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>>「意思決定」という意味では、投票についても、選好にバイアスがかかるでしょう。
>>そうした「多様性や可能性の自然な拡がり」を阻害する要因として、大手が資本に任せて求心力を持たせ、選択肢を集束しようとしている、とでもいうのでしょうか。
>そうではありません。
>大手の資本が、多様性や可能性の自然な拡がりをもたせればよいのです。
>たとえば、現在、音楽CDが売れていないと聞いています。
>この原因はP2Pソフトの影響だけではありますまい。
>商品の選択肢が狭められていることの影響もかなりあると思われます。
>10,20代に音楽に親しんだ消費者が30代、40代、またはそれ以上になっても
>音楽CDを買いもとめて聞くという習慣をもちつづけている人がどれくらい
>いるでしょう。
>これらの人々の趣向にあう、商品を継続して供給しつづける環境を
>つくることは大手の資本の方が向いているでしょう。
>継続して商品、そしてそれらをつくる人々をサポートできるのは、
>大手の資本です。
もし、中高年の音楽市場に、投資価値があれば、それをするでしょうし、無ければ、それをしないでしょう、という話ではありませんか。
そもそも誰が、大手の資本を動かすのでしょう。
「それが不可能な運動であるとき、それは運動ではないでしょう」
たとえ大手の資本が「市場の開拓」や安定供給に最適でも、誰かが働きかけて動かすような「運動の対象」としては、大手の資本は最適ではないかもしれませんね。
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>>世俗文化が、個性や才能や自由を圧殺し、異なるものを「障害者」化していくことにもつながりますね。これは世俗文化のグローバリゼーションなのかもしれません。
>>そして、ときおり、世間の「関心の重心」を移動させかねないほどに突出した存在に対して、足を引っ張って潰しながら統合していくということですね。
>だからこそ日本人が*共通*してもつべき核となる歴史と伝統が必要なのです。
>日本人ならみな共感できる。
そういうものがあればいいのですが。
もはや多様化して、共通項は見出せないでしょう。
極端な話、バックパッカーなどは、日本流の生活を維持するでなく、向こうの伝統のスタイルを身に着けるでもなく、スローライフなど、彼らなりの生き方を携えて、帰国しているでしょう。
そこまでする人たちは「特殊」だとしても、そんなふうに伝統が薄れて、もともと共通項の乏しいところに、わざわざ「歴史と伝統」を持ちこむということは、けっきょくのところ、啓蒙・教育・修身などという“政治運動”の流れになるのだと思いますね。
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ここで他のレスの引用ですが、
【運動で伝えるべき「新しい社会像」を、その運動の「力で」人々に押し付けることになってしまう】 荒鳩レス
というこれは、抽象的な表現ながら、それだけに注意しないと、さまざきな運動に当てはまってしまう怖さがあるはずです。
こういうデリケートな問題を、この板では扱っているのですね。
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さて「歴史と伝統」というからには、それを“伝える”運動というものは、まずは学校教育・家庭教育といった教育現場で、若い人たちに憶え込ませる、という運動なのですね。
(また、より多角的には、放送媒体や、地域の学習会といったものが活用されていくのでしょう)
しかし、教育施策として、コンパクトに圧縮された「政治運動」は、少なくとも「時の行政」主導で行うならば、それは“試用”であって、少なくとも次の選挙で審判を仰ぐまでは“民意”ではない‥‥ということを、ひとつ押さえておくべきかもしれません。
>日本人が*共通*してもつ
日本人として共通して持つものが無い、もしくは、共通して持つものが不充分なのだとすると、その「共有されるべき何か」を、全員に伝えなくてはならないでしょう。
これこそ、まさに「全員化運動」という経過を辿らねばなりませんね。
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もう1つ、引用しておきましょうか。
【人数を集める運動とは、いったい何なのか】 荒鳩レス
というわけで、すでに述べられているところの「支持する人間」や「教育対象となる人間」の“人数を集める運動”における問題点が、そのまま「全員化運動」の問題点に当てはまってしまうかもしれません。
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これで、振り出しに戻った感じですね。
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