現在地 HOME > 掲示板 > 昼休み4 > 291.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: Re:そんな、フニャ・フニャした文章を書く奴は・・・・・・ 投稿者 ジャック・どんどん 日時 2004 年 11 月 30 日 04:35:10)
ジャック・どんどん様
不肖フニャコであります。
人間などいうものは教育と言う鋳型にはめられ、世のため人のために成長し、奉仕せねばならぬ義務を負っていると心得ております。
軍隊というものは愛すべき同胞への奉仕を専らとする尊い存在であり、入隊すると言う名誉を頂けるならば私にとってこの上ない喜び
であります。
本来ならば、軍隊と言う名誉の鋳型によって奉仕の銃弾として鋳造され、その栄誉と共にこの身を捧げんと欲するものでありますが、
いかんせん私は名誉にあずかれるような立派な日本男児ではございませんので、銃後にてこの身を砕きつつ御国を支えていく覚悟であ
ります。
出来の悪い人間でありますけれども、皇国臣民たるもの粉骨砕身の覚悟であります。
と、まぁ「軍隊に入れるぞ」と言われたならば上のようにころりと変節しつつ入隊拒否というパターンになるんでは無いかと思います
が、一方で、入隊して思考回路が変わってしまった自分を見たいという好奇心もあります。
どこで読んだ知識か失念いたしましたが、義務教育期間中に行われる「朝礼」や「体操」などの「みなで一斉にやる事」は肉体の教育
から集団行動を重んじる習性を身に着けることと、「将来『戦力』となれるようにする」という徴兵制を前提とした目的が本来あったと
いうことです。
(山県有朋と、森有礼が絡んでいたようなそんな話であったかと思います。そういえば彰義隊なんかは武士以外も入っていたわけで)
(山県が徴兵制をやる上で上記のような「集団化」というものもその経験から来たのかもしれませんね)
また、「体育座り」は「手遊びが出来ないように」「前しか見る事ができないように」「腹部の圧迫から大声が出せないように」という
そんな機能を持った座り方として開発されたものであるとも聞きました。
そして、本来座りづらく苦しい姿勢であるはずのこの「体育座り」はいつの間にか児童の間に習慣付き、楽な座り方になってしまうとい
う「鋳型にはめて改造」という結果を出します。
軍隊に入れば私のような人間も改造されるでしょうから恐らく「まともな事」を「まともに言う」ようになるのではないかと思います。
人間など状況によってコロコロ変わりますから私のなげやり感も改造されて今の私はいなくなるであろうと思います。
そんなものです。
しかし「入隊拒否するだろう」なんて事を言うと大抵の場合「お前、外国が攻めてきたらそうも言ってられないだろう」というような
事を仰る方が出てくるものですが、そう言われると辛いですね。
確かに先の戦争では、拒否したくても入隊せざるを得ませんでした。
そうなったら「やるだけやる」という現実的なところで収まるでしょう。多くの人がそうだと思います。
事実、先の大戦から生きて帰ってこられたおじいちゃん達の多くはそうでしたしね。
そして戦後は面従腹背というパターンです。
(そういえばまた話は飛びますが、東北人が頻繁に菊をおひたしにしたりして食べるのは「面従腹背」なのではないかと)
(勘繰っていたりします。坂上田村麻呂の遠征に対してなのか戊辰戦争に対してなのかは存じませんが、食用菊は室町時代)
(あたりからよく食べられていたようなのできっと「面従腹背」であるなら前者だろうなと勝手に妄想しています)
安全な場所で語ったところで、現実に目の前に突きつけられたらそんなものです。
故にもし「徴兵制復活」のような風潮が出てきたら断固として戦わなければなりません。その可能性はゼロでは無いと思います。
制度にされてしまったら庶民は無力ですので、戦場に借り出される前に、国家のためでなく子孫の為に戦わなければなりません。
戦後、復員兵一般に向けられた目は冷たいものでしたでしょう。
強制的に借り出されて、人殺しさせられてその上「蛮行」とか言われたんじゃ、ねぇ。
安全なところにいるやつほど言いたい事言いまくりですが、巻き込まれた人間からしてみれば何にもできませんでしょうねぇ。
そんなものです。
またなんだか纏まらぬ文面になってしまいました。
ではどうもごめんなさい。