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日本ではリベラルブロガーのハブはないのだろうか ネットの登場で情報操作はチェックされて難しくなった
http://www.asyura2.com/0411/idletalk12/msg/722.html
投稿者 TORA 日時 2005 年 3 月 11 日 15:23:31: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu90.htm
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日本ではリベラルブロガーのハブはないのだろうか
ネットの登場で情報操作はチェックされて難しくなった

2005年3月11日 金曜日

◆日本ではリベラルブロガーのハブはないのだろうか 2月9日 むなぐるま
http://munaguruma.air-nifty.com/blog/2005/02/post_3.html

NHK・朝日問題についてトラックバックを頂いた。

(中略) ざっと見出しを読んでみると、朝日を批判する保守側としては、朝日新聞の見解の矛盾を指摘する論証的な部分では、「鳴かぬなら 鳴いたと書いて すりあわせ」(@圏外からのひとこと)という対応ぶりという点でコンセンサスがあるようだ。いっぽう、最近は、慰安婦関係の集会の主催者と朝鮮総連の関係が明らかになり、こうしてこのタイミングで問題を蒸し返すこと自体に北朝鮮シンパの政治的意図があるのではと指摘されている。 この辺は、朝日新聞の過去の報道姿勢などをみて激しく既視感で、「またか」と思っていたのだが。また、「民間法廷」なるパフォーマンスに対する疑問を提起しているエントリも多い。こういうイベントはパフォーマンスであって、それ以上でもそれ以下でもないだろう。
いっぽう、安倍氏や中川氏の政治的圧力を指摘するリベラル側は、「議論の交差点」のまとめによると、

リベラル系ブログは、「政治とNHKの関係」に絞って議論する例が多いが、総じて事実関係の確認が甘く、限られた情報のみで結論を断定してしまうものもある。良心的な専門家の中に、「言論の自由」「政治的公平」の概念について突っ込んだ議論が見られる。

ということのようで、そのあたりの議論としては「数学屋のメガネ」の一連のエントリなどが目につく。あと、「おおやにき」の大屋さんが絡んだやりとりなどがある。

振り返ってみると、保守系の議論の流れは、ひとつひとつの記事をきちんと読み込んでいないにしても、見出しを見たり流し読みしたところでだいたい話の流れがつかめていたのに対して、リベラル系の議論はきちんとフォローできていなかったように思う。これはなぜだろうか。私自身、情報の取り方が偏っている、ということもあるだろうが、「議論の交差点」を見渡しても、リベラル系の議論のポイントがうまくまとまったサイトというのはないように思う。これは残念なことだ。このサイトを見渡すだけでも、たとえば放送法の「公平原則」について、現在規定されていることの法的議論、法哲学的な観点、またこのような法的規制の未来(アメリカでは「フェアネス・ドクトリン」は80年代に廃止され、さまざまな視点のニュース番組が乱立する状況になっている)など、じっくり考えてみたい問題は多い。(たとえば、13Hz!のこのエントリでは公平原則の将来について論じている。)また、政治の言論に対する「圧力」という問題は、じつに微妙な部分を含んでいて、事実関係の洗い出し以上の議論が必要、というような議論には考えさせられるものがある。(そういう議論に納得できるか、という問題とは別に、安倍氏の事件当初の発言などを見ると、議論がそっちの方向に向かった場合の危険性を十分認識しているとは言えると思う。)

トラックバックを頂いた「Silly Talk」の記事のコメント欄で、左翼にしっかりした論客がいない事が問題だ、というのがあったが、論客がいない、というよりは、論点を簡潔にまとめたりする編集技術とか、レトリックを備えたハブサイトがないのではないだろうか。それに比べて、保守系のサイトは、そういう編集技術に優れたサイトが多いという印象がある。また、リベラル系のサイトを読むと、重要な論点はそこにはあると思うのだが、意外と「感性」とか「センス」とかに依拠した議論が目立つ。リベラル系の人達は自分の感性に合わない議論は拒絶しているのかなあ、という印象がある。これは、個々のサイトというよりは私のおおざっぱな印象なのだが。

アメリカ政治の問題について、リベラル系の動向を知ろうと思ったら、The Nationのサイトを見るとか、ブログではKos, Atrios, Talking Points Memoをざっと読むとかの方法がある。日本の場合はどうだろうか?

◆参加型に対する疑問:悪意の情報の流布 3月11日 ネットは新聞を殺すのかblog
http://kusanone.exblog.jp/

 先日のニュース23でホリエモンの考える新しいジャーナリズムの形に対して筑紫哲也さんが質問していた。その質問の幾つかは、実はわたし自身もよく受けるものだ。なかなか難しい質問も多く、自分自身の中でも十分納得できる回答が用意できているとは思えない。1つずつ取り上げて考え直してみたい。

 まず最初は悪意の情報の流布について。大衆を間違った方向に扇動するために悪意の情報が流されるのを防ぐことができるのか、という疑問だ。

 ホリエモンは筑紫さんの質問に対して、確か「怪しい情報は早い時点でネットで淘汰されますよ」とか答えていた。筑紫さんは、どうも納得できないような様子だった。

 これは実際にネット上の議論に参加したことがない人には分かりづらい感覚なのかもしれない。2ちゃんねるの議論などでも怪しい情報には「根拠を示せ」という反論が必ずといっていいほど出てくる。ネットをあまり使わない人には意外に聞こえるかもしれないが、時間が経過するとともに議論は結構まともなほうに進むとわたしは考えている。

 一方で、感情的な「祭り」状態とか、サイバーキャスケードとか呼ばれるような状態というものも確かに存在する。でもそれは感情的なうねりであり、冷静な議論とは別のように思う。しかし自分でもここのところちょっと自信がない。

 ただ世論を操作したい権力者にとって、今のジャーナリズムのほうが都合がいいのではなかろうか。今は情報の門番という役割が少数の既存メディアによって独占されている。これからは情報の門番がネット上に無数に存在するようになる。情報操作を目指すものにとっては、情報の門番が少ないほうがやりやすいだろう。

 また参加型になれば悪意の情報が流れるようになると考える人たちは、ネット上の無数の「情報の門番」に情報の真偽を見極める力がないと考えているのではなかろうか。朝日新聞OBの本郷美則さんの言葉を借りれば「それを提供できるのは、該博な知識と見識に加え、公正・公益のために真実に迫る無私の勇気を兼ね備え、厳しい研鑚を積んだジャーナリズムのプロである」ということなのだろう。

 しかし、あったりまえ過ぎて書くのもいやになる当たり前のことを書けば、ジャーナリズムのプロの平均的な能力をはるかに上回る人は世の中に無数といる。そうした人たちがこれから情報の門番として次々と登場してくるのだ。悪意の情報はこれまで以上に流れにくくなるのではなかろうか。

◆記者はもっとネットを利用すべき 3月10日

(前略) 前回のエントリーからちょうど約1年。なぜ同様の主張を再びするのかというと、ベテラン記者が何を言おうと現場記者のネット利用は確実に増えているからだ。昨年末からだけでも、「このブログを見た」という取材依頼がどれほど増えているか。TBS、NHK、AERA、日本版ニューズウィークなどが取材を申し込んできた。やっぱり現場記者はネットを使っているんだ。ベテラン記者のみなさん、「ネットを使うやつはダメ記者だ」というのをもうそろそろやめませんか?

 わたしが記者にネット利用を勧めるのには、もう一つ理由がある。情報ビジネスの中で、グーグルニュースのような機械が作り出すコンテンツ、ブログのように一般市民の作り出すコンテンツがますます増えてくる。今は記者が作り出すコンテンツが「主」で、機械、市民の作り出すコンテンツは「従」の感じがある。しかし、この主従関係が逆転する可能性もあるように思う。機械、市民のコンテンツはどのようなものなのか、それに負けないプロのコンテンツはどのようなものにすべきなのか、こうした肌感覚をつかむためにも日頃からネットに親しんでおくべきだと思う。でなければ、せっかく「足」で集めてきた情報がネット上で既報ということになりかねない。

 報道は、情報を扱うのが仕事。その情報の流通の場としてネットの重要性はますばかり。その場に慣れ親しんでなくて、新しい情報ビジネスなど作っていけないのではないか、と思うのだが、どうだろうか。一年前に比べて読者も増えているし、ネット利用する記者も増えている。今回はどのようなコメントが寄せられるのか、楽しみだ。


(私のコメント)
ネットの登場によりテレビや新聞のジャーナリズムはだんだんと守勢になってきたように思える。今年に入ってからも朝日新聞は安倍、中川の失脚工作に失敗して、逆に朝日新聞が虚偽報道をしたのではないかという疑いが掛けられている。田原総一郎などは必死に矛先をNHKに振り向けようとしていた。

アメリカのGBSのダン・ラザーのように、日本においても田原総一郎や筑紫哲也などの左翼的な看板キャスターが2ちゃんねる等で血祭りにあげられるようになった。日本のブロガーが保守的なのもマスコミが左翼的なところが多く、ネットで反論をすると言う形が多いからだろう。テレビ朝日やTBSなどはずいぶんネタになるような材料を提供している。

私の「株式日記」も保守的な言論サイトですが、小泉政権も批判しているし、アメリカのブッシュ政権も批判しているし、韓国や中国の反日運動にも反論している。既成のマスコミに対しても批判を加えている。だから今までのマスコミは左翼的であることで政府批判をしてきましたが、ネットでは反対側の保守的なサイドからの政府批判が多い。

確かにこうしてみると「むなぐるま」のサイトで指摘しているように、リベラルな言論サイトがあまり目につかないのはなぜなのだろうか。左翼的なサイトを開いても見に来てくれる人がいなければ意味がない。それに対して保守的なサイトはグーグルで検索してもよく出てくるから質量ともにネット界では保守派の論客が多いのは、雑誌などとも共通する。

マスコミなどではむしろ反政府と言うよりも、政府の広報宣伝機関に成り下がっているような面があります。記者クラブ制度などで新聞は守られているし、テレビなども放送免許などで自由な参入が出来ないから特権的な立場に安住してしまっている。だからたいした仕事もしないのに平均年収1500万円ももらっている。

日本のマスコミはちょうど特殊法人のようなもので、記者クラブ制度と放送の許認可制度で安住して、実際の番組作りは下請けプロダクションが製作して自分達は管理的な仕事をしている。特殊法人も業務はもっぱら民間にやらせて自分達は民間業者を監督しているだけなのだ。新聞にしてもオリジナルな記事は1割程度しかなく、各紙との違いは見出しの文字だけが違うだけだ。

ライブドアとフジテレビの問題に対しても、テレビや新聞はは株式に詳しく無いから、ネットの後追い報道が目立った。おかげで「株式日記」も1000件ほどアクセスが一気に増えた。新聞やテレビで詳しいことを報道しないものだからネットに視聴者が流れてくるのだろう。読者が知りたいと思う記事を既成のマスコミが報道しないからネットが栄える。

「ネットは新聞を殺すのか」というサイトでも、プロの新聞記者を上回るようなライターが続々と出てきて情報をチェックするようになると指摘している。朝日新聞の本田記者がネットで袋叩きされているのがいい例かもしれない。特権的地位に安住して自分達が世論を作っているといったのぼせ上がったジャーナリストも、いい加減な仕事をすればブロガーたちに血祭りにされる時代がやってきたのだ。


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