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(回答先: 第五章 霊主体従 5 霊主体従 vs 体主霊従 フリーメーソンは実在するのか?/他の面に向けてみると…(大本教・民間信仰 投稿者 謝寅 日時 2004 年 12 月 17 日 20:43:28)
*霊主体従 vs 体主霊従-その6*
*再び金銀爲本制*
一体何が原因になっているのか、その根源的な部分は何なのだろう?と思えば、よ
くよく考えてみると、やはり金銀爲本制という部分が、それではないかと思えます。
シルバーバーチやモーゼス等も霊的な意味で、大事業を覆い隠そうとする勢力が存
在すると語っているのですが、そういった抽象的な事柄を抜きにしても、或る一つの
面が多いに足かせになっています。
一例を挙げれば、ダイオキシン対策の問題もその一つで、企業にとって大きな負担
増となるから、遅々として中々進まないのです。またアメリカでは農務省が PCRM
(責任ある医学の為の医師会)の提言に基づき、新しい食事指針のポスター(完全穀
物、豆類、野菜をマンガにしたもの)100万枚を各学校に配布する予定で居たのです
が、食費業界からの圧力で急遽中止になってしまったのです。(日月神示/中矢伸一
著)
またフリーエネルギーの関係では、ライヒ氏の投獄や、バシル・バンバーグという
人物の行方不明、エドウィン・グレイ氏本人と、彼のの発明した無尽蔵のモーターと
設計図もろとも行方不明。また彼のモーターを日本に輸入しようとしていた秋山義隆
氏に掛かった無言電話や後を付けられる等の嫌がらせで、ハワイに移転したものの、
移転さきでいきなり背広一着以外総て盗まれるという事件等、フリーエネルギー関係
で完成の域に達した場合の殆ど総てが、何らかの形で失踪しているのです。
これなどはエネルギー産業界犯人説など有りますが、要するに大抵の場合は経済的
な危機感がそうさせている場合が殆どであろうと思います。こうした経済的な動き
が、直接的に日々の生活に関わってくる為、これがシオンの議定書でいう所の見えざ
る敵という感じです。腐敗政治も金拝宗教も結局にはこうした一面が、表面に出てき
た様なものなので、幾ら逮捕しようと臭いものに蓋をするという様なもので埒があか
ないと思います。
*二律背反する、その境目とは?*
しかし、それにしては「シオンの議定書」は、ある意味予言書とも言える様に、現
代の状況に的確過ぎるのです。「ああ、こいつは良い様に操られている、皆騙されて
いる」と思う人が出て来るのも肯けます。
ところで、日之出神の悪の面では、ユダヤを霊的に操作していた、と前述しました
が、例えば雛形経綸の章で見られるような、当人達が知らず知らずに、我で行ってい
る様で、何時の間にか戦前と同じ様な事を繰り返している。という事と近いかも知れ
ないと考えられなくも無いです。
天下公共の仕事に於いて全部の人間は自分以外の或る力−先天的に人類へ備え
つけられている或る力と考えによって、こき使われる操り人形に過ぎない。
ひとたびこの真理が判ってみると、一個人を非難する事は到底できなくなる。
同様に我々は一つの政府をも批判する事は出来ない。何となれば、それはただ働きつ
つある、大潮流の上に置かれたる一の浮標に過ぎないから・・・
-『霊訓』(ステッドの通信)/浅野和三郎訳より-
ちなみに、大潮流というと、大本神書に見られる「富士と鳴門(なると)の仕組
み」にある、渦海の事を想起されます。これは単に単語が似ているだけで、何の根拠
も無いのですが、王仁三郎氏は自身の歌の中でも、富士が動くと言えば、富士の山が
噴火すると早とちりする、哀れな事だ、という意のものがあります。
つまり、社会全体の潮流と、鳴門の渦海の仕組みは、関係があるとは全く根拠は無い
ものの、少なくとも渦海が荒れて、大洪水になるとか、そういう実質的な厄災を意味
する事で無い事は、確かだろうと思います。
つまり、ユダヤ人がコントロールしている。というよりも、体主霊従の虜(とり
こ)と成っている人には、知らない間にそういった勢力に、巻き込まれている、とい
う事も考えられます。
つまり、「善と悪」の決戦だとか言うと、往々にして自分を「善」として捉え、他
を「悪」として捉え勝ちになってしまう。という事が、一番杞憂する点です。
簡単に言えば、霊的に操作されているのは、何もユダヤ人とは限らなく、体主霊従
・金銀本位制に囚われ、物質的な像や黄金の像を拝む人には、操作され易い、という
事ではないかと思います。つまり、敵は自分の中に存在しているのです。
もちろん、自分自身も未だに発展途上である事に、変りはありません。それゆえ、
余り自分を良い人だと買い被り過ぎるもの、また迷惑な話しです。
●善言美辞を用ふて、天地の神様と人民の心を和らげん事には、何時までも天災
地変が納まるという事はないぞよ。今の人民は一人も善言美辞を使ふ者が無いばかり
か、日夜に人の悪口ばかり申して喜び勇み、何ぞ悪事醜行が新聞にでも出てはいんか
と、そればかり待ちている曇りた人民ばかりで、外国人よりも精神が悪く汚れている
から・・・
-『伊都神諭』/出口王仁三郎伝達より-
例えば、今まで色々とゴウタクを述べて来た様に、いち視聴者は色々とマスコミに
文句を言ったり、行政やら悪徳企業やらに文句を言います。しかし、需要が在るから
供給もある訳で、要するに社会全体的に、この様な番組が一番「受ける」からだと思
います。
テレビで言えば、視聴率が稼げるからだし、雑誌で言えば部数が稼げるからです。
何処かで自分の中に住める「悪」を摩り替えてしまい、或いは全く気が付かずに、他
へと転化させてしまうのだと思います。
●「他人(ひと)が悪い、悪い」と思うて居ると、全部自己(われ)の事が鏡に
写りているのであるから、他人が悪く見えるのは、自己に悪い処や霊魂(みたま)に
雲が掛かりて居るからであるから、鏡を見て自己の身魂から改心致さすやうに、此世
の本から変性女子の霊魂が拵へてありての、今度の二度目の天の岩戸開きであるか
ら、一寸(ちょっと)やソットには解る様な浅い経綸(しぐみ)でないから、改心致
して身魂を研くが一等であるぞよ。
-『大本神諭』/出口直伝達より-