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http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/10504303.html
イラク戦争と、川崎あたりの造船場と、フリーターの社会問題。
ちょっと前から考えていたことが、やっと頭のなかでまとまってきた気がするので、書いておきます。
(いきなりですが)以前から、「戦争は最大にして絶対的な景気対策」という考え方があります。その理由は、戦車やら船やらデカイものをつくってボカンボカン壊す・・・という究極の(i)「大量消費」ということももちろんあるのですが、私的には、鉄鋼・重工・造船などがフル操業することによる(ii)「雇用拡大」という要素が大きかったんじゃないかと思っています。つまり、仕事をなくして、街をうろうろしてた若者たちが、工場に吸い込まれていくことで、失業対策が行われ、同時に彼等がお金を手にすることで、大衆消費も拡大するといういいとこずくめのの「政策」が「戦争」だったというわけです。
ところが、
この構造が現在の経済には当てはまらなくなっている、というのが、この文章のテーマになります。
事実として、日本には「朝鮮特需」や「ベトナム特需」によって経済成長した過去があるわけですが「湾岸特需」や「アフガン特需」「イラク特需」があったという話は聞きません。(最近、日本は景気回復しているという声も聞かれ、確かに、景気循環の上昇期にあるのは認めますが、株価は911直前の水準でうろうろしている。「上昇期でこれかよ?!」というレベルの「景気回復」にすぎないわけです。また、アメリカにおいてもいまだに双子の赤字に苦しみつづけ、クリントン時代より明らかに経済においては低迷しています。
その理由として私が考えたのは以下の2点
(i)経済の重心が、重工業からハイテク・ITに移っている。
(ii)重工業自体がハイテク・IT化している。
(i)正確な数字はわかりませんが、ここ20年ぐらいで鉄鋼・造船などの産業は減退し、それに変わってハード・ソフト・ネットワークというIT産業が大きく成長しています。つまり、かつて「鉄は国家である」とまでいわれた重工業は、経済のなかにおけるほんの一部にすぎず、これが活性化したところで、経済全体を牽引する力をもたない。
(ついでにいえば、ハイテク・IT産業が受ける戦争の恩恵は非常に限定された小さなものにすぎません。ばかばかしい話をすれば、飛行機に積んだ自動運転プログラムが戦争で「消費」されても、またオリジナルプログラムから、コピーすればすむことですから、全然ソフトウエア産業は活性化なんかされないわけです)
ということは、いろんなところで言われているでしょうが、実は、私はつぎの問題の方が深刻だと思っています。
(ii)戦争において恩恵を受ける鉄鋼・造船などの産業においてもハイテク・IT化が進んでいる・・・ということは、工場の無人化が急進展しているということです。たとえば、軍艦をつくるというような仕事を考えれば、戦前の造船上では1000人ぐらいの人がいてネジを締めたり材料を運んでいたりしたのが、どう考えてもいまでは1/10ぐらいでなんとかなるんじゃないか、というイメージです。
つまり、「戦争」における「大量消費」効果が減少しただけでなく「雇用促進」効果もなくなった。これが「戦争=景気回復」という方程式を崩しているんじゃないか、と、思うわけです。
さて、
ここでちょっと話は変わるんですが、仕事柄企業の人事担当者に会うことがあります。
で、彼等が口をそろえていうことは「定型化された作業を忠実にこなすだけの人材」は不要で「新しい価値や仕組みを生み出す創造性を持った人間が必要だ」ということです。
「命令に忠実に従う」兵隊さん的人材に働き場所がない、ということは、重工業などで単純労働者の雇用が減少するということだけではありません。たとえば、従来大卒者採用のボリュームゾーンであった「営業」という職種を考えてみても、じつに多くの業種で、インターネットなどを使った反響営業が活性化し、過去のような「足で稼ぐ」「根性のある人材」という人たちが働ける職種は非常に減少していているわけです。
(多くの流通業がとっていたルート営業=売るだけではなく商品配送まで行うという職種もヤマト運輸や佐川急便による物流改革により不要なものになろうとしています)
笑い話ですが、ある大手企業の人事担当者が
「当社で必要なのは、専門技術をもっていて、でもそれだけではなくビジネスを生み出すアイデアと計算高さのある人材」
と言ったので
私は
「おお、それはビル・ゲイツですな」
「そうそう、それを50人!(爆)」
というような会話がありました。
私がここで言いたいのはなにか、というと、
「社会における人材ニーズ」と「実際に存在する人材」に大変なアンバランスが生まれている、ということです。
学校において、「上のものに忠実に動き、定型化した作業をきちんとこなす」ことをたたき込まれた人材は、「専門技術」や「アイデア」や「計算高さ」を持たないために、働き場所を失っている。
このことが、「景気回復後」もつづく未曾有の「大卒者就職難」ということにつながるわけです。
正確な数字はここにありませんが、以前聞いた話では、「いま大学を卒業して、就職することができる人材は、じつに30%!」という恐ろしい話を聞いたことがあります。多くの大学では、「見込みのない学生」には「ダブルスクール」や「大学院進学」を奨めるために、分母から取り除かれて、各校が発表している就職率は、これよりも高く操作されているということのようです。
残りの70%は、どうなるか、というと、「定型化した作業を必要としている」コンビニバイトなどをするフリーターになったり、あとは、ニート、引きこもりというような形になって社会化を放棄するというようなことにもなってくるわけです。
しかし考えてみると、毎年何十万人もの「社会から必要とされない」人間が社会へと送り出されてくる、というのは、結構恐ろしい話ではないですか。当然治安も悪化する。社会の安全というものが危機に陥る。
ついでにいえば、最近の社会の右傾化というのも、この文脈のなかで語れるような気がしています。つまり「定型化した作業を指示してくれるご主人」がほしいという感覚が「強圧的で、明確な命令を発する『より強い国家』を希求する」という方向に変換される人が増えているのではないか、と、
でも、そんなものを待っていても永遠に訪れない・・・というか、
「強い国家」はけっして「あなたの雇用を回復してくれない」。
このような人のニーズとシーズのアンバランスというのは、私たちの社会にとって、とてつもなく大きな問題であり、いますぐに対策を講じなくてはいけないと思うのですが、残念ながら、私も「こうすればいい」という完璧なアイデアはありません。「教育」が一つの突破口になるかもしれないとは思うのですが「本当に創造的な人間」はトレーニングによって生まれるものではないとも考えています。
ということは、このような社会における崩れたバランスというのは、今後も続くことになるわけで、深刻といわざるを得ないでしょう
Posted by jabberwock555 at 10:57