、逆に王党派や資本家と結びついて、一般民衆にとっては完全に支配者となりました。この点は一部のインテリからしかキリスト教について聞かされていない日本人には想像がつないと思います。
スペインには血も凍る異端審問の歴史が長く続き、信仰というよりは恐怖によって支配される側面が強かったわけで、一般の民衆にとっては神やキリストやマリアなどは頭に来たときに糞をひりかける対象だったのです。キリスト教は、カトリックもプロテスタントも正教も、聖と俗の二つの世界に関わって二つの顔を器用に使い分けながら共同幻想の中核として機能してきたのですが、民衆のほうも負けずに「聖と俗」の二つの顔を器用に使い分けてきたのです。
ただアメリカの福音主義者たちは「一つの頭、一つの顔」しか持っていないようです。これは最も強いようでいて、結局は最も弱いでしょう。自分たちの姿を相対的に見る眼を持っていないからです。「仏の嘘を方便と言う」という見識を持っている限り人間の心理的バランスは取れていくでしょうが、「仏は嘘をつかない」という硬直化した思考は、いずれはその人間を崩壊へと追いやるからです。
これは一部の硬直化したイスラム教徒や、硬直化した民族主義者(ナショナリスト)たちにも当てはまることでしょう。「神の嘘、仏の嘘」を見抜いてバランスの取れた思考を持つ民衆が、多くの苦難を経ても、いずれは主人公になるときが来ると、私は思っています。