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Re: 本宮ひろ志の歴史漫画・国が燃える  南京大虐殺筆禍事件 資料10
http://www.asyura2.com/0411/war61/msg/505.html
投稿者 木田貴常 日時 2004 年 10 月 15 日 15:22:40:RlhpPT16qKgB2
 

(回答先: Re: 本宮ひろ志の歴史漫画・国が燃える  南京大虐殺筆禍事件 資料9 投稿者 木田貴常 日時 2004 年 10 月 15 日 13:09:59)

「第十軍(柳川兵団)法務部陣中日誌」についての、木村愛二氏論考
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木村愛二氏の指摘
http://www.asyura2.com/0411/war61/msg/503.html
により検索しました
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■「従軍慰安婦」問題に見る「メビウスの帯」断章
http://www.jca.apc.org/~altmedka/juugun-03.html

「随時追加"編集長日記風"木村愛二の生活と意見」より抜粋
2000年5月30日(火)の分
「従軍慰安婦」「南京事件」で希有な当局資料を無視した議論が続くのは恥ずかしい
 ついつい「きつい質問」の気後れと居心地の悪さなのだが

(一部引用)
私の考えでは、この資料は、いわゆる「南京事件」と、その後の「従軍慰安婦」問 題を論ずる上で、もっとも貴重な軍当局側資料である。資料解説にも「稀有」と記さ れている。ここでは詳しく論ずるのは避けるが、普通の軍人ではなくて、司法資格を 有する法務将校が残した公式の報告書なのである。

 ところが、私が身近に見聞きする「南京事件」および「従軍慰安婦」問題の議論で は、これが、まるで登場しない。多分、ほとんどの論者が「読んでいない」だけでなく、その存在も知らないのである。なぜなら、いわゆる「従軍慰安婦ルポ」類では紹 介していないからである。ということは、いわゆる「従軍慰安婦ルポ」類の執筆者も 不勉強なのである。安直なのである。 「従軍慰安婦」問題に直結する部分を先に指摘すると、資料説明の部分には元憲兵中 佐の証言も要約、並記されている。元憲兵中佐によれば、「僅かに現行犯で目に余る 者を取押さえる程度」だったのだが、法務将校が記した「法務部陣中日誌」の方の最 後の部分に収録された「既決一覧表」には、104件、そのほとんどが、殺人、強姦で、強姦を含む犯罪の件数は23、猥褻1、強制猥褻1となっている。

 上記の元憲兵中佐は、この状態を「皇軍が聞いてあきれる状態」「遺憾」と記して いる。この事態が、いわゆる「宣撫工作」の障害となったからこそ、「従軍慰安婦」 の制度化が急がれたのである。上記の国際組織が「戦争と女性への暴力」を主題とす るのならば、当然、この戦争中の「殺人、強姦、猥褻」の継続としての「従軍慰安婦」という一連の問題の全体像を見渡すべきであろう。その方が、日本の侵略戦争の悪を裁く上で、より有効であろう。

 このような資料調査の対極をなすのは、かの言論詐欺師、大手新聞記者、本多勝一 の「仕事」である。私は、本多勝一が朝日新聞の連載「中国の旅」で「百人斬り」な どという不可能なヨタ話を書いて以来の「南京大虐殺」論争なるものは、「草野球の 酔っぱらい観客の場外乱闘」と位置付けている。お粗末だから、[いわゆる右からの] 揚げ足取りが容易になる。 「従軍慰安婦」問題の議論にも、これと同じ性質の弱点がある。日本軍の法務部、憲兵、軍事法廷、さらには、当時は公娼制度が存在した日本の売春業者、売春婦の存在、軍でなくて内務省の衛生局の所管だった公娼制度の位置付けなど、複雑な事実経過を避ける傾向が見られる。「従軍慰安婦は売春婦だった」と揚げ足取りされると、慌てたりしている。なぜなら、公娼制度の現実の上に、強制連行が続いたという歴史的経過を無視する議論になっているからである。もちろん、公娼制度をも批判の対象とすべきである。

「従軍慰安婦」問題を取り上げた先駆者の千田夏光は、こういう細部を無視しなかっ たのだが、最近の運動家は、千田夏光の先駆的業績を無視しているのか、迂回してい るのか、ともかく底の浅い議論ばかりしている。多くの筆者は、いきなり「従軍慰安 婦」の当事者のルポに走る。生々しいとはいえ、事実上、朝鮮で女性狩りを実行した 警察官の監督官庁、日本の内務省の出店、朝鮮総督府の資料が発見されていない点など、最も重要な根幹を突こうとしない「逃げ」の姿勢になっている。これでは歴史の 真相は明らかにならない。

『続・現代史資料6:軍事警察』の発刊は1982年であるが、原資料は存在し続けてい たのである。この程度の資料探索すらせずに、また聞きでヨタ話を書いた記者、それ を載せた大手新聞、まったく呆れたものだが、だからといって、その揚げ足を取って 「南京大虐殺はなかった」「従軍慰安婦は売春婦だった」などと強弁する方も、実に 下品な「売らんかな」商法なのである。

 どちらも、ああ、日本人として恥ずかしい。


■「第十軍(柳川兵団)法務部陣中日誌」の実物の所在と背景事情(?)
http://www.jca.apc.org/~altmedka/turedure-0-6-1.html#0602

(一部引用)

「極秘」資料を残した法務官は2.26.事件にも関与

 上記の本の冒頭には13点のモノクロ写真が収録されている。そのまた冒頭が、この「陣中日誌」の表紙であり、おそらく黒い筆字で、真中に「陣中日誌」、左下に「小川法務官」とある。右側に薄く写っているから朱色の筆字で書き加えられたと思われるのが、「第十軍法務部」と「中支那方面軍軍法会議」であり、左上の「極秘」である。
「小川法務官」について、上記の本の「資料解説」では、つぎのように記している。
「小川関治郎は、甘粕正彦憲兵大尉を裁いた軍法会議(第1回、大正12年10月8日)の判士、2.26.事件では、真崎甚三郎大将裁判(判決、昭和12年9月25日、無罪)の裁判官である」(p.xxxiv)
 本人が記した「第七号軍法務部要員」の一覧表では、小川自身の「戦時職」が「第七号軍法務部長」、「現職」が「陸軍高等軍法会議法務官」、「官等」が「陸軍法務官高等官二等」と記されている。
 別途、「資料解説」全体の総括として、単に「解説」とある部分の最後に、「手帖[中略]に鉛筆で書かれた個人日記」の一部が紹介されている。「吾々文官ハ差別待遇ヲ受クルコトナキニアラズ。[中略]実際邪魔アツカイセラルルハ事実ナリ」など、興味津々のメモなのだが、電話で話した編集担当者によると、この「個人日記」も、今年の夏には公刊の運びである。
 以上、この「第十軍(柳川兵団)法務部陣中日記」については、普通の軍の公式記録とは違って、1982.2.26.以前には、いかな研究者でも探索不可能だったことが判明したわけである。


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柳川軍団の関連で
■南京大虐殺と軍事郵便
http://www1.vecceed.ne.jp/~swtamura/asaba.htm#rontenichi

(一部引用)
論点1 軍事郵便の内容

まず、1937年12月に行われた、揚子江岸での「捕虜」虐殺の一端が記されていることです。その虐殺は、時期から考えておそらく12月24日から開始された第16師団による「残兵狩り」のなかで捕らえられた人たちであろうと考えられます。この「残兵狩り」については「佐々木到一少将私記」、同盟通信社の配信(「国際難民区域内における支那良民は23日自発的に自治委員会を結成するに至ったが、一方同区内にはその二割が逃げ場を失った支那正規兵の便衣に着替えて混入するものと推定され、かかる多数の敗残兵を放棄するにおいては将来治安維持上由々しき大問題を生ずるおそれがあるので、我が軍ではかねて便衣正規兵の狩り出しにつとめているが、さらに24日を期して徹底的粛正工作を施すこととなった」)にありますように、難民区から集められた中国人が殺害されたわけで、当然その中には「良民」も含まれていたと推定できます。

また手紙には、南京占領後の状況が記されていることです。南京占領後の状況については、難民保護に尽力したラーベをはじめとした在留外国人が日記などを書いています。その兵士も当時の南京の様子を描いています。たとえば、「帰ってくる南京市民たちには寝るところもなく、寒さに震えて一日数百人が死んでいる」、「鼻を切るような死臭」、「揚子江の隅の死体の山」と言うように。これらの状況は、1938年の1月から2月にかけてのことだろうと思います。まず「帰ってくる南京市民」は、1月5日に終了した「残兵狩り」の後、「逐次避難民を自宅に復帰せしめる」(中支派遣軍報道部『南京一覧』)という復帰事務を通過した人たちだろうと推定できます。しかし帰っても寝るところがない、食糧もないという過酷な生活があり、「一日に何百人」も死んでいくと記されています。

 さらに別の手紙で、揚子江の隅に「死人の山」があったと記されています。これは2月下旬です。「悪臭が鼻を切るように臭ってくる」と言う表現をみると、南京にいたけれども「虐殺」は知らなかったという兵士がいたというますが、そういう証言を疑いたくなります。

それから「従軍慰安婦」が南京に送られてきたことも記されています。手紙の文面からは日本人の「慰安婦」だと考えられますが、中支派遣軍報道部がまとめた『南京一覧』の「在留邦人累月統計」によれば、朝鮮人の数は1938年2月末で男16人、女74人ですから、朝鮮人「慰安婦」の存在を推定できます。ちなみに、3月末の在留朝鮮人数は男46人、女104人となっています。

なお南京事件とは直接関係はありませんが、普通の農民が戦地で「一人前の兵士」になっていく姿も描かれています。華北では、紫色になった死体をみて食事も出来なかった農民が、後には中国人の死体を見ても、殺傷しても平気、いや「面白い」と表現するまでになるプロセスが記されています。

いずれにしても、この軍事郵便は当事者が、その時期に書いたと言うことで、一級の資料であると思います。ぜひご利用いただきたいと思います。

論点2.軍事郵便の問題について

次に軍事郵便の性格について考えてみます。軍事郵便には検閲があります。検閲を受けた軍事郵便に、なぜ天津でも南京でも虐殺の事実が記されていたのかということが、検討されなければなりません。

 私は当時日本兵は中国人を虐殺することに何の痛痒も感じていないのは勿論、それが問題になることすら、全く予想していなかったと思います。語弊がありますが、犬を殺したと書いても検閲にかからないと同じ事だと思います。つまり日本兵も検閲者も、中国人を殺すことはたいしたことではないと見ていたのです。

それは新聞紙上でも確認できます。有名な「百人斬り競争」という常識では考えられないような記事が「東京日々新聞」に載ったり、当時静岡県で発行されていたローカル紙にも、華北の例ですが「日本刀の切れ味は実に物凄いばかりでザクリと音がして敵の首が落ちます。その時は実に面白いものです」とはっきりと記されています。

そういう状況の中に当時の日本はあったのです。ただそのような記事は、1938年以降新聞紙上に現れなくなります。

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