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(回答先: 携帯電話:単純な疑問なれど大いなる矛盾を感じております。 投稿者 竹中半兵衛 日時 2005 年 1 月 03 日 23:01:50)
竹中半兵衛さん、投稿のご紹介をいただき、ありがとうございます。
私はここ数年、阿修羅の一読者として過ごしてきましたが、論客の方々の深い洞察力にはつくづく感心させられるとともに、私の思考作業に多くのヒントを与えてくれました。
しかし最近、サイトのその雰囲気が、何となく変化してきているような気もします。「真実の探求」こそが阿修羅サイトの存在意義であるなら、徹底的な陰謀史観に立ち世の中の現象を追求しよう、というのが私の立場です。
川内重信氏が「容疑者が犯行当事者と認定されたなら責任は厳しく問われるべきだろう。」とおっしゃるように(「認定」が真実なら)、それは当然の帰結ですよね。問題ありません。しかし、事件に只ならぬものを感じ「冤罪の可能性は?」「事の真相は?」と問い続けることは、この狂気の現代社会に於いて大きな意味があることと考えています。
また「真実の前に矛盾は存在し得ない」と思いますので、情報の矛盾・疑問を突破口に、隠された真実に迫ることができるのではないでしょうか。玉石混交、情報の大洪水を前に至難の業でしょうけどね。
前置きが長くなってしまいましたが、竹中さんの以下の疑問、
>単純な疑問なのですが、被害女児のGPSつき携帯電話って、事件発生の11月17日の画像とメールの送信から12月14日までの再度の画像と脅迫メールを送信できるほどに、1ヶ月近くにわたってバッテリー(電池)が持つのでしょうか、どうもこの点が気がかりです。<
に関しては、真犯人(実行犯のみを指さない)を「証拠物を自在に扱える者」と仮定すると矛盾が生じないと思います。「小林容疑者が真犯人」とすると矛盾が生じるのであれば、前者の方が論理的といえるのではないでしょうか。
>これと関連して今回も目撃情報は車の色や「男」の容姿に違いがある。<
については、私も確認していますが、どう解釈すればよいでしょうか。はっきりいえることは「真実はひとつ」。車の色も犯人の容姿もひとつ、ですよね。そこで、「彼が濃緑のカローラ2で」誘拐をしたかどうかが問われます。これに対して、複数の異なる目撃証言がでてくる意味とは何か。
先の命題が真であるなら、「黒っぽい車」「ハッチバック」などは支持されるが、「白い車」「薄い頭髪」などの証言には偽証・撹乱・誤誘導などの意味が残りますが、そうする理由がみつかりません。逆に命題が偽であるなら、つまり「白い車」や「薄い頭髪」などが真実なら、「黒っぽい車」「ハッチバック」は俄然、情報操作・誘導の意味を持つといえないでしょうか。
しかし車種については、捜査段階でこれが特定できていない(間違っていたらご指摘ください)。防犯ビデオの映像云々の情報はその後どうなっているのか、聞こえてきません。ここにもうひとつのパラメータが存在します。
ビデオに事件を示唆する何かが写っているのか否か。何も写っていなければ、それはそれで問題ありません。が、逆に写っていると仮定したときに、公開できない理由とは何か。「黒っぽい車」「ハッチバック」であれば公開すればいい、証拠能力は高い。もし「白い車」が写っていたとしたら・・・。
>もう一つは2チャンネルでの類似の書き込みです。
http://www.asyura2.com/0411/nihon15/msg/454.html<
私は「偶然」を支持しません(生意気にごめんなさい)。一般に「偶然」と思われる件でも何らかの因果関係、必然的な意思が存在すると思えるからです。
記事は「事件を誘発か?」と言いながら「ただ事件との関連は不明」と言う、ここに胡散臭さを感じるのです。当局は調査の上、容疑者と関係がなければ「無い」と公表すべきです。関係があるのなら超一級の証拠となり(もちろん捏造もできる)、鬼の首を取ったかのごとく報道するでしょう。
故意に調査がなされていないとするなら、あるいは調査結果が公表されないなら、それは「容疑者との関係がない」からと結論せざるを得ません。とすると、これは確信犯的犯行予告・真犯人別人説の可能性を示唆することになります。
と、こんな感じで様々な事象を類推し、パズルを組み立てようとしているのです。
なぜ私の考えが冤罪説に傾くかというと、公表されている情報から判断するだけでも、怨恨ではない(当事者間に因縁が見えない)のに偶発的事件とも考えられず(歯にまつわる被害者側のバックグラウンド)、そして事件発生前から逮捕の後にまで緻密な計画性を感じるからです。
意外と「真実」は単純ではないかとも思います。樹ばかりに囚われすぎると森が見えてきません。ですから私は簡単に「AがBをしてCとなった」と仮定し(例えば「公権力が少年犯罪をでっち上げて少年法を改正する」のような)、枝葉末節にいたるまで矛盾が存在しないか、を考えてみます。もちろん、ご都合主義・現代の天動説にならないように気をつけなければなりませんけど。
昨今の凶悪犯罪、大量殺人、戦前・戦中からの「公安の暗躍」が噂される事件など、陰謀史観で見ない限り辻褄の合わないものは数多く存在します。宮崎勤しかり、神戸少年Aしかり、長崎の2件しかり。もちろん阿修羅な方々が追及されてますよね。
最後になりますが、韓国で連続殺人事件がありましたよね、資産家や売春嬢を20人だか30人だか。この事件の報道で、容疑者がテレビカメラに向かって発言してましたね。「女性は売春をやめて欲しい・・・云々」
日本でも、容疑者が直接公共の電波に乗せて発言をする機会を与えてはどうでしょう。池田小事件の故宅間死刑囚よろしく、聞くに堪えないこともあるでしょうが、少なくとも事件の真相が闇から闇への現象に歯止めが・・・、当局にとっては都合悪いですね。。。