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(回答先: Re: 荒鳩さんへ 投稿者 荒鳩 日時 2005 年 1 月 06 日 20:59:35)
しかし、これまでの教訓から、いままでの運動スタイルでは、限界が見えてきているということはあるかもしれません。
そもそも世の中を変えるには、世の中をほとんど全部、変えなければならないかもしれない、ということがあると思います。
とはいえ、そんなことが可能なのでしょうか。
他方では、運動する人の数だけ増やして、政治的な力をつけた運動が、それで望み通りの世の中を実現したとしても、それが良い世の中といえるのかどうか。
運動を支持する人は、その運動が、よい運動だと信じて支持するのでしょうが、もしかすると、支持する人たちにだけ、つごうのよい運動なのかもしれません。
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オープンソースソフトウェアはこのままいけば亡びるでしょう。
私は知的財産や著作権をないがしろにすべきではないと思います。
開発が持続可能な経済状況になってほしいと願っているだけです。
全てのひとがオープンソースソフトウェアを使うべきだなど思って
いるわけではありません。
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ならば、人数を集める運動とは、いったい何なのか。難しい問題が、はじめから横たわっているんじゃないでしょうか。
(もちろん、人数を集めることを優先しなければ、それらの問題は一気に、一石二鳥で解決するかもしれませんね)
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開発か持続可能な規模があるはずです。
それ以上は望みません。
開発が持続可能なように何か付加価値を付けて商品化も望むところです。
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もし、自分が始めた運動のことを正しいと固く信じ、運動し始めるとすると、その運動に賛成しない人は敵のようなものです。
それどころか、運動が力をもってくると、その運動で伝えるべき「新しい社会像」を、その運動の「力で」人々に押し付けることになってしまうでしょう。
さらには、積極的に運動に参加しない人をも、問題にし始めるのではないでしょうか。
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それはないです。
ソフトウェアを商品として比べた場合、
Windows と Linux では
セキュリティーとメンテナンスのコストを考えれば、
Linux の方が優位にたっています。
ソフトウェアの価格はもはやメンテナンスのコストです。
メンテナンスとはサービスです。
サービスを提供するにはコストがかかります。
Linux は商品化(サービス込の)できます。
力は必要ないです。現状で商品として優位にたっています。
その仕事はプロにまかせるべきです。
普通の人にはできません。(私もすべてはとても面倒みきれず、
商用のものをしようしています。
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しかし、運動が正しくない場合には、「未来像」を押し付けられたり、運動に動員させられた人は、いい迷惑ということになりかねませんね。
大きい運動が正しいわけでもないだろうし、小さい運動も、大きな運動になることで、正しさが証明される、というわけではなさそうですね。
したがって、こういう今日的な問題をクリアする運動があるのか無いのか、あるとすれば、どういう運動なのか、ということでしょう。
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まだ、マイクロソフトは、
いつでも Linux をつぶすこと可能です。
商品を選択するのはあくまで消費者です。
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まずは、そのハードルを越えたもの全てに、よい運動である可能性が残されているのかもしれません。
そういう意味で、新しいタイプの人たちの、新しいアイディアは、よい運動の候補といえるのでしょう。
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全ての人が開発に参加するべきだとは思いません。
優秀な開発者を大きな企業(Linuxを商品化する企業)が雇用してほしいのです。
私はよいソフトウェアが使いたいのです。
いくらなんでも Windows はひどすぎます。