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ああ、なあーんだ、そのう、・・・・。
おらみでなポット出がよう、茶ば濁してすまねんだんどもよう、
むがすはナンキンズケンってごくあたりまえの日本軍の悪逆の限りば尽くした典型的見本だったつうこつば、おらだは肝に銘じてるう。
軍隊ってええ、ほっだらだらひでこつすんだかや、っつってもすんだこれが。
国家権力って、おら体質的にやんだにゃ。
(あつ、んげね、「方言禁止」だったな、軍隊では、方言ば使うとよう、「スパイ」なんだべつ、問答無用でよう、ぱーーんと一発「後ろ」からよう、ほっだら、西部劇さもでてくるがごとく、おら西部劇のファンだで、やっぱす、ほれ、ビル・ヒコックば後ろから撃ったやつがおったべすたあ、だいたい卑怯だよな、軍隊って。)
差別の歌ばひとづうんぐべえ。
ナンナンナンナンキンサン ナンキンサンのことばはナンキンことば、
パーピヤパーピーパーチクパー
ピーピヤピーピーピーチクピー
これはナンキン占領のあとだべや、おそらぐ。
こっだら認識ばもった軍隊がだよう、ほらかごんまさくればだなあ、
やっぱすい、かごっまべんば使ったな、っつて「スパイ、射殺」だべすた。
沖縄もおんなずだ。
おら東北で育ったもんでえ、東北弁で(東北の人は今でこそ見事な標準語だっつ思ってただよ、なあ、ダニエル)語れば、そらおらはスパイだって、兵隊さんから後ろから銃剣で刺し殺されてたべなあ、戦争中なら。
ああ、んだども、ようぐ出てくんべすた、軍歌さ、なあ
女囚女囚(?)と軍馬は進む
女囚はいよいかすみよいかああ
なあんてよう、
ちくしょう、おらのおふくろは八人兄弟姉妹だど。
みなすんずまった。
ああんでこっだら数が多いかってえ?
ほら、ほれ、ほのとおりよう。
産めよ、増やせよだったべすたあ。
んだからおらのおふくろのおふくろたるう、おらのばあちゃんはがんばってなあ、おらのおふくろも産んだ、50歳で。
まだ、あっただよ、あれが。
んで、おらのおふくろがたのばあちゃんは長生きすてた。
んだども当時はほれ、「夜這い」ってあったべすたあ、あれはどういうこつだべすた?
なつかしき性風俗かや?
ずっちゃんは酒ば飲みすぎて、と言ってもその実働き者だったんだども、米食って焼酎すかのまねがったらすづげ、おらのおふくろが生まれてすぐにあの世さ行った。今のおらより若死にだ。おふくろはだれの子だべや?
んだども、おらにとってのかごんまのおずたつは、中国戦線ば彷徨すた人も居る。
とっくに死んでるだよ。んでも生き残った人の、かごんまの生活は、弾がまだ頭さ残ってでなあ、めくらよ。視神経さ影響があったんだとはあ。
こういうとおらはかたりべのかたりべみたいだども、素朴さが大事だあ、戦争反対ってな。
セピア色の戦闘服のいでたつばようぐ見れ。
おらのおずさんが鉄兜ばかぶって直立不動の勇ましい写真があんだども、これはおふくろが大事にとってるやつだども、足さはきゃはんば撒いて、すっかり三等兵のいでたつだあ。40過ぎたころの応召だべすた。これも白紙応召だべなあ。
鉄兜ばかぶんねえ姿は、よう、「戦闘帽」ってやつよ、木綿製のだおうでもええくそ帽子だ。
このおずさんの戦闘さはついにわがんねども、もう一人のおずさんが、これも今はねぐなったんだども、中国での生活もかたってくれただよ。
普段酒ばのまねえおずさんだども、おらも興味があって戦争の話しばよう、聞いてたらだよう、急に言い出すたんだ。そのまま皆さんしゃ伝えるけんど、「ロシアの女は腹の中が全部見えてたどん」ってなあ、「ロシアの売春婦の++++(阿修羅またはNHKのコードさひかかるで露骨な表現は控える)はでっけかった、すげかったようあごまで見えてた」って、80歳さなったおじちゃあんが言って、その場ば笑わせようととすたんだ。すっかす、わが母の兄弟姉妹(まだ30年前は生きてた人が多かった)は、みなこの話しが出たとたん、ブスッツとすてすまった。ただ「品」(ひん)がねがったばっかすいによう、おらのおずちゃんは不興ば買ったみでだども、その実「あの頃(中国占領の頃)」がなつかすいかったんだべなあ」って、おらにはとてもようぐわがった。つまり、これが、日中戦争の現実だ。
さらにだよう、このずっちゃんの話しはおらはわがった。
日本の貧農さとって軍隊さはいってほししいまんまでげたのは軍隊のおかげだべ。
普段から不作・不毛(これは東北だけさは限んねがったんだ)抑圧されてた生活ば、特にかあちゃあんたつのぬかみそみでな生活臭さから解放されて、ほりゃナンキンでも満州でも好きなことがでける、酒池肉林の王道楽土だってきいて、行ったんだがらよう。
その結果は「死」であり、生き残っても普通の反省すてる人さとってはやっぱす王道楽土なんだ。その原因は、中支派遣軍っつてもだよう、あるいはどこそこの派遣軍であったとすてもだよう、直接的な虐殺さ手ば加えねんならば、中国でのええ思いは、やっぱすい懐かしさが伴うんだべな。
そうでねがった直接的な「下手人」、それも積極的に虐殺さ加担させられた人々が気の毒だ。
またまたセピア色の写真さ戻ってすまねんだども。
すっかす見てみいや、このんでたつば。
かたや水筒、かたや飯盒ば両肩からぶら下げて、農作業の途中引っ張られて帰らぬ人だ。
軍隊ってえ、やっぱすい三度のメシば食わねばなんねえ。
土まみれさなった戦闘でよう、釘付けの戦闘の場合どうすんだっつの。
だっせえなあ、小泉ポチ公よ、わっがんべすた。
戦闘の最中さクソすたぐなったらどうすんだ?
戦場とはいえ、けつ出してくそせんななんべ。
しょんべんもそうだべ。
みんあな撃ち合いすてる最中にだよ、急にクソすたぐなれば、みなの前で、校門から押し出さねばなんねべな。
人類みな三度のメシば食う。
んだども強制連行すた中国人・朝鮮人さは一日一度の食事(それもまたひでえ饅頭だったらすい)で重労働ばさせてたっつんじゃねの。
徐州戦略では兵隊も慰安婦も下半身みなすっぽんぽんで行進すてる写真が、むがすの朝日ジャーナル「昭和史の瞬間」さは載ってるだが。それは今おらは別のとこさ置いてるためさ再確認はでけねんだども。
話しが翻ってもうすわげねんだども・・・。
沖縄での民間人を弾除けとした事実や虐殺について読み進めてゆくとおら、すっかり見落としていたことに気づいただよ。本宮ひろ志の漫画の休載で、思わぬ事実が出てきた。
それは本土防衛のための捨て石として沖縄戦を遂行するために派遣された第32軍の編成が、日中戦争の歴戦を戦いぬいてきたツワモノ(南京事件を経験した古参兵。関東軍である)によって一部編成されていたということ、および、32軍の責任者が、南京事件での虐殺の指揮官(当時参謀長)であった長勇(姓が長、名が勇。なんと読むのか、一応チョウ・イサムっていうらすい。今は不明であるが)。
長勇中将は、参謀長時代には南京で、上官が、日本軍の南京占領時、南京の市民の南京からの脱出について、「市民の中に兵隊が混じっている」から「速やかに脱出させよ」と指示を与えているのに、この指令をい無視して「やっちまえ」と言った張本人であるらしい。日本の軍国史観では英雄視されているが。
沖縄第32軍は、陸軍大将牛島満の指揮下にあったが、そのもとに中将としての長勇が居た。
編成はもと関東軍の歴戦の勇士だっつうと、そりゃカッコヨク響く。
散々悪いことをしてきて、敗戦濃くなるにつけやっかいなのが、中国での悪逆の限りを尽くした関東軍。こんなとき大本営は何を考える?ナチスもおんなずこつ考えただよ。自分たつのやってきたこつばすべて記録から消す。生き証人ばみな消す。んで沖縄防衛の名のもとさ、将来「語り部」さなられたら困る、っつんで、中国大陸の当事者ば消すことさすた。それがそのう、ほれ、沖縄戦ってやつでよう。
やつらみな野蛮だから、沖縄は「敵地」だったんだ。
ここまでゆえば、あがんべすた。
おらもう眠い。
あすた考えるだよ。