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Doctrines and Visions: Who Is to Run The World, and How? University of Oxford. June 4, 2004.
ノーム・チョムスキー、オックスフォード大学で講演、2004年5月4日、オラフ・パルメ講義
翻訳:寺島隆吉+寺島美紀子、公開2004年8月6日
大統領のイラク勝利宣言の1周年記念日をちょうど終えたところですね。一体何が起こっているのかについてお話はいたしません。それについては十分な情報があり、自分で自分の結論を導き出すことができますから。
私はそれについてのある側面「イラク人に何が起こったのか」に少し言及しようと思います。それについて我々はほとんど知らないのです。なぜならそれは調査されていないからです。
我々が[自分たちについて]知っていること[とイラク人ついて知っていること]のこのギャップについて、ある驚きの声が最近イギリスのプレスであがりました。それは、誤解というものです。というのは、それは全く一般的に起きていることだからです。
このようにして、私たちは、何百万人も死んだと言われているにもかかわらず、インドシナにおける米国の戦争の過程で何人の人が死んだか正確には知りません。情報と関心があまりにも少ないので、たったひとつの注意深い研究しか私は発見していません。その研究では、死んだベトナム人の最低見積もりは10万人で、それは公式な数字の5パーセントであり、おそらく実際の数字の2−3パーセントです。
1962年に始まった米国化学戦争の犠牲者が約60万人だと見積もられていて、今でもまだ死に続けていることを実質的に誰も知らないのです。また破壊的な発ガン物質の使用は公表されている使用頻度の2倍であり、それは産業社会で耐えうる限度を、比較にならないほど越えているレベルであったということが最近発見されたのです。南ベトナム全土でです。
[米国で起きた反戦運動は北ベトナム爆撃を強く非難し、それを契機に大きく米国全土に広がりましたが]北ベトナムはこの際立った残虐行為からは免れています。
思考実験として、もしドイツ人がホロコーストでの死を2−30万だと見積もり、虐殺の様相について何も知識や関心をもっていないとしたら、どのように我々が反応するのかを尋ねてみるといいでしょう。
インドシナに於ける死傷者についての情報の欠如については、ひとつだけ例外があるのです。すなわち非常にしばしば、「赤いクメール」[カンボジアにおける虐殺集団]に起因した残虐行為を明らかにするために(時には、そのような残虐行為を捏造するために)最初から非常に徹底的な努力が行われました。
「赤いクメール」後の、その話題に関する文献は、1980年のCIAによる奇妙な人口統計学的研究から真面目で広範囲にわたる学術的研究にいたるまで、様々に実在しています。「赤いクメール」末期の、残虐行為の絶頂期には、入手可能な証拠が多くあったにもかかわらず、CIAの研究では「赤いクメール」の犯罪が驚くほど低く見積もられていますが、上記の学術研究では、残虐行為に関する遙かに高い見積もりが報告されています。
ご覧の通り、[情報の欠如という]規則に対する唯一の例外は、[米国の外交政策の教義にとって]有益な犯罪は見逃すことはない、という点であることに、お気づきのことと思います。
イラクに話題を転じますと、情報はいつもわずかですが、完全にないというわけでもありません。
ロンドンに拠点を置く衛生研究所MEDACTによる研究は昨年11月に、2万2千人から5万5千人のイラク人が死んだとというおおよその見積もりを発表しました。
そしてまた妊婦死亡率の上昇、深刻な栄養失調の倍増、そして飲料水媒介の疾病とワクチンで予防可能な疾病の増加を報告しました。この研究は、米国ではほとんど言及されませんでしたが。
この研究について、ビクトル・シダル博士は、「最も重要なことは、研究成果のデータが[米国では]入手できないということだ。」と論評しました。彼は米国の著名な衛生学の権威で、核戦争防止のための世界内科医会議元会長であり、その研究のアドバイザーでもあります。
2ヶ月前、ベルギーのNGO「第3世界メディカルエイド」による現地実状調査団は、米英[が90年代におこなった]経済制裁の破壊的結果さえも、まだ克服されていないこと(それには医薬品の禁止も含まれています)を発見しました。
また幼児死亡率は明らかに増加し、一般的な健康状態も明らかに低下しています。これは生活条件の悪化(たとえば食料、飲料水、医薬品、病院などが手に入らない)、あるいは購買力の激減といったことが原因です。
この惨状の大部分は、軍事的占領の驚くべき失敗の結果です。この占領は、かってないほど最も容易な軍事占領のひとつだったはずなのですが。
「それは歴史上最も並はずれた失敗のひとつだった」とイギリス退役軍人のパトリック・コックバーン通信員は論評しています。全く当然の論評です。
この惨状について、私がこれまでに聞いた最良の説明は、世界の指導的人道主義的救援組織のひとつの高官からのものでした。彼は世界で最も恐ろしい場所のいくつかで広い経験を持ってきた人物です。
バグダッドでの苛立たしい数ヶ月の後、それほどの「傲慢と無知と無能力」の結合を、今まで見たことがないと彼は言いました。彼は米軍のことを言っているのではなく、ペンタゴンを運営している文民を指してそう言ったのです。
米軍は国際的な規模で行っていたことを、イラクにおいても達成することに、ほとんど成功しました。すなわち世界中で米国を最大の脅威に、そしてしばしば憎むべき国に迅速に変えたのです。
イラクでの最近の詳細な世論調査によれば、拷問に関する最近の暴露以前のことなのですが、アラブ系イラク人の間では、米国は「解放軍」というよりはむしろ「占領軍」と見なされていて、その割合は1対12で、その傾向はますます増加しています。
もしクルド人も勘定に入れるとすると(クルド人は明白な大望と希望を持っていますから)、数字は更に圧倒的でしょう。最近の世論調査のひとつによれば、88パーセントものイラク人が、米軍を「占領軍」と見なしているのです。これもまたアブグレイブ刑務所の拷問が暴露される以前のものです。
ラムズフェルド=ウォルフォビッツとお仲間たちは、以前は取るに足らない人物だった若い聖職者モクタダ・アルサドル氏を、イラクにおいて大アヤトラ=アリ・シスターニ氏の次に来る、第2の最も人気ある指導者に仕立て上げることに成功しさえしました。人口の3分の1が彼を「強力に支持し」、もう3分の1が彼を「幾分は支持する」というところまでです。
他の西側の世論調査では、占領軍に対する支持率は1桁の数字になっていて、彼らが指名した暫定政権の支持率も全く同じです。
しかし私はイラクのことは脇に置き、イラク征服者とともに始動体制に入った「帝国の壮大な新戦略」すなわち、その基礎となるドクトリンとビジョンとに話題を変えようと思います。
「帝国の壮大な新戦略」という言い回しは私のものではありません。それは非常に興味深いところが出所なのです。すなわち指導的主流の定期刊行物『フォーリン・アフェアーズ』(それは外交問題評議会のジャーナルでもあります)が命名したものです。
イラク侵略は、ブッシュ政権の国家安全保障戦略(NSS)とともに、2002年9月には事実上発表されていたのです。その戦略は、不確実な将来のために世界を支配し、米国支配への潜在的挑戦を破壊するという考えを宣言していました。
国連は次のような通知を受けていたのです。もしワシントンがすることは何であろうと、それを国連が承認すれば、国連は「適切」な機関であり、さもなければ、ブッシュ政権の穏健派コリン・パウェルが説示していたように、国連は討論研究会になってしまうだろうと。
イラク侵略はNSSで発表された新ドクトリンの最初のテストになるものでした。1年前に、その実験が壮大な成功を収めたと宣言されたとき、ニューヨークタイムズは「イラクはペトリ皿(実験用シャーレー)だったのだ。その中で予防的先制攻撃方針というこの実験が成長したのだ。」と報告しています。
そのドクトリンとイラクでそれを適用することは世界中で空前の抗議を引き出しました。国内の外交政策エリートも含めてです。『フォーリン・アフェアーズ』は即座に、「帝国の壮大な新戦略」は世界と米国への脅威だとして批判しました。
エリートの批評は著しく広範囲でしたが、その批判する根拠は狭いものでした。すなわちそのドクトリンは間違ってはいないが、適用スタイルは危険であり、米国の利益にとって脅威であるというものでした。
その批判の基本的要点はマデリン・オルブライトによって表現されていましたし、『フォーリン・アフェアーズ』の中でも行われました。
すべての大統領は同様のドクトリンを持っているが、自分の隠しポケットにそれを仕舞い込んでいて、必要な時にこそ使うべきだ、と彼女は指摘したのです。
予防的先制攻撃というドクトリンを振りかざして、眼前で人々をたたきつぶすのは、ましてや、同盟国すらも声高に抗議している中でそれを実行し、世界中の他の人の声を無視するのは、重大な間違いであるというのです。
それは全く馬鹿げた行為であり、「傲慢と無知と無能力」の危険な結合の実例だというのがオルブライトの主張でした。
オルブライトはもちろん、クリントンが同様のドクトリンを持っていたことを知っていました。国連大使として、彼女はクリントン大統領のメッセージを安全保障理事会で繰り返し宣言してきました。米国は「可能ならば協調に、必要ならば一方的に行動する」というメッセージです。
そして後に、ホワイトハウスが議会へのメッセージとして同趣旨のことを明記していたことは、クリントンの国務長官として、彼女は確かに知っていました。つまり、死活的権益を守るためには「一方的に軍事力を使用する」権利をクリントンは宣言していたのです。
その死活的権益に含まれるのは、「重要なマーケット、エネルギー供給源、戦略的資源への接近に対していかなる妨害も認めない」とするもので、しかもそれにはブッシュとブレアがつくりあげた口実さえも必要なしとするものでした。
文字通りに取れば、クリントン・ドクトリンは、ブッシュの国家安全保障戦略(NSS)よりも広範囲なものでしたが、それはこっそりとしかも世界の敵意をかき立てないような書き方で提出され、その実行の仕方もまさに同様だったのです。
そしてオルブライトが正しく指摘したように、そのドクトリンは米国で長い伝統を持っているのです。これは他の国[この英国]でも同様で、先例もありますが、それ[英国の例]については今は考えない方がよいかもしれません。
その先例にもかかわらず、「帝国の壮大な新戦略」は非常に重要なものだと考えられていました。ヘンリー・キッシンジャーはそれを「革命的」ドクトリンだと評しました。というのは、それは、もちろん国連憲章と現在の国際法は言うに及ばずですが、17世紀のウエストファリア体制で確立された世界秩序をズタズタに引き裂くものだからなのです。
革命的な新アプローチは正しいとキッシンジャーは思いましたが、また同様にスタイルと適用について警告もしたのです。そして彼は決定的な条件を加えました。すなわちそれが「普遍化され」てはいけないというものです。
露骨な言い方をすれば「意のままに侵略する権利」は、おそらく選ばれた従属国には委任されるかもしれませんが、結局は米国だけが占有すべきものなのです。「我々が他に適用するのと同じ基準を我々にも適用する」という最も初歩的な道徳的公理を、私たち米国はキッパリと拒否しなければならないのです。
他の人々も異なった理由で、そのドクトリンと初めてのテストを鋭く批判しました。そのひとりはアーサー・シュレシンジャーでした。彼はおそらく現存するアメリカの歴史家で最も尊敬される人物です。
最初の爆弾がバグダッドに投下された時、彼は日本がパールハーバーを爆撃した時のFDR(フランクリン・D・ルーズベルト)の言葉を思い出しました。「その日付は永遠に不名誉なものとして生き続けるだろう」という言葉です。
いまや汚名の中で生きるのはアメリカ人だ、政府が日本帝国と同じ道を辿っているからだ、とシュレシンジャーは書きました。そして彼は、米国に対する「9・11への世界的な共感の波」を「アメリカの傲慢と軍国主義に対する世界的な憎悪」に変えてしまうことに、ブッシュと彼の計画立案者たちが成功してしまった、と付け加えました。
1年後、それはさらに悪くなったことを、国際的世論調査は明らかにしました。米国の外交政策との最も長い経験を持つ地域[中南米]では、ブッシュへの反対が高騰しました。最も親米派のラテンアメリカ支配層でも反対は87パーセントにも達しました。ブラジルでは98パーセント、メキシコでも同じほど高いものでした。再び、印象的な功績です。
同じく予期されたように、戦争はテロの脅威を増加させました。イスラム世界の動向を観察しているスペシャリストたちは、衰退傾向にあった「世界的イスラム聖戦」の呼びかけの復活に驚きました。アルカイダ・ネットワークの新兵徴集が増加したのです。
イラクは、以前はテロと何の関係もありませんでしたが、今は「テロ天国」(ハーバード・テロ専門家ジェシカ・スターン)になり、13世紀以来初めての自爆攻撃を受けました。2003年の自爆攻撃は現代における最高のレベルに達しました。米国では空前のテロ厳戒態勢でその年は暮れました。
戦争1周年記念日に、ニューヨークのグランドセントラル駅は重装備の警官がパトロールしました。それはヨーロッパにおける最悪のテロ犯罪=マドリッド駅爆撃への反応でした。
数日後、スペインは、圧倒的大多数の意志に反して戦争を始めた政府を[総選挙を通じて]解散させました。その政府は、民衆の意思を無視することによって米国から花形的役割を期待され、「新しいヨーロッパ」は将来への希望だと大きな賞賛を得ていました。
「新しいヨーロッパ」の会員資格が、民衆の意志を退け、テキサス州クロフォードからの命令に従うことだ、ということに西側解説者は「言及しない」ように努力し、そのことに今までは見事に成功していたのです。
1年後、イラク戦争1周年の日に、「スペイン新政府は、“国連の指揮下にない限りイラクからスペイン軍を撤回させる”と宣言することによって、テロとの宥和を図った」として、スペインは米国政府から手ひどい非難を受けました。
メディア解説者たちは、これが本質的にはアメリカ人の70パーセントの立場であるということを指摘するのを怠りました。70パーセントのアメリカ人は、国連が民主的政府を確立するために安全保障・経済再建の先頭に立ってイラク人とともに働くことを要求しているのです。
しかしそのような事実はほとんど知らされていませんい、選挙のアジェンダ(公約実施要項)が問題なのでもありません。これが、いわゆる「民主主義の資格証明」が実際はどういうものかを示す、もう一つの実例なのです。
西側のメディア解説者の中では現在大変興味深いパフォ−マンスが進行中です。ブッシュ政権がイラクへの野望のために「対テロ戦争」を格下げしたのかどうかをめぐって、彼らは真面目に討論し続けています。その討論を激化させたのは、ブッシュ政権の前当局者による暴露ですが、その暴露に唯一つ驚くべき側面があるとすれば、それは誰もがその暴露をを意外なものだと思ったという点です。特に現在、イラク侵略によって政府がテロの危険を増大させたということが明確になっているからです。つまり、イラクで自らの目的を達成するために、そうと知りながら、テロの脅威を増加させたというのです。
しかし、ブッシュ政権が何を優先させたかについての、このような劇的な暴露がなくても、結論は明白のはずです。政府計画立案者の見地からすれば、優先順位は完全に合理的なものです。
テロは何千人ものアメリカ人を殺すかもしれません。米国に訓練されたジハード戦士が1993年に世界貿易センターを爆発させたという企て以来それは明瞭なのです。
しかしそれは、世界の主要なエネルギー資源の中心地にある従属国に、初めて安全な軍事基地を確立することと比較すると、それほど重要ではありません。そこは「戦略的パワーの驚くべき供給源」であり、無比の「物質的戦利品」なのです。
それは少なくとも1940年代に政府高官が認識していたことです。ズビグニュー・ブレジンスキーは次のように書いています。
「その[中東]地域でのアメリカの安全保障的役割は」(これを平明な英語では「軍事支配」と言います)「ヨーロッパとアジアの経済に、間接的だけれども政治的に重要なテコの力を与えている。ヨーロッパとアジアの経済は同様に、その[中東]地域からのエネルギー資源に依存しているからだ。」
ブレジンスキーがよく知っているように、ヨーロッパとアジアが独立的進路を進むかもしれないという懸念は、米国にとって今日の世界支配の中心問題であり、長年に渡って一番の懸念であったのです。
50年前、米国の指導的な計画立案者だったジョージ・ケナンは、戦略的パワーの驚くべき供給源を支配することが、競争相手に対する「拒否権の力」を米国に与えるのだということに気づきました。この供給源を支配さえしておけば、競争相手が何を行おうが心配ないというわけです。
ヨーロッパは30年前、戦争時代の破壊から回復したことを認めて「ヨーロッパ年」を祝いました。ヘンリー・キッシンジャーは「ヨーロッパ年」に挨拶を述べましたが、その中で彼は、ヨーロッパの責任とは、米国に管理された「全体的秩序の枠組み」内で「地方の責任」を果たすことだと、ヨーロッパの国々に釘を刺したのです。
問題は今日もっと深刻で、活気溢れる北東アジア地域にまで及んでいます。湾岸地域と中央アジアの支配は従ってさらにもっと重要になってきています。その重要性は、湾岸地域が来たるべき数十年の世界のエネルギー生産により顕著な役割を持つようになるという予測によって拡張させられているのです。
中央アジアの悪辣な独裁政権に対する米英の支援と、パイプラインが通る場所を管理し、そこを監視下に置くことが、これまで繰り返されてきた「グレート・ゲーム」の一部という訳なのです。
だとすれば、イラク侵略を優先しテロとの戦争を格下げすべきだという政策に、何故そのように驚かなければならないのでしょうか。
あるいはウォルフォウィッツ=ラムズフェルド=チェイニーとそのお仲間たちが、ブレア英国首相やストロー英国外相と同じように、情報機関に圧力をかけ、侵略を正当化するための証拠の断片を持ち出そうとしてきたことに対して、何故そのように驚かなければならないのでしょうか。
たとえば彼らは、イラクがテロやWMD(大量破壊兵器)に関連していたとか、とにかく役にたちそうな口実なら何でも良かったのです。
むしろ驚くべきなのは、次から次に口実が崩壊し、それにつれて指導者が更に新しい口実を発表せざるを得なくなっているにもかかわらず、メディアの論評が従順にその後を追いかけていることではないでしょうか。
メディアが、イラク侵攻の明白な理由を常に回避しているのは、誰が見ても明らかなのに、それは事実上口には出せないからなのです。西側知識人の間では、こんな状態なのです。これはイラクの知識人の話ではないのです。
バグダッドでの米国の世論調査では、侵略の動機がイラクの資源を支配し米国の利益と一致するように中東を再編することだ、と大多数の人が考えていることが判明しました。
知識人クラブの反対側にいる人たちが、自分たちが生きている世界を西側知識人よりも遙かに明瞭に理解できたとしても、異常でも何でもありません。
米国にとっては中東を懲らしめて確実に適切な躾を与えることが重要であり、それと比べれば、テロがマイナーな問題だと見なされていることは、バグダッドの人には十分に明らかであり、その実例がたくさんあります。
ちょうど先週もそれを暴露する例がありました。ブッシュがシリアに新しい経済制裁を課したのです。それは、12月に議会を通過したシリア説明責任法を実施するものでしたが、シリアが米国の命令に従わない限りは戦争をすると宣言するに等しいものでした。
シリアが長年に渡りテロ支援には関わってきておらず、アルカイダと他の急進的なイスラム集団についてワシントンに重要な情報を提供したり、また他の反テロリスト作戦においても、非常に協力的であったとCIAが認めているにもかかわらず、シリアはテロ支援国家の公式リストに載せられています。
シリアがテロに関連しているかもしれないというワシントンの懸念の大きさは10年前クリントンによって明らかにされました。そのとき彼は、シリアが米国=イスラエル平和条件にもし同意すれば、テロ支援国のリストから外そうと申し出たからです。
しかし、シリアがイスラエルによって占領されている地域の返還を主張したので、シリアは結局いまだにテロ支援国家のリストに取り残されることになったのです。もしシリアが外されていたなら、1982年に或る1国がリストから落とされて以来、初めてのことになっていたはずです。
何故なら、その当時はレーガン政権時代だったのですが、現在ワシントンにいる政権担当者達は、サダムをそのリストから外していたからです。そうすることによって彼らは、サダムが最悪の残虐行為を行っている間、サダムが非常に必要としていた援助の流れを、彼らが供給することができたのです。
その残虐行為にはイギリスや他の国も参加していましたし、そのことは再び、テロに向かう姿勢と国家犯罪について重要なことを我々に教えてくれます。イラクがキューバと位置を取り替えられたという事実も同様です。
キューバをイラクに代えてテロ国家リストに載せることは、ちょうどそのとき、ケネディ時代から進行していた米国の対キューバ・テロ戦争が凶暴性の頂点に達していた、という事実を考えるならば、再び、米国のテロに向かう姿勢と国家犯罪について重要なことを我々に教えてくれます。
しかし残念ながら、このうちのいずれも、そしてそれと似たもっと多くのものも、1981年にレーガン政権によって宣言された「対テロ戦争」について教訓を与えてくれるとは考えられていないのです。そのレーガンによる宣言が、すぐに殺人的テロ戦争になり、その20年後、ほとんど同じレトリックで再びテロ戦争が宣言されているにもかかわらず。
それはともかく、満場一致近くで通過した「シリア説明責任法」(通称「シリア制裁法」)の履行は、急進的イスラム教徒のテロについての主要情報源を米国から奪っています。それはシリアに米国=イスラエルの要求を受け入れる政権を確立するというもっと高い目標を達成するためなであり、決して異常な図式ではありません。
ところが、メディアの解説者は、米国政府の行動様式・優先順位に関して、どんなに強い証拠があろうとも、行動様式がどんなに規則的であろうとも、そして選択様式がどんなに合理的であっても、それがどんなに明瞭で理解可能であろうとも、さもそれが驚くべきことであるかのように報道しているのです。
国際問題の専門家スティーブン・ズネスが指摘しているように、我々は、昨年12月の「シリア説明責任法」を通じて、米国の国家政策に関する優先順位と米国の知的・道徳的文化の原理について、もっと多くのことを知ることができます。
この「シリア説明責任法」は、国連安全保障理事会決議520号に言及しつつ、主として、シリアによって侵害されているレバノンの主権と領土保全の尊重を要求しています。というのはシリアはレバノン軍内に自国軍を駐留さているからです。しかしシリア軍の駐留は、彼らの仕事が1976年にパレスチナ人の大虐殺を実行することだったので、米国とイスラエルによって歓迎されていたものです。
また米国議会が「シリア説明責任法」を成立させるにあたって見落としていたのは(それは、メディアの報道や論評においても同じでしたが)、1982年に通過した決議520号が、明らかにイスラエルに対して向けられたものであって、シリアが対象ではなかったという事実です。
ところが、イスラエルが22年もの間、この決議やレバノンに関する他の安全保障理事会の決議に違反しているにもかかわらず、イスラエルに対する経済制裁の要求やイスラエルへの巨大な無条件の軍事的経済的援助の縮小要求は、米国から出されたことはありません。
この22年間の沈黙には、安全保障理事会決議をシリアが侵害したとして、シリアを非難する今回の「説明責任法」令に署名した人々を含んでいます。しかし実は、この安保理決議はイスラエルにレバノンから出て行くよう命令したものだったことは先に説明したとおりです。
だから米国の行動原理は非常に明瞭だとズネスは書いています。「レバノンの主権は守られねばならない。なぜなら、その占領軍は米国に敵対する国から来ているからだ。しかし、もしその国が米国の同盟国であるならば、占領していても一向にかまわない」のです。
その原理はさまざまな表明・宣言に全く広範囲に適用されています。もちろんこのような宣言をしているのは米国だけではないのですが。
副次的意見:二対一の割合で米国民は「イスラエル説明責任法」(イスラエル制裁法)を支持しています。それはイスラエルが大量破壊兵器(WMD)開発と占領地域での人権乱用の説明責任を持つというものです。しかしながら、それは議事日程に上ってはいませんし、明らかに、報道すらされていません。
明らかであるにもかかわらず目に見えるものとなっていない優先順位の事例が他にも多くあります。その一つに言及しておきます。それは財務省が管轄する事務局(OFAC:海外資産統制局)で、疑わしい金銭移動を調査する仕事を割り当てられており、「対テロ戦争」の決定的な構成要素なのです。
OFACは120人の従業員を有しています。2−3週間前OFACは、4人がオサマ・ビンラディンとサダム・フセインの資金調達追跡に専念していると議会に通知しました。その一方、ほとんど24人ぐらいがキューバに対する通商禁止を実施することに専念しているのです。[この人数を見ただけで、米国政府が何に優先順位を置いているかが良く分かるはずです。]
ついでに述べておきますと、このキューバに対する通商禁止は、全ての関連する国際機関によって違法だと宣言されたものです。通常は米国に従順な米州機構ですら違法だと言っています。
さて、1990年から2003年までの、OFACの調査による議会への通知によると、テロ関連の調査は93個しかなく、罰金も9千ドルだけでした。他方、キューバ関連の調査は11,000個にも及び、罰金は8百万ドルでした。
ところが、この事実は、ブッシュ政権(とその前任者達)が他の優先事項を支持して対テロ戦争を格下げしたのではないかと、頭を悩ませている人々の間で、何の関心も引き起こしていないのです。
なぜ財務省は対テロ戦争に対してよりもキューバを抑圧することに、より莫大なエネルギーを捧げるべきなのでしょうか。
米国は比類ない開放社会です。従って我々は国家計画について本当に多くの情報を手に入れることが出来ます。上記の疑問に対する説明も、40年前の極秘資料に記載されていました。その基本的な理由は極秘資料によると次のとおりです。
その当時は、ケネディ政権がキューバに対して「地球規模のテロ」をもたらそうとした時だったのです。このことは、アーサー・シュレシンジャーも、彼の『ロバート・ケネディの伝記』のなかで詳説しています。ロバートはキューバに対するテロ攻撃を、最も高度の優先順位で行った人物でした。
国務省の計画立案者達は、カストロ政権の「存在そのもの」が、米国にたいする「見事な挑戦者」となり、米国の政策を150年前のモンロー主義に立ち戻らせる危険性があると警告しました。ロシアの存在がなくても、キューバの存在が半球の支配者への耐え難い挑戦者となるというのです。
また更に、この挑戦が成功すれば、そのことが他の国を励まし、「自分たちのことは自分たちの手でおこなう、というカストロの考え」が広まっていく恐れがあると、シュレンシンジャーは、次期大統領になろうとしているケネディに警告しました。これは、大統領のラテンアメリカに関する任務と題する報告書の要約部分です。
これらの危険性は特に重大だと、シュレシンジャーは詳述しました。なぜなら今や「土地の分配や国富の別の所有形式が有産階級にも非常に支持を得ているし、…貧困で恵まれない人々がキューバ革命の実例によって刺激され、まともな生活を求める機会を要求している」からだというのです。
ものごとを自らの手でおこなうという考えが邪悪な触手を広げるなら、世界支配の全システムは解体するかもしれない、とシュレジンジャーは恐れたのです。
米国に対する抵抗・挑戦が成功することは我慢のならないことであり、優先順位としてはテロと戦うよりも遙かに高いランク付けがされなければならなかったのです。これが良く確立された米国の政策原理のもう一つの実例です。
これは国内的観点からすれば合理的で、犠牲者には充分に明瞭なものですが、実行者である国民には見えないものなのです。
ブッシュ政権が優先順位を暴露したこと[テロとの戦いよりもイラク侵略を優先したこと]に対する喧噪・論争と、米国政府内における最近の911に関する聴聞は、国民が未だに上記の明白な政策原理に気づいていないということを示しています。
それは、彼らがこのように明白なことを認識できないか、それを一つの可能性として考慮に入れることができないという、奇妙な無能さの更なる実例なのです。
話題をテロに変えますと、テロの脅威(学説上で許容可能な下位範疇に従って、「テロ」を当面は「私たちに対するテロ」としておきます)を減少させる方法について、また更なるテロ行為(それは遅かれ早かれ、本当に恐ろしいものになるかもしれません)を刺激し拡大させる方法についてでは、専門家の間で広範な一致があります。911のずっと以前に専門的文献で予期されたように、テロと大量破壊兵器が連結するのも時間の問題です。
イラク侵略は典型的で、暴力が激しい応答を引き起こしています。これが全く一般的な反応なのです。アルカイダとビンラディンに関する綿密な調査で明らかになったのは、クリントンが1998年にスーダンとアフガニスタンを爆撃するまでは、彼らは事実上知られていなかったということでした。
爆撃がアルカイダ・タイプのネットワーク(アルカイダは実際は組織ではありません)に対する支援と新兵徴集と融資を急激に増加させ、ビンラディンを非常な有名人物に変えたのです。そしてビンラディンとタリバンの間の緊密な関係を作り上げたのです。両者は以前は冷淡で敵対的だったのです。
スーダン爆撃に対する応答・反撃を通じて、もし私たちにその気があれば、西洋文明についてもっと何かを学ぶことができるのです。というのは、スーダン爆撃は数万人の死に繋がったからです。これはほとんど信用できない評価・情報にもとづいておこなわれた攻撃で、まさに人道的大惨事でした。それは世界的人権団体であるヒューマンライツウォッチの会長によって直ちに予測されていたことでもありました。
いつものように、惨事についての調査は無いに等しく、メディアの関心もありません。[しかしスーダンのような国では医薬品の製造工場を爆撃すれば、それは数万人の死につながるのです。] もしテロリストの攻撃が米英やイスラエルやその他の重要地における医薬品の主要供給源を破壊したのなら、反応は異なっていたでしょう。でも富裕国では供給が簡単に補充可能なので、それはあまり重要ではなかったかもしれません。
[それはともかく、西側文明における、このような無視と無関心は]異常なことでは全くありません。他方、その仲良しクラブの裏側の人々は世界をかなり違って見る傾向があり[つまり、そのような無視と無関心に憤り反撃し]、そのことが文明的価値の守護者を自認するひとたちの間に再び激怒を引き起こすことになるのです。
1998年のクリントンの爆撃の後、アルカイダの成長とビンラディンが有名になったことに貢献した第2点目は、アフガニスタン爆撃でした。その攻撃は信用できる何の口実もないものであったことを、後になってわずかに認めただけでした。
この爆撃で、「善と悪との無限の戦い」への熱狂と新兵徴集が急激に増加しました。この言葉はビンラディンとブッシュ大統領のスピーチライター達が共に共有する言い回しです。(ビンラディンは自分の演説を自分で書いたと私は思っています。)
実を言うと、今まで述べたことは、アルカイダについての最も慎重で詳細な研究、イギリスのジャーナリスト:ジェイソン・バークによる非常に重要な本に書いてあることなのです。
多くの実例を再検討して、彼は「敵が軍事力を使用すれば、それはすべてビンラディンにとってはもう一つの小さな勝利なのだ」と結論を下しています。この一般的結論は多くのひとに広く共有されています。
とりわけイスラエルの軍事情報局と全治安軍(シャバク)の前長官達は我が意を得たりと言うでしょう。彼らの文脈では、パレスチナの自爆テロは、まさにイスラエルにとって、その一つ一つが小さな勝利なのです。
ほとんど毎日新しい実例が起こります。モクタダ・アル・サドルを有名にしたのもその実例です。
もっと有益な実例はファルージャでの最近の恐怖です。海兵隊のファルージャ侵略で何百人ものひとが殺されましたが、それは4人のアメリカ人治安請負人が殺されたことへの反撃でした。
この民間治安請負人にたいする残虐な殺人は、「アフマド・ヤシン殉教者旅団」だと自称する新しい組織が犯行声明を出しました。それは、四肢麻痺の聖職者シャイフ・ヤシン氏がガザで殺害されたことへの復讐でした。ヤシン氏は、1週間前、彼がガザのモスクを出た時に、周りにいた6−7人の人と一緒に、殺されたのです。
それはイスラエルによる暗殺だと報道されましたが、不正確なものです。というのは、シャイフ・ヤシン氏は米国のヘリコプターで殺されたからです。イスラエル人パイロットが操縦していましたが。
イスラエルはヘリコプターを製造していません。米国が使用目的を了解して送ったものです。その使用目的は防衛のためではありません。それは、これまでに規則正しく使用された目的を見れば明らかです。
その使用状況は、幾つかきちんと文書で記録されていますが、公になることは組織的に回避されています。しかし、その実状は全く驚くべきものです。過去6ヶ月間に、「的を絞った暗殺」によって約50人の容疑者と80−90人の通行人が殺されているのです。
国家機関のおかげで、このうちの誰一人として国家犯罪の年譜には入っていません。米国は定義によってそのような疑惑からは免除されており、米国の従属国・同盟国も犯罪免除の特権を得ています。共謀しておこなった作戦・暗殺の場合は特にそうです。
これらは世界秩序の重要な原理です。マフィアの世界における原理と同じなのです。むしろ、国際秩序がそれとほんの少し似ているだけ、と言ったほうが良いかも知れません。
この場合の暴力の連鎖を追跡調査すると、それが米国=イスラエルのシャイフ・ヤシン暗殺からイラクでの大火へ直接繋がっているということが分かります。それは直ちに世界中に知れ渡ったことですが、メディアでは事実上、沈黙されています。メディアの報道範囲は、米国では注意深く研究されていますが、少なくとも米国では、上記の事実は全く報道されていません。
国家テロの弁解者達は、暴力の連鎖がヤシン暗殺から始まったのではないと抗議するでしょう。ヤシン暗殺で米国製のヘリコプターが使われたことは真実だが、暴力連鎖とは無関係だと。
そしてそれ以上の連鎖を追跡調査すると、もっと醜い結論が出てくるだけなのです。[だから報道しないで無視するのです。]
またテロの脅威を減少させる方法についても専門家の広範囲な合意があります。それは2方面に分かれています。
テロリストは自分を前衛だと見なし、他の人たちを動員しようとして大義に役立つ激しい反応を歓迎しているのです。しかし犯罪的行動への適切な対応は[軍事的行動をとることではなく]警察の仕事です。それは、ヨーロッパや東南アジアや他の地域では、うまく成功を収めてきました。
もっと重要なことは、テロリストが動員しようとする広範囲な構成要素、すなわち彼らを憎み畏れるながらも、なお彼らを正義・大義のために戦うものと見なしている人々です。ですから、それに対する適切な対応は、彼らの不平・苦情に注意を払うということです。なぜなら、彼らの不平・苦情はしばしば正当なものであり、テロと関わりがあったとしても、きちんと対処されるべきなのです。
多くの実例があります。最近の例を取り上げれば、イギリスと北アイルランドです。IRAのテロに対するロンドンが暴力で応答している限り、テロとそのテロへの支持は増加しました。理由のある不満に対して注目が払われ始めたとき、最終的に、それは低下しました。ベルファストはユートピアではありませんが、10年前よりは遙かにましな場所になっています。
ついでながら、IRAのテロは米国で資金調達されていました。実際に私が住んでいるまさにその場所[ボストン]です。FBIの対テロ専門家はこのことに気づいていましたが、何も干渉しませんでした。そしてそうすることが可能ではなかっただろうと信じています。ところが、今そのような施策がサウジアラビアに要求されているのです。そして一見すると、ある程度の成功を収めているように見えます。
例によって、「可能性」は誰の雄牛を攻撃するかにかかっているのです。
したがって暴力は成功することもあるのです。そうした例が多くあります。米国の先住民族の運命は劇的な例です。しかし、これも無視され否定されています。その無視・否定の仕方は、しばしば驚くべきものです。これが自分自身の犯罪についての典型的な反応なのです。
暴力は成功しうるのですが、恐ろしい犠牲を伴います。なぜなら、その応答としてより大きな暴力をかき立てるからです。実際しばしばそうなっています。しかし、更なるテロを誘発することが、現在の暴力の最も不吉な例というわけではないのです。[それは次のロシアの例でも明らかです。]
2ヶ月前、ロシアはこの20年間で最大の軍事演習を行いました。米国をターゲットにした、新しいより洗練された大量破壊兵器を誇示しました。
ロシアの政治的軍事的指導者は、これがブッシュ政権の行動と計画に対する直接的反応だっということを明らかにしました。まったく予測されていた通りです。
彼らが強調したひとつの主要な例は、米国の小型核兵器、いわゆる「バンカーバスター」の開発でした。ロシアの戦略アナリストは、アメリカの戦略アナリストと同様に、次のことを知っていたのです。
この「バンカーバスター」武器は、山岳地帯に隠されているコマンド・バンカー(秘密の司令用地下塹壕=それはロシアの核兵器庫をコントロールしている)を標的にして破壊できるということを。[だからロシアは対抗策を講じざるを得なかったのです。]
ちなみに、攻撃用の軍事目的のために大気圏外を使うというワシントンの主張は、もう一つ別の主要な関心事なのです。
米国のアナリストは、ロシアが米国の開発した「極超音速巡航爆撃機」HCV を模造していると疑っています。それは地球の周りを回りながら、突然大気圏内に再突入可能で、何の警告もなくどこでも破壊的な攻撃を開始することができるものです。米国のアナリストはまた、ロシアの軍事支出がブッシュ=プーチン時代に3倍になると見積もっています。
またロシアは「予防的先制攻撃」というブッシュ・ドクトリンも採用してきました。それは、自分の意思で勝手に侵略するという意味です。その「革命的な」新ドクトリンは、キッシンジャーに感銘を与えたものです。
それらは同じように自動的対応システムに依存しています。それは過去においては核攻撃開始寸前にまで至ったものですが、かろうじて人間の介入で中断されたものです。今、そのシステムはロシア経済の崩壊によって悪化していますが、その経済崩壊はここ数年の狂信的市場原理主義の下で起きたものです。
米国のシステムはミサイル攻撃のコンピュータ警告後、3分間の人間の判断を許しています。ところが、コンピュータによるミサイル攻撃の警告は日常茶飯事だと報告されているのです。そして、3分間の判断後、30秒の大統領の戦況説明が来ることになっています。
ペンタゴンのアナリストはコンピュータの防犯設備に重大な設計ミスを発見しました。それはテロリスト・ハッカーがコンピュータに侵入し、発射指示を装うことができるというのです。それは「事故が起きるのを待っている」ようなものだと、ある指導的な米国の戦略アナリストは警告しています。ブルース・ブレア防衛情報センター長です。
ロシアのシステムは[この優れているとされている米国の自動的対応システムよりも]遙かに信頼できないものです。
暴力の脅威と使用によって危険が意識的にエスカレートさせられています。そして今、私たちは本当に生存の危機に曝されているのです。
ブッシュ政権は2004年夏にアラスカにミサイル防衛システムの第1次分を配備すると発表しました。大統領選挙に間に合うようにです。
これらの計画は強く批判されています。明らかに党の政治的目的のために時間設定され、巨額の費用で、テストされていない技術を使い、おそらくは稼働しないだろうと思われているからです。
そのほとんどは正しいでしょうが、もっと重大な批判があるのです。すなわちそのシステムは稼働する可能性がありますし、少なくとも稼働するかに見えることです。
核戦争の論理では、価値があるのは認識であって、現実ではありませんし、計画者はより悪い場合の分析をしておかねばなりません。というのは、「ミサイル防衛」は攻撃用兵器だということがあらゆる面で理解されているからです。
攻撃用兵器は侵略に対して自由を供給します。その中には最初に核攻撃をする自由も含まれます。それはほとんど米国のアナリストと潜在的なターゲット[米国の攻撃対象と目されている国]によって合意されています。
相手もまた同じ用語を使うでしょう。ミサイル防衛システムは単なる「盾」ではなく、「剣」だと。
最近解禁された文書で明らかになっているのは、1968年にモスクワ周辺に配備された小さなABMシステムに、どのようにして米国が反応したかということです。
米国は即座にそのシステムと核兵器を装備したレーダー設備をターゲットにしました。現在の米国の軍備計画はロシアを同様の反応に駆り立てることが予測されます。今やそれは更に大規模なものになるでしょう。 中国も同様の反応をすると予測されています。おそらくはより激しいものとなるでしょう。ミサイル防衛システムが現在の非常に制限された抑止力の信頼性を害するだろうからです。それらは連鎖反応を起こすでしょう。
インドは中国の防衛戦略兵器の拡張に反応するでしょうし、パキスタンはインドの拡張に反応するでしょうし、おそらくそれを越えるものになるかも知れません。これらの見込みは真剣に議論され、深刻な不安を呼び起こしています。
ところが米国においては、西アジア[いわゆる中東]からの脅威は少なくとも何も議論されていません。しかし実際は、米戦略司令部(STRATCOM)前長官ジェン・リ・バトラーによれば、イスラエルの核能力は、他の大量破壊兵器で補完され、「極端に危険」だと見なされています。
これは、ただ彼らが引き起こす脅威のためだけではなく、イスラエルの核兵器に対抗するために核拡散を彼らが刺激しているためでもあるのです。ブッシュ政権は今その脅威を拡散させているのです。
イスラエル空軍と機甲部隊が、NATO軍のどこよりも(もちろん米国を除きますが)大きく、技術的にもより進んでいると、イスラエルの軍事アナリストが主張しています。それはこの小さな国がそれ自体として強いからではなく、米軍の外国駐留基地&ハイテクセンターとして事実上この国が役立っているからだというのです。
米国は現在最も先進的なジェット爆撃機を100機以上もイスラエルに送っています。そのF16I機のはっきりとした宣伝文句は、イランにまで飛んでいって戻ってくる能力があり、イスラエルがかつてイラクの原子炉を1981年に爆撃したF16の改良機種だというものです。
爆撃された原子炉が核兵器を作る能力がなかったことは、直ちに知れ渡りました。後になって、西側に逃れたイラク人科学者から出た証拠で明らかになったのは、イスラエルの爆撃がサダムの核兵器計画を遅らせたのではなく、開始させたということでした。お馴染みの緊密な暴力連鎖です。
イスラエルのメディアは現在も同じ様に米国はイスラエル空軍に「‘特別’兵器」を送ってくれていると報道しています(ヘブライ語だけでです)。イラン情報部の耳には、これらの報道が直接に届いているでしょう。そして最悪の事例分析を行う可能性があります。つまり、この「‘特別’兵器」がイスラエル爆撃機の核弾頭かもしれないと仮定することです。
おそらく、これらの非常に目に見える動きは、イランの行動を刺激する意図があります。そしてイラン攻撃の口実にしようとしているのです。おそらくは指導者を恐慌に陥れ、内紛や大混乱を起こさせようと狙っているのです。目的が何であれ、起こりうる結果は魅力的ではありません。
イラク侵略の口実の崩壊は知れ渡っています。しかしブッシュ=ブレアの口実が崩壊した最も重要な結果にたいして、十分な注意が払われていません。なぜなら、イラク戦争の結果、侵略のための障害が減少したからです。つまり他国を侵略するための口実として対テロ関係を確立する必要性はいつのまにか消え去ったのです。
それどころか、ブッシュ政権−パウエル、ライスや他の人たち−は、たとえその国が大量破壊兵器を持たなくても、その開発計画がなくても、それを行う「意図と能力」があれば、今や、その国を攻撃する権利があると宣言しています。
ほとんどすべての国が大量破壊兵器を開発する「能力」を有し、見る人によっては意図も有しています。したがって事実上、誰でも口実なしに破壊的な攻撃を受けることになると宣言されていることになります。
侵略を支持する証拠が(表面上の、ですが)わずかに残っています。それはサダム・フセインを退けたことでした。確かにそれは、米英によるサダム支援に精力的に反対していた人々によって歓迎されました
彼らは、サダムが最悪の犯罪を犯しているとき、米英によるサダム支援に精力的に反対していました。それには、1991年のシーア派による反乱がサダム政権を転覆させたかもしれないのに、その反乱の鎮圧を米英が支援したことも含めています。
その鎮圧支援の理由については、当時の記者会見で率直に説明されていましたが、いまでは社会の目から隠されているのです。
サダム政権の終わりは、2つの歓迎された「体制の変更」のうちのひとつでした。もう一つは経済制裁の正式な終了でした。
この経済制裁は、数十万人を殺し、イラクの市民社会を荒廃させ、暴君を強化し、人々が生存のために彼に頼らざるを得ないようにし向けたものです。
それは国連の「石油と食料」計画を管理する国際的外交官、尊敬すべきデニス・ハリディとハンス・ボン・スポネックが辞職した理由なのです。、ハリディはこの制裁措置を「大量虐殺的」体制だと呼んでいました。彼らはイラクを一番よく知っていた西洋人であり、国中の定期的な情報に接することができたのでした。 この経済制裁は、国連によって管理されていたにもかかわらず、残酷で野蛮な措置が、米英国の手下によって指示されたのでした。この体制の終了だけが侵略の正の側面なのです。しかしそれは侵略なしでも可能だったことです。
ハリディとボン・スポネックは主張しました、もし経済制裁が武器計画を制御する方向に向きを変えていたら、そのときは、イラクの人々はサダム・フセインを、他の殺人ギャング達同様の運命に、首尾良く送り出すことができただろうと。
チャウシェスク、スハルト、マルコス、デュバリエ、チュン、モブツ・・・何と印象的なリストでしょう。これらの独裁者たちは全て、現在のワシントンの現職者とイギリスの同盟者によって支援されていたのです[が、民衆の手で放逐されました]。そのうちの何人かはサダムと匹敵していますし、そのリストには新しい名前が同じ西側指導者によって毎日のように付け加えられているのです。
もしそうであるなら、この二つの残酷な体制は、侵略なしで終了され得たのです。イラク戦争後の調査は、一層このことを確信させてくれます。というのは、たとえばデビッド・ケイ率いるワシントンのイラク調査グループによれば、サダムの国家支配は 最後の数年間は非常に不安定だったことが明らかになっているからです。
上記についての判断は各自の主観によると思われるかもしれませんが、それとは無関係です。人々が残酷な暴君を退陣させる機会を与えらる限り、彼らは実際に米英に支援された「一連のならず者」を放逐しているからです。ですから外国軍隊に頼る正当な理由は何もないのです。
これらのことを考えてみるだけで、新ドクトリンを支持するほんのわずかの真実をも消去してしまうに充分です。この新ドクトリンは、戦争の公式の口実が崩壊してしまった後に、考案されたものなのですが。
同様に、新ドクトリンを支持できない別の理由があります。それらの幾つかは[ここでは詳しく紹介できませんが]、2004年のヒューマンライツウォッチの報告書の冒頭部で事務局長ケネス・ロスによって論じられています。
それはともかく、何の口実もなく侵略する「改良された」ドクトリンに戻りますと、その計画を実行する能力は新しい軍事計画によって拡張されつつあります。
国家安全保障戦略(NSS)が発表された直後に、ある巨大計画が宣言されました。その意図は、軍事目的のための「宇宙の支配」(これはクリントンの計画ですが)から、「宇宙の所有」へと更に前進することでした。それは、「世界のどこにでも即時に関与する」ことを意味します。
このNSSの実行は、宇宙空間に地球規模の精巧な監視体制と致命的兵器を設置することによって、世界のいかなる場所も即時に破壊する危機をもたらすものです。
世界の情報機関は[インターネットを通じて] Air Force Space Command Strategic Master Plan「空軍による宇宙支配のための戦略的基本計画」を読むことができます。
私の説明はそれからの引用です。このように簡単に米国の戦略は読むことが出来ます。だからは世界の情報機関は、これを読み、適切な結論を導き出すのです。そして我々全てに危険を増大させるのです。
最近の歴史を含めて、我々は歴史を思い起こすべきです。歴史は、大国の狭い利益を追って非常に重大な脅威を意識的に拡張した多くの指導者の例を提供してくれていますから。
しかしながら現在、この危険は以前よりも遙かに高くなっているのです。
侵略の口実の崩壊は、もう一つの新しいドクトリンにつながりました。すなわち、イラク戦争は、大統領の「救世主的ビジョン」によって鼓舞されたものだというのです。
イラク、中東、全世界に民主主義をもたらすという、このビジョンは、昨年11月の大統領演説の中で主張され、エリートの自由主義的メディアでは「救世主的ビジョン」と呼ばれているのです。
このビジョンに対する反応は敬虔な畏敬から批判に至るまで様々です。批判といっても、それは救世主的ビジョンの「気高さ」と「寛大さ」を賞賛しながら、同時に、それが我々米国の財力を越えてしまうだろうと警告するものでした。
つまり、その使命は米国にとって余りにも高くつき、他方、イラク・中東諸国の受益者は余りにも後進的で、我々米国の気高さと愛他主義を理解・共有できないだろういうのです。しかも、これが侵略の動機だったというのが、ニュース報道やニュース解説では当然の前提になっているのです。
このビジョンに対する崇拝的な姿勢はイギリスにもおよび、そこではたとえば、『エコノミスト』誌が、イラクを「近隣諸国への、民主主義の立派な見本」に変えるという「アメリカの使命」は問題に直面していると記事にしています。
侵略が救世主的ビジョンによって鼓舞されたという証拠を探すことは有益な演習です。そうすれば、我々の指導者がそのドクトリンを宣言したという事実以外に何も証拠がないことを発見するでしょう。
したがって、我々がたとえ、そのような高貴な意図の宣言が何の情報も持っていないということを完全に知っているとしても、そこには誠実さについてのどんな疑問も存在しないのです。なぜなら、そのような宣言は完全に予想されていたことですから。フセインのような最悪の怪物でも、似たようなビジョンを宣言していました。
そしてこの場合、その「ビジョン」を疑いなく受け入れることは一層の困難さに直面するのです。すなわち、その夢想家が自身を最大の印象的な嘘つきだと自分で表明しているという事実を、押さえる必要が出てくるからです。
なぜなら、彼が国家を戦争へと動員していったとき、「唯ひとつの問題」はイラクが武装解除するかどうかでしたから。主流の新聞記事や論評が、この「唯ひとつの問題」を盲目的に容認していったという事実に、たとえ例外があったとしても、私はまだそれを発見していません。
より正確に言うならば、ひとつだけ例外を発見しました。というのは、大統領が自分の救世主的ビジョンを明らかにし非常な畏敬の歓呼をおこした数日後、『ワシントンポスト』はバグダッドで米国が行った世論調査の結果を公表しているからです。その中で人々は、米国がイラクを侵略した理由は何だと思うか、と質問されています。
そして中には侵略者(主流の批評家を含めてです)の中でほぼ満場一致で表明されている意見(すなわち、目標は民主主義をもたらすことだというもの)に賛同するひともいました。1%ですが。また5%は目標がイラク人を助けるためだと考えていました。
しかし、残りのほとんどの人の意見は、私が既に言及したとおりのものでした。つまり大量破壊兵器があるからというものです。 しかし、この動機は、イラク知識人の間では「陰謀説」として受け入れられていませんし、イラク庶民の間では「4文字ことば」で退けられています。
バグダッドの世論調査の結果は、実際は、もっと複雑なものでした。約半数は、米国が民主主義を望んでいると考えていましたが、ただし、侵略の結果に責任が持てれば、と言うのです。
要するに、民主主義は良いものですが、「ただし我々が良いと考え、良いと思えられれば」の話だというのです。言い換えれば「もし米国が我々の言うとおりのことを行うならば」という条件付きなのです。
またイラク人は、我々以上に、我々米国人を知っています。もっとも米国人が米国がどんな国なのかをしたいと決意すれば、の話ですが。
「決意する」ことが必要なのです。なぜなら、米国を知るための証拠は充分です。実に圧倒的なのです。[ですから知ることに決めさえすれば、米国がどんな国かは簡単に知ることができるのです。]
ちょうどここ数ヵ月間に、新聞の第一面で、ハイチとエルサルバドルでは高貴な「民主主義高揚の」努力に関する記事が載りました。これを読めば、米国の言う「民主主義高揚」が何を意味するかを示す充分な証拠が得られるはずです。
再び、この「民主主義高揚」に関してバグダッド市民の判断が非常に正確だということを「見ないようにする」ためには、米国人に相当の「訓練」が必要になります。しかし残念ながら、ここでその詳細をお話しする時間はありません。
しかしながら、イラク人は、米英の政策を動かしている「救世主的ビジョン」(そのように、私たちは教えられているのです)についての結論を導き出すために、アメリカの歴史を知る必要はありません。彼ら自身の歴史で充分です。
彼らはイラクがイギリスによって作られ、境界線もイギリスが(トルコではありません)イラク北部の石油支配を手に入れるために確定されたものであること、そしてイラクがクウェート王国によって海への道を遮られていること、このクウェートをイギリスが支配しているので、イラクも輸出のためにはクウェートすなわちイギリスに従属せざるを得ないことをよく知っています。
イラクは「独立」「憲法」等を与えられましたが、極秘資料の公表を待つまでもなく、様々な「憲法上の虚構」の背後で、その地域を効果的に支配できるように、イギリスが「アラブの前衛」という役割をイラクや他の地域に押しつけるつもりであるということを、イラク人は知っていました。
あるいはまた、1958年の米英機密資料の解除を待つまでもなく、イラクが英米の共同管理から抜け出した後に、イギリスが高官レベルの共同謀議で、クウェートに名目上の独立を与え、国家独立の潮流を止めさせることに同意したということも、イラク人は知っています。
その間、米国は、湾岸地域の他の場所で、同じように、本当に大きな分け前を得る権利を確保していました。これらの資料は第1次湾岸戦争前に公に手に入れることが可能で、いま展開しつつある事態に明瞭に関連していましたが、メディアには系統的には回避されてきました。
さらにイラク人は彼らの眼前で何が起こっているのかを見ることができるのです。
たとえば外交上の前線では、米国は世界で最大の大使館を建設中です。目標を強調するために、大使ジョン・ネグロポンテを任命しました。おもしろい選択です。
『ウォールストリートジャーナル』は彼を「現代の総督」と評しました。彼は1980年代にホンジュラスで巧妙な手法を学びました。現在のブッシュ閣僚の面々がレーガン時代にも閣僚を務めていたときです。
そのとき彼はラテンアメリカで世界第2の大使館と世界最大のCIA支局を統括し、「植民地総督」として知られていました。疑いなく、ホンジュラスは当時、世界支配の要(かなめ)でした。
植民地総督としてネグロポンテの仕事は、ホンジュラスにおける国家テロについて、米国議会に嘘をついて議会で禁止されている軍事援助の流れを止めないようにすることでした。更に重大な任務は、ニカラグアを攻撃し荒廃させている米国の傭兵基地を監督することでした。
これは結果として、米国を国際司法裁判所で有罪判決を受ける世界で唯一の国にさせることになりました。その判決は米国を国際テロ(国際法上は「武力の不法使用」)という理由で有罪とするもので、安全保障理事会によっても、二度も支持されたものです。しかし、米国は拒否権を行使した(イギリスは棄権しました)だけでなく、その国際テロ攻撃を更にエスカレートさせたのです。
そこでネグロポンテは、世界最大の新イラク大使館を運営する充分な資格ありという訳なのです。おそらく再び、最大のCIA支局も運営することになるでしょう。こうしてイラクに主権を「完全委譲」した暁には、植民地総督ネグロポンテがペンタゴンのポール・ブレマーに取って代わるわけです。彼のことを国連特使ラクダル・ブラヒミは愛情を込めてイラクの「独裁者」と言っています。
イラク人は、「米国が陰でイラクの将来を支配する」という記事を発見するために、『ウォールストリートジャーナル』を読む必要はありません。イラクの閣僚に米国人「アドバイザー」と「自分で任命した代理人」を配置するという記事です。
その間、植民地総督ブレマーは、「何人かの閣僚に一旦は与えられた全ての権力を実質的に奪ってしまう」勅令とともに、「暫定政府が作るほとんど全ての重要な決定に影響を与える」「強力なテコを米国に与える制度」を静かに建設中なのです。
したがって、ブッシュ=ブレアのいわゆる「完全主権」は意味無しとなり、新しいイラク政府は「軍隊をほとんど支配せず」「法律を作成・変更する能力も欠いており」「特定の省庁では、米国の承認なしには主要な意志決定を行うことができない」のです。そして決定的に重要なことは、すべてのイラク軍の「指揮権」を米国指揮下に委譲することです。
大事を取るために、米国任命の統治機構に取って代わる暫定政府(これもほとんど米国が任命したものですが)に対して、ワシントンはイラク軍幹部の職をクルド人指揮官の手に握らせました。というのはクルド人には米国の軍事的存在を支援すべき理由があるからなのです。
イラク人が米国の意図を誤解したり、「ものごとを自分たちの手で取り仕切る」という間違った考えをいだかないようにするために、安全を期して、ネグロポンテの大使館は、「多くのイラク人にとってイラク主権のシンボルと見える」サダムの宮殿内に留まるでしょう。こうして投資家は全てが軌道に乗ったものと考え、安心できるという訳です。
公平であるために言っておきますと、我々が認識すべきなのは、「イラク人の意見」を世界に知らせるべき暫定政府が国内の支持を欠いているということです。最近の世論調査で明らかになったのは、首相アヤド・アラウィがほとんど5%の支持しかないということです。それは7%の支持率を持っている大統領よりも更に下ということです。[つまり支持されていないのは米国だけでなくイラク暫定政府も同じなのです。]
『デイリーテレグラフ』紙の外交部門編集長によるある新しい記事で、「移譲はそれでも計画通り」という見出しがあります。しかし最後の段落では次のように報告しています。「英国高官は『イラク政府は完全に主権国家となるだろうが、事実上そのすべての主権機能を働かすことはないだろう』と微妙な言い回しで語った。」カルゾン卿なら賢明に頷くでしょう。
ペンタゴンについて話しますと、ポール・ウォルフォウィッツは、長期に渡る米軍駐留と弱小イラク軍というものが続くだろうと発表しました。「民主主義を発展させる」ために、とのことです。米国の自由主義的メディアは、民主主義をもたらすための救世主的使命を指揮する理想家として、ウォルフォウィッツを口を極めて賞賛しています。
上級論説員デビッド・イグナチウス(『インターナショナルヘラルドトリビューン』紙の前編集長)によりますと、ウォルフォウィッツは政権の中で「最高の理想主義者」なのです。しかし実は、彼もまた民主主義に対する憎悪の驚くべき異常記録を持っています。それは、ここで再検討する時間はありませんが、発見するのは簡単です。ただしメディアでは隠されています。
最高位の理想主義者が、「民主主義を発展させる」ためにペンタゴンはイラクを管理下に置き続けなければならないと宣言しているのですから、イラク人は圧倒的にイラク人自身が自分たちの安全に責任を持つことを望んでいることなど、問題ではないのです。しかし、ファルージャでは、米軍はそのような事態を受け入れざるを得ませんでした。
西側の運営する世論調査も述べているように、圧倒的多数のイラク人は自分たち自身による治安確保を望んでいます。事実そのとおりです。7%しか米軍による管理を望んでいませんし、米国が任命した統治機構(解散しましたが)を望むものも5%です。しかしながらペンタゴン好みのアフマド・チャラビには、もう目に見える支持はありません。
ご覧の通り、このいずれも救世主的理想には関連していないのです。
外交上・軍事上の施策を通して支配を維持するという米国の努力を見ていると、イラク人は同じように、独裁者ブレマーによってイラクに課されたもう一つの様相を見ることができるのです。
特に、イラクの産業と銀行を米国に開放し、それを効果的に米国企業が収奪する(おそらく英国にも少しの分け前が行くでしょうが)法令が問題ですが、それだけでなく、5%の均一税が大きな問題です。これはイラクを世界一「最低率」課税国家に置くことになり、急務である社会的手当やインフラの再建への希望を打ち砕くものだからです。
その計画は即座にイラク人ビジネス代表者達によって非難されました。というのは、そのような課税は、イラク経済を取り仕切る外国企業の代理店になろうと決める人たちは別にして、他の全てのイラク人起業家を打ちのめすことになるからです。
経済的主権がない開発は制限されたものとなり、その結果、政治的独立はほとんど影以上のものとはなり得ないのです。これは経済史で良く確立された結論なのです。
労働者の[自分たちの権利を守るための]戦闘性という長い伝統にもかかわらず、イラク人労働者に関してはわずかの問題しかありません。
というのは、占領軍は即座に組合つぶしの行動を取り、職場に割り込み、指導者を逮捕し、ストライキを阻止し、サダムの残酷な反労働法を実施し、労働者の権利をひどく反組合的な米国企業に手渡しているのです。
遅かれ早かれ、多分米国の官僚的組合と「米国民主主義基金」NEDが「民主的組合を建設するために」入り込んでくるでしょう。そして、あらゆるところで充分お馴染みになっている陰鬱な記録を再現するのです。
課されている経済的施策は例によってお馴染みのものです。それらの施策は帝国の軍事力に支えられて今日の「第三世界」を作り上げるのに大きな役割を果たしました。
一方イギリスとその子孫達、そしてその他の西欧諸国は、経済において急速に異なった方向を取り、強力な国家と決定的な国家干渉に頼ったのです。西欧諸国は依然として同じことを行っており、もっとも劇的なのは米国です。
同じこと[強力な国家と決定的な国家干渉]が日本でも当てはまります。日本は植民地主義に抵抗し、発展した南(後進国)の一部です。
イラク人が、様々な「憲法上の虚構」の下で提供された名目的主権を伴った「救世主的ビジョン」に威圧され屈服してしまうかどうかは、まだ未決の問題です。それはいます。
しかしながら、特権的なヨーロッパ人とアメリカ人にとっては、もっと関係のある問題があります。すなわち、「最高の理想主義者」ウォルフォビッツのやり方で「民主主義を育てる」のを、彼らの政府が許すのか、ということなのです。彼らの権力と影響力が及ぶ全ての伝統的地域で、彼らは同じことをしているのですが。
一部では、彼らは答えを出しています。というのは、イラク人は、世界の世論という「第二の超大国」からの支援を受けつつ、伝統的な「立憲的虚構」の受け入れを確固として拒絶し、ワシントンを一歩一歩屈服させているからです。
『ニューヨークタイムズ』は、2003年2月中旬の巨大なデモ行進後の世界世論を「第二の超大国」と形容しましたが、そのような巨大な戦争反対の抗議が、戦争の開始前に起こったのは、ヨーロッパと米国の歴史上はじめてのことでした。それは変化を起こしています。
たとえば、ファルージャの問題が1960年代に起こったとしても、それはB52機と地上での大量殺人作戦で解決されていたでしょう。今日、より文明化された社会はそのようなやり方を黙認しないのです。そして、それは伝統的なやり方の犠牲者が本物の独立を手にするために活動できる余地を少なくとも用意しているのです。
それどころか、その元々の戦争計画をブッシュ政権が放棄せざるを得なくなる可能性すらあります。イラク人にはそれはよく分かっているのですが、占領軍によって支配されている社会では影の中に隠されているのです。
まさにこの点において、産業民主主義の本質とその未来について、決定的問題が起きるのです。それは非常に重要な問題です。文字通り、種の存続が危ぶまれています。しかしそれはまた別の時にいたしましょう。
http://terasima.gooside.com/talks040504oxford2university3doctrines4visions040806.html