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(回答先: Re: 「恫喝」について 投稿者 Narongchai 日時 2005 年 1 月 18 日 03:37:28)
Narongchaiさん、こんにちは。
人はなぜ恫喝に弱いのかを考えてみます。恫喝されることによって、
・「恫喝」→「暴力・死」→「恐怖」
・「恫喝」→「(支配―被支配)関係の解除」→「生活苦や欲の消滅に対する不安等」→「恐怖」
・「恫喝」→「その他の原因から起きる結果」→「恐怖」
等々の流れ、つまり最終的には「恐怖」という心理状態が引き起こされることにより、そこから遡って「恫喝」に弱くなってしまうという循環になっているのではないでしょうか。
これは「死の恐怖」を植え付けて洗脳の手段とする宗教にもよく見られることですね。
つまり自分の意図に基づいて、相手を支配・洗脳するためには、なんらかの恐怖を植え付けることが有効的であり、その恐怖から逃れる為には支配・洗脳を受け入れるしか道はないと思わせる仕組みが「恫喝」というものを生み出し、強化させているものと思われます。
そして「恫喝に屈しないこと」つまり「恫喝による支配から自分を守るため」には、その恐怖の基となる原因を探り、それを克服することだと私は思います。
ただ、そう簡単にできるものでもありません。
「暴力・死の恐怖」の克服
「支配関係の解除による諸問題の心配から来る恐怖」の克服
「その他の原因から起きる結果による恐怖」の克服
なかなか全てを克服するのは難しそうです。(笑)
そこで克服のきっかけとなる心情が、「なんとかなる」「流れを受け入れる」「結果に左右されない」「人は人、自分は自分」・・・等々のものなのかもしれませんね。
これらの心情の基になるそれぞれの観念の形成については、少し長くなりそうなのでとりあえず省きます
また恫喝する側も、恫喝による「支配(洗脳)−被支配(被洗脳)」という関係性を思念の中心に置いているため、その世界感の中に埋没していき、自分自身も何らかの恫喝や、支配・洗脳の対象となっている事がよく見られます。
例えば、「人を利用しようとする人が一番、利用されやすい」というものもその一例かもしれませんね。