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ダ・ビンチの「最後の晩餐」や映画などのシーンにおいて、彼らは現在の我々と同じようにテーブルに椅子を用い食事をしている。
その姿をアンチキリストを名乗りながら疑う事はなかった。
詳細は別記するが、どうも彼らは寝転びながら食事をしていたらしい。
いや、そうしなければ不可能な行動も表記されている。
あのシーンは唯の創作と作者のイメージの投影でしかない。
聖書研究をしている教会の方を含め多くの人達もあのシーンをあまり疑ってなかったように思う。
要するに、キリストそのものであっても、後に都合よく解釈し、創作をも含め脚色することが布教側には必要なことで、彼らの好きな「時代背景」や「聖書の奥底にある真実」には全く興味がないと云う事を証明している。
描かれた事を真実とする事で聖書は人と神を結んでいると主張される。
寝ながら食らうキリストを教会に関わる人はどのように判断するのか?
今、詳細を記さないのは、教会関係者の反論を頂きたいからだ。
私がこの様な問いを投げかけると彼らは「何処にその様な記述がありますか?」と聞いてくる。
毎日の様に聖書を読み、中には他人に聖書の聖性を伝えているにも拘らず、だ。
12月3日以降にこの根拠を記す予定だ。
キリストのエピソードは聖書全体にあってものすごく少ない。
又、食事のエピソードはもっと絞られる。
その文を読み、少々の洞察を働かせれば簡単に理解できる物と思う。