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(回答先: 「服従」はやはりまずいのではないですか? 投稿者 クエスチョン 日時 2005 年 1 月 03 日 19:06:55)
クエスチョンさん、はじめまして、かな?
>「服従」はやはりまずいのではないですか?
おっしゃりたい事はよく分かります。
しかし、批判ができなくなれば人間は「その考え」に服従しているものです。
ですから、常に批判が必要です。
自己批判も必要です。
批判をし続けていても人間は何等かの事を「信じている」のです。
あらゆる可能な批判に耐えたものを我々は真実と思わざるを得ません。
それが人間の限界です。
これまで「真実」として信じられて来たものに対する批判が行われる時に
初めて人間は一歩真実に近づきます。
これを「パラダイム転換」と呼んでおります。
ですから常に「今考えられる真実」という但し書きを冒頭に付けておく必要があります。
>http://www.asyura2.com/0411/lunchbreak4/msg/753.html
>投稿者 クエスチョン 日時 2005 年 1 月 03 日 19:06:55:WmYnAkBebEg4M
>(回答先: 我々の当面の課題は「真実に対する服従」です。 投稿者 ワヤクチャ 日時 >2005 年 1 月 03 日 18:46:56)
>「服従」はやはりまずいのではないですか?
おっしゃる事はよく分かります。
「真実の追求」の方がよかったでしょうね。
> 「真実に対する服従」の「真実」を「真理」と置き換え「真理に対する服従とする>>と、なんだかまるでオウム真理教みたいですね。
そうですな。
やはり、まずいか。
> 「真実に対する正当な評価」はあっても、「真実に対する服従」は具合が悪いのでは>ないですか。まるで信仰の世界ですね。服従していたのでは「真実」と考えていたもの>がじつは間違いだと分ったときにどうするのですか?
「服従せざるを得ないような批判に耐える真実の追求」というような意味だったのですが、ちょっとまずかったかも知れません。
考え直します。