現在地 HOME > 掲示板 > 政治・選挙7 > 419.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: キウイフルーツ栽培と低賃金労働、食べる時、思い出してほしいな。 投稿者 東京音頭 日時 2004 年 12 月 27 日 21:05:45)
今日(31日)、貴方の投稿に気づきました。遅くなってしまいましたが、感想を少し。
説得力のある文章に驚きました。実態に即している事により、迫力もあります。
日本は、教育が崩壊しており、それにより勤労者の体力と抵抗力が弱くなっているのだと思っています。
団塊の世代が定年を迎えるので、労働力の質の低下を招く事が懸念されると言われていますが、それは本当はおかしな話です。
労働力の質を維持する機能が社会で働いていたら、どんな世代が定年を迎えようがそれは無関係の筈です。
これはつまり、団塊の世代の後には、教育の崩壊が加速度的に進み、それにより労働力の質の低下も加速度的に進んだと言う事でしょう。
団塊の世代が感覚的に掴んで、学園紛争として抵抗した危機とは、
「教育の崩壊」であったのです。日本社会はこれを知覚出来なかったのです。
それで、今では、職場の中で労働力の質を向上させる力も低下が進んできているのでしょう。
国民の殆どが「収入と地位の向上を求める為に」勉学をして競争をするのであるから、社会も、学問も、労働力の質も、社会の質も、そして「人そのものの質」も低下し、虚弱化するのです。
日本社会を覆う「無気力感」の背景には以上のことが在ると考えています。
N.J.における労働についてのご指摘を読んで判った事は、「植民地的労働」が継続していると言う事ですね。ここでは社会の進歩はありえませんね。
日本においても社会の進歩はありえません。今のままではね。日本が転換する時は、日本人の自覚によるのではなく、国際的な枠組みの変化という環境の変化が到来する時でしょう。
きつい言い方をすると、今では、日本人は「働く事」も「勉学をする事」も意味が判らなくなっているのだと思います。
目先の事だけを見て、働き、商売をして、勉学をしているのです。
今まで働いてきて、実感としてこのことがよくわかります。
製品を開発する時にデザインの大切さが判らない。
基礎的研究を行い、その枝葉から商品を開発しようとしない。
政治においても理念を打立てようとはしない。
これ等は全て、「目先の事だけを見ているから」です。
私の経験では、これ等について周りの人に言っても解かろうとしてはくれませんでした。
9・11の後、アフガニスタンに無茶な攻撃を行い、あまりに明白な米国のイラク侵略が始まったから、多くの人の考えが変わってきたのです。
戦後の日本の技術立国の基礎は何に由来していたかと言うと、
それは、皮肉なことに戦前の「軍事技術と技術者」であったのです。
これは軍事的戦略的思考の産物でしたから、「目先の判断」によったものではありませんでした。
戦後の(私も戦後世代ですが)経済人や勤労者は目先の生活と商売のみを見てきただけです。
彼らの力からは一からの立上げは起きません。
それ故に、バブル経済を扇動されると、技術者のプライドもなくバブル投機に踊り、行き詰まってしぼんでから「技術の大切さ」を語るのです。しかし本当に大切さが解かっているとは思えません。
底が浅いのです。
又それ故に、今は軍需産業が商売になりそうだから、財界人は軍需産業の解禁を政府に迫るのです。
国是なんかは彼らの眼中にはありません。「儲かるかどうか。うまい物を食えるかどうか。他人を見下せる事が出来るかどうか。異性にもてるかどうか。」それだけなのです。
他人のことも眼中にありません。
「香田君の生死」についても眼中にありません。そんな事にお金を使いたくないのです。
その反省は、行き詰まりを経験してから来るでしょう。
自力では反省できません。
別の道を歩む他無くそうする事になるでしょう。
「浅ましく、軽薄である」。それも植民地主義者のように冷酷ではなく無邪気である。従ってお人よしでもあります。
この日本人の心性も世界の環境が変わることによって変化してゆく筈です。
この意味で楽観しています。
変らざるを得なくなるでしょう。
よいお年を。
2 81 +−