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(回答先: 続き 投稿者 kaname 日時 2004 年 11 月 12 日 22:57:22)
(前号からのつづき) さて、渋谷警察署に行くために、囲みを振り切ってようやく反対車線きたものの、私の自由は依然として奪われたままでした。手をあげてタクシーを止めようとしても、4人の警察官が私の周りをグルリととり囲んでいる状態はまったく変わらないのです。こんな状態ですから、第一タクシーが止まってくれません。1、 2台は止まってくれたのですが、私が乗り込むことができないので、そのまま先に行ってしまいます。こういう状態なのですから、私の自由は、事実上奪われているといってもいいのでしょう。
事件当日の私の服装です。まあ、お世辞にもダンディとはいえませんが、見るからに犯罪者という風体でもないと思いますがねぇー。ベストを着ていたのは、風邪のために悪寒がしていたために、厚着をしていたのです。私が立っているところが、事件現場です。私はここで4人組にいきなり取り囲まれたのです。どっちから4人組が私を襲ったのか、私はいまでも分りません。その位、いきなりのことでした。さすがに彼らも私を交番に連れて行くのは諦めたようです。後はどうやって渋谷警察署に行くかという問題です。渋谷署は、いま私たちがいるところから、1キロメートルくらい離れたところにあります。私は警察署長にあって、彼らがやったことを包み隠さず話し、反省してもらいたいから警察署に行くつもりですし、本気なのです。逃げる気など毛頭ありませんし、いまさら解放されても、私は渋谷署に行くつもりでした。いくら彼らがそれは勘弁してほしいといったって、今度は私の方がもう譲る気がないのです。
だから、私が渋谷署に行こうというのですが、その方法が問題になっているのです。
「私は、いま風邪をひいているので、渋谷署まで歩いていくのは正直にいってしんどい。だから、タクシーで行く。君たちも乗ってもいい。もちろん、お金は私が払う。なんでこれがいけないのか?」
こう私がいうのですが、彼らはこういうのです。
「それはできないのです。私たちはタクシーには乗れないのです。パトカーを呼びますから、それで行きましょう」
こう繰り返すだけなのです。パトカーなら、タクシー代は確かにかからないが、理不尽な職務質問をさんざん受けた上、パトカーに乗せて下さる!? 冗談じゃない!よくも平気でそういうことがいえるものだとさすがに腹が立ってきました。
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「冗談じゃない。パトカーなんかにのれるか! 私はタクシーで行く」というと、「私たちはタクシーには乗るわけにはいかないのです。それでは、歩いて行きましょう」というのです。私は、風邪がひどくやっとベッドから這い出てきたのですから、1キロちかくある渋谷署まで歩いていくのは本当にしんどいのです。このことを何度話しても、彼らの答えは同じなのです。
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もうポケットの中のものを見せろ、見せないの問題ではなくなりました。タクシーかパトカーか、車でいくか歩いていくかの押し問答です。こんな押し問答を5〜6分、車がひっきりなしに通る交差点の路上で行ないました。交差点ですから、信号が変わるたびに多くの人が通ります。私だって、こんなことをしているのは、嫌になってしまいます。だからといって、パトカーを差し向けて下さるというご好意を受ける訳にもいきません。また歩いていくのは、しんどいのでOKという訳にもいきません。どうして、こんな石頭を相手にしなければならないんだろうと苛立ってきました。
しかし、彼らもさすがに参ったのでしょう。4人組の一人が無線で上司と相談しれいるようでした。間もなく、許可が下りたらしく、私がタクシーに乗っていくことを了承しました。手をあげてタクシーを止めました。一人が前に乗り、もう一人が私の側に乗らせてもらいますというのです。そんなことは、最初から私は当然のこととしていましたので、許可するもしないもないのですが、逆に私はこういいました。
「後に二人乗らなくていいのか? 君たちは私がタクシーに乗って、怪しいものをタクシーの中に置いていく危険があるから、タクシーはダメだといったんのだろう。私の左右に二人乗ればいいじゃないか。お金は私が払うから」と同乗を勧めたのですが、「いえ、それはいいんです。逮捕ではないんですから」といって、一人だけが私の左側に乗りました。
彼らも状況が少し変だなと気付きはじめたようです。いままでに比べると態度がだいぶ丁寧になってきました。言葉使いも丁重になってきました。車がけっこう混んでいましたので、1キロ足らずの距離でしたが、10分以上はかかったのではないでしょうか。車中で、
「君たちはいつもあんな風な職務質問をするのか? 日本という国も恐ろしい国になったもんだなぁー。困ったことだ」
といいますと、
「私たちは、この渋谷の治安を守らなければならないのです。拳銃を持っている者もいれば、薬物を持っている者もいるのです。ですから、職務質問をして未然に犯罪を防止しなければならないのです」
というような趣旨の話をさかんにするのです。
しかし、彼らをこれ以上責めても、悪いことをしているという認識がないのですから仕方がないと思い、私は取り合わないことにしました。彼らと30分ちかく押し問答する中で、彼らが今日私にしたことを正当な職務行為だと信じ切っていることがよく分りました。私がいくら彼らにいって聞かせても、彼らが私のいうことを聴かないことは明らかです。私は、このような職務質問をさせている警察署長に現状を話し、これを改めさせるために渋谷署に向かっているのですから。途中、私は、警察署にタバコ販売機があるかどうか聞きました。もしなかったら、タバコを買っていこうと思ったからです。丁度、タバコがなくなっていたのです。けっこう長引くだろうから、タバコはいるなぁと思ったのです。
車は、渋谷署に着きました。代金を払い、署内に入りました。私は、入り口の近くの部屋に案内されました。取調室ではないようですが、応接室としては味気ない小さな固いソファが一つだけ置いてある広い部屋でした。まずは、タバコを確保しようと思い、自動販売機はどこかと聞いたところ、買ってきてくれました。灰皿がなかったので、ここは禁煙かと聞くと、床に置いてある大きな吸殻捨てをもってきてくれました。ドアを閉めないので、出入りする人が見えます。
タバコを吸って待っていると、何とか代理という人が出てきました。私は、署長としか話すつもりはなかったので、応対する人には興味ありませんでした。ですから、あえて肩書きには関心がなかったので、その警察官にも失礼ですが、申し訳ありませんが何とか代理としかいえないのです。
私は、その何とか代理さんに「今日私が職務質問を受けたことで、署長にいいたいことがあるのできました。署長にお会いしたい。私は国家公安委員長をしたことがある白川勝彦です」と告げました。何とか代理さんは、私を知らないようでした。また、国家公安委員長というのもよく知らないらしく、都の公安委員ですかとか、国家公安委員ですかとかいって、何度も書きかえていました。「私が平成8年9月から翌9年9月まで、国家公安委員長をしていた白川勝彦だということ。その白川が署長にお会いしてお話したいので、取り次いでもらいたい」旨を丁寧に説明しました。
よく分ったのか分らないのかしれませんが、その何とか代理さんは退席していきました。その代わり、今度は何とか課長さんという人が出てきました。張り切って出てきたその人には失礼ですが、私は署長と話すつもりしかありませんでしたから、その課長さんの肩書きにはまったく関心がなかったの、この人もまた何とか課長さんとしかいい様がないのです。その何とか課長さんは、何とか代理さんから変な風体をした公安委員長と称する者が来て、署長に会わせろといっているといわれて、こんなものは追い払わなければならないと思って張り切ってでてきたのだと思います。最初からいやに肩に力が入っていました。
しかし、私が会いたいのは、署長だけですから、誰が出てきても同じです。私は先の何とか代理さんにいったと同じように、国家公安委員長をした白川勝彦であること、今日職務質問を受けたことで署長に話をしたいので、取り次いでもらいたいといいました。そしたら、その何とか課長さんの返答がふるっているのです。
「国家公安委員長は、どうやって任命されるのですか。どういう仕事をするんですか」というのです。そんなことをどうして聞くのかと思ったのですが、要は私がかつて国家公安委員長をした白川勝彦だということを信じられないのでしょう。住所はどこですかとか、そのときの総理大臣は誰ですかなどと執拗に聞くのです。しかし、何とか課長さんがどう思おうと、私がかつて公安委員長をした白川勝彦であることは間違いない事実ですから、仕方ありません。
彼が私をどういう素性の人物だということを知らなかったのか、あるいは、知っていてもこういう問題で署長に会わせることはできないと思ったのか不明ですが、とにかく、一向に署長に取り次ごうとしません。そして「もし、あなたが国家公安委員長をした人ならば、警察官を苦しめるようなこんなことはしないはずだだ」とか何とかいうのです。今度は、私が国家公安委員長をした白川勝彦であるかどうかが、押し問答の中心的なテーマとなりました。15分くらいこんな押し問答をしたでしょうか。しかし、要するに彼の言わんとすることは、署長には会わせる訳にはいかないということです。だったら、もうこの何とか課長さんと話をする必要はありません。
「分った、もう、あなたに取次ぎは頼まない。直接私が面会を申し込む」といって、私はその部屋を出ました。別に制止はありませんでした。もし、私がそのまま警察署を出ようとした場合、彼らは制止したかどうか? それは分りません。制止はしなかったのではないかと私は思います。その証拠に、私についてきませんでしたから。何とか課長さんにしてみれば、なんとも得体の知れない人物には、早々に立ち去ってもらいたいというのが本音だったのではないでしょうか。しかし、今度はこっちがこのまま引き下がる訳にはいきません。何としても今日私が受けたことを署長に知らせ、このようなことが行なわれないようにすることが私に与えられた任務であると確信し切っているのですから。
その部屋を出たところに、渋谷署のカウンターがあり、そこに「総合受付」というところがありました。そこで、署長への面会を申し込もうと思い、話はじめようとすると、件の課長さんはあたかも大事件のように「受付はあっちぃです、あっちぃです」といって、入り口のカウンターを示すのです。それなら、「総合受付」というのは一体何なんだといいたくなります。しかし今は、くだらないことでクレームを付けられることではなく、署長に面会することが先決ですから、入り口のカウンターで求められた申込書に必要事項を書いていました。すると、遠くのほうから大きな声で「白川先生!白川先生ではありませんか」といいながら、誰かが駈け寄ってきます。一体、どこのどなただろうかと思いました。
「私は、昔、警察庁の政府委員室にいた○○です。いまここで副署長をしています」といって、私を先程の部屋に引き戻しました。正直にいって、私は彼を知りませんでした。彼が政府委員室にいたのは、平成7年までだそうですから、私が知らなくても不思議ではないのです。私が国家公安委員長を務めたのは、平成8年から9年ですから。
事情は、すでに部下から聞いていたのでしょう。彼は警視庁の警察官ですが、警察庁に出向し、政府委員室という国会対策をするところに勤務していた関係で、私を知っていたのでしょう。人定ができた以上は、これはそれなりの対応をしなければならないので、出てきたのだと思います。その証拠は、「一体何があって、いま私がここにいるのか」ということについて、まったく質問がでなかったことです。そして、今日起こったことには多少問題もある、ということも承知していたのだと思います。
この、人柄のよさそうな副署長は、政府委員室に勤務していた時や、私の国家公安委員長時代の話をし、私を誉めてくれるのですが、だからといって、私はそれに気をよくしてそのまま帰る訳にはいかないのです。私はまずお茶を所望しました。バカバカしい押し問答を相当長いことやっておりましたので、喉が乾いていたのです。お茶を飲みながら、私は改めて事の顛末を詳しく副署長に話しました。そして、これはよくないことなので、ぜひ是正しなければならないといいました。さらに、このことを署長にもちゃんと伝えるようにいいました。彼から特に反論はありませんでした。
最後に、私は副署長に「現場にいた人でいちばん階級の高いものを呼びなさい」といいました。勘違いしたのか、警邏( けいら)の現場の上司と思われる警察官がきました。しかし、私は実際に職務質問した警察官に話したかったので、彼らの中で一番階級の高い者を呼びなさいと,、再び、いいました。4人組の中の一人がきました。君がいちばんの上司なのかと聞いたところ、階級は同じだが年齢が一番上だということでした。彼の上司には後ろで聞いてもらうことにして、彼と副署長に対して、私はこういいました。
「今日の職務質問で一番問題だったことは、ズボンのポケットの中のものを見せなさいといって、ズボンの上から強く触ったことである。見せる見せないは、あくまで私の意思でやることであって、これを強制する権限は、君たちにはない。『怪しいものがないのなら、見せてもいいじゃないですか』と君たちは執拗にいったが、それは根本が違うのだ。自由主義社会というのは、国家からの自由も、できるだけ保障する社会なんだ。私は自由主義者として、そういう社会を作ろうとして努力してきたのだ。怪しいものを持っていないのなら、見せなさい。見せられないということが、怪しいものを持っているからじゃないかと疑うことは、とんでもないはき違いなのだ。ここのところを、よく分ってもらいたい」
「君たちの中では、一体、誰が一番の大将なんだ。誰が現場において臨機応変な措置をすることになっているんだ。犯罪の現場だろうが、今日のような警邏であろうが、一つひとつの現場は、決してマニュアル通りにはいかないのだ。そこで、経験と臨機応変さが必要になるのだ。私は国家公安委員長時代、これからは“はぐれ刑事純情派”の藤田まこと(正式には、安浦刑事)のような刑事を大切にしていかなければならないといい、そのよう制度を作らせた。それは、そういうことをいいたかったのだ。それなのに、今日の君たちの対応は一体なんだ。石頭すぎる。副署長、これは、このような編成で警邏させる方に問題があるんじゃないかな」…などなど。
例によって、私の長演説に付き合ってもらうことになりました。しかし、私を長い間事実上拘束し、また私の名誉をいささか傷つける行為をしたのですから、このくらいは我慢してもらっても罰は当たらないでしょう。そして、最後に私はこう付け加えました。
「今日、私が体験したことは、私のウェブサイトに書くつもりだ。君たちもインターネットを見るんだろう。どう書くか、ぜひ見てもらいたい」
副署長は『今日のことはこれ限りにしてほしい』と頭を下げました。人のいい彼には申し訳ないことですが、私はこれには応ずることはできませんでした。私の体験は、貴重であり、また空恐ろしいことであり、こんなことを野放図にしてはならないと思ったからです。これは、もう私の不動の信念となっておりました。そして、まだ風邪気味でちょっとしんどいのですが、かなり長文のレポートを認め、ささやかではありますがこれを公にしました。
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「白昼堂々、4人組が!」などと大仰な見出しにもかかわらず、こんなことに過ぎないのか、大騒ぎする程のことじゃないではないか、という人もおられるかもしれません。しかし、私が経験したような状況の中で、私と同じ行動を取れる人が、果たしてそんなに多くいるでしょうか。私は弁護士です。私は政治家です。私は国家公安委員長をしました。また私は熱烈な自由主義者です。そんな私だから、ここで詳しく書いたような行動を取れたのだと思います。
私は自慢話をしているのではないのです。自慢話なら、もっと別の行動でなければなりません。非礼かつ無法な4人組をちぎっては投げ、ぶっ飛ばしたというような話でなければなりません。実際のところ、あまりにもしつこいものでしたから、突き飛ばして4人組の囲みから脱出しようと何度も思いました。しかし、そんなことをすれば彼らの思う壺だと思ったから、やらなかっただけです。私は狡猾だっただけなんです。考えてみれば、こんな意地悪な人物に目を付けてしまった 4人組こそ、災難だったのかもしれません。
警察官に取り囲まれ、見せろ見せないなどといって揉み合う姿は、決して格好いいものではありません。東京の繁華街ですから、顔見知りの人はあまりいませんが、それでも、私と知った人がいたかもしれません。名誉な光景では決してありません。だったら、素直に彼らのいうことを聞いていればいいじゃないかという人がきっと多いでしょう。確かに、そうしても私は困るようなものを持っていた訳ではありませんから、直ぐに無罪放免になっていたかもしれません。しかし、自由主義者の一人として、それだけは絶対に認めることはできません。
いずれにしても、私と同じような行動を取れる人の方が少ないと思うのです。それが彼らの狙いで、職務質問ということで、本来は許されないことを平気でドンドンやっているのでしょう。テロとの戦争また治安の維持ということで、こうしたことが平気で罷りとおる社会的風潮だと思います。アメリカでは、9 ・11以降、アラブ系の人々などに対して、憲法で保障された人権をまったく無視する違法なことが行なわれていると聞いています。何でもアメリカ追随の日本ですから、こうなっても不思議ではないでしょう。しかし、そんなことは、絶対に許してはならないのです。
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最後に、今回は事実関係を中心としたレポートで終えます。私としては、できるだけ忠実に私が体験したことを書いたつもりです。別に誇張をしなくても、十分に問題のある(私にいわせれば、違法な)職務質問でした。しかし、私は一方の当事者です。しかも、かなり緊迫した状況の連続でしたから、客観性を欠く惧れはあるでしょう。ですから、私は、もう一方の当事者である4人の警察官に、釈明なり、反論の機会を保障します。若い警察官ですから、インターネットくらいは見れるでしょう。また、私は今回のことをウェブサイトで書くからとちゃんといっておいたのですから、見ているでしょうし、見ていないようじゃ困ります。
私が書いた事実に釈明なり、弁明や反論があったら、Eメールで私宛てに送ってくれれば、そのまま掲載することを約束します。もちろん、それに対する私の再反論の権利は当然のこととして留保します。また彼らの上司であり、直接の責任者である渋谷警察署長の釈明や反論も同じです。さらには、今回の私のクレームをどう受け止め、どのような措置をとったのか、これはぜひお伺いしたいところでもあります。
「好きだから 正義で守る この街を」
警察官というのは、名刺を出さないんですね。私が会った全部で8人の警察官の中で、私に名刺をくれたのは副署長さんだけでした。彼が私にくれた名刺にある標語がこれです。警視庁全体のものか、渋谷署だけの標語かは知りませんが、おおいに結構なことです。
しかし、正義とは何か。ここで問題にされたのは、Due Process Of Law という考え方なのです。法の適正手続きなどと訳されますが、本来の意味はちょっと違うような気がします。国民の生命・身体・財産などに対する強制力の行使は、法が定める正当な手続きと方法に基づいて行なわれなければならないという、かなりポヂィティブな意味をもっている概念で、アメリカ法のもっとも基本的な理念のひとつです。
勝てば官軍とか、結果良ければすべて良しとか、長いものには巻かれろなどという言葉がある日本では、これは、なかなか理解されない理念です。しかし、わが国が自由主義の国であるならば、絶対にないがしろにしてはならない理念なのです。今回私が遭遇した警察官には、この理念に対する理解がまったくないと断ぜざるを得ません。だからこそ、私は空恐ろしいことと思ったのです。
Due Process Of Law は、正義です。特に警察権力の行使は、絶対的にDue Prcess Of Law の精神に基づいて行なわれなければなりません。わが国の警察権力や国家権力には、彼らが思っている程の信用は、ないのです。ですから、殊のほか Due Process Of Law が求められるのですが、その自覚がもっともないのが警察官であり、検察官であり、官僚です。ですから、ちょっと油断するとわが国は、警察国家になり、官僚王国になってしまうのです。「権利のための闘争」…ドイツの法哲学者イェーリングの有名な言葉です。この“権利のための闘争”というビヘイビィアこそ、自由主義者としての私の発想と行動の原点です。
「好きだから 正義で守る この国を」
以上の言葉で本稿を締め括り、とりあえず筆を措きます。