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(回答先: そうじゃなく「おかしな事を見て、おかしいと感じるかどうか」ということです。 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2004 年 10 月 11 日 05:16:54)
またもやお名前省略ご容赦ください。
怒りのエネルギー、よく分かります。
ただ、戦略的な事を言わせてください。
「絵」のたとえでいきます。
権威ある美術館が贋作を本物と偽って、高く売り付けようとしていると(むりかな?)仮定してみてください。
それを、権威なき我々が贋作であると証明するには、本物を見つけだしてくるしか無いとも仮定しましょう。
勿論、本物を探す努力は必要であり、重要なことです。
しかし、差し出された贋作を、「絵」として評価し、それが無価値である事、その「絵」の絵としての芸術的価値がいかほどであるかを真贋の区別を離れて虚心に評価する事。
この事も大事な事ではないでしょうか?
結局、これからの世界が、その「絵」に基づいて築かれるのだとしたら、その絵の真贋よりも、その絵そのものの価値の評価の方が現実的には重要なのではないでしょうか?
負け犬根性と言われるかもしれません。
しかし、メイン号事件も真珠湾も、真相が明らかになる前に事態が進展し、現実に真実が負け続けているのです。
真実を明らかにし、罪人を裁きたいというまっとうな欲求を否定しませんが、これまで負け続けて来た戦略を今度こそはと、また繰り返すだけなら、それは大義は我にあり、と戦略的思考なしに無謀な抵抗を繰り返して来たパレスチナの連中とどこがちがうのでしょうか?
今度は、負けるわけに行かないのです。
これが最後の機会だと、
なんとなく感じるのです。