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「ビラを配っただけで罪になるの?」。率直な感想は、この一言に尽きる。
自衛隊のイラク派遣に反対するビラを配るため、東京都立川市の防衛庁官舎に立ち入ったとして、住居侵入罪に問われた市民団体の男女3人に対し、東京地裁八王子支部は16日、全員に無罪(求刑各懲役6月)を言い渡した。今年5月に始まり、判決まで計8回を数えた公判や関係者への取材を通じ、ビラ配りが罪に問われるという現実を、どこか不思議な思いで見てきた。
問題となったのは「自衛隊のイラク派兵反対!」などと書かれたA4サイズのビラだった。3人は「立川自衛隊監視テント村」の活動として、昨年10月から今年2月にかけて毎月1回、官舎の階段を上り、各戸の玄関ドアにある新聞受けにビラを投かんした。罪に問われたのは、うち1、2月の2回分だ。3人は2月27日に逮捕された。取り調べに名前も住所も答えず黙秘していたことなどから起訴後も保釈が認められず、初公判後の5月11日まで75日間にわたり拘置された。
私は5月下旬、3人を訪ねた。そのうち女性(31)は取り調べの際、「立川の浮浪児」「この寄生虫」などと言われたという。保釈後も「自宅のドアをたたかれると、逮捕された時のことを思い出し、体がすくむ」と話した。「苦情の電話もなかったのに、まさかビラ配りで逮捕されるとは思いもしなかった」と繰り返す言葉には、実感がこもっていた。
公判では、官舎に住んでいる自衛官らが証言に立ち被害感情を訴えた。ある自衛官は、ビラに「殺すのも殺されるのも自衛官」という表現があったことについて「家族がビラを見たら不安に思う」と述べ、「このままでは(3人の活動が)エスカレートすると思った」と証言した。別の自衛官は「テント村」の事務所に直接抗議しなかった理由を尋ねられ、「注意しても通じないと思った。連絡を取ることで、自分の言葉尻をとらえられて公表されるのが怖かった」と語った。
一連のビラが配られたのは、自衛隊のイラク派遣決定の時期に重なる。昨年12月9日に派遣の基本計画が閣議決定され、同下旬から3人が逮捕された今年2月までに順次、先遣隊や本隊が派遣された。当事者である自衛隊側が、派遣を批判するビラに過敏になったとしても無理はないだろう。
ただ、法廷では自衛隊側が被害届を出した経緯について、自衛官の一人が「(警察から)被害届を出してくれと言われた」と証言する場面もあった。自衛官らが何がしかの不安感を覚えたことは事実だと思ったが、積極的に被害届を出そうとしたとは思えない。
実際、集合住宅のポストには、毎日のように何種類ものビラが投げ込まれる。公判では、防衛庁が自衛官募集のチラシを集合住宅に配っていることも明らかになった。受け取った側が不要なら捨てれば済むことで、ビラ配りは極めて日常的な光景だ。
その中で、3人の逮捕・起訴には、どんな意味があったのか。検察側は取材に対し、「ほかの団体の(違法な)活動を抑える犯罪予防の狙いもある」と話した。実際に、3人と同様に各地で官舎にビラを配っている団体からは「予定していたビラ配りを見合わせた」「官舎内に配るのはやめた」という声も聞かれた。
私自身、取材でさまざまな立場の人を訪ねることがある。ビラを配ることはないが、相手が話したくない内容を聞きに行くことも少なくはない。今回の事件を取材するようになってから、マンションなどに立ち入るたびに、「相手が不快に思ったら、ある日突然、自分も逮捕されることがあるのだろうか」という思いがよぎるようになった。
長谷川憲一裁判長も公判で「表現の自由に関する重大な論点がある。社会の注目を集めており、同種のビラ配りへの影響もある」と述べていた。
3人の中で最年長の男性(47)は公務員のため、禁固以上の刑が確定すれば職を失う。判決後の記者会見では「僕にとってはクビがかかった闘いだった」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。女性は支援者を前に涙ぐんだ。だが検察側が控訴すれば、3人は被告という立場から解放されることはない。
罪に問われたのは、政治的な主張をつづった数種類のビラに過ぎない。3人が自衛官らに直接危害を加えるような動きもなかった。にもかかわらず、いきなり逮捕、起訴にまで踏み切る必要が本当にあったのだろうか。人ひとりの身柄を拘束し自由を奪うことの重みを考えてほしい。
毎日新聞 2004年12月24日 0時24分
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/kokkai/news/20041224k0000m070111000c.html