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(回答先: 危うい武器輸出部分解禁 戦中派が苦言 経済同友会・品川終身幹事に聞く 「東京新聞」 投稿者 草の根 日時 2004 年 10 月 07 日 12:59:12)
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Japanmilitarism/war_corporation1.htm
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Japanmilitarism/war_corporation2.htm
下記コピペで、図が抜けてしまいました。上記URLから行ったほうがグラフが有って見よい。
[シリーズ日本の軍需産業(上)]
財界の司令塔=日本経団連が「意見書」を提出
財界の総意として軍需産業の復活=『武器輸出三原則』の放棄を迫る
−−いよいよ動き出した日本の軍需産業−−
(1)新しい軍国主義台頭の焦点に浮上−−軍事戦略の転換に軍需産業の復活=武器輸出三原則の撤廃を盛り込むよう要求。
日本経団連が、7月20日付で「今後の防衛力整備のあり方について−−防衛生産・技術基盤の強化に向けて−−」という政府への意見書を公表しました。
いよいよ日本の“死の商人”、日本の軍需産業が復活へ向けて動き出したという感じです。ブッシュ政権は石油メジャーとともに巨大軍産複合体が内外政策を牛耳る政権です。日本がすぐに同じ様な事態になるとは思えませんが、これまでのように政府与党の議員=防衛族や防衛庁・自衛隊の制服組や背広組だけではなく、財界の中枢が、憲法改悪と併せて軍需産業の復活を露骨に要求し始めたことは初めてのことです。日本の将来にとっても非常に危険なことです。警鐘を乱打しなければなりません。
※全文はhttp://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2004/063.html 参照。
経団連が公表した「意見書」
この意見書は、今年末に予定されている新「防衛計画大綱」策定、つまり日本の政府支配層が狙っている軍事戦略の転換へ向けた動きの一環です。「防衛計画大綱」の見直し・改定のために、今年4月に、首相の諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」が設置されました。この意見書は、その「防衛懇」での議論に財界の主張を反映させるためのものです。
意見書は、「はじめに」でこう述べています。
「世界の安全保障環境が大きく変化するなか、政府は、昨年末、ミサイル防衛の導入決定とともに、本年中に、現在の防衛計画の大綱(以下、「防衛大綱」)、中期防衛力整備計画(2001〜2005年度;以下「中期防」)を見直すことを閣議決定した。本年4月には、総理大臣の諮問機関として、『安全保障と防衛力に関する懇談会』が設置され、検討が進められている。」「今回の防衛大綱、中期防の見直しでは、新たな脅威・危機から、国民の安心・安全を守り、また適切な国際貢献を果たすため、防衛力の質的な変化が求められている。それは同時に対応する防衛装備、その開発・生産を担う防衛産業に対しても抜本的な変化を求めることに繋がる。」「そこで、本提言では、『安全保障と防衛力に関する懇談会』における議論など、わが国安全保障政策の検討に際して、防衛産業の視点から基本的な考え方を示すこととしたい。」と。
次いで、「1.わが国の安全保障を取り巻く環境の変化」を概観し、「2.今後の安全保障基盤の強化に向けた基本的考え方」を提示した後、「3.新時代に対応した安全保障基盤の確立に向けた具体的課題」として、「武器輸出三原則」をはじめとする日本国憲法第9条の平和主義と不可分に結びついた従来の国是を抜本的に見直すことを要求しています。
そして、この日本経団連の意見書が発表された一週間後、7月27日の「防衛懇」第7回会合では、「武器輸出三原則の見直しを含めた報告を9月中にもとりまとめる方針を決めた」と報じられました。政府はそれを、「防衛計画大綱」改定の指針とするとされているのです。
※日本経済新聞「武器輸出3原則/防衛懇、見直しで一致/9月にも報告/政府、大綱改定の指針に」(2004.7.28)。朝日新聞「新防衛計画大綱、懇談会が『たたき台』/海外派遣の推進盛る/武器輸出3原則見直し」(2004.7.28)。
※なお、新「防衛計画大綱」については、2004年版「防衛白書」が、その内容を先取りしたものになっています。「2004年版『防衛白書』を批判する−−『専守防衛』の軍隊から米軍指揮下で世界中に海外派兵・軍事介入する軍隊へ」(署名事務局) を参照して下さい。
(2)「安全保障基盤」=軍国主義の物的基礎を再構築−−個々の軍需産業の要求ではなく財界全体、支配層全体の要求。
意見書には、「今後の防衛力整備のあり方について・概要」という“まとめ”が添付されており、その狙いを以下のように述べています。
今後の安全保障基盤の強化に向けた基本的考え方
1.多面的・総合的な国家の安全保障基本方針と、これを担う産業政策の確立
2.防衛・民生の垣根を越え、広く「安心・安全」に関する技術開発を推進し、競争力強化、技術優位性を確保
3.防衛産業も自らの体質強化を図り、国際競争力を高め、防衛力の基礎を強化
つまり、新しい軍国主義、新しい軍事戦略を進めるに当たっての「安全保障基盤」=物的基礎として、自国の軍需産業の復活を位置付けているのです。これは単に個々の軍需産業の要求や狙いではなく、財界全体、支配層全体の狙いでもあるのです。
※「今後の防衛力整備のあり方について・概要」
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2004/063gaiyo.pdf
(3)財界と軍需産業が異常な危機感を表明。軍事技術の民生技術への転換、民生技術の軍事技術への転換。−−軍需産業の復活をテコに日本経済の活性化を提言。
「意見書 − 参考資料」p.6より
「意見書 − 参考資料」p.7より
意見書は、まず「安全保障環境の質的な変化」として、「冷戦の終焉に伴い、世界の安全保障環境は、東西国家間の対立から、地域紛争、テロの発生、ミサイル・大量破壊兵器の拡散等、多様な形へと変化している。」という情勢認識を提示しています。そして、そのような「安全保障環境の変化に伴い、自衛隊の任務も専守防衛に基づく活動に加え、国際協力業務、災害派遣、感染症対策など、多様化している。」「経済大国として国力に応じた国際貢献が求められている。」と述べています。
ここでの要点は、「冷戦の終焉」に伴い、ソ連・社会主義諸国を仮想敵とした時代が終わった、別の「仮想敵」、つまり「地域紛争、テロの発生、ミサイル・大量破壊兵器の拡散等、多様な形」の「脅威」が現れた、これら全部の「脅威」に対処しなければならない、そのためには膨大な軍事力が必要であり海外派兵が必要だ、そう言っているのです。
しかしこの特異な情勢認識は、ブッシュ政権の情勢認識の口移しです。石油資源のある国や地域、米国の言いなりにならない「ならず者国家」にいつでも侵略=軍事介入できるよう考案された情勢認識なのです。途上国への軍事介入を中心とした「地域紛争」を過大にクローズアップして、何か得体の知れない「脅威」をでっち上げているだけなのです。
さらに、「防衛関連科学技術は飛躍的な進歩を遂げている」こと、「特に、宇宙の活用による通信・測位・情報収集等を含めた、防衛システムの高度ネットワーク化、システムインテグレーション化が急速に進んでいる」こと、「高度な民生技術を安全保障分野において活用する傾向が強まっている」ことを指摘し、日本が防衛分野で世界から取り残される危機感を表明しています。
そこでネックになっているのは主として2つです。1つは予算からくる制約です。しかし、「厳しい財政状況」のもとで「選択と集中」が求められると言いながらも、結局は、防衛予算の「適正な確保」、つまり軍事費の増額を主張しているのです。本来なら軍縮と軍事費の削減が必要なところ、露骨な軍拡要求と言っていいでしょう。
※「意見書」の「参考資料」には、「90年代後半以降、諸外国は防衛予算拡充の方向にある。我が国の防衛予算は横這いの状況」(6p)また「諸外国と比較して、わが国の防衛関連の研究予算は圧倒的に低い水準」(7p)として、軍事費拡充、特に軍事研究費の増額を要求している。
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2004/063shiryo.pdf
そしてもう1つのネックが、ここへきてメディアで取り上げられるようになった「武器輸出三原則」です。意見書はこう述べています。
「装備・技術の高度化、高コスト化、多国間の共同運用の増加等に伴い、90年代以降、欧米を中心に、開発・生産、運用の両面における多国間連携が進展している。」「わが国では、武器輸出三原則等により、防衛生産分野において他国と連携することが制約されている。すでに、わが国は先進国間の共同開発プロジェクトの流れから取り残されており、将来の防衛装備に係る技術開発面、コスト面、ひいては、わが国の安全保障全般に対する影響が懸念される。」と。
ここでは、「武器輸出三原則」が日本の軍事大国化(これを推し進めようとしている政治家たちの表現では「日本を普通の国家」にすること)にとって最大のネックの一つになっていることが、明瞭に語られています。90年代を通じて、軍事技術の高度ハイテク化と大規模化が進展しました。そのために、新たな軍事技術の開発を一国ですべて行うには負担が大きすぎるという状況が生じました。そのような事態の中で、軍需産業の大再編・統合が行われて、なおかつ新たな軍事技術については国際的な共同開発が主流をしめるようになりました。しかし、「武器輸出三原則」を堅持する日本には、お呼びもかからないという状況が生まれたのです。
「意見書 − 参考資料」p.9より
そこで意見書は、「安全保障基本方針と防衛産業政策の明確化」を求めています。そこで言わんとしていることは、軍需産業の維持・育成を“国策”として推進せよ、ということです。そしてそのことが、「わが国産業の競争力強化、経済の活性化にもつながる」と主張しています。いわく、「昨今、ITを中心として、高度化する民生技術が防衛技術として活用される事例が増えており、わが国が優位性を持つ民生技術を国民の安心・安全に積極的に利活用していくことが重要である。」「長年の蓄積により国際的に優位性を持つ防衛技術の維持・強化を図ると同時に、科学技術立国を目指すわが国としては、防衛・民生の垣根を越えて、広く「安心・安全」に関する技術開発の推進を図り、国際競争力の強化、技術優位性の確保を図ることが重要である。」と。−−これらは全て財界と軍需産業の危機感の表れに他なりません。巨大化した欧米の軍需産業から取り残される、脱落する、世界的潮流に乗り遅れるといった焦燥感です。
ここでははっきりと、「失われた10年」と言われたバブル崩壊後の日本経済の再活性化を、軍需産業の活性化を通じて行おうという意図が語られているのです。かつては公共事業をテコに経済の活性化を行ってきたとすれば、それが首尾よく機能しなくなった現在、軍需産業を公共事業にとって代わる経済活性化のテコにしようとしているのです。どこまで本気か、どこまで実現可能か分かりませんが、低迷と不振にあえぐ軍需産業の骨格を形成する重機械・重電機産業、通信産業、航空宇宙産業などの復活・再生をかけて、政府を動かし始めたことは確かです。
※「意見書」の「参考資料」の9pの中で、日本の軍需産業の撤退、統合・再編といった窮状を訴え、復活の必要性を強く求めている。http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2004/063shiryo.pdf
(4)MD推進と武器輸出三原則の撤廃。「宇宙の平和利用原則」まで骨抜きにするよう要求。
現在日本の軍需産業の再建・復活の中心環に浮上しているのは、昨年末の閣議で導入が決定されたMD(ミサイル防衛)です。経団連が武器輸出三原則の「見直し」を今回は何が何でも実現しようとしているのは、これを事実上撤廃しなければMD導入決定が絵空事になってしまうからです。現在日本が全面協力して配備されようとしているのは、イージス艦搭載ミサイル防衛システムと陸上発射ミサイル防衛システムですが、当面配備される予定のものは米国が開発・生産したものを購入するので、その限りでは武器輸出三原則には抵触しません。
しかし、次世代のMDの開発に日本は技術協力しています。これが生産・配備される段階で武器輸出三原則に抵触します。もしこのまま武器輸出三原則を維持すれば、生産・配備の段階に進めないわけです。政府支配層は、生産・配備できずに日米同盟が軋むことを最も恐れているのです。日米同盟維持・強化の最大の焦点として、この武器輸出三原則が浮上してきているのです。これは、日本国憲法第9条の平和主義と不可分に結びついた国是とされてきました。それだけに、経団連は1995年から三原則の見直しを主張してきたのですが、改憲と同様になかなかくつがえすことができずにきたのです。
意見書は、武器輸出三原則の「見直し」の必要性をこう説明しています。
「すでに述べたとおり、装備・技術の国際共同開発の傾向が強まるなか、わが国ではこのような機会への参加や海外企業との技術対話も制限され、最先端技術へのアクセスができない。すでに、日本の防衛産業は世界の装備・技術開発の動向から取り残され、世界の安全保障の動きからも孤立しつつあり、諸外国の国際共同開発の成果のみを導入するといった手法には懸念が生じている。」と。
ここでは、最も重要なMDについては何故か述べられていません。世界的にみてまだ疑問や異論の多いMD、しかし「武器輸出三原則」の撤廃を強行突破するしかない主たる理由であるMDを、説明の柱には据えていないのです。それは、昨年末のMD導入の閣議決定の後、今年1月に石破防衛庁長官が「三原則」の見直しを公言したときに猛反発があって引っ込めざるをえなかったことにも示されているように、憲法第9条の平和主義と不可分に結びついたものとして、日米同盟の質的転換と日本の新たな軍国主義化を推進しようとする政府、財界にとっての一つの大きなハードルとなっているのです。
※武器輸出三原則とは何か。それは、1967年、佐藤内閣のもとで、1)共産圏諸国向け、2)国連決議により武器等の輸出が禁止されている国向け、3)国際紛争の当事国又はそのおそれのある国向けの武器輸出は行わない、と政府が決定したことを指す(衆院決算委における答弁で表明)。1976年、三木内閣のもとで、三原則対象地域以外の地域についても、武器輸出および武器製造関連施設の輸出を自粛すると決定(衆院予算委における答弁で政府統一見解として表明)。1983年、中曽根内閣のもとで、米国とのみ武器技術協力を認めるとして、一部風穴を開けた。
この日本経団連の意見書は、「武器輸出三原則」だけでなく、1969年に国会決議された「宇宙の平和利用原則」まで骨抜きにすることを提唱しています。「防衛目的」での利用も禁止されているわが国での「平和利用」の解釈を、「防衛目的」での利用は許されるという国際的な解釈に合わせることを主張しているのです。
日本経団連は、財界の司令塔ともいうべき組織です。その会長は、自動車産業で米GMに次ぐ世界第2位に浮上したグローバル多国籍企業トヨタの会長、奥田碩。そして副会長(兼防衛生産委員長)は、日本のトップ財閥三菱グループの中心企業で日本の軍需産業のトップでもある三菱重工業の会長、西岡喬。この最強コンビが小泉政権とスクラムを組んで、日本を「普通の国」=帝国主義的軍事大国にしようとしています。
日本経団連が「武器輸出三原則」の見直しを主張しはじめたのは、1995年にさかのぼります。その背景には、90年代を通じて米欧で軍需産業の大再編が行われ、軍事技術・装備が高度ハイテク化し、冷戦型から地域紛争対処型への転換が行われていったという事情があります。日本がそのような世界的な流れから取り残されていくという危機感があるのです。このような歴史的経過などは、稿を新めて明らかにしたいと思います。
[参考]
※「自衛隊の多国籍軍参加と日本の新しい軍国主義−「主権委譲」後のイラク情勢と米軍の世界的再編の下で−」(署名事務局)
※「7/25学習討論集会報告−−日本の軍国主義はどこまで来たのか、どこへ行こうとしているのか?−−日本の新しい軍国主義について熱心な討論−−」(署名事務局)
2004年8月2日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局
[シリーズ日本の軍需産業(下)]
米欧の軍需産業の世界的再編に乗り遅れ危機感抱く
米軍需産業への「従属化」「下請け化」で生き残り図る 日本軍需産業
−−日米軍需産業一体化の合同機関(IFSEC)を設立−−
[日本の軍需産業(上)]で紹介・批判した経団連の7月20日付「意見書」には、1995年と2000年の提言に特に言及して、次のように書かれています。
「日本経団連(防衛生産委員会)では、かねてより、提言『新時代に対応した防衛力整備計画の策定を望む』(1995年)や『次期中期防衛力整備計画についての提言』(2000年)などにおいて、防衛産業の立場から、防衛生産・技術基盤の強化に関する要望を行ってきた。」と。
今回は、[T]その1995年と2000年の提言を、それが出された背景と合わせて見ていきます。そして、[U]1996年に設置が具体化した「日米安全保障産業フォーラム(IFSEC)」と、特にその「共同宣言」改訂版(2002年12月)を詳しく検討します。それらを通じて、日本の軍需産業が生き残りを賭けてどのような戦略を描いているのかを考察したいと思います。
[T]1995年と2000年の提言、およびその背景
(1)90年代に米欧で軍需産業の劇的大再編。世界の趨勢から取り残される日本
経団連が「新時代に対応した防衛力整備計画の策定を望む」と題して、軍需産業の維持・強化について積極的な提言を行なったのは、1995年のことです。そこでは、現在露骨に主張している「武器輸出三原則」の撤廃と憲法の平和主義原則の放棄に直結する主張を、既にかなり踏み込んで展開しています。
まず、「1.防衛のあるべき姿の明示」として、「冷戦の終結を受けて、新しい世界のあり方が各国で模索されており、わが国においても、今後の防衛力のあり方が検討されている。」という基本的な問題意識が提示されています。次いで、「2.防衛生産・技術基盤の維持・強化」を主張して、政府に「装備の国産化」への配慮を求めています。そして最後に、「3.国際協力のための環境整備」として、次のように述べています。
「まずは、安全保障上、深い関係にある米国との間で、輸出管理政策の運用、研究開発成果の取扱い、民生技術に係わる企業の権利保護等を解決し、共同研究開発・生産を円滑に実施できる環境を整備すべきである。」と。
ここでは少なくとも3つの重要な内容を読み取ることができます。
1)「輸出管理政策の運用」を再検討すべきことを述べていますが、これは事実上「武器輸出三原則」の放棄を検討するよう提言したものにほかなりません。
2)「民生技術に係わる企業の権利保護」を問題にしているのは、日本が世界をリードしている分野での「民生技術」の軍事転用を想定しているからです。
3)総じて、世界の最先端を行く米国との共同研究開発・生産を追求しようとしているということです。
※「新時代に対応した防衛力整備計画の策定を望む」(1995年5月11日)
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/pol042.html
経団連が1995年にこの提言を出したのは、米ソ冷戦が終焉し1990年代に入って米国を中心に軍需産業の世界的な大再編が進展して、日本だけが世界から取り残されていくという危機感が生じたからです。
米国では、1993年から軍需産業の大再編が始まりました。当時のペリー米国防長官が軍需産業のトップを集めて夕食会を催し、その席上で長官が防衛力の削減予定と国防予算の削減見積りを示し、生産能力の過剰を指摘して、5年以内に半分以上の国防企業が存続できなくなると予測し、軍需産業の大再編を促すスピーチをしたのです。当時この夕食会は、「米国防産業の最後の晩餐」と呼ばれました。これをきっかけに、多くの軍需産業が生き残りを賭けて統合・合併をくりかえし、あるいは撤退していきました。その結果、1990年代初頭には軍需関係の主要企業が60社あまりであったのが、2000年初頭には6社に整理・統合されました。ロッキード・マーチン、ボーイング、レイセオン、TRW、ノースロップ・グラマン、ジェネラル・ダイナミックスの6社です。このうち、ノースロップ・グラマンとTRWが2002年に合併して、現在は5社体制になっています。
米国での軍需産業のこの劇的な大再編は、数年遅れて欧州に波及しました。1993年にECからEUへと発展した欧州は、米国で軍需産業の大再編が始まったのをにらみながら、EUにおける「防衛産業」政策の共通戦略確立へと動きました。1995年夏に、EUの閣僚理事会が欧州の武器政策に関する作業部会を設置し、翌1996年1月には欧州委員会が欧州「防衛産業」の統合・合併の促進に乗り出しました。
経団連が1995年に危機感をつのらせて提言を出したのは、このような米国から始まり欧州に波及した、軍需産業の大規模な再編の波が背景にあったのです。
※参考:「わが国防衛産業の現状と技術基盤・生産基盤の維持・増進」(財団法人ディフェンス リサーチ センター/重村勝弘) http://www.drc-jpn.org/AR-6J/shigemura-j02.htm
「欧州連合の防衛産業戦略・政策から見たわが国の防衛産業政策への示唆について」(同)
http://www.drc-jpn.org/AR-7J/shigemura-03j.htm
(2)軍事技術・装備の高度ハイテク化と研究開発プロジェクトの大規模化 :「冷戦型」から「地域紛争対処型」への転換を伴って
米欧での軍需産業の大再編は、2000年ごろには一段落し、現在の体制がほぼ固まりました。その間、90年代を通じて米国は、軍事技術・装備の高度ハイテク化と、「冷戦型」から「地域紛争対処型」への転換を強力に推し進めていきました。それは、新たな軍事技術・装備の研究開発の大規模化をもたらしました。米国もEU諸国も一国だけでは負担を担いきれなくなり、90年代の末ごろから多国間での共同研究開発が多くなっていきました。もちろんそこで主導権を握っているのは米国です。
EUにとって大きな転換点となったのは、1999年のコソボ紛争でした。このときEU諸国は、軍事技術・装備についての米国との格差を見せつけられたのです。EU内での軍需産業の大再編は、米国に少し遅れただけで、企業の規模や経営体制に関しては米国企業と対等に競争できる体制を整えつつありました。しかし、兵器のハイテク化を中心とする軍事技術・装備の面では、とうてい米国に太刀打ちできないという現実を突き付けられたのです。このときから、EU諸国内での研究開発における多国間協力と軍需産業のいっそうの再編が加速していきました。
経団連の「次期中期防衛力整備計画についての提言」(2000年)が出されたのは、このような状況のもとにおいてでした。
この提言では、日本が米欧に取り残されてしまうという危機感は、95年段階よりもはるかに深まっています。「T.防衛産業をめぐる環境の変化」の最後、「4.国際的な防衛産業の統合と国際的提携」では、次のように述べられています。
「欧米ではここ数年、防衛企業の統合・再編が進められてきた。最近は、米国防衛企業と欧州企業の提携に向けた動きも見られ、防衛装備品の国際的な共同研究や開発が増えていくと考えられる。わが国防衛関連企業も、そのような世界の動きから孤立して技術基盤を維持していくことは困難であり、技術基盤の強化に努める一方、米国防衛企業等との提携(包括提携、試験・要素研究)や共同開発、国内における同様の提携等も視野に入れる必要がある。」と。
ここで注目すべきことは、「世界の動きから孤立して」日本の軍需産業を維持し発展させていくことは困難であると認識し、「孤立」から脱するために米国軍需産業と積極的に結びついていこうとする戦略を描いていることです。この点は、さきに見た1995年の提言にも既にあらわれていましたが、いっそう具体的になって「米国防衛企業等との提携」と述べられています。これは、1997年1月に「日米安全保障産業フォーラム」が第1回会合を開いて始動し、日米軍需産業の協力関係が緊密化したことを反映したものです。これについては後で詳しく触れます。
提言は、「U.次期中期防衛力整備計画の課題」として、まず「1.重点的に国産化すべき防衛装備・技術の明確化と研究開発費の増額」を要求しています。次いで「2.技術基盤強化に資するプロジェクトの推進」として、ITを中心とする高度ハイテク化の必要性を強調しながら、「その際、防衛予算という枠組みに留まらず、政府全体の危機管理体制の整備という観点から予算等を確保し、整備を推進することが重要である。」と述べています。
ここでは、「防衛予算」という従来の「枠組み」=制約を取り払って軍事費の大増額へ道を開く方針を確立するように提言しているのです。さらに、この段階で既に、MD(ミサイル防衛)の推進が「望まれる」とされています。軍事予算の大増額を実現していく新たな方針確立を迫っているのは、今後長期にわたって多額の予算が必要とされるMDの推進と軌を一にしていると思われます。
そして最後に、「4.国際的提携のための環境整備」として、「輸出管理政策」(=武器輸出三原則)を見直して「共同研究開発・生産を円滑にできる環境を整備すべきである。」と結んでいるのです。
※「次期中期防衛力整備計画についての提言」(2000年9月19日)
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2000/045.html
[U]2002年12月のIFSEC「共同宣言」改訂から現在策定中の新防衛大綱へ
(1)日米軍需産業の合同機関(IFSEC)設立
1995年の提言の後、事態は急速に進み始めました。翌1996年には、「日米安全保障産業フォーラム / The US-Japan Industry Forum for Security Cooperation(IFSEC)」が設立されました。第1回会合は1997年1月です。これは、米国と日本の軍需産業の主要企業が「対話を促進」し、「両国政府に対して提言を行なうために」設けられたものです。このIFSECは、米国側8社と日本側12社で構成されています。
(米国) ボーイング、ジェンコープ・エアロジェット、ジェネラル・エレクトリック、ロッキード・マーチン、ノースロップ・グラマン、レイセオン、サイエンス・アプリケーションズ・インタナショナル、ユナイテッド・ディフェンス・LP
事務局:全米防衛産業協会国際委員会
(日本) 三菱重工業、石川島播磨重工業、川崎重工業、島津製作所、東芝、アイ・エイチ・アイ・エアロスペース、小松製作所、ダイキン工業、日本電気、日立製作所、富士通、三菱電機
事務局:日本経済団体連合会防衛生産委員会
日本側事務局が経団連防衛生産委員会に置かれているということは、このフォーラムが日本の財界全体としての取り組みであるということを示しています。経団連防衛生産委員会の委員長は、三菱重工業会長で経団連副会長の西岡喬氏で、言うまでもなく三菱重工業は日本の軍需産業を牛耳るトップ企業です。
出所:日本経団連「7.20提言」の参考資料の7の表「わが国防衛産業の防衛依存度」
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2004/063shiryo.pdf
IFSECは、1997年10月に「共同宣言」を作成しました。そこでは、「防衛産業間の協力がより緊密になれば、日米双方の防衛生産・技術基盤にとって有益であり、日米間の相互運用を支えるとともに、結果として日米同盟の強化に繋がる」と宣言されました。その5年後、2002年12月に「共同宣言」が改訂され、現在進展している事態を先取りするような提言がなされました。
この「共同宣言」の改訂が行われた2002年12月というのはどういう時期であったのか、ここで改めて振り返ってみたいと思います。米国の対アフガニスタン戦争1周年の反戦デモが全世界で行われた後、対イラク戦争反対運動が最高潮に達していこうとする時期でした。私たちも含めて、全世界の反戦平和運動に立ち上がった人々が、自分たちのこの運動で何としても対イラク戦争を阻止しようとしていた時でした。今から思えば、このとき米国は対イラク戦争を何が何でも行うことを決めていたし、それに積極的に加担した諸国の政府は、米国の固い決意を知らされていたにちがいありません。日本政府もイラク戦争開始とそれ以降の状況にどう対応するかを決めようとしていた時期ではないでしょうか。そのような重要な節目に出されたこの「共同宣言」改訂版は、その後の日本政府の対応に重大な影響を及ぼしたと考えられます。
以下、「日米防衛産業界の関心事項」と題された「共同宣言」改訂版の内容を詳しく見ていきましょう。
※「日米安全保障産業フォーラム(IFSEC)共同宣言/日米防衛産業界の関心事項」
http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2003/005j.html
(2)米軍需産業の「下請け」になることで生き残りを図る
まず「はじめに」で、IFSEC設置の経緯を簡単にふり返った後、こう述べています。「IFSECの対話において、冷戦の終了に伴い、防衛産業に大きな変化がもたらされたことが指摘された。技術の進歩、防衛調達の減少、コストの増加等に直面するなかで、防衛生産・技術基盤を維持する必要があることから、防衛装備の取得における互恵的な協力の重要性が高まっている。IFSECのメンバー間でも、日米の防衛産業協力のあり方が、単なる供給者(米国)と顧客(日本)の関係から、将来の防衛システムの開発におけるパートナーシップを構築する関係へと発展していることが認識されている。この防衛協力の発展は、連携協力が市場での取引や調達という枠を超えて、将来の防衛装備のニーズの共有にまで及ぶに違いないことを意味している。」と。
ここから読み取れることは、米国と日本が「将来の防衛装備のニーズの共有にまで及ぶ」連携協力関係を展望しているということです。では、それは何を意味するのか。大再編を経た米国の巨大軍産複合体と、これまでさまざまな制約を課せられて十全な発展をとげられなかった日本の軍需産業との、対等な連携協力関係など考えられません。
米国側は、日本を単に「顧客」と見る観点をあらため、日本のすぐれた「民生技術」を軍事転用することに戦略的な利益をみて、日本の軍事関連諸企業をとり込もうとしていると思われます。それに対して日本側は、長らく米国軍需産業の単なる「顧客」になることに抵抗して自前の「国産」にこだわってきた姿勢を大転換して、巨大米国軍産複合体と積極的に結びついていく中で、いわばその「下請け」になることで生き残りをはかろうとしているように思われます。そこにおいて、日米の軍需産業の基本的な利害が一致したのではないでしょうか。
(3)軍事作戦上の要求が全面に出る
IFSEC「共同宣言」改訂版は、その改訂の必要性をこう説明しています。
「IFSECが初めて開催された当時、防衛産業協力は、日本に対する米国の装備品の販売やライセンス供与が中心であった。防衛関連技術に関する研究開発活動は軍事作戦上のリクワイアメントに関して、ほとんど配慮を払うこともなく、例外的に扱われてきた。それ以来、日米の相互依存関係が地域的安全保障の利害関係に及ぼす影響力が強まり、共同防衛運用の重要性が高まってきたため、今度は日米防衛プログラムの中心に軍事作戦上のリクワイアメントの概念を据える必要性が高まってきた。」と。
ここでは、ブッシュ政権と小泉政権の成立後の、とりわけ 9.11以後の、日米の政治的緊密化のもとで、日米軍事同盟が1996年前後の変化から、さらに大きく変化したことが示されています。つまり、それまで「例外的に扱われてきた」「軍事作戦上のリクワイアメント」が、「共同防衛運用の重要性が高まってきたため」に焦点化してきたのです。軍事面における日米一体化の急進展が、既にここで語られています。
さらに、日米政府が積極的に従来の法的・行政的枠組みを見直し改訂していくことを提言して、こう述べています。
「産業界の対話は、政府が法、政策、規制によって許容した範囲内でしか実施することができない。不幸なことに、政府の実態は、以前の状況を未だに引きずって、産業界の対話を制限しており、日米防衛協力を推進するには不十分なレベルにある。米国企業は入念なライセンス手続を経なければ、日本側の取引先と共同プログラム候補の基本的な概念について話合いを行なうこともできない。日本企業は日本政府が許可したプログラム以外の部分について、米国企業と研究を行なうことが認められていない。このような政府の政策、手続によって、日米産業界は協力できる可能性があるものを検討することさえ妨げられている。」と。
ここでは、軍需産業を中心とする産業界の要望が政治と法律に十分反映されていない苛立ちが、露骨に表明されています。これが2002年12月の段階であったのです。この財界の要望に沿って、「日米防衛協力」の暴走とも言える状況が始まったのではないでしょうか。
「共同宣言」改訂版は、その提言概要を3点にまとめています。
1)「より開かれた防衛産業間対話が進められるように」日米政府間で「包括的な分野の了解覚書」を検討すべきこと。(つまり、米国が必要とする技術を持っている企業に、制約なしにアクセスできる体制をととのえること。)
2)「日本政府は日米の防衛開発、生産の協力に資するよう、現在の武器輸出管理政策について、輸出制限の例外を広げる形で、より柔軟な運用を行なうべき」こと。(つまり、「武器輸出三原則」を形骸化させて事実上撤廃すること。)
3)日米政府は、「知的財産権の保護に関する合意を図り、民間の派生技術の所有権を確保するための明確な基準を設けるべき」こと。(つまり、民間の技術を軍事転用する際のルールづくりを行うこと。)
その上で、MD(ミサイル防衛)については、追加で事細かに提言しています。
(4)ミサイル防衛(MD)をめぐる日米財界の要求
「共同宣言」改訂版は、最後に追加として、「参考:IFSEC共同宣言の趣旨に沿ったBMDの日米協力のあり方」を提言しています。それは、「現状」、「イージスBMDシステムに関する共同開発」、「イージスBMDの関係システムの共同生産」の3項目ですが、かなり具体的に述べられています。順を追って見ていきましょう。
「現 状
○SM−3ミサイルの4つのコンポーネントに関する共同研究が行なわれている。
○各国が同時並行で進めているが、各国政府により、個別のマネージメントが行なわれている。産業間の対話は政府が指定した主契約者に限定されている。
○研究の了解覚書(MOU)が指定した範囲外では産業間の対話が認められていない。
○現在の日本の武器輸出管理政策の下では、日本のデータや試作品の米国への移転は認められているが、関係する第三国への移転は認められていない。
現在のBMDに関する日米協力の枠組みは、共同研究の段階では十分な内容だが、全体システムの開発、生産での連携を行なう上では十分ではない。」
ここでは、日本の民間企業でミサイル防衛に必要な技術をもつ企業であっても、自由に「対話」ができないという不満と、「武器輸出三原則」のために新たな「開発・生産」に進めないという不満が、明瞭な形で語られています。そしてそれらを解消するために、次のように提言しています。
「イージスBMDシステムに関する共同開発
○現在の研究に関する了解覚書(MOU)に含まれた関係企業も参加する形で、イージスBMDシステム開発に関する産業間対話を推進すべきである。対話の範囲は現状のようにミサイルの4つのコンポーネントに限定せずに、関心がある領域に広げるべきである。
○そのような産業間対話を認めるような、BMDの開発に関するMOUについての交渉を行なう。MOUの条文もしくはこの他のMOUも含んだ包括的な合意によって、技術保護を図るための知的財産権に関する適切な合意を行なう。
○開発中のイージスを基礎としたミサイル能力の高さから、イージスBMDは他の米国の同盟国も関心を寄せている。多国間の研究開発コンソーシアムに米国や他の同盟国とともに、日本企業が参加することを認める。」
「開発に関する産業間対話を推進すべき」だが、その「対話の範囲は...限定せずに、関心がある領域に広げるべき」で、それを可能にするように政府間での「了解覚書」を取り交わせと迫っているのです。そして、「共同生産」に道を開き、MDを通じて日米軍需産業の一体化を推し進めようとしているのです。
「イージスBMDの関係システムの共同生産
○ミサイルだけでなく、イージスシステムの構成品も含め、イージスBMDミサイルと他のコンポーネントの共同生産を行なう。
○日米間でハードウエアの構成品について双方向の移転を認める。
○ケースバイケースで、日本の技術によりつくられたイージスBMDシステムやコンポーネントの移転を認める(日本で生産されたハードウエアの第三国への移転については、プログラム開発として検討する)。 」
ここでは「イージスBMD」のこととして述べていますが、これが実現すれば、もはや日本の軍需産業にとって制約は何もないに等しくなります。まさに自由に武器取引のできる「普通の国」になるに違いありません。
(5)宇宙開発の遅れにも危機感。宇宙の軍事利用を目指し「平和利用原則の見直し」を迫る
最後に指摘しておかなければならないのは、日本のミサイル開発能力向上を狙い目とする宇宙開発についてです。日本のミサイル開発はどこまでも純粋に平和的であって、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のノドン、テポドンは純粋に軍事的侵略的だという、日本の政府与党やメディアの宣伝には辟易としますが、経団連はもっと「正直」であり露骨でストレートです。「宇宙の軍事利用」を要求しているのです。
宇宙開発の領域でも、米国が世界で突出して優位にあり、それに対抗してEUが独自の衛星システム開発に乗り出そうとしているという状況です。ここでも経団連は、日本が世界の趨勢から取り残されるという危機感を表明しているのです。
この危機感は、昨年後半のH−2.A6号ロケット打ち上げの失敗により、それに関連する諸計画が軒並み中断・延期されたことで、一層つのりました。今年6月22日に、経団連は、「宇宙開発利用の早期再開と着実な推進を望む」という意見書を発表しています。
※「宇宙開発利用の早期再開と着実な推進を望む」http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2004/055.html
その冒頭では、「昨年後半のロケット、衛星の失敗による信頼性の低下や厳しい財政状況を背景とした宇宙開発予算の長期低迷により、わが国の宇宙開発全体の地盤沈下が強く懸念される。」と、かなりの危機感が表明されています。
そして「今、重要なことは、失敗に揺らぐことの無い国策として、基本方針を着実に遂行することであり、国際的な潮流に乗り遅れることなく、適時適切な資源配分を行なうことである。」と述べています。そして「当面の重点課題」として、宇宙の利用の重要性を強調しながら、宇宙の軍事利用に道を開くことを求めているのです。「安全保障・危機管理における、宇宙利用の重要性の増大に鑑み、宇宙の平和利用原則の解釈を国際的な整合性を踏まえて見直し、国民の安心・安全のために宇宙の最先端技術を活用できるようにすべきである。」と。
「シリーズ(上)」でも指摘しましたが、日本は1969年の国会決議で「宇宙の平和利用原則」を確立し、宇宙を軍事目的で利用することを一切禁じています。しかし、国際的には、「宇宙の平和利用」というのは防衛的な軍事利用は許されると解釈されています。「宇宙の平和利用原則の解釈を国際的な整合性を踏まえて見直し」というのは、そのことを言っているのです。「7.20意見書」でも、「宇宙の平和利用」の解釈を国際的な解釈に合わせることを繰り返し提言しました。
ここで問題にしなければならないのは、宇宙開発と軍需産業の生き残り戦略とMD推進との関係です。苦境に陥っている宇宙開発の現状を打破する切り札として、軍事と結びついた宇宙開発を、MDの推進をテコとして実現しようとしているのではないでしょうか。その意味で、MD推進は、軍需産業の生き残り戦略の中心環であり、かつ宇宙開発の維持強化策の中心でもあるのです。そしてそれを、米国に従属し、いわばその「下請け」化することで実現していこうとしているのです。
2004年9月5日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局