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(回答先: 神戸の連続児童殺傷事件、加害男性が元日にも正式退院 (読売新聞)【infoseekニュース】 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 12 月 14 日 21:54:00)
神戸市の連続児童殺傷事件の加害男性が関東医療少年院を正式退院する見通しとなったことについて、遺族の土師守さん(48)と山下京子さん(49)が14日、コメントを発表した。
その全文は以下の通り。
◆少年事件における情報開示の制度化を…土師淳君の父◆
昨日(13日)、法務省保護局の方から、加害男性の現在までの経過及び状況等について説明を受けました。
今年8月11日には、法務省保護局の方から男性の仮退院後の状況について説明がありました。その時に、保護観察終了前にもう一度説明して欲しいと、私たちは要望しましたが、それに沿っての説明でした。昨年5月以来計7回の説明を受けましたが、このような法務省の対応については高く評価しています。今年12月末で保護観察は終了し、男性は本退院となり、来年からは、一応、国の監視から離れます。保護観察終了後も、男性の状況について説明を続けて欲しいと、以前より私たちは要望していましたが、来年以降も何らかの形で説明を受けることができるという感触を得ました。
前回、男性からの謝罪の手紙が私たちに託されましたが、私たちは、その時点では手紙を読むという気持ちになれませんでしたので、代理人に手紙を預かって頂きました。その後、法務省からの再度の説明の時期が近づいてきましたので、このまま放置するわけにもいかないと考え、11月になってから、代理人から手紙を受け取り、11月中旬に読みました。手紙の中には謝罪の言葉が書かれていましたが、内容の詳細及び私たちの感想については控えさせて頂きたいと思います。
私たちは、以前から少年事件においても被害者や遺族が情報を得ることができるようにと、法務省に対して要望してきました。私たちはある程度の情報を得ることができましたが、この事件だけを特例とせずに、少年事件における情報開示の制度化を速やかに確立して欲しいと願ってやみません。(土師 守)
◆男性の本退院について思うこと…山下彩花ちゃんの母◆
神戸連続児童殺傷事件の加害男性が本退院する日が、目の前に迫ってきました。
今年の3月10日に男性が仮退院したときも、ひとことでは語れない複雑な心境でしたが、いよいよ今月末をもって彼が法務省の手を離れ、私たちと同じ社会で生きていくことを思うと、事件から今日までのさまざまなことが胸を去来し、複雑さは倍増しています。
誰もが抱いているであろう、「彼は本当に更生しているのか」「彼が社会人としてまっとうな人生を歩めるのか」という疑問は、もちろん私どもも抱いています。また、「男性の病気は完治しておらず、社会に出すのは非常に危険」という、人の心を煽(あお)るような記事も出回っています。
しかし法務省が、「男性の社会復帰を認める」という太鼓判を押した以上、私どもはそれを信じるしかないというのが現状です。
社会復帰させるのが時期尚早なのか、あるいは妥当なのか、大きな議論がおきるところですが、今の時点では答えは出ないのかもしれません。
それは彼がこれから歩んでいく人生の軌跡の中でしか、判断できないような気がしています。
今年の8月、私どもは彼からの手紙を2通受け取りました。
あれほど、「まずは手紙で、謝罪の思いを本人から伝えてほしい」と切望していたにもかかわらず、私はすぐには読む気になれませんでした。
手紙を読んで事件の真相を知りたい、彩花の親として真実を知らなければならないと思う一方で、もしも、今よりもさらに辛(つら)く苦しくなって、自分がどうにかなってしまったらどうしよう、という怖さがこみあげてきたからです。
そんな葛藤(かっとう)を繰り返しながら、10日が過ぎ、ある程度動揺がおさまった私は、ひとりで手紙を読みました。
あくまでも私信なので、内容を社会に公表するつもりはありませんが、少なくとも劇的に私の気持ちを揺るがすものではありませんでした。そして事件の核心に触れるものでもありませんでした。
しかし、2通目の手紙は人から強制されて書いたものではなく、彼の本心を吐露したという感があり、出会ったこともない彼の声を聴いているようで、読み進めていくうちに涙を流している私がいました。
その涙の意味は自分でも理解できないのですが、憎悪や恨みという種類のものではなく、もっと静かな、ただただ哀(かな)しい、というのが一番近い感情でしょうか。
そのときに思ったのは、仮退院時のコメントと重複しますが、彼が「社会でもう一度生きてみたい」と決心した以上、どんなに過酷な人生でも、人間を放棄しないでほしい。彩花の死を無駄にしないためにも、生きて絶望的な場所から蘇生(そせい)してほしいということでした。
だからといって、けっして彼の罪を許したわけではありません。
それでも、彼の「悪」に怯(おび)えるよりも、わずかでも残る「善」を信じたいと思うのです。
彩花への謝罪とは、私たちが生涯背負っていかなければならない重い荷物の片側を持ちながら、自分の罪と向き合い、悪戦苦闘している私たちの痛みを共有することしかありません。
どうすれば痛みを共有できるのかを探すのは彼自身に他ならず、誰も肩代わりはできません。でもだからこそ、彼の中の「善」を引き出せる人たちと出会ってほしいのです。
これまで、加害者の情報を、限界はあるものの知り得たことや、男性からの手紙が届いたことは、私どもにとってはプラスになりました。充分とは言えないまでも、私どもの心情を汲(く)みとっていただけたことを法務省に感謝しています。
事件の大小にかかわらず、被害者が、事件の真相や加害者のその後の生き様を知りたいと思うのは、極めて当然のことなので、今後も何らかの形で彼との接点を持ち続けていきたいと思っています。
また、関係者の方々には、今回のことを特例扱いにせず、被害者からの要望があれば、真摯(しんし)に受け止めていただきたいと切望しています。(山下 京子)
(2004/12/14/22:57 読売新聞 無断転載禁止)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20041214i515.htm