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冬眠中ですが寝言をつぶやいたりします。(どうも、おちおち寝てもいられない)
本日、テレビに「安倍氏」が出演して「NHK問題」で長井氏の立証責任に触れていた。どうも安倍氏は「長井氏が朝日とグルで、尚かつ朝鮮総連と関係があり、自分を陥れようとしている」と感じているらしい。Kの主観では「それは、ある程度正しい」とも思う。
以下はKの推理である。これは全面的に安倍氏の主張を受け入れての推理である。
長井氏は「番組改変に不満を持っていた」
長井氏には上層部からの(番組改変の)説明に「政治家からの圧力があった」と言う説明がされたのだろうと思う。
それは上層部が政治家の意向を勝手に判断したのかもしれないし、安倍氏の「公平な放送を・・・」と言う意向を「改変の指示」と受け取ったのかもしれないが、この辺は経年経過もあり、真相究明は困難と思われる。
この経験に不満を持つ長井氏は「コンプライアンス相談窓口」に捜査を依頼したが、そこは真摯に捜査しなかった(らしい)。その不満は飲み屋などの愚痴となり、その愚痴を知った「朝日新聞」はそれを利用し、「NHKを解雇されても損をさせない事を条件」に長井氏を利用した可能性もあるだろう。
本来は「事の真相はともかくとして」政治問題は切り離すべきであるが、安倍氏が「政治的陰謀」と主張されるならば、政治問題についても考察しなければならないだろう。
安倍氏は「公平な立場での放送を」と言ったらしい(ただ、証言には一部に矛盾がある。安倍氏は(NHK側の)面会した人を覚えていないと発言しながら、この問題に対応した人は(名前は出さなかったが)知っていると言い、5年も前で記録からしか面会日を特定出来ないとしながら、「話題になっていたので内容は知っていた」とも発言。この辺を総合して考えると、その時の発言を正確に覚えているのが本当なのか?疑問である。が、ここは信じる事にしよう。)
安倍氏は「これは政治圧力には当たらない」とし「もし、そうでないとするならばどう言えばいいのか?」と発言
また、「長井氏の発言は全て伝聞であり。否定不可能である。あなたがもし『あなたがストーカーという事を信頼出来る筋から聞いた』と言われても、どうする事も出来ない」と主張する。
普通ならば正論である。
しかし、安倍氏はこの時点で「終わっているのである。」
安倍氏が長井氏に求めた立証責任は「安倍氏がNHKからの訪問者に会った」と証言した時点で成立している。内容はどうであれ、「思った内容で放送して下さい。政治家として放送内容には一切関知しません。」とでも応えたのでない限り。相手がどう取るかは「相手次第」である。
どう言ったらいいのか?ではなく、「一切関知しない」以外の表現しかしてはいけないのである。
ともかく、会って「公平」を指示したのならば「長井氏」の主張は立証されたのである。後残るのは「その指示を受けた人が」政治的圧力とは受け取らなかったという立証責任が安倍氏に生ずるくらいである。「どう言えば良かったのか?」ではないのである。政治家ならば「どう言うか」を判断しなければいけないのである。
否定不可能な「イチャモン」を付けられたと安倍氏は主張する。それは「運が無かった」とも言えるが、「運が無い事も自己責任」というのが「小泉政権の方向である(小泉内閣の自己責任による自由競争原理においては「運」も個人の材料である)」その内閣を支える閣僚が「運」を言い訳にしてはいけないのである。
もしも、それを主張するのならば「犯罪に巻き込まれた人の救済」を真剣に考える政府を作る姿勢でなければいけないのである。(現在の政府は犯罪は捜査し罰するが、被害者の救済という面はほとんど無い)
しかも、今回の「イチャモン」は安倍氏の日頃の行動から、「安倍氏ならばやりそう」という事も言われている。こうなると、日頃のイメージに注意を払わなかった事の「自己責任」は大きいとも思われる。
これで、安倍氏の反論は全て論破されているとKは判断する。
安倍氏は失脚するのに十分な状況であり、小泉政権を支持する者ならば「失脚しなければならないのである」
安倍氏は「日頃の行動から『運』に見放されたのである」他人に立証責任を転嫁するのではなく。「自らが事件が間違いである事を立証するしかない」のである。
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本来ならば「冬眠中の寝言」なのでここで終わりなのだが、どうせなので「郵政民営化」の竹中氏の発言にも触れておこう。
竹中氏は「(郵政を)何故、官でやらねばならないのか?を考えよう」と言い「電力会社などは採算を度外視して過疎地にも電線を引いている」と言う。
他にも色々発言しているが大部分は「詭弁」である。
財投の入り口論は「出口の改革」もまともに出来なかった者は「その時点で責任を取って辞任すべきなので」入り口論をどうこう言う資格すらないとすら言える。
問題をすり替えているのかとも言える「官僚批判」もされていたようだが、官僚体制で「最大の問題点」は「上層部からの指示を無批判に思考停止の機械のように実行する」事である。はじめに「郵政民営化」と結論を決め、後は「なんとか理論付け」と言う竹中氏に「官僚批判」をする資格は無い。
その上で「何故、官か?」であるが、確かに「無理に、官である必要は無い」だが「無理に民である必要もない」のである。どこかの外国では「民にしたらサービスが向上した」そうであるが「官である限り出来ないサービスがあるならば、無くせばいいのである」
少なくとも、金融自由化がされ外国資本が流入している混乱期に「無理に民にする必要は、何故、官か?」以上に必要が無いだろう。
仮に、国民的に民の方が良いと合意が取れたとして郵政が「電力会社のように公共性を重視」して「赤字でも維持」すると言うのも、かなり疑問である。
社会には「時の情勢」とか色々の要素があるのである。電力会社が出来た頃は「公共性」という意識が強かった頃である。
今「小泉政権」は「公共性」と言う概念は「妄想」とか「弱者の言い訳」と言う意識付けを国民に行っている政府である。(「小さな政府論」というのは基本的にそうなのである)
民間企業も国民も「無駄を切り捨て(福祉やボランティアなんて捨て去って)、競争し(相手を追い落として)、自己責任においてやりなさい(駄目なら破滅しなさい)」
と言う政治を推進しながら「公共性」を民に期待するのは詭弁を超えて詐欺である。
今は、電力会社は過疎地にも電線を引いているが、今後も小泉竹中路線が続くならば、その内切り捨てが始まるかもしれない。
NTTは頑張っているが他の電話会社は儲かる地域中心の活動であり「公衆電話は激減している」のが現状である。
竹中氏の主張は「病状」を単純に捉えて「治療法」を決める医者の意見である。せめて「失敗した時にはこのような責任の取り方をする」と明言して「郵政民営化を推進してほしい」
この辺まで来ると「民営化阻止」は厳しいかもしれない。
多分、説明責任も十分には果たされないだろう。
だったらせめて「失敗時の責任」をハッキリさせるべきである。(マニュフェストには「失敗時の対処」も示すべきだろう)
「官僚主導」とか「官による企業」の最大の問題点の一つが「誰も責任を取らない事であり、失敗をしても現場に押しつける事」である。
本当の責任は「方針を決定した部署にあり」「人員配置や賃金予算を決めた部署」にある。
そこが、最初から「失敗時の責任の取り方」を明言するようにしない限り、構造改革とか行政改革など絶対に出来はしないのである。