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「イラクに大量破壊兵器の備蓄なし」米調査団が最終報告
イラクで大量破壊兵器の捜索に当たってきた米調査団(チャールズ・ドルファー団長)は6日、生物・化学兵器の備蓄は一切なく、核兵器開発計画も91年以降、頓挫していたとする最終報告書を発表した。制裁が解除された後に開発再開を目指す「開発意図」があったことは認めたが、旧フセイン政権からテロ組織への兵器や情報の供与、さらには米同時多発テロ事件との関係についても「証拠はない」と結論づけた。
ブッシュ政権が昨年3月のイラク戦争開戦にあたって掲げた、主要な根拠をいずれも否定した形。現在、最終盤に入った大統領選で「当時、差し迫った脅威はなかった」とする民主党候補ケリー上院議員の主張を裏付ける内容になっている。一方で、「フセイン元大統領は制裁が解除され経済が安定した後で、大量破壊兵器の開発能力を再構築したいと考えていた」とも指摘。フセイン元大統領の「脅威」を強調するブッシュ陣営にも一定の論拠を与えている。
報告書の内容は、この日の上院軍事委員会の公聴会に出席したドルファー氏が証言のなかで説明するとともに、同氏が長官顧問を務める米中央情報局(CIA)がウェブサイトで公表した。
それによると、旧フセイン政権は91年の湾岸戦争後、核兵器開発計画の続行を断念した。その後も国連の経済制裁が継続するなか、開発能力は急激に低下していき、再開を示す証拠はなかったと結論づけた。
化学兵器に関しては、少量の廃棄済み兵器を発見したが、湾岸戦争後の91年に未申告分の大半を、制裁解除に向けた環境整備のため自発的に廃棄していたと認定した。イラク戦争開戦前に開かれた国連安全保障理事会で、パウエル国務長官が関連施設だと主張した施設についても「化学兵器とは無関係」と結論づけた。
一方、生物兵器については、湾岸戦争後も一時、開発能力を保持しようとしたが、これも制裁解除を優先させるために96年に製造施設を破壊。短期間で兵器を製造できる能力は自ら放棄した。それ以降、開発を示す直接的な証拠は見つからなかったという。
ドルファー氏は、大量破壊兵器の備蓄が今後発見される可能性は「5%以下」とみていることを明らかにした。
旧フセイン政権とアルカイダなどテロ組織との関係については「大量破壊兵器や関連物質をテロ組織に渡していた証拠はなかった」と断定。ブッシュ政権が、ウラン濃縮に使う遠心分離器の部品で、イラクの核兵器開発の証拠だとしてきたアルミニウム管に関しても、「ロケット開発計画のためだった可能性が最も高い」と語った。
ブッシュ大統領が03年1月の一般教書演説で引用した「アフリカからのウラン購入情報」をめぐっては「証拠は見つからなかった」と述べた。大量破壊兵器搭載用と指摘されていた無人機開発については「偵察や電子戦のためのもので、大量破壊兵器の搭載能力はなかった」と認定した。
ドルファー氏は、旧フセイン政権が大量破壊兵器開発にこだわった理由として、(1)80年代の対イラン戦争で敗北しなかったのは、長距離弾道ミサイルと化学兵器を使ったためと考えていた(2)91年の湾岸戦争で米軍などの多国籍軍がバグダッド侵攻を断念したのは、イラクが保有していた大量破壊兵器(生物・化学兵器)が「抑止力」になったと考えていた――などと述べた。ただ、湾岸戦争以後「フセイン政権の最優先課題は国連による経済制裁の解除だった」と語り、制裁の解除を実現させるために兵器の自発的な廃棄を進めていたとの見方を示した。
(10/07 10:59)
http://www.asahi.com/international/update/1007/007.html