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堤家確執 実弟語る 資産継承、40年前に偽装認識
義明氏「これでよかった」
堤義明・コクド前会長(70)の実弟の堤康弘氏(66)=豊島園社長=が産経新聞の取材に応じ、義明氏が堤家の財産を継承した約40年前の時点で「相続税逃れ」や「株の名義分散」を認識していたと証言した。西武鉄道グループの屋台骨を揺るがす有価証券報告書の虚偽記載問題の発端は、グループ創業者の故堤康次郎元衆院議長が築いた巨額の資産を継承するための偽装工作だったという。実兄の責任を指弾する康弘氏は18日に記者会見し、財産継承の経緯や手法を明かす。
「今回はこれでよかったけれど、次の世代にはこうはいかないからな。お前たちは悪いようにしないから、黙ってついてこいよ」
昭和三十九年に康次郎氏が死去して間もなく、義明氏は康弘氏ら実弟にこう語ったという。
「これでよかった」とは、康次郎氏の遺産の多くを他人名義にすることで相続税をほとんど支払わずに済み、散逸を逃れたことを指していた。康次郎氏の生前、資産を円滑に継承して「堤王国」を維持するため、同氏の側近らがこうした手法を練ったとされる。
グループを統括するコクドや西武鉄道の株も、名義を偽装したまま長引き継がれてきた。
義明氏は昨年十月の記者会見で、西武鉄道の有価証券報告書を過去にさかのぼって訂正したことを明らかにした際、「株式実務とか法の手続き規定などには、率直なところ全く疎く、ノータッチだった。ごく最近まで、本件については何も承知していなかった」と釈明していた。
康弘氏はいう。「では、あの時の言葉は何だったのか。法的な知識の欠如ゆえに罪悪感がなかったとしても、その後に勉強して手を打つ時間はいくらでもあったはず。今回の問題は、特異な一人の人間の積み重ねによるものだ」。義明氏が約四十年前に語った通り、皮肉にも「次の世代」を待たずに問題が露見することになった。
西武グループを一代で築き上げ、保守政治家の大物として名を成した康次郎氏は、五人の女性との間に五男二女の子供をもうけた。義明氏と康弘氏はともに五番目の妻、故石塚恒子氏(非入籍)を母とする。グループ後継者には一時、義明氏の異母兄で長男の清氏(91)=元近江鉄道社長=や、二男の清二氏(77)=セゾン文化財団理事長=が取りざたされたが、結局、指名されたのは義明氏だった。
康弘氏は、自身が高校生だったころの光景を今も覚えている。東京・麻布の邸宅での夕食時、康次郎氏は突然、あぐらから正座になり、義明氏を目の前に呼んだ。「あとはお前に任せたい」。そう話すと畳に額がつくほど頭を下げた。
「雷帝」と呼ばれ周囲から恐れられた康次郎氏がとった意外な行動。物心ついたときから義明氏と関係が悪かったという康弘氏は、呆然(ぼうぜん)とするしかなかったという。
◇
≪先代の精神忘れた堤義明氏 「説明責任果たさず」≫
堤家の兄弟関係は複雑だ。かつて、プリンスホテル社長を務めていた五男の猶二氏(62)=東京テアトル取締役=が、義明氏のライバルだった清二氏の率いる西武セゾングループに入り、話題になったことがあった。事実上の橋渡し役は康弘氏だった。
康弘氏によれば、義明氏は六−七年ほど前から、康弘氏を豊島園から追い出そうと執拗(しつよう)に工作。それが引き金となって、“封印”されたはずの相続問題を弁護士に相談するようになったという。
異母兄とは良好な関係を保つ一方、実の兄弟同士が反目し合う状況。「近親憎悪」「敵の敵は味方」といった言葉だけでは片付けられない身内の因縁が垣間見える。
そもそも今回、康弘氏が家内の内情を明かすのはなぜか。単なる私怨ではないかとの指摘に、康弘氏は反論する。
「虚偽記載の背景などについて世間から大いに疑問を持たれたにもかかわらず、あの人(義明氏)は何ら説明責任を果たさずに雲隠れしてしまった。問題発覚以降、責任を取って辞めた役員や自殺に追い込まれた社員もいるが、おわびの言葉の一つもない。やるべき人がやらないなら、それに代わって創業家として税逃れがあったことを謝り、真実を明らかにしようと思った」
コクド株の大半は義明氏のものではなく、あくまで堤家の財産だ−。康弘氏はそう主張し、再編問題を協議する経営改革委員会の諸井虔(けん)委員長(太平洋セメント相談役)に「格段の配慮」を求めている。
銀行主導のうえ、「創業家外し」の方向で進むグループ再編を牽制(けんせい)するのが狙いといわれるが、改革委はあくまで名義人を株主として扱うとしている。ただ、コクド株のほぼ半数は帰属があいまいなことを改革委も認めており、重要事項を承認する株主総会が混乱する恐れもある。
一方、義明氏に対する刑事責任追及の動きに関しては、康弘氏は冷たく言い放った。「特に何も感じない。あの人は、先代(康次郎氏)が掲げた『感謝と奉仕の精神』とはかけ離れたことばかりしてきた。結局、二代目の立場を最大限に利用して、あれこれとやりたかっただけ。今ごろ先代は、『あの男を跡継ぎにしたのは間違いだった』と思っているに違いない」
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堤康次郎氏は昭和十七年、子息らへの「遺訓」を記していた。当時は二男の清二氏に家督相続させることを前提とし、「之は清二に私有財産として与へるものにあらず、堤家の事業の管理人と云ふ観念に外ならぬ」「余の亡き後は子孫はみな堤家永遠の繁栄を念とし自己を捨てて家のために奉仕しなければならぬ」としていた。康弘氏らは、この遺訓を根拠に「株を含む資産は義明氏個人のものではなく、堤家全体のもの」と主張している。
http://www.sankei.co.jp/news/morning/18iti001.htm