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(回答先: NHK番組改変問題の各紙社説・コラム (朝日、読売、日経、東京) 投稿者 月読 日時 2005 年 1 月 16 日 21:41:38)
毎日新聞 2005年1月21日 東京朝刊
社説:NHK特集番組 問題点を整理する必要がある
旧日本軍の従軍慰安婦問題を取り上げたNHKの特集番組をめぐる問題は、これをいち早く報じた朝日新聞に対し、NHKや安倍晋三・自民党幹事長代理ら関係者が連日のように抗議し、朝日新聞側がまた反論するという異例の事態になってきた。
朝日新聞の取材や記事の作り方に問題がなかったかは厳しく検証すべきである。だが、この間、いささか議論が拡散しているきらいはないか。ここは今一度、冷静に論点を整理する必要がある。
問題の第一は、NHKに対し安倍氏らの政治圧力、介入が本当にあったのかどうか。第二は、番組の内容そのものに問題はなかったのか。これが、そもそも従軍慰安婦問題をどう考えるのかという歴史認識の問題と絡み合って、話が複雑になっている。
しかし、見失ってならないのは番組がどうして変更されたのか、そこに「NHKと政治」という構造的な問題が潜んでいないか、というのが原点だということだ。
NHKも安倍氏ら自民党の政治家側も「圧力」を否定している。圧力があったかどうかは、受け止め方の問題でもあり、今後、水掛け論に終わる可能性がある。
だが、放送直前、NHKの番組編集や報道を統括する放送総局長が安倍氏と会い、番組内容を説明した点は争いがない。NHK側が「当時、自民党議員の間で番組が話題になっていた」と認めるように、「慰安婦制度は昭和天皇に責任がある」と結論づけた市民団体の模擬裁判をNHKが扱うのは大問題だという声が自民党内の一部にあったのも事実だ。
ところが、19日のNHKの説明によれば、国会議員に予算、事業計画などを説明する際、担当役員を同行させ、今後の番組の説明をするのは通常業務の範囲なのだという。もし、それが日常的に行われているのだとすれば、NHK幹部の感覚は、報道機関としての一般常識と大きくズレていると言うべきだろう。
「NHKの政治部記者は政治家と一心同体ではないか」「政治報道に批判精神がなさ過ぎるのではないか」……。他でもない、NHK職員から、「局内における政治部重視」への不満が日常的に聞かれることを幹部は知っているだろうか。視聴者の受信料で経営が成り立っているというのに、とかく視聴者より政治家に目が向いていないか。反論もいいが、こうした声を謙虚に受け止めないと次の議論に進めない。
もちろん第二の問題も軽視できない。安倍氏のように番組が扱った「裁判」に問題があったという主張があるのも分かる。しかし、歴史認識の問題は別の次元で大いに議論すればいい。この問題を、ことさら「朝日新聞対安倍氏」という構図で取り上げ過ぎると、NHKの体質という本質からそれていく恐れがある。
肝心の事実認定で朝日新聞とNHK、政治家側の言い分は大きく食い違っているのが現状だ。やぶの中に入りつつある事実関係をきちんと確かめることも必要だ。
http://www.mainichi-msn.co.jp/column/shasetsu/archive/news/2005/01/20050121ddm005070144000c.html
中日新聞・東京新聞 2005年1月21日
放送の自律性はどこへ
放送前の番組について特定政治家にあらかじめ説明することを「当然」とするNHKの見解には驚かされる。報道機関は、公正であるだけでなく、公正さを疑われないようにしなければならない。
番組改変問題
編集中の放送番組の内容について“政治的介入”があったように最初に報じた朝日新聞と、放送したNHK、介入を疑われた安倍晋三・自民党幹事長代理、中川昭一・経産相らの言い分が大きく違う。真相は究明しなければならないが、報道内容の核心を否定する政治家側と二人三脚のように見えるNHKの対応は、奇異に感じられる。
ただ、NHK幹部が安倍氏に呼びつけられたのか、それとも自発的に訪ねたのか、中川氏が会ったのが放送前か後かは本質的問題ではない。問われているのはNHKと政治家との距離、関係である。
番組の素材である「女性国際戦犯法廷」は歴史観や客観性に関する批判が各方面からあった。公正な番組をつくるためNHK内部でチェックしたり議論するのは当然である。
しかし、放送前、あるいは番組作成中に一部有力政治家に説明したり了解を求めたりするのは内部の議論とはまったく次元が異なる。「放送の自律性」「報道の中立、公正」といった報道機関としての生命線を危うくするものだ。
報道関係者なら政治家への説明を当然とする姿勢にはとうてい共感できないだろう。NHKは番組の改変は圧力によるものではなく自主的判断によるというが、李下(りか)に冠を正したようなもので、疑う方がむしろ自然といえよう。
自戒すべきは政治家も同じだ。予算承認の権限を握っている政治家の発言は、たとえ「公正、中立に」という単純な言葉であっても重い政治的響きを持つ。事後の批判ならともかく、放送前の番組に口を挟むのは慎むべきなのである。
NHK会長を務めた故島桂次氏は著書の中で自民党からの影響力行使がしばしばあったことを認め、放送内容に配慮した経験を記している。
いまでもNHKには国会担当の職員が複数いて日常的に政治家と接触しているという。そうした関係の中で有形、無形の圧力、介入はなかったのか、放送内容がゆがめられたことはなかったか、第三者機関をつくって洗い直し、公表すべきだ。
いうまでもないが番組改変問題と一連の不祥事とは直接は関係ない。仮に改変問題を切り抜けても、不祥事に関する海老沢勝二会長はじめ執行部の責任はいささかも軽減されないことを指摘しておきたい。
http://www.chunichi.co.jp/00/sha/20050121/col_____sha_____001.shtml
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20050121/col_____sha_____003.shtml
産経新聞
平成17(2005)年1月21日[金]
■【主張】番組「改変」問題 朝日には立証責任がある
慰安婦問題を扱ったNHKの番組が政治介入によって改変されたと朝日新聞が報じた問題で、同紙の取材を受けたNHKの元放送総局長が「発言をねじまげられた」と記者会見で朝日を批判した。これに朝日が再反論し、メディア同士の論争になっているが、立証責任は最初にこの問題を報じた朝日新聞にあるといえる。
発端となった朝日の十二日付記事は「中川昭一・現経産相、安倍晋三・現自民党幹事長代理が放送前日にNHK幹部を呼んで『偏った内容だ』などと指摘していたことが分かった。NHKはその後、番組内容を変えて放送していた」などと報じた。
これに対し、NHKは、中川氏と会ったのは放送三日後で、安倍氏とは放送前日に会ったが呼ばれたのではない、と朝日報道を否定した。面会日の食い違いはともかく、問題はNHK幹部が安倍氏らに呼ばれて説明に行ったかどうかだ。「政治的圧力」の有無を判断するうえで、一つの重要な材料になり得る。
これについて、朝日は十八日付朝刊の取材経過を含めた検証記事で、取材相手のNHK幹部の実名を伏せ、「この幹部は一貫して『自民党に呼ばれた』との認識を示し、これを『圧力と感じた』と証言した」と書いた。しかし、これだけの材料では、安倍氏らがNHK幹部を呼んで圧力をかけたとする証明にはなっていない。
しかも、NHK元総局長は朝日のいう幹部は自分だとし、「『圧力を感じた』とは言っていない」と朝日の検証記事も否定した。朝日は記事の信憑(しんぴょう)性を裏付けるためのもっと説得力のある材料を示す必要があろう。
朝日新聞社会部長は検証記事で、NHKが取り上げた民衆法廷(女性国際戦犯法廷)やNHK番組そのものへの批判について、「今回の報道とはまったく別次元の問題だ」としている。
この法廷は昭和天皇はじめ死者を弁護人なしで一方的に裁いた一種の人民裁判である。それをNHK教育番組で放送した是非は、この問題の本質にかかわることである。決して別次元の問題ではない。
今回の問題は、メディア全体の信頼性を失墜しかねない問題をはらんでいる。朝日の適切な対応が問われる。
http://www.sankei.co.jp/news/050121/morning/editoria.htm
朝日新聞 2005年1月22日
■NHK問題――ことの本質を見失うな
NHKの放送前の番組に対し、自民党の有力政治家が「偏った内容だ」と指摘した後、番組が改変された。朝日新聞がそう報じてからNHKや政治家側が反論し、それに朝日新聞が再反論する事態が続いている。
朝日新聞は正確な取材をもとに、間違いのない報道を心がけてきた。報道の内容に自信を持っている。
それにもかかわらず、NHKは虚偽報道などと非難してきた。朝日新聞はNHKを名誉棄損で訴える構えだ。
ことの本質を見失ってはならない。問われているのは、NHKと政治家の距離の問題である。その不自然さは今回、NHKや政治家の言い分によっても明らかになってきた。
番組の放送前に、NHKの放送総局長だった松尾武氏らが内閣官房副長官だった安倍晋三衆院議員に会い、番組の説明をした。その後、総局長試写があり、44分だった番組は再編集で43分に縮められ、さらに放送当日まで編集を重ねて40分になった。これには争いがない。
安倍氏によれば、NHK幹部は予算の説明に伺いたいと言って、やって来た。その際、この番組の説明もした。そこで「明確に偏った内容であることが分かり、私は、NHKがとりわけ求められている公正中立の立場で報道すべきではないかと指摘した」という。
NHKも予算の説明に行ったという一方で、安倍氏に番組の説明をしたのは「『日本の前途と歴史教育を考える議員の会』の幹部だったからだ」と記者会見で明らかにした。
この会は当時、問題の番組に批判的だった。だからこそ、説明に行ったのだろう。ほかのメンバーにも、NHKは放送前に説明していたこともわかった。
その流れで「公正中立に」と言われたのだとしたら、その意図はNHK幹部にもはっきりと伝わったはずだ。
NHK幹部が訪問した本来の目的は、番組の説明だったと思わざるをえない。
さらに耳を疑うことがある。
放送前の番組を議員に説明をするのは通常業務の範囲であり、「当然のこと」とNHKの現放送総局長が言うのだ。
もちろん、番組をつくるにあたって、批判的な意見を念頭に置くことは必要だ。だが、特定の議員に事前に番組の内容を説明することが当然のことなのか。まして、その後に番組が修正されたとあっては、「自主的な判断に基づいて編集した」というNHKの主張に疑問を持たざるをえない。
番組の事前説明について毎日新聞は社説で「日常的に行われているのだとすれば、NHK幹部の感覚は、報道機関としての一般常識と大きくズレている」と書いた。中日新聞・東京新聞の社説も「報道機関としての生命線を危うくするものだ」と指摘する。同感である。
自立したジャーナリズムであるのかどうか。いまNHKが問われているのは、そのことだ。
http://www.asahi.com/paper/editorial20050122.html
中国新聞 2005/1/21
NHK「圧力」問題 済まされぬ「藪の中」
NHKの特別番組の改編で、自民党の安倍晋三・幹事長代理と中川昭一・経済産業相の圧力があったかどうかをめぐって波紋が広がっている。論議は水掛け論の様相を呈しているが、ジャーナリズムの根幹にふれる問題をはらんでいるだけに、「藪(やぶ)の中」では済まされない。
問題となった番組は二〇〇一年一月に放送した従軍慰安婦問題を扱った「問われる戦時暴力」。前年の十二月、市民団体が開いた「女性国際戦犯法廷」を取り上げ、教育テレビで放送された。
発端は今月十二日の朝日新聞朝刊の「中川経済産業相と安倍幹事長代理が、放送前日にNHK幹部を呼んで『偏った内容だ』などと指摘した」との記事。翌日には、番組制作を担当したチーフプロデューサーが「政治的な圧力を背景にした番組の大幅な作り替えがあったと思う」と告発会見した。
このチーフプロデューサーによると、NHK幹部が安倍氏と会った後、放送総局長らの立ち会いのもとで試写が行われた。その際、内容の一部が変更され、予定より四分も短くなったという。
これに対し、安倍氏はNHK側から予算の説明をしたいというので会った。番組について説明があり、偏った内容であるためNHKに求められる公正中立の立場で報道すべきだと指摘した。中川氏はNHK側と会ったのは放送の後だ―と述べ、いずれも圧力を否定している。
さらに、安倍氏と面会した当時の放送総局長が記者会見し、朝日新聞の報道について「故意に意図を変えて書かれた。極めて遺憾」と訂正と謝罪を要求。朝日新聞は「記事は正確だ」としてNHK側に抗議、謝罪と訂正を求めている。
表現の自由を保障する憲法二一条は検閲を禁じている。放送法は放送番組に政治的公平や事実を曲げないよう求めると同時に、何人からも干渉されない、と不当な圧力がかけられないよう規定している。
焦点は二つある。政治の介入が事実であったとすれば事前検閲である。水掛け論の応酬で事実関係をうやむやにしてはならない。国会が真相究明に乗り出すか、第三者機関に委ねて徹底的に調べるべきだ。
もう一つはNHKの姿勢、体質である。NHKの予算や決算は国会の承認が必要であり、かねてから政治に弱い体質が指摘されてきた。予算の説明は当然としても、そもそも特定の番組内容を放送直前に国会議員に説明する必要があるのか。このこと自体が報道機関としては極めて異例であり、自殺行為と言ってもいいミスである。
仮に圧力がなかったとしても、放送直前に放送現場の最高幹部が今回のような動きをして、番組内容の「異例の変更」が行われれば、現場の関係者ならずとも「何かあったのでは」と、疑念を抱くのは自然ではないか。
NHKは昨年、番組制作費の詐取事件など不祥事が続出。海老沢勝二会長ら上層部の生ぬるい対応が、受信料不払いなど世論の厳しい批判を浴び、信頼が大きく揺らいだ。今回も対応を誤れば不信はさらに増幅されよう。
http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh05012101.html