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ええと、連続して投稿して申し訳ないことです。フニャコです。
今日は久々の休日なので、二度寝をキメようかと思いましたが、警察官OBによって「ピーポ君の歌」が大音量で街に流され、耳障りで二度寝などできず、
「このイライラで治安乱すぞコノヤロウ」と呟いた瞬間、ある事をチラと見てしまいました。
私は元々「人生の意味」「私は何故生きるのか」などなどに関しては
「意味なんかあるわけねぇだろ」「無理に意味を見出そうとしたりするからおかしなことになる」とか、そう考えていました。
しかしピーポ君のおかげで、あるビジョンが浮かびました。
きっと同じような事を、私なんかよりもっと良い説明のしかたで語った人もいるのだろうと思います。
(現に「エクリチュール」みたいな考えを直感で思い至り、数年してから“先に偉い人に言われてるじゃん”と気づいて「俺も捨てたもんじゃないじゃんか」
とやぶさかでないのと同時に複雑な思いであります)
しかし「俺が最初だったらそれはそれで面白いな」(んなわけないけど)というわけで、稚拙な文章で書いてしまおうというわけです。ごめんなさい。
● 仮に、クローン技術を使って私の脳みそだけ作り出し、五感を全て遮断し人生八十年を送らせたとします。
誰の影響も受けず、いかなる自然環境の影響も受けず、書物からも情報を得ず、経験則もない。
ここに「私」はあるだろうかと考えます。きっとないです。そこに「私」はない。
一週間前に食べた「家系ラーメン」は今、私の血となり肉となり骨となっています。私の肉体は常に更新されています。
一週間前の体と今の体は違います。
一週間前の私と今の私に共通する事は、たった一つだけ「一週間前にもっていた記憶や情報を今も持っている」と言う事です。
乱暴に言えば「私」は情報でしかないと言うことです。
脳みそもいずれ滅びます。その時、私の中に蓄積された情報は消えます。
● しかし「私」が誰かからの影響、自然環境からの影響などを常に受けて作られたものであるなら、私のそばにいる誰かは、私の影響を受けています。
私からの影響は、誰かを作り出すことに貢献し、私の肉体が滅びた後も、それは生き続けます。
もし私が誰かに悪影響ばかり及ぼしていたら、その人はまた他の誰かに悪影響を及ぼしていきます。
逆もまた然りです。
● 「金は天下の回り物」といいます。
Aさんが気前良くBさんから何かを買ったり、または親切な援助や愛情を注ぐなどの行為をします。
Bさんの懐は暖まり、愛情に満足し、Cさんに気前良くそれを分け与えます。CさんはDさんに。
めぐりめぐってZさんからAさんに回ってきます。
人間社会はこのようになっているのでしょう。
● それは「自分からの影響」にもいえます。私の与えた影響はめぐりめぐって帰ってきます。
全員が全員に影響を与え、人類は少しづつゆっくり進歩していきます。
人類全体の進歩には、まず私が身近な誰かに少しでも良い影響を与えることが大事です。
これが「汝隣人を愛せよ」の真髄であろうと思います。
それはいずれ人類全体を進歩させますが、悪い方向に進歩する事もあり得ます。
まずは小さなことでも善行を積むことです。(善悪は相対的ですから、それが結果的に悪い進歩に繋がったとしても仕方のない事だと諦めましょう)
● このように考えると「死」というものは「肉体が滅ぶ」と言う事でしかありえません。
自分の記憶や、それによって作られた思考パターンや誰かへの影響は、人類が存在する限り人類全体の意識であるとか習性や思考の中に生き続けます。
● 「生と死」は表裏一体で、「死」をことさらに嫌って遠ざけ否定しようとするのは「生」を積極的に肯定できないという状況を作り出します。
「生と死」「善悪」「左右」など、どちらかを肯定しなければもう片方も肯定できないという相対的な観念は、どちらも肯定しなければなりません。
● 「勝敗」もまた相対的です。誰かが勝てば誰かが負けます。
「反対の賛成の反対は賛成なのだ!」
これは私の敬愛するバカボンパパの言葉ですが「わたしは賛成する」と意思表示をするのは、誰かが反対しているという裏返しです。
誰かが賛成しているから、誰かが反対するのです。
(誰も賛成していないならそもそも問題は提起されず、よって反対意見は出ません)
この言葉は、“「私」は実は貴方であり、また他の誰かであり、全体である”という事を端的にあらわしています。
「万物われと一たり」(荘子)に繋がっています。
● バカボンのパパは「彼我」を分ける事は無意味であり、また「世界そのものが一つの存在」である事を示しています。
「目の前の提起に対して、賛成する存在も反対する存在も等しく私(全体)である」という意味を含んでいるのです。
「天才バカボン」というタイトルの「天才」の部分はここに所以するのです。
これらの事を踏まえて個人主義に走れるのなら、きっと良い未来があると思うものであります。
どうもごめんなさい。