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(回答先: 「国政の平和路線への転換」を目指しましょう。憲法を変えてはなりません。 投稿者 新世紀人 日時 2004 年 10 月 16 日 14:18:29)
幕末・明治維新期の最大の国家的課題とは、ペリーの黒船来航から始まった米・英・仏・露国の植民地侵略の脅威でした。「吉田寅次郎松陰」の志を継いだ全国の「草莽の志士」の決起と偉大なる「勝安房守海舟」の差配により、尊皇倒幕開国派の志士達が集められて、朝廷の官軍と幕府軍との内戦が外国勢力によって仕掛けられ、江戸総攻撃の本格内戦勃発時には英国軍の江戸への進駐が予定していたのです。ロスチャイルドの極東支配人ジャーディン・マセソン商会の日本駐在代表だった英国フリーメ−ソン・ユダヤの手先グラバーの薩長を操り日本を植民地化しようとしていたその仕掛けを見抜いた勝海舟と既に元治元年九月十一日に大阪の宿で土佐藩と越前藩の仲介立会いの下で、初めて両巨頭が会見して、「共有の海局」と「日・中・朝鮮共有東洋艦隊」設立を説かれて目から鱗が落ちて西郷はその時点で勝の弟子となっていた。西郷隆盛は、偉大なる師匠の勝によって説得されて、英国フリーメーソンがこの内戦から英国植民地化を仕掛けていたのを打ち破るべく、幕府側が江戸城を無血開城して官軍に明け渡し政権交代を平和裏に成し遂げて見事に彼らの計略を破壊しました。グラバー商会は内戦を前提に大量の武器を仕入れていたので、「死の商人」ユダヤ・フリーメーソンは、遂に、あの偉大なる巨人で明治維新の本当の立役者で愛国者だった勝海舟によって、破産に追い込まれ敗北させられました。かくして、明治政府は米・英・仏・露国の侵略と植民地化の虎口の脅威から脱して、日本の独立を守り通しました。
フリーメーソンを利用しつつも、ついぞその姦計には嵌められずに、植民地に成り下がることにはならなかった結果、「明治近代日本の大発展」と欧米諸国に追いつく急速な富国強兵によって近代国家の強国となれました。謎のフルベッキ写真
http://www.asyura2.com/0406/idletalk10/msg/503.html
というものは、実は、勝海舟の仕掛けによる元治ニ年(慶応元年)2月から3月にかけて、後の明治天皇(大室寅之祐=長州藩力士隊隊士)を戴く46人の秘密尊皇開国倒幕派の結集の記念すべき集合写真であり、後の明治新政府の骨格をも作った明治維新の主人公とは、オランダ系米国からきたフリーメーソンのフルベッキ牧師でも薩摩の西郷、大久保でも、長州の桂小五郎・高杉晋作・伊藤博文でも、土佐の坂本龍馬でもなく、本当は幕臣の勝海舟であったこと、さらには、攘夷佐幕の孝明天皇とその子の睦仁天皇を殺して、開国倒幕路線を推進した岩倉・西郷・木戸らが、伊藤博文を二人の天皇の殺実行者に仕立て上げて、伊藤博文隊長の第2奇兵隊と呼ばれた力士隊隊士だった部下の大室寅之祐少年を明治天皇として擁立するシナリオ劇を実行に移して、見事に睦仁天皇と大室寅之祐のすり替えに成功した出発点となった明治維新史の証拠写真です。明治維新の仕掛けと真相が、全てこの一枚の集合写真の中で証拠として残されています重要な写真です。この2人の天皇殺しと明治天皇へのすり替えの証拠写真が明治政府や今でも歴史学会からはその存在さえ否定されたのは、現皇室の万世一系の神話と近代天皇制を正当化する為には、当然でした。日本の独立維持・植民地化阻止・強国化の為にはいかなる行為も許されるとした明治の元勲達の言い訳が聞こえるようです。
今や、この150年の日本近代史を見直して、明治維新の原点だった光格天皇・仁孝天皇にまで戻って、江戸への行幸を遷都だと詐称して、顔の知られた京都御所から江戸城へ移って、薩長の足軽田舎侍達がでっち上げた「明治新政府」なる「岩倉・大久保・木戸・伊藤のフリーメソン政権」の清算と、日本の伝統的な皇統への復帰の為に、「京都御所への行幸」によって京都に戻り、「真の日本への回帰」を行なうと共に と 外国占領軍の撤退と「真正の独立国家化」の民族的課題こそが、9・11に始まるユダヤの世界政府樹立と異民族(ゴイム)奴隷化への試みに対する日本人の回答でなければならないのだ。
第2の日本国家・民族の英雄「勝海舟」よ、出でよ!!!