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(回答先: 経済成長は直接税制の強化で可能(1) 吉越勝之 投稿者 TORA 日時 2004 年 10 月 30 日 14:01:49)
http://www.geocities.jp/mirai200107/yoyaku.htm#p5
(国家の存在意義と民間企業の存在意義は全く異なる事実と、従来の経済学では解
決できない経済問題と進化システム原理による税制改革による解決)
第二の問題点(本題)として「ケインズの有効需要の原理やワルラスの法則を無視
し、進化システム原理に反している現状の日本の税制を根本的に改善する税制改革」
問題に入りたいと思います。
さて経済学は後述するように万能の学問ではありません。もし万能ならそれ以外の
学問は不用になるはずです。伝統的な経済学は多くの前提条件(p179)の上で
成り立つ「数学に近い性格」を持つ狭く限定された学問なのです。
本書で提唱しているのは「人間が組織する外部競争原理(組織同士の競争)が働く
民間組織に従事する人間の個人や集団の意志や意欲の向上に資する運営の原理原則
を研究する(民間)経営学」を参考に「独占組織のため組織同士の外部競争原理が
働かない国家組織における国民の個人や集団の意志や意欲の向上を誘発し、経済社
会の進化発展に、最大の効果をもたらす個人による内部競争原理(構成員である人
間個人の参加の自由と対等に平等なフェアーな競争)を柱とする、国家運営の原理
原則を研究する(国家)経営学」を意識した立場を取る経済成長税制を提唱してい
るのです。
そして倒産して消滅する恐れのない「政党」には組織同士の外部競争原理は働かな
いのです。
この経済不況を克服するためには、全ての経済政策について「その政策が需要者で
あり国民である、消費者の真に幸福のためになるか」「その政策が生産者である、
企業社会の真に発展のためになるか」つまり両者を同時に満足させるには「真に経
済成長に役立つか」の「唯一の絶対基準」で一つ一つ吟味する必要があるのです。
本書は全て「経済成長に役立つ政策」の「理論と実証と目的論」でまとめられてい
るのです。
「公平、中立、簡素」とか「国際競争力」とか「経済の活性化」とか「努力が報わ
れる制度」とか「フラット税制」とか、我々日本人は経済成長に役立つことが証明
されていない、明確でない、あやふやなコンセプトや基準に惑わされることを、ま
ず絶対に止めなければなりません。
1985年の有名な「アメリカの直接税」の税制改正の理念は「公平、公正、簡素
(for economic gross 経済成長のための)」となっており、
1989年の「日本の間接税である消費税」の導入理念は「公平、中立、簡素」と
殆ど変わりなく、ただアメリカと違い肝心の(for economic gross)(経済成長
のため)が付いていないだけなのです。
全く正反対な制度改革に同一のコンセプトとかキャッチフレーズが付くという、理
念と観念というものが如何にいい加減かの見本なのです。
どちらの国の政策が自国の経済環境へ適応した政策であったかは、結果で明らかで
す。
アメリカは大成功、日本は大失敗だったことは歴史が証明しているのです。
つまりアメリカには自国の経済環境に適応しようと言う「経済成長のため」と言う
明確な目的意識があり日本には明確な目的意識も実証理論も無かったのです。
全ては「経済成長のために役立つか」FOR ECONOMIC GROSS の
唯一絶対の統一基準によって国民の幸福に役立つのか、検証されなければならない
のです。国家は国民を不幸にする理念観念を優先してはならないのです。
個人個人の利己的満足は、個別企業の競争の中で実現すべきものであり、国家全体
の目標は、国民全体の均衡の取れた幸福の追求(利他的満足)なのであります。
「耳障りのよいキャッチフレーズやコンセプトの言葉の一人歩きこそ我々日本人の、
最も嫌うべき悪弊なのであります。」そこで、はるかに早く成熟経済に達している
特別の人間で構成されているわけでもないアメリカが何故「過去も現在も未来も」
経済成長を継続できているのかを分析しながらアメリカ自身さえも気付いていない、
根本原因がアメリカの国家体制に強烈にしみ込んだ「進化システム」にある事を発
見し既に理工系の分野で活用され市場経済にも適用されている競争力発揮のための
「自己拡大をもたらす進化システム」とその本質となる「フェアーな競争を実現す
る競争力均衡状態の活発な競争」概念を中心として「成熟経済における経済成長税
制」を構築いたしました。
そして消費税導入前の日本が何故アメリカ経済を追い抜き当時世界一の経済大国に
なり得たのかは、その時の日本の税制を始めとする個々の企業、国民に対する「進
化システム」と「競争力均衡状態の活発な競争」度がアメリカより高かったからで
あり、貧富の格差が少なく膨大な数の豊かな中産階級や新規企業が生まれる作用を
持つ税制を採用し実質的に多数者による参加の自由と競争状況を作り出せるように
なったことが、その本当の原因なのであり、現状の深刻な経済不況は税制を始めと
する経済哲学の、その後の「大きな変更」により、税制が貧富の格差や企業の格差
が開く方向に作用する税制を採用してしまったことが、実質的に少数者による参加
の自由という競争状況しか作り出せず、経済の進化システム度や競争力均衡状態の
活発な競争度が極めて低下してしまったことが現在の不況の原因なのです。
経済活動は「基本的に人間の意志と行動の結果である以上、全ては改善可能であり
何が不況をもたらしているのか、事実をもとに突き詰めて原因を究明すれば全ては
解決できるのであります。」
つまり国家が「人間の本来持つ生き残りたいとする個人や集団としての前向きの意
志や意欲のエネルギーを正しく引き出す」ことが経済成長にとって不可欠と考える
立場から本書は作られており、どうすればそれを引き出せるかの、ルールとそれに
基づく具体策を具体例をもとに本書は述べております。
アメリカや諸外国から哀れみの目で見られることを、まず恥と感じ外資や外需に頼
らずに強力に内需を自己拡大し進化発展する日本経済へ再構築し、早くアメリカと
対等に競争できる経済環境を作らなければなりません。
1.国家の存在意義は人口も領土も狭く限定され「不完全閉鎖経済系の有限需要し
かない」条件の中で日本国憲法で明文化されている如く、国民の幸福を追求す
る権利を真に実現するには個人消費の無限連鎖の自己拡大を果たさなければな
りません。
そして人間を幸福にする経済の唯一絶対の根本指標は「失業率の低下とその反対目
標であるインフレ率の低下」だけであります。
これ以外の言葉やコンセプトの羅列は全く無意味なのです。
そして科学技術の発展により労働生産性が毎年高まる経済環境において領土も人口
も一定な国家という「不完全閉鎖経済系の有限需要」の中で失業率を低下させるに
は常時「個人消費の自己拡大」つまり「経済成長無しには、これを実現することが
出来ない」のです。
そして成熟経済における経済システムを考えるときは、国民の幸福の追求に反し地
球環境に悪影響を与える生産物については、その悪影響へ応じた個別生産規制(禁
止と規制)を、そしてそれを消費することが国民の幸福の追求へ悪影響を与える消
費については、その悪影響へ応じた個別消費規制(課税規制)を加える「明確な原
則」を確立して、生産者や販売者の業務に支障の無いよう実態としての設備耐用年
数に応じた経過期間を十分取った上で、遠慮会釈無く徹底して個別規制し、それ以
外については「進化システムである個人消費にも生産にも一切の一般規制を加えず」
人間本来の自然の本能に基づく進化システムによる個人消費の自己拡大と、生産の
自己拡大を容認し、企業の売上増加の基盤を図るメリハリの効いた本書で理論化し
た税制改革や政治改革等を採用すれば経済は望ましい方向へ自動的に成長しながら
進化発展するのです。
このように人間は経済環境でさえ「規制」という手法を使って、経済環境自身を変
化させ新たな進化条件を設定し、人間が本能的に持つ過剰性の本能と組み合わせて
新たな進化の方向つまり新たな望ましい方向への経済成長へ誘導し発展する事が出
来るのです。
その後は企業と国民のフェアーな自由競争に任せれば良いのです。
そして日本国憲法において文化的な最低生活の保障を全国民へ宣言している以上、
国家の役割りは「その時代その時代の国民が許容する範囲内で国民の利他的意識を
醸成し相互扶助精神も取り入れ、効率的な機関として誠実に正直に勤勉に努力する
普通の国民の幸福の達成」つまり国家による所得の適正な配分構造の形成が最重要
課題になるのです。「民は足らざるを憂えず、等しからざるを憂う」からです。
これによって「進化システムの中心概念である参加の自由のもとフェアーな競争に
よる国民の競争力均衡状態での活発な競争を実現」し、「進化システムである個人
消費の自己拡大を強力に作動」させ、企業の売上増環境を完全に整備することにな
るのです。
この考え方は国民一人当たり日本の200倍の社会的な寄付(民間の所得分配行為)
を行いボランティア活動が極めて盛んなアメリカ国民の自国民に対する利他的意識
の強さと、各人一人一人をアメリカのチームの一員と見なす哲学こそアメリカ自身
も気付いていない経済成長の根源となるのです。
そして日本では社会的寄付の慣習が乏しいので、その分国家が代行するのであるか
ら、日本では直接税の税率を、その分高くする理論的根拠が存在するのです。
この様な考え方は弱者への所得配分を税を通して効率的な民間の自由競争の中で行
う考え方なので、弱者の人間の精神的な尊厳が失われることが少なく、さらに現実
の競争のなかで競争する内に本人も鍛えられ勉強し、弱者と言えども成功するチャ
ンスや希望が与えられるシステムなのであります。
このように経済的弱者を競争社会からドロップアウトさせず、常に一体感の中で経
験させ鍛えるというシステムは、国家的に見ても有効な経済的生産戦力の拡大と、
個人消費拡大の強力な戦力となるのです。
ただ逆に国家の税制等は各個人の利益と利己的意識をストレートに表す構造にすべ
きであり相互扶助的であってはならないという主張もあり、その場合努力しても報
われない人には、セフティーネットなどの社会保障の拡大で、対処すべきとの論者
もいるが、これは実は「大きな国家を目指す論法」であり、如何にも資本主義的に
見えて、実は国家という極めて非効率な機関に過大な作業を求めることになり、非
資本主義的であり結果として非効率な国家を建設するだけなので好ましくない。
更に貧富の格差が大きくなりすぎ「進化システムの本質概念を形成する競争力均衡
状態の活発な競争」に反するので進化システムである個人消費の増加率は低下し、
企業の売上増環境は弱体化する。
その上国民所得に対する租税負担率を高めてしまうので、如何にも厳格な資本主義
的手法に見えて実は結果として「国家競争力」を弱めてしまう非資本主義的な非効
率な経済システムになってしまうのです。
その上、国に頼る社会慣習を国民へ植え付けることは大変望ましくない。
このように経済的弱者への所得配分を非効率な国家の負担に頼るという考え方は、
弱者を競争社会からドロップアウトさせ、実社会における再起のための経験も勉強
の機会も奪ってしまい、さらに競争社会におけるチャンスも希望も精神的な尊厳も
失わせるシステムであり、国家の貴重な戦力が損失し消耗してしまうこととなるの
です。
したがって資本主義国家の「企業システム」に資本主義的利己的意識に基づく効率
的な規範が存在するとき、更に「国家システム」には利他的な資本主義的愛国心に
基づく効率的な規範が存在するとき、その国家は「力強い資本主義的な経済成長に
役立つ国家となり」強く進化発展し成熟経済においても経済成長が継続するのです。
つまり大衆民主主義の資本主義国家では「パラドットス(逆説)を基礎とする国家」
が、最も経済成長を果たす国家となるのです。そしてこの国家経済システムを守る
ためには「カネは天下の回りもの」を正しく実践することこそ大切であり「資金が
スムースに漏れなく国内経済を回転するにつれて個人消費が自己拡大し経済成長が
実現される」のが資本主義における経済成長原理であり、そのためには資本主義的
正義を保証するため納税者番号制は不可欠であり、資金のプライバシー保護は最小
限度に止めなければならない。
それは不正に資金が滞留したり、国内に資金が退蔵されたり一部の大金持ちに資金
が偏在して固定化されたり国外に不正に資金が流出することが、全国民を幸福へ導
く経済成長に大きなマイナスになるからであります。
2.民間企業の存在意義は、領土も人口も関係なく世界に雄飛出来る「開放経済系
の無限需要」の中で活躍できる特性を持ち株主の利益追求つまり資本の利益追
求「総資本利益率の向上」が唯一絶対の根本指標となるのです。
つまり「その時代その時代の国民が許容する範囲内で、企業分野では個人、集団共
に利己的意識の効率的な企業活動の徹底した追及を容認」して差し支えないのです。
そして資本主義は自由な競争を実現する無色透明で、競争の結果が明確に現れる極
めて優れたシステムであるところから、進化システムの補助手段として、人間社会
に根付いたのです。
その意味で企業の役割と国家の役割を混同してはならないのであって利己的意識を
中心に組み立てられる「外部との競争意識と営利精神を中心に組み立てられる機能
的な企業の存在意義」と利他的意識を中心に組み立てられる「協同意識とボランテ
ィア精神で組み立てられる機能的な国家の存在意義」は全く異なることを、まず強
く認識しなければならない。
各々が徹底してその役割を果たすところに豊かな消費者が形成され「成熟経済でも
個人消費の自己拡大と経済成長が可能」となるのです。
つまり「国家も企業も国民も苦しみ抜いている」、平成2年から開始した長い長い
経済不況は、後から詳しく述べるように、システム工学で研究されている、進化シ
ステムの自己拡大原理を持つ市場経済の最重要な要素である「個人消費に規制が加
えられたために総需要抑制政策として機能し経済の自己拡大が停止しているという
根本的問題」により発生しており「現状の経済学の研究対象外の税制が原因」で引
き起こされている深刻な不況なのです。
その原因は後述するように日本の「進化システムの自己拡大原理を持つ市場経済」
に元々存在していた進化システム原理の規制要因である後進的な社会意識や政治シ
ステムに加えて更に市場経済の発展拡大の根源である「個人消費」に決定的に強力
な消費税制という規制抑圧要因が人為的に導入されたからなのです。
その原因は個人消費の自己拡大と所得への自己回帰の繰り返しで起こる「経済成長
の仕組みの本質」を理解するのが大変難しく、更に国家の存在意義も、国民の幸福
を追求する権利を実現するという「憲法で明文化された国家の本質規定」でさえ、
当たり前すぎて厳格に考えようとしない人が多いことが原因なのです。
「成熟経済段階に到達した主要先進大国」のうち「現状のアメリカと平成元年以前
の日本だけ」が「間接税比率を低く抑え、直接税比率を高く維持することで進化シ
ステムの程度を高め」、良好な経済状況と高い一人当たり国民所得と、低い失業率
を実現できたのです。
現状の経済政策が正しいと言うならば成熟経済段階に達した主要先進大国のうちで、
どの国が進化システムの破壊をもたらす、直接税比率の引き下げと間接税比率の引
き上げを行い良好な経済状況と高い国民所得と低い失業率を達成できたのか見本を
示して貰いたいものです。
これから本書を読み進む内に、物事を素直な科学的な目で見る重要性を認識し、タ
ブー視したり、固定観念で見たり、色メガネで見ると学問や科学の歴史で明らかな
ように社会経済の進歩は停滞してしまう危険性を十分理解しなければなりません。
特に理工科系学問は、これをぶち破る事こそ進歩であり、与件無し前提条件(p1
79参照)無しで真実を探求し、物事を考える気風がみなぎっているために、日本
の科学技術は高いレベルなのです。
科学技術分野で多くの俊英を生みだしている日本において、何故文科系の学問分野
で決定的に世界的業績を示す俊英が現れないのであろうか。
それは「与件無し、前提条件なし」の「フェアーな競争」で結果を求められる現実
の競争社会に適応しない研究方法に固執しているためなのです。
つまり日本の文科系学問は「学問の目的や学問の基礎となる哲学や科学の真の意義
を良く理解せず」言葉の魔力から抜け出せず、既存の考え方を与件や前提条件とし
て固定観念化し執着しているので異論をタブー視したり色メガネで見たり圧力をか
けたりするため、「参加の自由とフェアーな競争」が存在せず新しい考え方による
現実に即した詳しい研究が遅々として進まず、進歩が遅く、しかも日本人の最も劣
っている索敵能力の低さも重なり文科系学問の真の発達が大幅に遅れているのです。
これこそが文科系学問の発達に支えられている日本の国民を律する国家の諸制度や
法律が「システム」として現状に適応していない部分が極端に多く、社会経済制度
に多くの問題を生じ、不適応現象としての経済や社会の強い停滞として表れている
のです。
まず「現実に適応し役に立つ」(つまり人間の役に立つために)研究を行うことに、
まず目を向け興味を持ち、勇気を持って当たる事だと考えています。
「役に立つ」というと、すぐに「ノウハウもの」の低俗な研究と決めつけますが、
良く考えればアインシュタインの相対性原理、ボーアの量子論、ソローモデルも
「人間の社会生活にとって極めて役に立つからこそ」ノーベル賞が授与されたので
す。
役に立たない研究などにノーベル賞は与えられないのです。
人間にとって「役に立つ」と言うことは利他的行為や意識の結果なのであります。
人に役に立たない、研究のための研究は本人のみの利己的行為や意識なのでありま
す。
そして膨大な国民を対象にする以上「システム的な発想」が不可欠となります。
日本の民間企業が「質の良い供給力の増加を目指し世界に通用」しているのは「自
らの行動や努力が真に質の良い生産性の向上に役立っているのか」の基本的な視点
を決して忘れず「真実と事実に基づく立証と検証を常時行っている結果」であり、
それは常に同業他社との「熾烈な外部競争が常時行われている」からであります。
つまり常に競争に敗れると淘汰か倒産か失業の危機に迫られているため緊張感のあ
る非常に良い努力をした結果なのであります。
ところが国家は独占組織であるため「組織同士の外部競争が存在せず」競争もなく
倒産もなくリストラも無いため、常に緊張感が無く「全ての政策について憲法で明
確に求められている国民の幸福に真に役立つのか」の「真実と事実に基づく立証と
検証という重要であるが手間のかかる努力がおろそかにされ、頭の中だけで考えた
抽象的な理念や観念に陥るという戦前の哲学思想に回帰していると強く感じられ」
マッカーサーが述べた如く「日本人の精神年齢は12才」と言った当時と基本的に
日本人の国家観は変わっていないと強い危機感を感じています。
つまり日本の国家運営は政界、官界、マスコミ界を含めて「個々の国家政策が真に
国民の幸福に役立つか」といういう基本的視点を「現実と事実で立証し検証する」
という視点がスッポリと抜け落ちてしまっているのです。
戦前には「大東亜共栄圏」「五族協和」「神風」「欲しがりません勝までは」など、
耳障りの良い言葉とコンセプトによって、「現実と事実による立証や検証もしない
まま」、頭の中で考えただけの「現実の国際社会に全く適応しない誤った言葉やコ
ンセプト」で安易に全国民が洗脳され、日本国民自らが大きな悲劇を招いたのです。
これは誰の責任でもない日本国民一人一人の自らの責任なのです。
同様に現代も「公平、中立、簡素」とか「直間比率の是正」とか「薄く広く」とか
の言葉とコンセプトで「税制政策」があたかも現実の経済原則へ正しく適応してい
るが如く、意味不明な言葉を連発し国民を誘導し同時に国民も安易に洗脳される危
険性を強く感じているのです。
政界も官界もマスコミ界もまず第一に国家の存在意義の大前提である「常にその政
策を押し進めるとするならば、それが真に国民を幸福に導く政策なのか、理念や観
念ではなく現実と事実に基づき立証し検証する義務があるのです。」と同時に国民
も適否を見極める能力を高めなければなりません。
国民を幸福に導くとは言葉を変えれば、その政策で国民全員を食わせることができ
ますか?と私は言いたいのです。
国家は特定の優秀な人だけを幸福にすれば良いのでは無いのです。
国家は憲法に明文規定があるように、優秀な人も、優秀で無い人も「正直で誠実で
勤勉に生きる全ての人を幸福にする義務があるのです。」もし出来なければ国家は、
憲法で明文化されているように、国民へ文化的な最低限度の生活を保障しており、
無尽蔵に生活保護費や雇用保険金を支払わなければならないのです。
したがって国家という独占組織には組織同士の外部競争が働かない以上、本書に詳
しく述べているように「進化システムが正常に作動する個人による内部競争ルール
を厳格に導入」しなければ、自己拡大し進化し発展する良い政策は立案出来ないの
です。
そして進化し発展する国家になる為には、人間社会の現実の社会経済が、「現実と
事実の改善」によってのみ進歩する以上、「あらゆる政策の良否は、全国民の幸福
にとって真に役立つのかを判断基準とし」「国家が良くなるも悪くなるも、あらゆ
る政策は全国民とそれを代表する国会議員の進化システムによる参加の自由と対等
に平等なフェアーな競争(協同)によってのみ決定されるので」全国民や国家議員
が善悪、適応不適応を正しく意思表明出来るようにするための「適切なルール」と
「情報公開の徹底」と「全ての社会制度や法律は、全ての知的レベルの全国民へ強
制適用する以上、わかりやすさを最重要事項とすること」が重要であります。
また「国家の具体的な方針は、全国民の内部競争の結果によってのみ方向性が決定
するのであるから、その基礎になるのは、予め予定された理念観念の教育ではなく、
現実や事実を重視する科学技術教育や、人や社会に役に立つ教育」となります。
またマスコミは目で見る結果ばかりを追い求めず、それを生じた目に見えない真の
原因を探求する努力をつくし、真の原因を明確にし、国民を啓蒙することが、真の
対策を確立する第一歩になるのです。
結果情報50%、原因究明50%が望ましいのです。つまり現状のマスコミ界も
「その政策が真に国民の幸福の為に役立つかどうか、現実や事実に基づく立証や検
証の努力が足りず、マスコミ自身も理念観念による言葉やコンセプトの羅列に惑わ
されている」と言わざるを得ないのです。
さて経済問題に話しを戻しますと、経済成長現象の枠組みは、「国民を動機づける
システムとしての税制」が基幹システムとなり、その「微調整手段として金融政策、
財政政策」が存在し、金融政策、財政政策、税制政策の三位一体となって経済成長
に向かって歩調を揃えるとき「進化システムの働き」によって達成されるのです。
結論から述べると地球上の動植物は荒涼とした地上に誕生した一個の単細胞の生命
体が過酷な環境に適応しながら「自己拡大と変異と競争」を繰り広げ「進化原理」
によって進化発展し「無から有」の膨大な動植物群さらに人類を作り上げたのです。
そして「システム工学」においては、人間のみが持つ「危険な要素を含む過剰性の
本能」を自然の深遠な進化原理を活用してコントロールしながら発展させる為に自
然の生態系で実質的に成立している「参加の自由と対等に平等なフェアーな競争
(協同)原則」と「競争力均衡化の原則」(豊かな自然が成立するのは、生態系に
おいて強者の捕食量が下位の弱者の増殖量を上まわらないようにする力学が自然に
働く原則)を利用して、わずかな条件で成立する自己拡大する万能の「進化システ
ム原理」の概念を確立したのであります。
この考え方は「人間環境で成り立つ国家運営においても、日本を愛し日本で努力す
る全ての人間(人種、性別、思想にかかわらず)に等しく適用されれば進化システ
ムにより結果として日本の大きな発展の基礎」になるのです。
これこそが真に現代国家の要件になると考えているのです。
進化というと、すぐに食うか食われるかの生存競争を思い浮かべ「競争に勝つため
の利己的意識の必要性」ばかりが強調されますが、これが大きな誤りなのです。
事実は強者の補食量が弱者の増殖量を上まわらない原則が自然に働いて自然は豊か
に進化するのであり、自然界には強者はいつも自分が生命を維持するために必要と
する以上に弱者を補食しないという自然な利他的意識も備わっているのです。
ところが人間には他の生物には全くない、生命を維持する以上に、物を欲求する強
い欲望があり、これを国家がコントロールしなければ強者が弱者を食い尽くすこと
になり、国家全体の経済の発展は全くないのです。
つまり膨大な弱者が作り出す膨大な個人消費を変換して得る所得を、強者がより多
く食べるという弱者の利他的犠牲(意識)の上に、始めて強者は生きていけるので
あって、豊かな多数の弱者が存在しないと強者はより豊かになれないというパラド
ックス(逆説)が「真の生存競争の論理」なのです。
つまり強者は生きるために必要な分以上は、捕食しない作法(強者の無意識の利他
的意識)によって、厳しいはずの生存競争を乗り越え弱者の増殖スピードが強者の
捕食量を上まわるとき、自然は拡大し、豊かな生態系を保っているのです。
ところが人間だけが唯一持つ「生きるために必要なもの以上のものを欲求する過剰
性の本能」こそが、人類の最大の危険性であり、又逆にそれこそが科学技術の発達
に補完される人類社会の発展と「自己拡大する経済活動の根源」なのです。
そこで国家や国際社会は、人間が持つ過剰性の本能をコントロールしつつ、如何に
経済活動、社会活動を発展進化させるかという、二律背反の不可能に対する挑戦を
日夜努力しなければならないのです。
したがって国家が資本主義的利己的意識の必要性ばかりを強調し、資本主義は人間
の生活を豊かにする「手段」であり「目的」ではないという大原則を忘却するとこ
ろに大きな問題が存在し、日本の国策が経済の進化発展のために重要な利他的意識
の重要性を強く考慮しないところに経済の発展が停滞しているのです。
つまり直接税を大幅減税し、間接税を増税する政策は結果として経済行為の根本で
ある個人消費(自然の生態系で言えば最下位の植物の増殖)を規制することによっ
て自己拡大機能を大幅に弱め、更に国家の所得配分機能(農家が大地に与える肥料
に相当する)を大幅に弱め、自分だけ助かりたいという利己的意識(貯蓄)を増進
し、利他的結果をもたらす個人消費(他の人へ所得を得さしめる行為)の弱体化へ
国民を誘導し、結果として個人消費と設備投資が原資となる所得は縮小し、所得の
縮小に対する自己防衛のための「力(貯蓄)の増強」が結果として個人消費の更な
る減少につながり競争経済社会の中では豊かであった大多数の弱者が貧困化し、結
果として強者を支える多くの弱者で成り立つ経済生態系が縮小し、いずれ強者も生
存が難しくなるというパラドックス(逆説)の中に我々は経済生活を送っているの
です。
つまり国家政策は進化システム原理の下「競争力均衡化の原則」を意識しながら、
厳格な「参加の自由と対等に平等なフェアーな競争(協同)」に基づく競争原理を
強化するという、利他的意識と利己的意識この二つの全く逆に見える原則を共に増
強しなければパラドックス(逆説)で成り立つ国家を発展繁栄させることは出来な
いのです。
つまり全ての人が自分だけ助かりたい助かりたいという利己的意識が逆に自分を誰
も助けてくれない結果を生じる場合があり、全ての人が他の人を助けよう助けよう
という利他的意識が、他人が自分を助けてくれる結果を生じる場合があるという、
パラドックス(逆説)の中に生きているのです。
つまり我々は常に利己的意識と利他的意識の両者の利点や欠点を良く認識して政策
を立案しなければならないのであり、時間の経過と現実、事実を確認しながら進化
発展する方向へ解決する手段が進化システムなのであります。
つまり過剰性の本能を唯一持つ人間の競争社会で重要な点は生物の生態系の保持の
原則である生存競争における作法、つまり新たに生み出されたものの内、生きるた
めに必要以上のものを欲求しない作法(利他的意識)を人間社会が不合理にならな
い範囲で常に意識する必要があり、これこそが逆に国民の幸福の追求を害さない経
済的自己拡大をもたらす要因であることを理解し、国家は常に利己的意識と利他的
意識の適切な調和を図る政策を取る必要があるのです。
膨大な数の経済的大衆が利己的意識と利他的意識を持ちながら、少数の経済的強者
に近づこうとする意欲意志が、自己拡大する進化システムである個人消費増進の根
源であることを良く理解しなければならないのです。
そして経済的強者は利己的意識ばかりでなく、利他的意識や行動を発揮しなければ
全体の発展進化は無いのです。
日本が今後未来に渡り、進化発展する国家になるためには、「進化や競争の正しい
意味」を理解し、国家は経済的強者に対して利己的意識ばかりでなく利他的意識を
持つべき事を啓蒙し実践しなければ、経済の発展や国家の繁栄は無いのです。
そこで適切に強力に発展する国家を目指すには、国家の法律や制度全体に国民環境
全体へ適応するための、「進化システム原理」を積極的に取り入れ、徹底して遵守
することが最も重要な手段になることが、明らかになったのです。
同時に、本格的景気回復と財政再建のためには、「現実の経済環境へ良く適応した
政策」を実行し、結果として「自然に自己拡大する経済を作り上げて」、本格的な
経済成長を達成しなければ、根本的な解決はできず、諸外国や経済機関などの国際
的指摘で明らかなように「進化システムである個人消費の継続的な増大」を図る為
には、個人消費増大の抑圧規制要因を徹底排除しなければなりません。
さらに国家が徴収する直接税を始め全税目の全税収は納税者や納税方法の形態の如
何にかかわらず実は「実質的に企業が販売する商品・サービスの全原価に算入され
て全消費者が個人消費を通じて全額負担している事実」が明らかとなったのです。
したがって「個人消費の増進」こそが「景気回復をもたらす経済成長の根源」と
「税収増をもたらす財政再建」の根本的解決策だったのです。
また自己回帰的に考えれば直接的間接的に企業が人件費、諸経費、利益(総合計は
売上と同一)を通じて負担する原価の中に、国家の全税収が含まれてもいるとも言
えるのです。
つまり我が国の有名な格言、「カネは天下の回りもの」は経済の本質を明確に言い
当てており、個人と企業間の「個人消費=販売」を如何にスムースにしてカネの回
りを良くし、取引を拡大して税収を上げるかの工夫が問われているのであり、この
点間接税は商品流通のたびに課税されるため金回りが悪くなり取引が縮小するとい
う大きな欠点(規制要因)を持っており、直接税には、その欠点が全く無いのです。
さて韓国で2001年11月より開始しました消費税の減税は、韓国の株式市場や
企業業績に極めて良い影響を与えているようでありますが、本書の提案はアメリカ
の事例やヨーロッパ諸国の事例を進化システムの立場から、参考にしたり批判を加
え、更に奥深い意義を持つ総合的で継続性のある基本的な内容になっているのです。
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(与件に依存する経済学ではなく、前提条件無し、与件無しで現状を改善できる新
しい経済学が必要である。したがって新経済学は人間の本質を深く理解した哲学と
道徳と進化論に極めて密接な関係が生じてくる。)
本書はイデオロギーではなく「進化論」と厳しい精神性と実用的な哲学をちりばめ
た日本の「葉隠れの精神」とアングロサクソン民族の「帰納推論とプラグマチズム
哲学」と中国の知って行わざれば知らざるに同じの「陽明学」を基本にしています。
地球上生きとし生けるもの全ては荒涼とした35億年前の広大な地球に発生した一
個の生命体の単細胞が進化増殖し膨大な自然と人間を作り上げたのであります。
この神のような現象を成し遂げたのが「進化原理」であり更に進化により人間の各
臓器は部分システムとして機能し人間を全体システムとして成立させているのです。
そして経済も同様に「無に等しい」古代の貧しい生活から、現代の驚異的に豊かな
「有」の経済生活を持つまで進化発展させたのは、経済システムに、人間の本性に
合致した「進化システムを導入した結果」によるものであることは科学的に立証さ
れております。
成熟経済段階に達した日本経済では尚更この普遍的な人間の本性に合致した進化シ
ステム原理を、無意識的でなく意識して徹底的に活用しなければ経済は再生できず
「法律、制度などをシステムとして認識し、自由、平等、フェアーな競争を厳格に
遵守する進化システム原理を、システム(法律や制度)全体に積極的に組み入れる」
ことが、人間が行う経済の自然で力強い発展をもたらす唯一の方法であり、徹底し
て活用すべきと提唱しているのが3年弱かけて完成した本論の結論であります。
現代の経済学が多くの分野を、与件(前提条件)として研究対象からはずしている
事実が進化システム原理の重要さを経済学が学問的に気付いていない原因なのです。
さて戦後44年目(平成元年)以降、日夜経済の最前線で働く直感が鋭い大多数の
国民が反対していたのにかかわらず理念や観念を重視し論理を駆使するエリート達
の判断ミスにより「経済進化システムに規制抑圧が混入してきた」のであります。
つまり無限の開放経済系である世界経済に羽ばたく民間企業と全く異なり、国家経
済は領土の広さも国民の数も狭く限定されている以上、「閉鎖経済系である限界」
があり成熟経済国家は進化システムによる「自己拡大原理」でしか経済成長は達成
できない「事実」を直視し「消費の選択肢の増大と科学技術の進歩に自由を与え、
これに対する全面規制を廃止して、やむを得ない場合は国民の幸福に反する場合の
みの個別規制に止め」、「参加の自由と対等に平等の原則によるフェアーな競争」
を遵守し自己回帰的に需要と供給の拡大体制を確立することが必要不可欠なのです。
本書はその基本分析編であり、第一線で活躍している人材と若者や研究者へ「成熟
経済下の経済成長を全く新しい科学的な視点で徹底して分析し人間の特性や経済の
本質を理解すれば時代と共に経済成長が無限に可能であることを証明し」、未来の
日本を築く最も効果の出る経済成長税制(ノーベル経済学賞のソローモデルへ附加
すべき本質)として分かりやすくルール化した長文の解説書です。
読者の経済観や価値観、行動基準、哲学を一新する上で本書は非常に役立ちます。
日本のように現実の成熟経済の中で経済成長を達成するには「人間は個人消費を増
大させながら所得に変換して生活している原理を直視し」これを阻害しない体系的
進化システム的な制度と国民と国会議員の参加の自由と対等に平等とフエアーな競
争の中から幸福を追求する政策を生み出す国民意志を徹底して尊重する政策決定方
法こそ適正な方向性の消費の増加をもたらすという結論に達しました。
「財政再建」と「経済成長」を同時達成する政策立案を模索する日本の超エリート
と不況で苦しむ中小企業、大企業の経営者、勤労者へ大きな希望を与える理論です。
さて筆者としては、1987年ノーベル経済学賞を受賞したロバート・ソロー博士
(アメリカ)の「科学技術の進歩」こそ経済成長の唯一の根源であるとするソロー
モデルの考え方は、一面でその通りであると考えておりました。
しかし他面では現代のように、科学技術の情報が世界中素早く伝播する時代であり、
且つ貿易自由化の波が押し寄せている現状では生産設備さえ直ちに輸入できる時代
に何故国によってこれほど経済成長に差があるのか、それを研究する過程において
「余りにも当たり前すぎて誰も気付かなかった進化システム原理の存在が国家国民
の経済社会発展のために根本的に重要である事実」を発見したのです。
そしてこの原理は莫大な投資が必要な科学技術の進歩より更に根源的な問題にもか
かわらず、意志と意欲さえあれば意識を変えるだけで、財政支出がほとんど不要で
実現が可能な実用的で、より一層の経済成長に役立つ原理原則だったのです。
そしてそれを発見するため、開明的な明治維新における五箇条のご誓文の第一条や
福沢諭吉が唱えた理想主義と敗戦で国民も企業も国家も焼け野原の無一文から出発
し、43年経過した昭和63年に3200兆円の国富を達成し世界一の経済大国と
称せられるようになった現実の日本の経済成長政策と、長い経済の低迷から脱却し
て、アメリカを再度世界一の経済大国に復活させたクリントン政権の現実の経済成
長政策を徹底して分析し「事実」と「事実」の関連を調べ上げて「真実」を探求し
た結果が「経済成長税制」となったのです。
経済成長期の日本とアメリカが実証した現実の結果を分析して経済成長の根本的要
因として「人間の社会経済のあり方は進化システム原理(後述)に則ったものが最
善であるという事実」と「経済成長にとって個人消費が進化システムとして主導的
な役割を果たしていた事実」と、「直接税が国民所得をシステム的に配分し、国家
全体の消費性向を高めることが経済成長に重要な役割を果たしていた事実」を発見
したのです。
そして国家が徴収する全税収は納税者や納税方法の形態の如何にかかわらず実は
「実質的に企業が販売する商品・サービスの全原価に算入されて全消費者が個人消
費を通じて全額負担している事実」が明らかとなったのです。
したがって、「個人消費の増進」こそが「景気回復をもたらす経済成長の根源」と
「税収
増をもたらす財政再建」の根本的解決策だったのです。
そして資源の重要性については、輸入必要分の外貨準備高の輸出能力さえあれば、
資源が乏しいことなど自由貿易体制下の経済では大きな経済問題では無いのです。
但し平時にはこの通りでありますが、物流が止まる戦時には様相が一変するので、
常時対策を検討しなければなりません。
そして常に余力のある輸出競争力を保持しながら、国内産業に対して国内外の競争
条件の同一化を計るために貿易収支ゼロ政策(後述の理由による購買力平価の為替
相場)を取り、国内産業と外国企業との価格競争条件の実質的な同一化を図り、国
内の産業構造の適正化と国内需要を豊かに増進し、全体需要の確保を図る必要があ
るのです。
したがって対外需要に依存せず国内需要で産業を維持するには個人消費の増進は不
可欠なのです。
結論として資源の有無等で、国力が左右される訳ではなく、個人消費力の国家規模
(需要)と、それを生産できる生産力の国家規模(供給)は均衡して増進すること
が最も望ましいが不均衡になることも多く、その場合経済的に不健全な現象が生じ、
潜在的国力は別にして「現実の国力とは」国家規模の個人消費力と国家規模の生産
力の「いずれか力の低い方を国力」と定義するのです。
現代日本の最大の問題点は「生産力」は充分に存在し、その増進圧力がかかり続け、
さらにそのシステムの根源である科学技術の進歩も十分機能しているのに、それを
吸収すべき「個人消費力」の増進システムが大きく破壊され全く機能せず停止して
いるために国力や経済成長の全体システムが全く停止状態に陥り、失業が深刻化し、
企業倒産が続発し、際限のない金融不安に襲われているのです。
さて日本では消費税を導入した結果、消費者と面と向かって販売努力をしている企
業の第一線で、消費者がその所得を個人消費に変換する商品販売の瞬間において、
それを阻害し売上の低下要因を企業に強制し、更に「直接税率を意図的に引き下げ」
「間接税比率を意図的に引き上げ」経済成長の起点である自分の意志で自由に増加
も減少も可能な進化システムである個人消費を強制的に規制した日本の愚かな政策
の結果が、経済成長や税収の原資である個人消費の増加を停止後退させ財政再建ど
ころか財政を極端に悪化させ経済大不況となったのです。
私の長い経営指導の経験では値引き、割引、景品、チップ、スタンプなどのお客様
に対し経済的利益を与え売上(個人消費)を増大させる販売促進策を採ってきまし
たが、買ってくれたお客様に外税でも内税でも経済的損失である消費税を支払わせ
て売上(個人消費)が増大できると考えるエリートの考え方は、ナンセンスで全く
理解できません。
税金を多く支払うくらいなら、安い物を買うか、買わずに貯蓄をするというのが、
消費者の実際の発想なのです。
「つまり消費者は消費税の課税されない非進化システムの貯蓄という選択肢を常に
選択出来る」からであります。
(人間はどんな困難な問題でも英知を傾け解決に努力し生き残りと幸福を求めて、
行動できる生物です。何が正しくて、何が正しくないかを決める基準は「善悪の絶
対的判断基準と自由と平等の正しい解釈」(p307)の通りであり、人間社会で
は自分自身が引き起こす経済社会現象は全て自分自身の意志で確率的にコントロー
ルすることが可能なのです。)
過去に大きな過ちを犯した軍務官僚と政治家による「当時の世界の大勢」である、
ヨーロッパ大陸列強の全体主義への同調と傾倒による「作為(政策を立案し実行し
た)」である真珠湾攻撃に始まる第二次世界大戦への参戦も、また「不作為(的確
な政策を立案せず流れに任せて何もしないこと)」である水俣病問題、エイズ薬害
問題、狂牛病問題など結局の所、「作為にしろ不作為にしろ日本と日本人に適応し
た適切な判断による作為、不作為でなければ現実に大きな人災」に発展するのです。
そして日本の現状の大規模な経済不況も、この「世界の大勢であるヨーロッパ型の
消費税」という、女性の個人消費の支配力が強い特殊な社会慣行を有する日本では
特に副作用が顕著に現れることを理解せず、今度は「内務官僚と政治家」によって
導入された全ての個人消費に規制を加えた総需要抑制政策による、全く同じタイプ
の「作為による大規模な人災」なのです。
つまり経済成長の根本は「まず総消費(個人消費+設備投資)が発生すると、等価
にそれが所得に変換される等価変換原理と時間的順序がある時系列原理」から成り
立っているのです。
したがって個人消費は後から所得に等価変換されるのであり、所得は次ぎの個人消
費の源泉と増減の判断材料になるのです。
そして「個人消費は進化システム」であり所得は非進化システムであったのです。
この当たり前なびっくりするような二つの簡単な原理が実は経済成長の根本原理で
あり、経済成長現象を完全に説明できるとは、アメリカを始め世界中の誰もが良く
理解していないのです。経済成長の根本要因が分からなかったからこそ、世界中の
国家で税制論議が混迷する原因があったのです。
そして日本のように間接金融国家では、設備投資は、個人消費が活発な時に「貯蓄」
が「設備投資」に等価か拡大変換され経済も景気も拡大し好況となるのです。
そして個人消費が活発でないときは「貯蓄」から「設備投資」へ縮小変換となり、
過剰貯蓄分は経済的な無駄となり、経済は縮小し経済成長は後退するのです。
そして個人消費はその本質から進化システム原理が働き「幸福を追求する」人間の
特性と意志と意欲が働き、放っておいても自然に増加する特性がありますが、同時
に規制を加えれば人間の意志により自由に減少もできる特性も併せ持っているので
す。ここが他から稼得する性質上、自然には増加せず又自分の自由な意志により増
加や減少が出来ない非進化システムである「所得」との歴然とした差なのです。
したがって経済の根本である「進化システムである個人消費」は原則として自由に
すれば自然に増加するが、規制を加えると減少するという人間の意志や意欲によっ
て増減する性格があり、国家全体では国民の意志や意欲によって個人消費の総額は
直接増減するのです。
これに対して「非進化システムである所得」は「個人消費+設備投資」の等価変換
原理と時系列原理の結果による他から稼得した「実現された所得であるので」、
個々の人間の意志や意欲の変化があっても国家全体の所得額には全く変更が無く、
例え累進所得税高率なため所得追求意欲が減退する人が出て、その人が所得追求を
停止しても、その追求を止めた分の余剰所得は、所得の低いつまり消費性向の高い
所得追求者へ所得が配分されるので逆に経済成長にも効果的に役立つのです。
だから所得税率を高めると高所得の人材が他国に流出し、その所得分だけ日本の国
民所得が減少し日本の経済成長は低迷するというのは、真っ赤なウソであり、税が
高いから外国に移住したいというのであれば、自由に移住させれば良いのであり、
そこに残された余剰所得は日本でがんばる他の有能なより所得の低い人(消費性向
の高い)に配分され、日本を愛する国民が増加し、日本はより経済成長することな
るのです。
頭脳流出さえも直接税が高いことを理由に流出するのであれば、そのような利他的
意識や資本主義的愛国心の無い頭脳は流出すれば良いのであり、直接税が高いこと
により日本経済が順調であれば(直接税国家の方が国民所得が高くなることが統計
的にも既に立証されている)、税の増加を上まわる税引後所得の増加を得られる日
本を選ぶ良好な頭脳の持ち主が日本を選択するのであります。
高額所得者は利他的な行為(累進所得税の納税)を行うことによって貧しい人々を
普通の生活に押し上げる助力をしているのであり、それが結果的に個人消費の継続
的な増進を基礎とする経済成長をもたらし経済環境を更に良化し自己回帰的に高額
所得者の更なる所得獲得のチャンスをもたらしている、「経済成長の真実」を良く
理解し、そしてそのような自覚を是非持って貰いたいのです。
ただ国は主たる税を他国に支払い、日本で収入を得ているのに日本で少額の税しか
払おうとしない人々に対しては、税制をそれらの人にも適正に対処出来るように改
善すると同時に、国籍にかかわらず、日本国や地方公共団体へ主たる税を納める人
(居住者)かどうかを、常に情報公開し、国民へ知らしめなければならないのです。
なんとなれば「日本国民」や「日本に住む外国人」は日本国へ高い税を支払うこと
によって国民や人間相互に助け合って生きているからであり、その人々の権利を守
る義務が国家にはあるからであります。
この原則こそ経済成長と景気回復と財政再建の手段となる「税制構築の鍵」となり
ます。
そしてこれらの諸原理を組み合わせて分かることは「個人消費を自然に自由に規制
しなければ進化システムである個人消費が自然に増加し、循環的な景気の波があっ
たとしても、等価変換原理によって無限に国民所得の増加と自立的経済成長は継続
する」という経済原則と「進化システム機能のある個人消費に規制や抑圧を加えて
ると人間の意志と意欲の低下によって個人消費が減少し等価変換原理によって国民
所得は減少し自立的経済成長は、その分停滞後退し経済の過剰性は縮小し、いくら
公的資金を注入しても金融不安は経済の下方の均衡点に向かっていく間は際限なく
続く」のです。
また「個人消費を刺激して拡大させすぎると、これが正常と勘違いした仮需の設備
投資、仮需の在庫投資が発生し等価変換原理で国民所得は異状に増加し自立的経済
成長が異状に亢進され景気が過熱しバブルが発生する」という明確な「経済成長原
則」が導き出され基本的には極めて単純な原理なのです。
つまり経済は人間の意志によりシステム的に自由にコントロールが出来るのです。
さて資本主義の理論や資本増殖の原理さえ「進化システム」の一つの側面を表して
いるに過ぎず進化システムの人間社会における根本的な実用性は絶大なのです。
資本主義の理論も結局「人間の幸福追求」のための、手段にすぎないのです。
アメリカの経済学者はそれを良く自覚しているからこそ、アメリカの経済史の中で、
資本主義理論を忠実に再現しようとする政策を重視する共和党政権時代より、最大
多数の中低所得者層の人間寄りの政策を重視する民主党政権時代の方が、実は株の
値段が高いという研究結果がアメリカで発表されている位なのです。
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(進化システムによる、めざましい経済社会の発展実例)
人工システム(制度・法律など)は進化システムの時に限ってシステムとして強力
に発展する原理を有するのが「進化システム原理」なのです。
実例としては進化システムである「市場経済」は進化システムの度合いが高ければ
高いほど、非進化システムの「計画経済や統制経済」によりはるかに進化発展する
のであり、進化システムである「民主主義」は衆愚政治といわれながらも進化シス
テムの度合いが高ければ高いほど、規律正しい観念を持った優秀なエリートが率い
る「全体主義、共産主義」という非進化システムよりはるかに進化発展するのであ
り、進化システムである「科学技術や科学的な論理」は進化システムの度合いが高
ければ高いほど、一部のエリートによる「非科学的な論理や優れた予言者の予言」
という非進化システムよりはるかに進化発展するのであり、「インターネット」は
進化システムであるからこそ、「優秀なエリート管理者が構築する複雑で精密なト
ップダウン形式の商用ネットワーク」という非進化システムに勝利し、各々今後将
来ともに、これらの進化システムは力強く進化発展するのであります。
同様に「個人消費」は進化システムであり、「所得」は非進化システムなのであり
ます。
したがって個人消費は進化システムの本質を持つので、時代と共に本来は自然に自
分自身で自動的に増加する性質を持っているのでありますが、これが心理的、経済
的に消費税という規制課税を加えられているために、自然の個人消費の増加が抑え
られる総需要抑制策になってしまっているのであります。
つまり本格的に景気を回復し、税収の増加による財政再建を実現し、失業率を大幅
改善するには、総需要抑制政策を撤廃しなければならず、個人消費を選択的に課税
し経済成長に大きな悪影響のある消費に課税する間接税比率を劇的に低下させ、経
済成長に良い影響をもたらす「消費と貯蓄両者に同時に平等に課税」することとな
る所得に対する課税の直接税比率をその分大幅に強化する政策以外に改善する方法
は無いのです。
さて消費税は二つの経済要素の内「貯蓄に課税せず」「個人消費に対してのみ選択
的に課税するシステム」であることが、人間のカネの使い道に不平等を発生させ、
個人消費の発展拡大性を消滅させ国家経済全体に悪影響が生じているのです。
それに対して後述の通り所得税や法人税などの直接税は、「所得=消費+貯蓄」の
経済公式で明らかなように、非進化システムである所得を介して、実質的に個人消
費と貯蓄の全てに平等に課税するシステムであるので、カネの使い道に対して競争
条件が平等に保たれているので、課税される本人個人の経済的痛みはあったとして
も、個人消費に規制が無く経済システムに対する歪みや発展拡大性に対して何らの
悪影響が全く生じ無いのです。
さらに国家は税収を蓄える機関ではなく、収入した税収全てを使い、良い結果が表
れる政策を実行する機関であります。したがって国家を経済的に見れば、公共事業
や公務員の給与を通じた所得配分機能を持った機関でもあるのです。
この見方からすると直接税主導国家は「少数の消費性向の低い高所得個人法人から
多数の消費性向の高い低所得個人法人への巨大で強制的な所得配分促進機関」であ
り、間接税主導国家は「消費性向の高い多数の低所得個人から同じ低所得個人への
所得配分機能しか持たない国家であり、少数の消費性向の低い高所得個人の余剰所
得の配分を取り残し巨大で非効率な所得配分非促進機関」となるのです。
結局の所、間接税主導国家は個人消費拡大と所得拡大と失業率改善のための道具を
持たない国家であり直接税主導国家は逆にその手段道具を持っている国家なのです。
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(直接税は未来にも通用する究極の税制であり、間接税は未来に行き詰まります。)
さて直接税制を筆者が強硬に提案している理由は以上のような経済成長の促進に極
めて役に立つ道具となる利点ばかりでなく今後10年、20年、50年、100年
の経済発展を見据えた税制のあり方からも提案しているのです。
経済の歴史を調べると、およそ次のような事実が分かるのです。
1.国家は憲法で明らかなように人間である全国民へ幸福を追求する権利を保障し
ており文字通り国家は全国民へ、この義務を果たすことが第一の使命なのです。
法的存在である優良企業を育成することは、手段としての役割でしかないので
す。
2.さて「消費」は人間しか行いません。しかしながら人間の「労働」は科学技術
の発展に伴い「人間のやっていた仕事が機械に置き換わり爆発的に労働生産性
が向上する」原理があります。しかしながら科学技術の発展は、他国との競争
のためと、人間の好奇心の本能がある以上停止する事は出来ません。
したがって人間の労働は「人間しか出来ない分野」か「機械より人間の労働の
方が安上がりな分野」に限られて来ます。
3.しかしながら人間は「消費」をするためには「所得」が必要となります。
所得は労働の対価として受け取るのが最も自然であり人間の本性に合致してい
る。
4.さて「人間一人当たりの労働生産性が科学技術の進歩と共に向上する以上」、
「人間一人当たりの個人消費が向上しないと需給にアンバランスが生じ大規模
な失業が発生し労働の対価としての所得の獲得が難しくなる。」という事実が
あります。したがって科学技術の進歩に合わせた個人消費の増進システムは絶
対必要条件となり、それには個人消費の進化システム性の利用と直接税制の活
用が重要となります。
5.さらに50年後、100年後になると機械化が進み、機械を活用する労働者が
全生産を担当するので、そのような労働者は所得をより多く獲得し、それを担
当しない労働者への実質的な所得配分が難しい時代がやってきます。
直接税が発達しているとそれらを調整し更に労働者間の生存競争の競争力を均
衡化する大きな手段になります。この時代になると税制に求められる主たる機
能は所得配分機能となり、唯一直接税制が所得配分機能を発揮できるので生き
残る税制となり、間接税制は全く機能できないことが明瞭になり直接税制国家
が結局、国家間の競争に勝ち残ることになります。
たとえ話しをすれば、良い作物(国際競争力に勝ち残る超高生産性企業)を結果と
して生み出すには、農家(国家)は大地(大量の低所得者層や低生産性企業)を耕
し堆肥(所得)を与え、良い土作りしなければ良い作物は絶対に得られないのです。
したがって本文記載の如く国家にとって所得配分の切り札となる直接税制と良質な
低生産性企業の並立は所得配分の切り札となる重要性を認識しなければなりません。
産業のソフト化は避けて通れないのです。
そして経済や政治を正しく進化システム化すると人間の努力と合体し自然にこれら
は実現できるのです。
そして政策立案者は常にその政策が当初の予想通りの成果があがらない時は、その
個々の政策が人間に対して「参加の自由と対等に平等とフェアーな競争原理」が文
字通り完全に組み入れられているかどうか、進化システムが誤って規制されている
のではないか、逆に人間の幸福の追求に反する問題を適正に規制していないのでは
ないか常に再検討しなければなりません。
そして国家全体としては「不合理にならない範囲内で競争力均衡化の原理」が働い
ているかどうか確かめなければなりません。
あらゆる分野の政策は、この二つの原理を遵守さえすれば、放っておいても人間は、
その本性、特性に基づき正しい政策効果を必ず発揮するからであります。
付言すれば中世から連綿と続いた一人一人の人間のあり方について騎士道や武士道
が尊ばれ、その存在が国家の評価にさえ影響を与えた事実は、この問題の人間社会
への重要さを表しています。
したがって単に世界の大勢を政策立案の根拠や逃げ口上にしてはならず「経済成長
原則の基本に忠実に日本と日本人に適応した適切な国家政策を追求する努力が官僚
と政治家に求められ、その解決方法を記載しているのが本書であります。」
そして国家は国民の望む方向へ、まず国家政策を変更しなければ、国家は国民の努
力と共に望む方向へやり直すことは出来ないのです。
それは人間が人生に対する考え方を変えて望む方向へ努力しなければ、人生を望む
方向へやり直せないのと全く同じなのです。
つまり本書の考え方は明治維新から始まる「トップやエリートの理念観念」を優先
する伊藤博文的な「非進化システム思想」から脱却し「事実に基づき全国民と全国
会議員の参加の自由と対等に平等なフェアーな競争で適不適の選択や淘汰をする」
決定ルール優先の福沢諭吉的「進化システム思想」への転換を提言しているのです。
アメリカにおいて現在バブルがはじけ、テロに見舞われ最悪の景気になったと言っ
ても、失業率は1985年(昭和60年)の7.2%と比べれば遥かに低く良好で
あり、株価は当時と比べれば3−5倍以上高くアメリカ経済のバブルがはじけ最悪
といっても当時と比べればはるかに好調なのです。
株価は信じられないことにバブルの絶頂期の一割減程度の9000−10000ド
ル前後を維持しており(2001.7現在)(筆者は少なくとも6−7000ドル
には下落すると予想していた)、アメリカの官僚と政治家が立案し実行したアメリ
カの国民が支持している政策の自分自身に対する経済的愛国心にはホトホト感心し
ております。
そして現代アメリカは消費好きのアングロサクソン民族の特性と消費性向を高める
ため高所得階層から低所得階層への実質的な所得配分機能を持つ直接税主力の税制
と、金持ちや一般市民の日本と比較して国民一人当たり200倍を超える恵まれな
い人々への社会福祉的寄付の利他的意識の強い社会慣行つまり寄付という民間の所
得分配行為による個人消費の促進機能、全産業のうち小売業と飲食業にしか課税し
ない小売売上税との組み合わせによる個人消費の進化システム度は現代は世界のど
の国家より順調に作動している(もちろん昭和63年以前の個人消費に規制が殆ど
無かった日本の進化システム度よりは劣るが)ので一定のペースで国民一人当たり
の個人消費は増え続け、科学技術の進歩による生産性の向上や金融不安を吸収し、
これからも一時的な循環的不況に見舞われても必ず不死鳥のようにアメリカ経済は、
よみがえるのです。(寄付は偽善行為であるという曲がった意見も存在するが、筆
者はその意見には組みしない。)
つまりアメリカという国家は、その国民性に基づき国民一人一人、企業一社一社に
ついて参加の自由と対等に平等なフェアー競争による利己的意識に基づく個人主義
を強調しながらも、実は全ての国家システムはチームワークの重要性を強く認識し
良くルール化され、特に自国民に対しては自国内での競争力均衡化の理論と建国の
理想に基づく利他的意識を基本として徹底して構築されているのであります。
つまりアメリカは自国民をチームの一員として見なし、参加の自由と対等に平等に
フェアーな競争と利他的意識を育み、アメリカ憲法の掲げる理想の実現に規定通り
本気に取り組もうとしているのです。
さて日本が他国の国家政策を参考にするときは、自国人口の少なくとも半分以上の
大国で経済政策が適正に機能している国家でなければ参考にならないことを、自覚
しなければなりません。人口規模の小さい国家の政策は、たとえその国家で非常な
成功を収めていると言っても、直ちに日本の国家規模には参考にならないのです。
それは人口の規模によって、国家の自立的存立基盤が全く異なるからであります。
この観点から日本の国家政策の参考とするためには、現状の自立的経済状況も順調
であり、今後将来とも自立的な発展拡大の可能性の高い国家はアメリカが第一であ
り、だからこそアメリカの経済政策、税制を研究しているのです。
このアメリカと対等に競争するには、日本では経済的に女性主導の過少消費体質と
過剰貯蓄体質と更に利己的意識が極めて強い金持ちや一般市民の社会福祉への寄付
の社会慣行が極端に少ない国民性つまり民間の所得分配行為が極めて少ない国民性
を踏まえ、個人消費の進化システム機能を取り戻すためアメリカより更に徹底した
個人消費への規制緩和(現行の課税理由の明確な個別間接税は除き)つまり消費税
を全廃し、更に利他的意識を醸成し消費性向を高めるため全国民のアメリカより社
会福祉への寄付分だけ高い税率による直接税制を強化し、個人消費の自然拡大機能
を完全に取り戻し、個人消費の自然な増進を通じて縮小しつつある日本の市場経済
の進化機能や過剰性の拡大機能(P150参照)をアメリカ並に回復し科学技術の
進歩による労働生産性の向上を吸収し、失業率を改善し日本経済の自立的回復基盤
と金融不安を解消し日本人の生活基盤を確立することが、今正に国内的にも国際的
にも強く求められているのです。
日本の間接税は消費税を全廃しても、ガソリン、酒、タバコの間接税と事実上の間
接税とも言える自動車関係の諸税並びに第二税金とも考えられる高速道路料金(ア
メリカは無料)などを考慮に入れると、アメリカの地方税である小売売上税を考慮
に入れても間接税比率は高い位なのです。
昭和35年からの世界が驚愕した日本の高度成長時代には消費税は存在せず、当時
の所得税の最高税率は所得5000万円以上について70%であり、更にそれ以後
長年8000万円以上につき75%に引き上げられ、昭和60年−62年3月申告
分までは70%、63−64年(平成元年)3月申告分までは60%だったのです。
つまりこの間、痛みを伴う国家を通じた助け合いの精神、利他的意識の重要さが国
民へ求められていた時期であり、正に経済成長や好況と痛みを伴う直接税率の高さ
と個人消費規制税制の不存在は正比例の関係にあったのです。
それが昭和64年(平成元年)4月に消費税が導入され、平成2年3月に所得税と
消費税と両方の申告の納税時期になった時に、消費税3%、所得税の最高税率50
%の納税が始まったのであります。
実は経済成長システムが大きく傷つけられた、この消費税導入の一年後の現実に企
業の消費税の納税が始まった平成2年3月前後の確定申告時期から円、株、債券の
トリプル安が開始しバブルの崩壊が早くも始まったのです。
その後消費税が5%になったのに伴い、所得税の最高税率は37%に減じられ、高
所得者有利の資本主義的利己心を促進する政策へ変更され、それによって経済成長
を誘発しようとする政策の思惑とは正反対に急速な不況の更なる深刻化に突入して
しまったのであります。
そして日本国が外国に対する援助という対外的な利他的意識ばかりを政策に取り入
れ、肝心の自国民に対しては高所得者有利の利己的意識を強調する「経済哲学の変
更」に終始し、国民へ利己的意識を鼓舞して経済発展を実現しようするシステムへ
変更し続けた誤りが「本書の理論通り」経済の発展を大きく阻害しているのです。
つまり高所得税率の少しの痛みを避けよう避けようとしたために、不況の深刻化と
言う激痛を伴う死の苦しみが全産業と全国民へ「自己回帰的」に襲ったのです。
つまり日本人は近年特に、個人個人が利己的に行動する傾向が強いので、これと均
衡を保つためには、社会全体のために善悪、良否を明確に区分区別しながら、日本
人の心の奥底に眠っている良心と良識に基づく利他的な意識を引き出す政策運営を
しないと、経済成長は全く期待できないのです。
日本の高度成長時代を実現できたのは、消費税という個人消費規制税制が無かった
ため個人消費の進化システム機能が十分機能したこと、高い累進税率の存在により
消費性向の低い人(高所得者層)から消費性向の高い人(低所得者層)への所得配
分が直接税の機能を通じて常時実現していたために、その時期日本国の個人消費の
伸び率は極端に高く、そのために企業の設備投資意欲もケタ外れに高く、それが国
民所得へ自動的に等価変換され国民所得の爆発的な増加をもたらし所得倍増計画以
上の国民所得の圧倒的な増加を実現できたのです。
そして高い税を支払った多くの高所得者層は、決して損をしたわけでなく支払った
分の有形無形の配当やチャンスをものにしたのです。そして高所得者層は、同時に
必要経費を無税で使用できるという特権を持つ「企業経営」のおもしろさもチャン
スも身につけたのです。
したがって現状の経済不況は「人為的な政策ミスによる人災であり」「消費税の導
入までの25年間で265兆円の国債を、財政再建のための消費税導入の大義名分
にも拘わらず、わずか11年間で401兆円増加させ666兆円の国債」を残し未
来の子孫に負担させる責任から考えると、民間ではリストラ、給与カットが日常的
に行われている現状では、この様な日本国の経営内容に陥れた責任は大きく、与野
党を問わず国会議員と官僚の皆様は最低3割以上の給料カットを行なわなければな
りません。もしこれが無理であれば、可及的速やかに政策変更を行い、日本国の経
営内容の改善を行い「結果」を出さなければなりません。
民間では当たり前の事なのです。演繹的な論理や通説に惑わされず「事実」をしっ
かり分析することが大切なのです。本書の理論は内外の「実際の事実」によって証
明しているのです。
既成の学説によれば直接税は「貯蓄」を阻害し、「消費を優遇する」という誘因を
生みだし、貯蓄を減少させ、投資を阻害するというデメリットを強調しているが、
現在の経済成長停止状況における、日本の貯蓄過剰、消費過小の国民性にとっては、
この直接税の欠点と言われる点こそ、正に大メリットなのであります。
そして累進所得税は個人の勤労意欲や事業意欲を阻害するから経済成長に悪影響を
及ぼすとの学説もあるが、実はその人が累進税率の高さゆえに、所得追求を止めて
も、既に述べた如く国民所得全体は減少しないので、余剰所得は所得の低いつまり
消費性向のより高い他の所得追求者に配分されるので、何ら経済成長には悪影響が
無いどころか、個人消費が更に増加し経済成長の促進要因になるのです。
忘れてはならないのは、「貯蓄」もまた銀行を通じて、全額国内企業の「設備投資」
として全額活用されなければならないのが「経済の仕組み」であり、貯蓄は天国に
貯めておくものでは絶対無いことを理解しなければなりません。
そして設備投資を活発にするには、個人消費が活発にならなければ不可能なのです。
そして設備投資が活発でなければ、国内で貯蓄された資金は、海外の投資に回るか、
国債を購入するか「経済成長には全く役立たない資金」になり、国内の民間市場は
ますます活用できる実質資金が枯渇し、ますます不況が深刻になるのです。
そして一言付言したいことは、日本のバブル経済が発生した原因は決して直接税制
そのものの責任ではなく、「不動産の買い換え特例を認めすぎて不動産購入の無限
連鎖が生じてしまったこと」「金融政策、財政政策を誤り、バブルを沈静化するど
ころか、資産インフレを見逃し加速させてしまったこと」「将来発生するかもしれ
ない相続税の金銭納付に恐怖感を覚えた納税者が不動産購入と建物建築へ走ったこ
と」などから、「膨大な資産仮需」と「資産インフレ」が生じたのが、その原因だ
ったのです。
当時取るべきだ対策は、「不動産の買い換え特例を厳しく制限すること」、「金融
政策、財政政策を不動産の仮需や在庫仮需が発生しないよう工夫しながら引き締め
ること」「国家の余った財政収入はバブルの沈静化を図るため、財政需要として使
用せず、将来に備え確保すること」、「相続税の物納を徹底して拡充し、納税の金
銭資金調達の不安を納税者から取り除くこと」などを実行すれば良かったのです。
つまり直接税制の責任では無く、何が問題なのか索敵能力が充分でなく、したがっ
て適正な運用や対策が取れなかっただけなのです。
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(進化システムが作動する膨大な国民の意志に基づく政策決定方法の重要性と、弊
害ばかりをもたらす少数のエリートの理念観念による政策決定方法)
さて日本の現状の失業率は1985年(昭和60年はバブル絶頂期の数年前)の2
.6%よりも2倍以上悪化しており、株価はバブル期の1/3から1/4に下落し
アメリカとの経済的格差は言葉に言い表せないほど、広がってしまったのです。
日本の官僚や政治家が立案した国民が支持しない政策を強行した場合の、国民の経
済的愛国心の無さは当然であり、国民感情に適応していない経済政策の愚かな結末
が明確に表れています。(失業率が異状に高いドイツなどユーロエリアの理念観念
に基づく経済、税制にも、その疑念が、私にはいつもつきまとっています。)
さて当時の国会議員と官僚の皆様が個人消費への課税である消費税を導入したのは
決して不純な動機ではなく「この税制を導入した方が日本の将来に必ず良い結果を
もたらす」という未来予測を基に「理念観念」で導入したことは確かなことです。
それなのに現在「当時の未来予測が全く当たっていない」のに、これ以外ないと他
のいくらでもある選択肢を情緒的に排除し「理念観念」として更に凝り固まり消費
税制の維持は、与野党を問わず国会議員と官僚の皆様の固定観念になっております。
しかし進化システムの考え方は「結果が全ての世界」なのです。
私は「事実」として当時の未来予測が的中し「予想された良い結果」になりました
か?と問いたいのです。 まずこの事実認定をしっかり行わなければなりません。
つまり「理念観念」より「事実」の方が「真実」により一層近いからです。
日本人の大きな欠点は、いくつもの選択肢を並べて比較し、その時の状況に応じて
明確になった最悪を淘汰し、出来るだけ予測が確かな次善を選ぶという、しごく当
り前の作業を繰り返しながら微分積分的に最善に接近するという継続性のある精神
的タフネスさが無く、情緒的に一つの選択肢に凝り固まると「理念観念にこだわり」
「実質的な決定ルール遵守という進化システムの重要性を忘れ」理念観念ばかりに
固執するという精神的固さや幼さがあり、事実を基に善悪を、明確に区分区別する
精神的強さと最悪を淘汰する勇気と柔軟性と決断力が欠如している点であります。
筆者だけではなくアメリカ政府の要人が再三再四に渡り、消費税の再検討を忠告し
ているのに、「内政干渉と金切り声を上げ」忠告を無視し続けたため、現在ではア
メリカも忠告を止めてしまったのです。
つまり日本人は破滅の際まで来ないと真実や事実を理解する勇気が無い欠点がある
のです。固く考えず、事実を基にもっと素直に気楽に考えるべきなのです。
たかが人間の考えることです、失敗は付き物なのです。失敗すればやり直せば良い
のです。「失敗の事実」を素直に受け入れる勇気があるかどうか、国会議員の皆様
にやり直す勇気があるかどうかだけの問題なのです。
人間の人生も基本を遵守しながら10人10色、100人100様で本人の能力に
合わせて成功を目指せば良いのでありまして国家政策もまた国際的に遵守が義務づ
けられた基本を遵守しながら10国10色、100国100様で国民性と能力に合
わせて成功を目指せば良いのです。
もちろん失われた10年は全て無駄であった訳ではなく「どのように莫大な国費を
かけても、国家の基本政策が間違っていると、良い経済効果が現れない事実をあら
ゆる人が実感した事」や「日本の社会制度の多くの弱点が白日の下に明らかにされ、
多くの事が改善された」という大きな利点もあったのです。
しかし現状を継続することは、メリットよりはるかにデメリットが深刻であり、今
後の国家基本政策を本書で述べる進化システム政策と昭和63年以前の成功してい
た税制を参考にして、全面的に見直すべきなのです。
さて本来なら当時の世論調査の結果では、消費税制は国民の7−80%が導入に反
対しているのに国会で承認されてしまったという事実は、日本の政治システムが実
質的に「進化システムになっていないという」事実が証明されたのです。
したがって本書は経済ばかりでなく、政治に対しても進化システムを導入する必要
性を声を大にして訴えているのです。
それは国民大衆の意志の単純総和の決定ルールは「理念観念に決して凝り固まらず」
その時代の「国民が幸福になるための国民環境に柔軟に適応できる現実的判断」を
下せるからであります。なぜなら彼ら自身が幸福を求め、生き残りの本能を持つ国
民環境そのものだからであります。
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(膨大な数の国民で成り立つ国家経済を良好に保つには、競争力均衡化原則による
進化システム的発想で全体を有効に機能するよう組み立てなくてはなりません。)
私は根っからの自由主義経済論者であり、政治的には保守的な思想の持ち主です。
ここ十数年間エリート専門家や解説者による、テレビの経済討論番組や新聞の経済
解説記事を毎日のように見せられたり、聞かされたりしてきましたが、多くの国民
が感じているようにほとんどが「コンニャク問答か禅問答」のようで不況の根源的
原因を明確に指摘して、この政策を根本的に実行すれば財政再建にも景気回復にも
同時に役立ち経済成長が再度開始されると言った核心に迫る議論は見たり聞いたり
したことがありません。
現在では景気回復に全く役立たないこのようなメディアは見る気もしなくなってし
まった国民も多いのではないかと思っています。
したがってこれらの専門家の意見に基づく国の経済政策も目先の対症療法に追われ、
膨大な国費を使用し、国の借金が増える一方で更に不況が深刻化し一向に改善の気
配がありません。
したがって結論から言えば本格的な景気回復と財政再建を同時に完全に達成できる
正しい経済運営の進め方について現状の経済エリートの方々が「真の理論」を有し
ていないことが明確になってきたのです。
主張している理論も「事実」に基づかない「単純な理念観念という思いこみ」ばか
りが目立ち、全く事実に基づかない空理空論としか言いようのない意見が大半を占
め、専門家としての問題点の索敵能力に強い疑問を感じています。
その上広い学問的視野に立脚しているとは思えない木を見て森を見ない些末な議論
に終始しています。
結局正しい方針が立てられず、経済運営はその場しのぎの連続で混乱の極に達し、
その上「現状の経済政策は根本的に日本の国情に全く適応しておらず」このままで
は「本格的な景気回復や財政再建は全く不可能」であることが分かって来たのです。
その上政界、官界の大部分のエリートの方々は財政再建を達成するには、消費税の
増税以外方法がないという強迫観念に陥っておりますが、これでは経済の出発点で
ある進化システムである個人消費を抑圧し、個人消費の増進によって成り立ってい
る市場経済の拡大機能を更に破壊し日本経済のアポドーシス(自滅)を引き起こし
てしまいます。
つまり「個人消費」は結果として第三者へ所得を得さしめる行為、つまり第三者へ
カネをもたらす行為であり言葉を換えれば所得の配分行為であり日常的な助け合い
の行為なのであり「利他的行為」なのです。
したがって突き詰めて考れば消費は美徳という積もりはありませんが「個人消費」
の本質は人間の生活を支える基本行為であり「寄付して弱者の生活を支えるのと」
結果は同一の効果を生じる行為なのであり、これに間接税で課税を行って規制をす
ることは全く道徳的にも望ましくないのです。
それに対して「所得と資産」を獲得する行為は自分自身のみがカネや資産を得る行
為であり結果として「利己的行為そのもの」なのであり資本主義社会ではこれを無
制限に認めると人間社会では独り占めが発生し反道徳的になってしまうため「競争
力均衡状態の思想」(P137参照)から直接税で規制が認められる道徳的基盤が
存在するのです。
したがって少数の成功者の利己的意識をくすぐり優遇し国家政策を成功させようと
する試みは成功者でない大多数の国民を含む国家では成功はあり得ないのです。
つまり国家政策を成功させるには、人間の自ら所得を得たいとする利己的意識と他
のものに所得を得さしめようとする個人消費などの利他的意識を各々十分に発揮さ
せ全国民を各々の能力に応じ、全員に正直に誠実に勤勉に努力し、それを発揮する
意欲を持たせ、自由と平等に勝つチャンスを与えフェアーに競争させることによっ
て、全国民にとって各々の能力に応じて良い結果を出せるシステムを組み上げ、全
体として成果を出せる政策こそ、国家政策なのであります。
「競争しあいながら、助け合い協同して生活する政策」が人間という社会的動物に
最も適応していると、筆者は考えているのであります。
さて我が国経済は需要に対して供給力が大きく上回り始めた成熟経済段階に達した
のですが、それでも「与件(前提条件)無しでの完全に自由な競争」こそ経済の進
化発展のための最善の手段であると市場経済では考えられております。
それでは日本が成熟経済へ達した中で国民が望んでいる「真の経済成長の達成」や
「財政再建」を実現するためには六つの分野の与件(前提条件)から成り立ってい
る現代経済学は、現実の与件無しの競争社会にほとんど役立たないことは莫大な国
民の血税を使用した、十数年来の何度にもわたる景気回復のための経済政策の失敗
によって不況に苦しむ多くの国民が肌で知るところであります。
そこで本書の目的は多数の与件(前提条件)の上でしか、経済を説明できない現代
経済学を離れ、経済学の基本を活用しながらも与件(前提条件)無しで市場経済に
合致した経済成長を完全に説明できる理論を構築することによって「本格的景気回
復と財政再建を同時に完全に達成できる方法」を立案するため経済の現状を詳細に
分析し、現状の最悪部分を排除した「必要且つ十分な経済成長税制理論」を目指し
たものであり、「結果として根本的な唯一の解決策」として完成したものでありま
す。
そしてこの達成手段としてシステム工学で用いられている進化システムの原理を経
済分野に徹底的に活用し「進化システムであるべき経済と政治において完全に均衡
のとれた進化発展」こそが鍵であり、それを実現するためには「市場経済や民主主
義という進化システムにおいて進化システム原理が如何に完全に理解され遵守され
ているかどうか」に成否がかかり、それを遵守する度合いが高ければ高いほど結果
として持続的で本格的景気回復と財政再建を完全に同時に達成できることを発見し
たのです。
さて人間社会の全ての問題を解決する手段として、進化システムである民主主義と
いう手段がありますが謀術策に優れルール無視も平気で行う権力者や理念観念者に
よって全国民が洗脳され支配されやすい社会的動物としての人間の弱さや特性、問
題点を厳格に排除するために民主主義国家を運営する原則として参加の自由と対等
に平等とフェアーな競争(協同)ルールによって全てを決着し決定するシステムの
適正さを遵守するために、他の影響力を排除した「人間個人の独立性を実現する徹
底した規制ルール」がまず第一義的に重要となります。
つまり憲法で示されているが如く、国家は国民の幸福追求を実現するために存在す
るのであるから、まず幸福を感じるには「希望」が無くてはならないのです。
人間は「希望の達成−>幸福」のサイクルで始めて幸福を感じるからなのです。
「競争力均衡状態」の意味について解説しますと、人間を除く地球上に生存する何
百万種の生物の競争力は同種同士では、ほぼ一対一か一対二程度の競争力の差しか
ないことは生物の観察から明らかであります。
つまりどの個体でも仲間同士で競争して「勝つチャンスつまり希望」は大いにある
のです。
ところが唯一人間だけは権謀術策や経済力などを駆使し、人間同士の生の競争力の
差は、その人の地位や経済力によって一対十万倍にもなってしまう時があるのです。
それを放置すれば強大な競争力によって、戦う前から競争相手を簡単にけ落とし奈
落の底にたたき落とすことも出来るのです。
これを不合理にならない自然な生物と同じ様な範囲内で規制し競争力を均衡させ競
争して勝つチャンスを全ての国民へ与えなければ全ての国民に希望を与えることは
出来ないのです。
しかも人間は希望があれば精一杯努力出来るし、多くのものを生み出せるのです。
しかし競争する前から勝敗が明確で、全く競争に勝つ希望が無ければ、人間は努力
を放棄し、多くのものを生み出すことや、生きる希望さえも意欲も失ってしまう、
そういう特性を持った動物なのです。
そしてこの原則の裏側には「不合理にならない範囲内で国家は国民一人一人、企業
一社一社の競争力の均衡を図る原則」が常に隠されているのです。
まず自然界では強者は生命を維持する以上にはむやみに弱者を捕食しない原則によ
って競争力の均衡が保たれており、人間を集団として把握し、全体の能力を引き出
すには競争力を均衡させ「競争で勝つチャンスつまり希望を全国民、全企業へ与え
ること」が、国家の重要な機能になるのです。
この「競争力均衡の考え方」は他のあらゆる生物と異なり「同一種」に拘わらず
「理念観念」や「権力の奪取」や「大きな不正」のために、人間は大規模な殺し合
いや闘争を平気で行い得る特別な動物であり、このような社会的動物としての危険
な特性を持つ自覚が自由と平等とフェアーな競争の原則(ルール)や国家権力の三
権分立の原則、独占禁止の原則など、誠実に正直に努力する者に対して、人間一人
一人の競争力の均衡概念の発展として生み出された根源的な概念なのです。
そして、この考え方は事実として生きとし生けるもの全てに現に適用されており、
自然の生態系では、そこに住む生物の生存のための競争力の均衡が保たれていると
きに、豊かな自然が築かれるのであり、また自らの身体を考えると体内で免疫系の
白血球やキラーT細胞などが、体内に常時進入してくる害になる細菌などを識別し、
血みどろの戦いを体内で常時繰り広げ、均衡を保ちながら細菌などが増殖しない状
況を人間は「健康」と読んでいるのであり、もし白血球やキラーT細胞などが死ん
で機能を停止すると、体内で細菌があっという間に繁殖し、二日もすれば身体は腐
り始めるのです。
善悪の識別と悪と識別されたものとの真剣な対応は、人間も避けて通れないのであ
り、見て見ぬ振りをすると後で大きな被害をもたらすのです。
つぎに少数の特定の権力者や理念観念者の幸福ではなく、自然な動物である大多数
の全国民の幸福を実現するには、自然の生態系である自然システムの延長線上に、
存在する「均衡論」に裏打ちされたシステム工学上の進化システムを活用すること
が、最も理にかなっており「国民一人一人と国会議員一人一人に参加の自由と対等
に平等な条件を遵守しフェアーな競争原理(ルール)で多数決で決定され立案され
たシステム(制度や法律など)の時に限って結果として力強く進化する」という進
化システム原理を有するので、日本の経済社会構造の中へ「あらゆる分野において
一人一人の人間に参加の自由と対等に平等な条件でフェアーな競争を展開できる競
争条件を整備するための徹底した規制強化を行い、つまりそのようなルールの厳格
な適用を行い」と「そのようなルール意識を醸成する政策」つまり厳格な民主主義
の確立こそが何より重要であり、人間社会においてこれが完全に実現できれば、あ
らゆる問題が時間は掛かっても「幸福を求める多数の人間の意志」と「進化システ
ム原理がシステム的に結合し」自動的に解決できるのです。
「参加の自由と対等の平等によるフェアーな競争のルール概念」も「所得税、法人
税、相続税などの直接税」も、人間社会における「競争力均衡化の思想」を実現す
るための手段であり、これこそが人間の本性に潜む利己的意識と利他的意識を適切
に引き出し、人間社会を進化発展させる手段としての進化システムの根源なのです。
これに対して参加の自由に対する規制や妨害など、何でもありの自由や特権を容認
する何でもありの平等やルール無視の何でもありのルール不存在の競争などは、
「競争力均衡化の思想」に役立たず進化システムも機能しないのです。
逆に所得税などの直接税は、所得=消費+貯蓄の経済公式から明らかなように実質
的に消費と貯蓄に平等に課税し、課税最低限以下の低所得者には、消費にも貯蓄に
も課税を免除し消費に対する参加の自由を促進し、それ以上の国民に対しては所得
に応じた税率で消費にも貯蓄にも「平等に課税」するから悪影響が生じないのです。
官僚のキャリアーとノンキャリァーの問題も「国家目標は、憲法で明示するが如く
国民の幸福を追求する権利を実現することだ」という大命題を正確に理解していな
いことと、少数の人間に特典を与え官僚組織内で政策立案の公正な競争が行われて
いない結果、国民に目を向けた良い政策が立案されて来ないのであり、また財政負
担ばかりが増加する特殊法人の問題も特殊法人を運営する少数の人間に特典を与え
民間企業との間に公正な競争が行われていない結果にすぎないのです。
そして政治の分野では国会議員に公正な競争を行わせる環境が整っていないため、
国民環境に良く適応した国家目標を達成する良い政策が生み出されないのであるし、
「民主主義という進化システムである政治」に全国組織の強力な政党や特定の権力
者という、国家目標を達成するために自由な公正競争を行うべき国会議員を「制御
する制御機能としての規制が混入している」ために、「日本の社会経済の進化シス
テムの作動が弱まり」進歩発展が大幅に遅れているのです。
そして経済の分野では「進化システムである個人消費」に税で規制を加えている結
果が現状の大規模不況の到来なのです。
「進化システムである個人消費への徹底した規制緩和」こそが本格的景気回復と財
政再建の基本であり完全達成の鍵なのです。
そして非進化システムの所得には、規制を強化しても何ら経済には悪影響はないの
であり、したがって逆に言えば「非進化システムの所得を規制緩和する大幅減税を
行っても、財政負担が増加するばかりで、その経済効果は他の財政支出方法と殆ど
変わりないか劣ると考えられる」からです。
その理由は所得のほぼ全部を消費に回さざるを得ない消費性向の高い低所得者には、
減税の恩恵は全く受けないか、わずかしか受けないのに対して、減税の大部分が元
々所得の一部しか消費を行わない余裕のある消費性向の低い高所得者への減税とな
り、減税分が個人消費へ全額回ら無い上、もし減税をやらず財政に余裕を持ち、そ
の分有益な公共事業を行えば、その分全額が消費性向の高い中低所得者層の人件費
として配分され、個人消費が増加するからです。
つまり直接税(所得税・資産税)の減税は通説と正反対に景気浮揚に殆ど特別の効
果は無い上、高所得者に多く恩典を与える直接税の減税は社会の不公平感を助長す
る悪い政策と考えられます。
したがってアメリカのブッシュ政権の大規模減税も上記の理由から、その財源を他
の財政支出方法を採った場合と比べて特別に有効な景気浮揚策にはならないのであ
ることを理解しなければなりません。
もちろん若干の期間、景気回復効果があるように見えますが、継続性が全く無く、
人間の利己心に頼った政策であり逆に国家全体としては個人消費性向の低下を招き、
持続性が乏しく景気回復の糸口になっても財政が悪化する対策であります。
クリントン政権が取った個人の懐の痛みが伴う利他心を強制する政策(所得の高い
階層を中心とした直接税の増税)こそが巨大な国家機関を活用し個人消費性向の国
家全体の向上(これこそが高所得層が未来に更なる所得を獲得する基礎になる)に
なる高所得層から低所得層への所得配分を実現し個人消費の増進による「景気回復
と財政再建の両者同時達成を目指す自己回帰的な継続性のある対策」なのです。
しかし現状のアメリカの不況は景気循環に過ぎず、どのように深刻になろうとも個
人消費や政治の進化システム自身は健全に作動しているので財政悪化を気にしなけ
れば減税も景気回復のための一つの政治的選択肢であり、どのような経済政策を取
ろうと、回復の強弱はあるにしろ、いずれ景気は回復するのであり、そこが進化シ
ステムの作動がほとんど停止状態のため景気回復が困難で下限が見えてこない下方
の均衡点へ向かって景気後退中の日本との大きな違いなのです。
さて進化原理では小集団の方が「進化スピードが早いという原則」があり、現代日
本のように意図的に必要以上に企業合併や持株会社政策を推し進め、小さな企業を
つぶし巨大企業形成政策を取ることは、寡占化を招き長期的には「進化の発生確率
低下させ、つまり進化の芽をつぶし」「企業の進化スピードが極端に遅くなること
は確実なのです。」そして寡占による競争力の低下現象がいずれ発生するのです。
つまり「構造改革問題」も日本のあらゆる分野に渡る人間一人一人と企業一社一社
につき国内的にも国外的にも「参加の自由と対等に平等な公正競争の実現」と「進
化システムをより強力に作動させるための進化システム化への徹底した規制緩和」
と「非進化システム分野の国民の幸福の追求に反する部分の徹底した規制強化と、
そうでない部分の規制緩和」を計るという視点で行うことが大切なのです。
現代経済学が必要とする6分野の複雑な前提条件とその経済学的効用の限定さと比
べ「自由と平等と公正な競争という進化システムの作動条件は何とシンプルで、何
と奥深いことでしょうか」、そして「その時代の人間の幸福の追求の努力とシステ
ム的に結合し、あらゆる分野に渡り桁違いの効用がある」のです。
そして重要なことは何が進化システムで何が非進化システムであるかの区分区別の
問題なのです。
そして進化システムの本質は特定の理念や観念をもたずフェアーな自由と対等に平
等な条件に基づくルールのみを持ち、「変異」を認め「変異が競争に参入して結果
として進化が起こる」構造を持っているシステムであり、競争の結果の優劣を判定
するのは、地球環境に囲まれた膨大な数の人間環境である国民に帰着することを決
して忘れてはならないのです。
自分で判断し結果は良くも悪くも全て国民に帰着するので、国民は自ら判断して生
じた結果を謙虚に自ら受け止め、一層現実に適応した計画に再改善して再提案する
という最善に対して微分積分的に接近するのです。
これによって国民は自らの判断を常に反省し経験し学習し逞しく成長するのです。
したがって全ての国民を幸福にする正しい政策を選択するには、特定の個人や組織
の影響力を排除し「人間である全ての国民や国会議員のフェアーな自由と対等に平
等な条件を厳しく守ることが唯一必要であり、これに基づいて各人の良識と良心に
基づく利己的意識と利他的意識を合わせ持ち強い生き残りの生存本能を持つ国民や
国会議員の意志の単純表決による判断で選択された政策がその時代その時代の国民
の人間、地球、時代の環境に総合的に適応する正しい政策」になるのであります。
したがって人間の自由と平等以外の固定的な理念や観念などは重要でないのです。
「進化システムの考え方の基本は国民に全ての情報を公開し国民を信頼し国民に判
断を任せて国家は行動する」というルール原則で貫かれているからであります。
さて人間社会のシステムは重層的構造を持っており、実際の社会構造は非進化シス
テムと進化システムが入り混じった状態になっているのであります。
しかも進化システムは意識的無意識的にかかわらず、ほとんど全てが目的論的に構
築されており、その最終目的は全て人間の幸福の追求や生き残りの追求や好奇心の
追及という人間の本能を達成するための目的に収斂しているのであります。
したがって進化システムも上層から下層まで、いくつもの進化システムや非進化シ
ステムが重なり合い、絡み合って全体の進化システムが作動しているのであります。
しかしその進化システムそのものに規制や抑圧が混入すると、全体の進化システム
の能力は低下し、進化発展のスピードは急速に落ちてくるのです。
逆にそのシステムが現実に非進化システムであり且つ規制することの方が国民の幸
福(道徳)追求に役立つものであれば規制することは一向に差し支えないのです。
この場合は進化スピードに悪影響は全く無くやり方によっては本文のように逆に進
化が促進される場合もあるのです。
ここに物事の一つ一つにつき国民の幸福のために真に役立つかどうか区分区別し
「規制緩和と強化の両者の必要性」があるのです。
さて進化システムはその本質から人によって作られるシステムであるのにかかわら
ず、これを誰かが制御し結果を左右できる構造を持ちこんだ瞬間フェアーな自由と
対等に平等な競争(協同)が出来なくなるのでそのシステムは進化システムではな
くなってしまうのです。
つまり「フェアーな競争」は「参加の自由」がなければ成立しない構造なのです。
したがって「参加を禁止」したり「各種の手法で参加を規制したり妨害したり」す
るとその分野が基本的に進化システムであっても進化は停滞し混乱し進化発展の度
合いはそれに応じて急速に低下するのです。
ゆえに現代の経済学に基づき、エリート達によって莫大な国家予算を使用して実施
される「財政政策」「金融政策」は本来「経済政策の微調整手段」に過ぎず、経済
システムを進化システムに改善しない限り抜本的対策になり得ない現実をエリート
達自身認識していないことが大問題であり「莫大な予算の使用の割にはほとんど根
本的な効果をあらわしていない」ことは既に多くの国民が知るところであります。
そこで日本国憲法が定めている国民の幸福を追及するという幅広い権利の第一歩と
なる成熟経済に達した日本経済の再成長を実現するためには、狭く研究対象を限定
した現代経済学ばかりに頼るのではなく広く哲学、進化論、人間行動学、システム
工学、心理学、物理学、生物学、社会政治学、経営学、会計学、税法、歴史学など
多様な分野の学問の力を借り「日本の経済成長システムを進化システムへ再構築す
るのに役立ちうる基本的な考え方」を総合的に取り入れ「日本の経済社会の進化と
経済成長を確実に実現できる基本的な進化システムへの改善を目指し」「結果とし
て財政再建を実現する国家システムの構築を目指す」真に役に立つ成熟経済におけ
る経済成長税制理論を構築することを心がけました。
そして「経済成長現象を一貫して完全に説明できる本書の経済成長税制理論」で経
済システムを進化システムで再構築すれば自らの力で力強い再生と復活が可能です。
さらに国民が規制すべきとする環境問題等における「問題商品の消費や生産の個別
規制強化を進んで行いながら新規開発商品の競争条件を整備し」国民の未来の生活
に貢献する新経済システムを目指しているのです。
そして本書は人間を生物学的側面と精神的側面の「連続」として捉えております。
更に国家に実在するのは人間である国民のみであり、組織や企業は法的概念でのみ
しか存在しないのであるから進化システムの働く真の民主国家では「国家は国民に
とって真に役に立つ機能的な存在であるべき」とする機能的国家論で本書を記述し
ております。
そしてあくまでも国民にとっての機能的国家観であるので、国家機能の色々の分野
において、機能的を強調する余りその分野の専門家に事実上の決定権を与えてはな
らず、あくまでも国民の代表者である国会議員と国民に事実上選ばれた内閣が決定
権を持たなければならないのであり、最も良い実例が軍事部門の「文民統制の原則」
であります。
国家が国民にとって機能的な存在である以上、国家は一般国民の良識、常識、善悪
の判断で運営されなければならないからです。
軍事における生死の判断でさえ基本的な判断は軍事の専門家(現場の将軍、司令官、
参謀など)ではなく、素人の総理大臣に委ねられているのです。
これこそが国民の正しい自己責任を伴った民主主義の原則なのです。したがって専
門家はその分野で素人である国民や国会議員や総理大臣に対する良き助言者として
振る舞わなければならないのであり絶対に決定権を有してはいけないのです。
ここで問題となるのは現代の日本の国家官僚組織に組み込まれている各種審議会、
委員会の事実上の役割でありますが決定に影響力を絶対に持たせてはならず、全て
良き助言者の役割を与え決定責任は、内閣と大臣と国会議員とそれを支える官僚で
あることを明記しなければなりません。厳に各種審議会、委員会が決定責任の隠れ
蓑になってはならないのです。
これを厳格に守ることが責任感の強い、経験豊かな良き内閣と大臣と国会議員と官
僚を育てる原点になるからです。
したがって本案の重要な点は日本の本格的な景気回復と財政再建のために、大規模
な財政支出などの必要性は全く無く、市場経済の進化システムの作動条件を強化す
るために単に税の課税方法を間接税中心から直接税中心へ復元を求めていることと、
国家の経済と政治について進化システムへの自己変革を求めている点であります。
戦後43年間経験済みの直接税制主体の税制に復元すると、変更直後は税収増はプ
ラスマイナスゼロとしても程なく時間の経過と共に経済成長が再開され国民所得が
増加し、同時に超過累進税率であるため、消費税導入の大きな原因になったマスコ
ミが愚かな直接税の大減税キャンペーンを実施しない限り「自動的に税収増による
財政再建」が達成出来るのです。
いずれも困難な努力はいりますが、子孫に借金の負担をかけないカネのかからない
対策で本格的景気回復と財政再建が同時に実現できるのです。
ただ消費税は人間の利己的意識に強く影響を与える極めて気むずかしい税金であり、
増税しようとするとその増税の直前に駆け込み需要が起こり一時的には経済が好転
したように見え、逆に全廃しようとすると、その直前に買い控えによる一時的な不
況が起こる逆転現象が表れるやっかいな性格を持っている税なのです。
しかし少したてばその税制の国民経済に与える本来の効果は明確に表れるのです。
つまり自らの経済システムを進化システムの度合いが高いシステムへ改善すれば経
済成長が自己回帰的に自動的に再度開始することを、まず学ばなければなりません。
しかも本案は地球の有限性を視野に入れ、政治にも進化システムを導入することに
よって経済成長の方向性までコントロールできる「政治経済統合進化システム」を
提案しているのです。
つまり国家経営は常にその時代に適応しようとする、その時代の多数の国民自身が
解答を持っており「参加しフェアーに競争し最も現状の国民環境に適応した正しい
結果を選択すること」が進化システムのポイントなのです。
つまり「その時代の生存環境である地球環境に適応できた生物だけが生き残り進化
するのが、自然の生態系の自然システムによる進化なのであり」全く同様に「その
時代の人間環境である国民環境に適応できた政策だけが生き残り、更に国民環境に
適応して競争に勝ち残って進化発展していくのが本書が明示した進化システムによ
る政治経済政策の進化システム論」なのです。
国民環境に適応できず悪い影響を与えている政策は全て捨て去り、国民環境へ良い
影響を与え適応している政策は進化発展させなければならないのです。
したがって本書以外の国民が望まない経済政策は常に失敗が待っているのです。
ここ12年以上の不況の連続の原因は日本の社会慣行や人間である国民の、心理や
感情の重要性も考慮せず、進化システムの原則に背き、その時の国民の強い反対を
押し切りエリート達の判断ミスにより平成元年に理念観念によって無理やり取り入
れた「進化システムである個人消費に規制・抑圧を加える政策」による「結果とし
て総需要抑制政策としての消費規制税制の導入による大規模な人災」なのです。
したがって財政再建も景気回復も達成できない既成税制理論や固定観念による洗脳
から、まず根本的に脱却しなければなりません。
つまり人間によって営まれている経済は「全く制御不能な神の手に握られているの
ではなく」「経済は人間の手による人為的な現象である以上、進化システムを規制
せず妨害せず遵守すれば進化発展の強弱のアクセルや方向性のハンドルは人間によ
ってしっかりとコントロール出来る」のです。
したがって役立つとは思えない空理空論や神学論争は紙面の無駄になりますので徹
底して避けるように努めました。
経済の進化発展を保証する進化システム原理とその根底を為す正しい自由と平等と
公正競争概念の詳しい解説については、この結論の要約の後段に記載しております。
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(研究すべき対象としてのアメリカと米国の国会議員の仕事ぶりと進化システム)
さて前置きはこのくらいにして、筆者が追い求めていたものは、アメリカが何故、
数千年もの歴史があり社会的インフラを年月を掛けて整備してきた先進国と比べて
荒野の中からわずか224年前にやっと独立した後進国が、あっという間に全ての
歴史ある先進国を追い抜き経済的にも総合力としても世界一の超大国になり得たか。
アメリカのように国土が広く多民族、多文化、多言語の国家は地球上に数多くある
というのに、何故アメリカだけがの思いが強く、その秘密を探ることに情熱をかけ
ておりました。
アメリカ国民一人一人の平均値の能力や勤勉さと日本国民一人一人の平均値の能力
や勤勉さを素直に比較してみると、日本人は決してアメリカ人に劣っていないと私
は強く実感しています。
同様なことはイギリス人もドイツ人もフランス人もイタリア人も感じていることと
思います。
そしてアメリカの多民族、多文化、多言語で地方分権国家というシステムは我々単
一民族、中央集権国家から見ると非効率の典型に見えます。
それではアメリカの指導者が特別に優秀だったかと言えば、アメリカ国民が選んだ
のは、エリートではなく二流の映画俳優だったレーガン大統領、女性問題で度々裁
判沙汰を起こしたクリントン大統領、若いとき大酒のみであったブッシュ大統領で
あり、とてもアメリカが超大国になり得た理由を説明できるものではありません。
しかし私はこれらの大統領の誠実で正直さの中にも、優れた駆け引きの才能と政治
的能力を見抜くエリートには無い大衆の目の確かさを、常に感心しているのです。
そしてこれらの大統領の実行した政策の結果は決して平凡ではなく、歴史に残る非
凡な成功を収めているのです。
これは指導者である大統領個人の資質というよりは国家や国民が持つ根本的な哲学
や思想が非効率さを乗り越え「問題点を正確に把握し、それを解決するために個々
の国民の能力を集団としてシステムとして最大限度引き出す国家統治システムの非
凡さ」にあることが徐々に分かってきたのです。
私は学問的には素人であり筆者の理論は色々の学問の間に存在する埋もれた部分か
ら取り出した「コロンブスの卵のような種を明かせば何だこんな事だったのかとい
う理論」なのですが非常に基本的で国家経済の発展に役に立つ重要な理論なのです。
その根本はアメリカは「後述」の「大量の国民を集団として扱うシステム工学上の
特殊な原理」である「進化システムをあらゆる国家統治システムへ厳格に活用して
いた国家」だったのです。
システム工学上システムには「大部分の非進化システム」と「特殊な進化システム」
が存在するのです。
進化システムとは「人間の特性や本能を利用して、システムそれ自身が誰に命令さ
れるわけでもなく勝手に自分自身で進化発展していくシステム」を進化システムと
定義しているのです。
この場合進化システムの重要な要素に「競争」(必要なときは協同。以下同じ)が
あるところから、人間という権謀術策に優れた人間に対しては競争の前提となる
「参加の自由と対等に平等なフェアーな競争条件が不可欠に必要な事が目からウロ
コが落ちるように分かってきたのです。」もちろんアメリカは進化システムを意識
して国家統治に活用しているわけではなく、移民国家であるアメリカ建国の精神
「参加の自由と対等に平等な条件のもとにフェアーな競争(協同)で物事を決着す
る精神」こそが正に進化システムの基本要素そのものだったのです。
したがってアメリカの経済を始めあらゆる制度が進化システム的であり、それこそ
がアメリカが超大国になり得た理由だったのです。
各界のトップエリートになればなるほど政治的な人物にならなければなりません。
政治的とは視野が広く、究極的に国民全体のことを真に心に掛ける利他的意識を強
く持つ人格のことであります。
特にアメリカの「国民の声を代弁する国会議員の一人一人の独立性の確保」は政党
に支配管理されないゆえに、国民のみを見据えて事実のみに基づき理念観念に基づ
かない国民環境に良く適応した政策(ルール)を国会議員が次々に選択し且つ時代
に合わなくなった政策を次々に淘汰し自分勝手に進化発展する判断に誤りが少ない
進化システムである政治システムが存在し、そのことがアメリカの社会経済の急速
な発展に極めて役だっているのです。
そしてアメリカ国民は、立案された法律や政策へ「どのように国会議員が賛成、反
対を表明し、どのような努力をしたか」を全て情報公開し、それを参考にして個人
別に国会議員の行動や考え方を把握し、それに基づき選挙によって投票するという、
完全な事実に基づく間接民主主義をとっているのです。
アメリカの政党には全国組織が存在せず、党中央も党委員長も党代表も党首も存在
しない、国会議員に対する政党の束縛が極めて微弱な、世界でも全く特異な進化シ
ステムである政治システムを持っている特別な国なのです。
これはアメリカ建国の歴史が反映した結果であり、別に進化システムを意識して作
り上げた政治システムではありませんが、結果としてこの政治システムは進化シス
テムなのです。
したがって政党は存在しても国会議員の個別の意志を決定的に束縛できない政党シ
ステムになっているのです。
スポーツ界を見てみると大リーガーに負けない活躍が出来る野茂投手やイチロー選
手、佐々木投手を日本が輩出できるのも、日本の野球界が高校野球、大学野球、プ
ロ野球をしっかりと発展させ且つ膨大な野球人口の母集団の中から「個人に対して
広く参加の自由と対等な平等を厳格に遵守し」そこで「フェアーな競争」が出来る
「システム」を永年維持し、多くの失敗や成功の経験を重ね試行錯誤繰り返す事に
よって大きな失敗は減少し、少しづつ最善へ近づき、自然にほおって置いても世界
に通用する名選手が生まれてくるのです。
現状の民間経済の発展も、サッカーの発展も同様なのであり、更に世界一までに発
展した日本の生産技術も同様なのです。
しっかりしたルールを作れば、良い結果は必ず手に入れることが、出来るのです。
したがって政治にも「国会議員個人に参加の自由と対等に平等なフェアーな競争を
させるシステムを作る重要性」があり、そこに「日本の社会経済環境へ適切に適応
できる最善へ近づく社会経済システムが作られる基礎」になるのです。
それが日本を未来に渡り「進化し発展し世界に貢献できる日本を作り上げる原点」
となるのです。
たとえば国家が自由貿易体制を言い訳にして「貿易収支ゼロ政策」という不可能に
対する挑戦を行わず「円高という価格面での不平等競走条件つまり個別企業にとっ
てフェアーではない競争条件」を放置したために、結果として現状の価格競争に勝
ち残りたいとする企業によって「日本の技術者が艱難辛苦をなめて作り上げた最も
大切な世界一と言われている最先端の生産技術やデーターまで」タダ同然で他国に
移転して結果として自己回帰的に日本の生産者を苦しめているのであります。
つまり企業としてはやむを得ない行動なのでありますが、それをコントロールすべ
き国家が怠慢なのです。
さてアメリカ議会における一年間の立法案件の提出件数は10000件にも及びそ
のうち成立件数は300件程度、成立率3−4%であります。
アメリカでは法律案件の提案権は国会議員にのみにあり、一人でも簡単に提案可能
であり、国会議員は国会に対して参加の自由と対等に平等でありフェアーな競争で
成立を目指すことが規定通り定められているのです。
フェアーなスポーツの試合のように、そこに政党の話し合いや協議や談合は少なく
国会議員個人の良心良識に基づく真に国民の為に役立つものか常任委員会でまず審
査され、9割が審査で淘汰され、残り一割が本会議に掛けられ個人として賛成、反
対の意志を表明する単純表決で機械的に良いものは良い、悪いものは悪いと決定す
れば良いのであって、これによってアメリカの国会議員はドンドン仕事をこなして
膨大な量の法律案を処理決定していくのです。
したがって成立率は低いとは言え、殆どの国会議員が良いと考えれば、どんな法律
案もアッという間に決定されるのです。
アメリカの国会議員は民間の経営者が行っている日々の意志決定と全く同様に機械
的にその良否を決定しているのです。
それに比べて日本では年間の政府・議員合計の提案数250件、成立件数150件
位であり国会議員個人が良い悪いで決めるのではなく、憲法にも定められていない
国会の議決の投票権も無い政党という組織の事前の根回しや話し合い、協議、談合
などの政治的な交渉に長時間をかけて決定しているのです。
如何に日本では国会内に日本国憲法に定められた正規の内部競争ルールが働いてい
ないのかの歴然とした証拠なのです。
これでは成熟経済に達した日本では政治経済の進化システムは全く機能しません。
その上日本では多くの利点がある議院内閣制を取っているため、アメリカでは認め
られていない多数の官僚を抱える政府提案が全体の50%年125件位あり、最近
著しく増加しているとは言え議員提案は50%年125件位なのです。
これから明らかなように600名弱のアメリカの国会議員は年間10000件の提
案を行っているというのに、700名強の日本の国会議員はわずか年間125件の
提案を行っているのに過ぎないのです。
これは驚きを通してあきれるほどであり、提出ルールに問題があることを示してお
り、民間では一般企業でも年間10000件程度の改善提案をこなしている企業は
ザラにあるのです。
どちらの国家が改善提案をより多くしているか、より国会議員が立案や淘汰や選択
のために働いているかは一目瞭然なのです。
これらの事実から分かることは、日本の国会内のルールが「固定的な理念観念を優
先し」「議決を通すための質ばかり追い求め」、「問題意識を持った提案が議論の
対象にもならず闇に葬られると言う」国会議員には対して参加の自由と対等に平等
とフェアーな競争原理が全く生かされていないという事実であり、法律は形式的で
あり事実として国会議員の立法機能という中身が実質的に殆ど機能していないので
あります。
日本の国会議員には一人では全く法律案を提案する事も出来ず、提案するには色々
な規制がついており、完璧さばかりを要求し試行錯誤の大切さが理解されず、参加
の自由が無くしたがって日本の政治経済の進化スピードが極端に遅いのも、これが
最大の問題なのです。日本の悪しき政治慣行は改善しなければならないのです。
さて国会は競争原理が働く法律案件の立案、淘汰機能を持つ淘汰機関でなくてはな
らず「淘汰」とは多数の中から、多くの不完全な提案を排除し最善の選択に近づく
作業であり、経験的に言って、その成立率は数%で当然なのであります。
また成立率が60%程度と高いのはフェアーな競争での成立ではなく、「通過させ
ることを目的とした恣意的な談合による成立」を強く予測させます。
またマスコミも愚かにも成立率の高さを、その内閣の力量の如く報道する姿勢にも
「フェアーな競走による淘汰の本質を全く理解していない報道姿勢」が強く感じら
れます。
しかもマスコミの政党間の話合いによる決着を強調する姿勢は談合による決着を奨
励しているのと同義語であり絶対に止めるべきです。
要するに決定は話し合いで決めるべきではなく、個人個人の国会議員が自らの良識
と良心によって、最高裁判所の判事のように国民と支持者の意向を代弁し多数決で
決定すれば良いのです。
協議や話し合いによる決着は過ちの元なのです。結局協議や話し合いを続けるため
の判断の極端な遅さは、国会議員が働いていないのではないかと疑われても仕方が
無く、他国を良く研究し根本的に改善しなければなりません。
仕事が少ないから国会で法律案と全く無関係な無意味な議論を長々と行っているだ
と思われても仕方がありません。
本来日本の法律は筆者の経験では固定的理念観念を優先しているため「自由と平等
とフェアーな競争が無視されている条項が極端に多く、その他にも改善すべき点が
無数にあり」、少なくともアメリカの提案件数の十分の一、年間1000件位でも
良いので改善提案を最低毎年行って至急改善して欲しいと思っています。
「試行錯誤こそ最善へ近づく手段」なのであり、実行しやすいシステムを考えるべ
きです。そして採決は進化システムに基づく個人意志の良心と良識による、単純採
決を行えば良いのであるから、自派閥内も自政党内も対外政党間の交渉事も極めて
少なく、1000件など難なく採決できるのです。
したがって本書では詳しく述べておりますが、通説と全く異なり「国会議員への参
加の自由と対等に平等なフェアーな競走環境の整備」と「法律を現実に適応する改
善の政府提案のために当面、中央官僚を二倍に増員」し官僚間の競争激化を提案し
ているのです。
つまり情報の本質である「提案は質より量」なのであり多くの量の提案が競争する
所に向上があるのです。「日本のあらゆる分野のトップエリートの最大の欠点は情
報(事実)に質を求める」とんでもない間違いを犯している点です。
情報の本質は「量」こそ命であり、コンピューターのCPU(中央演算装置)の性
能も、実は「情報量」の処理能力を表示しているのです。膨大な情報量の中から情
報処理を行い、質の良い情報を区別し判別して評価することこそ、トップの仕事な
のです。
トップが始めから情報の大まかな判断を部下に求め、些細な情報を耳に入れようと
せず、部下に情報の判断を委ねてしまい、耳障りの良い重要な情報だけを得ようと
するところに日本のトップが常に過ちを犯す原因があるのです。
戦いにおいて決定的に重要さが確認された情報は、実は手遅れな情報であり重要な
情報では無いのです。
些細な情報から、確認される前に今後起こりうる確定的な結果を予想することが、
重要なのです。つまり「先んずれば人を制す」の格言が情報の命なのです。
日本でも優秀なトップは机の上の報告書のみに頼らず、自分が現場に出向き膨大な
情報を集め自分で情報を解析し判断するのです。それこそが優秀なトップなのです。
些細な情報が実は重大な徴候の表れであることは常に現実に起こっているのです。
日本の敗戦の転換点となったミッドウェーの海戦でも、日本の敗因は色々言われて
いますが、根本はアメリカ軍のトップが執念を燃やした些細な情報(事実)の積み
上げによって日本海軍の狙いが、実はミッドウェー島であることを事前に7−80
%確信し待ちかまえていたのです。
ところが日本軍は自分たち自身が極秘行動をしていることを過信し、アメリカ軍を
90−100%奇襲できると、勝手に思いこんで油断していたのです。
アメリカのトップによる情報観つまり些細な事実を重要視する考え方と日本のトッ
プの情報観つまり些細な事実を軽視する考え方との大きな格差が決定的な場面で常
に「結果の重大な格差」として表れるのです。
さて政治の進化システムを実現するには、国家議員が有権者を代表して個人の自由
な意志で、他の国会議員や政党からも影響を受けることなく真に国民に役立つため
に、対等に平等に賛成、反対を意志表示する真の競争をしなければ進化システムは
作動しないのです。
そのためには政党や派閥内で行われる現在合法とされている全ての金銭の授受を公
職選挙法が適用されている国民と同じレベルに規制する政治資金規制法の法律改正
が必要なことと党議拘束など全ての国会議員の意志に影響を与える行為の規制や禁
止の立法化を促進しなければなりません。
政治は特別な事をやっているわけではないのです。国民に役に立つ仕事を、効率的
にドンドンやるべきなのです。失敗があれば素直にやり直し、最善近づく努力をド
ンドンするべきなのです。
うらやましい事にアメリカの国会議員には「独立性の強い自由と平等が存在し、さ
らに法律立案のプロ意識とフェアーな競争における誰にも影響されない純粋に個人
の単純多数決による決着精神が存在するのです。」そして「個人消費に対する規制
の弱い税制と直接税中心主義」の税制は「元々消費好きの国民性で個人消費という
進化システムに弱い規制しか存在しないため、放っておいても個人消費は拡大し」
また直接税中心主義は高所得の個人、法人から徴収した税収を国家機関を通じて低、
中所得個人、法人へ所得を配分する実質的効果があり消費性向が低い高所得者から
徴収した税収を消費性向が極めて高い低所得者へ分散し、更に「寄付」という巨大
な民間所得分配機構の存在が、国民全体の消費性向を強く高めている結果、アメリ
カ経済は不死鳥のようによみがえるのであります。
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(進化システムのポイントとシステムの増殖原理の解説)
「進化システムは、その特性上最も自然に近い人工システム(制度・法律など)で
あり」「進化システムはその時代時代において、国民が良いと思うことは、規制せ
ず自由にドンドン実行させ、国民が悪いと考えていることをドンドン規制すると、
進化が自分勝手に良い方向へ進化発展するのが進化システムの特徴なのです。」
経済環境として機能する国民が悪いと考えていることを規制しなかったり、別に悪
くないと考えていることを無理に規制したりすると、進化システムに反して悪い結
果が生じるのです。
したがって良いことは規制せず、悪いことは規制するという区分、区別がしっかり
していなければならず、何を規制すべきかを決めるのは「参加の自由と対等に平等
のフェアーな競争」で投票する国民と国会議員だけなのです。
そこで時代時代の激変する環境にしっかり適応し豊かに増殖し進化する「生物進化
の基本となる自然システム」には基本的で重要なルールが存在し、そのルールは人
工進化システムにも必須条件となり「競争への参加の自由」「同一種内の対等で平
等な競争(内部競争原理)」「食物連鎖原則(外部競争原理)」「競争力均衡化原
則(強い動物でも自分の生命を維持する以上は捕食しない原則)」「システム内循
環原則」「突然変異の競争参加」の厳格なルールの中で「生存競争」を繰り広げ
「制御せず自然に任せれば」時代時代の地球環境に適応し進化システムは自動的に
強力に進化繁栄していくのであります。
それでは進化システム原理を完全に満たす4つの条件とは何であろうか。
日立デジタル平凡社の世界百科事典から引用すると
1.遺伝子を要素とするシステムとして遺伝子型が存在する。遺伝子型は対応する
個体(表現型)を作りだし、表現型は遺伝子型の複製の場になる。
2.遺伝子型のシステム構造は変異する機会がある。
それは遺伝子型と表現型の形質の変異を引き起こす。
3.表現型の間に資源獲得競争が存在する。 競争は「優劣の結果」をもたらす。
それは遺伝子型の間の自己複製頻度の「競争」に他ならない。
4.生態系を支える外部資源が存在する。
つまり「外部資源を活用し」「自己複製という自己増殖構造を持ち」「変異しなが
ら」「変異も競争へ参入しつつ結果として環境に適応したものが勝ち残り進化する」
という4つの機構を持つシステムが進化システムなのです。
人工の進化システムの場合は人間の持つ、より良い生活を求め幸福を追求する本能
や結果として生き残りたいと考える本能、好奇心の本能などを活用して人間の意志
と努力が加わると「更なる増殖拡大性」が生じ、そして自己回帰性、自己決定性、
反復性ならびに変異の容認性と競争による優劣の決定機構を持つことによって無か
ら有を産み出し最悪を排除しながら最善へ微分積分的に接近する手法なのです。
進化システムはシステムがそれ自身を作り出すことから、分野により自己組織シス
テム(組織論)、自己創出システム(生物系)、スーパーシステム(免疫系)など
色々の呼び名があり、現代ではその活用が急速に進んでいます。
さて更に人工システム(法律・制度・基準など)開発上のシステム作成の指導的原
理は以下の5点であります。
1.初期目的の達成度 2.社会的受容性 3.環境変化への適応性
4.機能性能の拡張性と柔軟性 5.経済性と信頼性
そこで国は膨大な数の国民に適用する一つのシステム(法律、制度、基準など)を
作り上げた場合又は作り上げる計画がある場合、上記の5点の「システム作成の指
導原理一点一点」について「条件を満たしているか」を常時チェックし、評価し、
反省し、改善し、新たに測定し、予測しなければなりません。
これが膨大な数の国民をシステム的に統治せざるを得ない国家が為すべき最も重要
な作業なのです。
ここが日本の政治・官僚組織に最も問題がある点なのです。
さらに現代において最も注目されているものに人間社会生活にとって真に役に立つ
「進化システム」があります。この進化システムには自然生物を作り上げた「自然
システム」ばかりではなく、人間が人工的に作り上げた「人工システム(法律、制
度、基準など)」にも原理原則さえ厳格に守れば多くの大規模な成功例があり社会
の発展進化に極めてすばらしい成果を提供しているのです。
(進化システム例) <―――――> (非進化システム例)
1.個人消費・設備投資 1.所得(国民所得)
2.市場経済 2.計画経済
3.大衆主導の民主主義国家 3.真の全体主義・真の共産主義
(いずれも究極の官僚統制国家)
4.科学技術 4.事実と遊離した理念・論理・迷信
5.インターネット 5.管理主体がある商用情報システム
進化システムの作動メカニズム以下の通りであり、守るべき原理原則としては
1.進化システムは目的(理念や観念など)を持たず、進化の「過程つまりルール」
だけを持つ。
したがって人により作られたシステムにもかかわらず、特定の個人やエリート
と言えども直接制御出来ないし、してはいけない構造を持つ。
(つまりスポーツのルールと同じ)
2.進化は変異が起こり、変異が「競争」に参入し「結果」として進化が起こる。
(つまり「結果が真に良ければ」すべて良しなのです。)(また変異とは積極
的に試行錯誤を行って改善し経済環境に適応するかどうかを確かめるという哲
学的意味が含まれています。)
3.外部環境、内部状態の変化に対してシステム全体として柔軟に適応し頑健。
4.システムの一部が競争による淘汰圧力からはずれたとき、その部分は爆発的に
増殖する。(進化システムにはバブル発生の可能性あり。反対目標の必要あり)
5.分化と系統が発生する。(完全な進化システムは必ず増殖成長進化し、分化や
系統が発生するので、人間の個性や文化の多様性が発揮されるシステムである。
したがって発展成長進化しない場合は、その進化システムのどこかに欠陥があ
ると認識して差し支えない。)
つまり進化システムとは人間環境に対して良く適応する判断をどう次々と発見する
かの手続きのルールを定めたものとして考えられたものであり一つが「組織同士の
外部競争方式であり、もう一つが構成員個人による内部競争方式」なのであります。
「外部競争方式」は競争環境にある組織体同士の競争方式であり、「内部競争方式」
は独占組織に適用される組織体内部の構成員個人による競争方式のことなのです。
いづれも競争とは現実の経済環境(全国民の)に適応接近しようとするための手段
がその本質なのです。
そして人工システムは「進化システムであるときに限ってシステムとして強力に発
展する」特徴を有しているのであります。
そして進化システムは時間が掛かっても必ず非進化システムに勝利してゆくのです。
さて進化システムにおけるキィーワードは「競争」であります。
しかしながら競争と正反対の概念の「協同」と言う概念を、どのように理解するか
が重要なポイントなのであります。
本書は「協同」という概念は「競争」という概念の正反対であるゆえに広義におい
て進化システムにおける競争概念の一部と判断しています。
気を付けなければならないのは国の最高の目標は「国民全員の幸福の追求」という
不可能と思われる目的への挑戦であり、これを達成するためには自然システムにお
ける人間が持つ二つの本能つまり種(人類全体)の保存本能から生ずる利他的意識
を基本とする協同体意識と、本人自身の生存本能から生ずる利己的意識を基本とす
る競争意識の同時存在(人間の本能)こそがこれを達成するための重要な手段なの
であります。
つまり人間は「競争意識・利己的意識・営利精神」と「協同意識・利他的意識・ボ
ランティア精神」を本能的に同時に持っており本書では密接不可分なものとして理
解する調和のとれた競争を提案しているのであります。
そして人間は「消費者」(需要)であると同時に「労働者」(供給)であり、「国
家運営の費用の負担者」であると共に「国家政策の受益者」であるという二面性を
持ち、この場面場面により正反対の経済的行動をする自己回帰的な存在として把握
するものとします。
そして人工的進化システムの競争には人間は組織を作って行動する以上「主として
民間の組織同士の競争」(組織同士の外部競争方式)と「国などの独占組織の組織
内部の競争」(構成員個人による内部競争方式)の2つの重要な競争が存在するの
です。
そしてその各々の競争において必要な条件としては「自由(参加の)」と「平等
(対等な)」の正しい定義が厳格に守らなければ「フェアーな競争」による「進化
発展は実現出来ない」ことを理解して頂きたいのです。
さて進化システムは生物の進化の本質である「自然システム」が基本になります。
そして生物以外、人工的には自己自身で繁殖しながら進化する個体を作れないので、
「人間が作る人工の進化システムの本質」は、人間がより良い生活をするための生
きている人間の個人や集団としての拡大能力や増殖能力や進化能力を十分に発揮さ
せ活用し役に立つ手足となるような人工システムである進化システム(遺伝子とし
ての法律や制度など)を構築するのが目的であるから、まず上記の進化システムの
条件を備えた上に自然人である人間のより進化し、より幸福になろう、生き延びよ
うとする内在する強い力を引き出す心理や意識的無意識的な感情、嗜好、本性、特
質、相互作用など人間の自然で有機的な本質に合致したシステムでなければ効率の
良い進化システム(遺伝子としての法律や制度など)は作りえないのです。
つまり人間というものを「事実」として深く深く理解した上でシステムを組まなけ
れば良いシステムは作れないのであり頭の中で組み立てた都合の良い論理や理念や
観念だけを重視すると誤ったシステムや極めて不効率なシステムを組み立ててしま
うのです。
さて進化システムは自己自身が持つ、自己決定性や反復性や自己回帰性や自己拡大
性や自己進化発展性を最大限度活用するシステムであり、元手不用の自立的な自己
拡大システムであることが非常に優れた点であります。
つまり人間は他の生物と全く異なり拡大された遺伝子型と継承が可能な表現型を持
つ極めて特殊な生物であり、それこそが個人消費の拡大を通じて文化の発展と他の
生物には全く無い「経済の真の根源」である「経済の過剰性」を生み出しているの
であります。
このような概念を含めて経済問題の根本的な解決策を提案しているのが本書であり
ます。 生物の進化論から導き出された人類発展の進化システムは強力な力を内在
していることは既に述べた通り生物の進化と人類の文化発展の歴史が証明しており
ます。
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(人間の本性から生ずる経済の過剰性と、その過剰性の重要性)
そこで何故日本では普通に努力している山一証券、拓銀から始まって青木建設、マ
イカル、新潟鉄工所等の一流企業、一流銀行、一流保険会社が次々と際限なく会社
更生法等を適用申請し、会社消滅等の道を歩んでいくのでしょうか。
また何故ちまたの誠実に努力している多くの中小企業や商店街が経済不況に塗炭の
苦しみを味わっているのでありましょうか。
もし現状が異状であると真剣に思うならば行動を起こさなければなりません。
「知って行なわざれば、知らざるに同じ。」なのです。
さてこの真の原因は現代経済学では殆ど強調されておりませんが「日本国内の経済
の過剰性が急速に縮小しつつある結果の表れ」なのです。
それでは「経済の過剰性」とは何なのでしょうか。
実はこれは現代経済学では与件として研究対象から外されている人間の持つ生物学
的、人間行動学的、心理学的特徴から生じているのです。
地球上に生息する何百万種の動物・植物の内、唯一人間だけが持っているのが、こ
の過剰性の本能・特性なのです。
地球上に生活する人間以外の全生物は、その生物本来の本能に基づく行動、食性以
外に過剰性は、殆ど皆無なのです。
「経済の過剰性」とは個人消費の拡大を通じて人間のみが持つ「単に物理的に生存
する為に必要なもの、以上のものを欲求する性質・特性・本能」を言います。
我々人類は「個人消費」としてカネを支払って過剰性に彩られた「衣」を身にまと
い、過剰性の「食」に舌鼓を打ち、過剰性の「住」に居を構えて、協同して生活し、
その個人消費の原資となる「所得」を稼得するために過剰性を競争しながら「生産」
し、そして次の所得を得るためそれを「消費」している地球上唯一の社会的生物な
のです。
したがって戦前の正しいと思っていた「欲しがりません勝つまでは」の標語は経済
的には最悪だったのです。
つまり人間社会では他の動物と全く異なり「個人消費こそが所得の源泉」なのです。
したがって個人消費額が減少すると、給料切り下げ、リストラが生じるのは当然な
のです。
だからこそ個人消費は規制してはならず「個人消費は自己拡大する性質を持つ進化
システム」であり、生産力はそれを裏打ちする「自己拡大する性質を持つ科学技術
が進化システム」であり、その「両者がシンクロナイズして合体した自己拡大する
市場経済進化システム」を形作るであり、原則を遵守すれば経済成長は時代時代に
適応し無限に続くのです。
この経済原理を理解しなければ、経済成長原理は全く理解できないのです。
したがって人類は一日たりとも、過剰性無しには幸福に生存できない生物なのです。
例えば人間以外どの動物がカネを支払って野球の試合を見に行くでしょう。
人間以外どの動物がカネを支払ってディズニーランドへ行きたがるでしょうか。
したがって株式市場の発展や金融の発展、年金、高度医療、社会福祉の発展などは
究極の経済の過剰性であり、「個人消費の拡大を通じてのみ達成される」のです。
人間は常にこれらを欲求として強く追い求める特性、性質があるのです。
このように生存する為に必要以上の欲求をすることが経済の維持発展を支えている
のであり、経済の過剰性という他の生物には無い人間文化の特異性そのものであり、
「進化システムである個人消費の増大こそがこの人間文化の本質である経済の過剰
性を根本的に支える根源」なのです。
それなのに「個人消費を減退させると経済の過剰性が急速に縮小し」結果として個
人消費が増加しない以上設備投資が不活発になり、更に土地価格の下落、株式市場
の不振が発生し先行き不安の国民が更に消費を手控えるという悪循環が始まり、預
金ばかりが増加しても、個人消費が増加しない以上、設備投資をする貸出先が無い
ので資金ばかりがダブつき更に不況による業績不振から既存の貸付債権も不良債権
化し、結果的に金利で経営を成り立たせる銀行は経営が成り立たなくなり、預金者
に金利も支払えず、自分自身も経営危機に陥っているのが金融不安なのです。
個人消費の減退は金融不安や資産価値の下落と極めて大きな相関関係があるのです。
しかるに何故日本では進化システムである個人消費が本来の進化発展を開始せず、
停滞し後退し不況を発生しているかは、ひとえに「個人消費に課税という規制を加
え、個人消費の増加を抑圧している消費税」による総需要抑制効果と間接税比率を
高め結果として直接税比率を低下させて国家を通じた所得配分が低所得者から低所
得者への所得配分という消費の増加に結びつかないシステムに固定化されてしまっ
た事によるのです。
消費税の個人消費抑制効果については、巻頭の四表で掲載の通り間接税主導国家に
おいて、選択の余地の無いくらいに全ての消費に対する課税の度合いが高ければ高
いほどその国家の失業率は高く、国民一人当たりの所得が低いことでも実証出来ま
すし、私が多くの消費者懇談会に出席し、日本全体の個人消費の70%以上を支配
し、一円二円の価格差で買い物に勝負をかける日本の主力消費者である主婦の実感
を調査した経験では、商品には消費税がついている以上、出来るだけ無駄なく買い
物し、買い物を節約すると回答した人が80−90%に達していたのです。
つまり「これらの事実」が消費税の個人消費の抑制効果の証拠なのです。
逆に商品コストの中に法人税分や従業員分の源泉所得税が含まれているから買い物
を節約する等という意見は聞いたことも無いし、またトヨタ自動車は巨額の利益を
出して法人税を商品コストの中に算入しているのでトヨタの車は買わない等という
意見も聞いたことがありません。
消費税も法人税も源泉所得税もあらゆる税金は消費者から見て企業の生産する商品
のコストに算入されているのは全く変わらないのに、これを意識させず個人消費の
拡大を抑圧せず巧妙に税収を上げるのが法人税、所得税等の直接税なのです。
したがって消費税だけが消費者が負担している税金ではないのです。
同時に人間に人件費を支払っている企業は、法人税を一円も支払っていなくても、
従業員を通じて、その生活費を国に代わって(大不況であれば国は失業保険金や生
活保護費を支払わなければならない)支払っている上に従業員の所得税、住民税を
負担しているのでありかつ、法人税を莫大に支払う高収益企業の原価を安く引き下
げ当該高収益企業の多額の法人税を支払うのに貢献しているのです。
赤字企業はけしからんからという理念観念で現状を良く分析もせず、すぐに外形標
準課税等を持ち出す誤った資本主義的道徳観は考え直さなければなりません。
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(個人消費の70%以上の決定権を女性が持つ、世界で特異な社会慣行を持つ日本
における消費税制は、総需要抑制政策として作用し大きな弊害をもたらす。)
さて女性が個人消費市場の70%以上を支配している国は世界で日本以外では私の
知る限り1−2国しかなく、この特異な社会慣行はアメリカやヨーロッパ諸国など
の白人社会にも存在せず、もちろんイスラム教圏にもない特異な社会慣行であり、
よって日本では個人消費を規制する間接税の副作用が極端に表れる国家なのです。
現代経済学では余り強調されていませんが、男性と異なる脳の構造を持つ女性に受
け入れられる生理的、心理的に抵抗感のない税制にしないと日本では本質的に経済
の悪循環は断ち切れず、経済の良循環は決して達成しないのです。
個人消費の回復こそ「経済の良循環」の唯一絶対無二の方法なのですから。
つまり本来人間は時代時代に合わせ、環境環境に合わせて適応するために無常(常
無し)であり、生き残りたい幸福になりたいとする欲求は無限なのであり、個人消
費は時間と共に進化システムにより少しずつ増加するのが人間の本質なのです。
経済の過剰性はファッション、言論の自由、金融の発展、年金、社会福祉などあら
ゆる場面に表れ、その根源は人間のDNAに刻み込まれた人間の文化そのものであ
り、これを支えているのが経済的には「個人消費の拡大」が起点になり消費を所得
に変換して実現される「個人所得の増大」なのであります。
したがつて国民所得を増大させるには、その原資となる自己拡大が可能な進化シス
テムである個人消費を抑圧・規制してはならないのです。
成熟経済段階に達した経済状態になると労働生産性が機械化により極端に上がり、
少人数でも基本物資の全生産は可能になり大幅に人間が余り、そこに生産とシンク
ロナイズした増加する個人消費が存在すると余った人間が歌手として、野球選手と
して、アニメ製作者として、サッカー選手として消費を吸引する存在として活躍の
場が与えられ新産業が創出されるのです。
もし個人消費の増加を意図的に抑圧・規制すると余った人間を吸収するゆとりのあ
る需要が無く、結果として新産業が創出されず人間の活躍の場が狭まれ大量の失業
が発生するのです。如何に個人消費の進化システムによる自然の増加が必要かお分
かり頂けたと思っています。
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(理念観念を重要と考える国会議員の後進性と、国民へ決定を任せる先進性)
さて日本では理念観念に凝り固まった政党などに支配され、国民の幸福のために満
足な行動が出来ない独立性のない国会議員という752人の少数のエリートで決定
した政策などに対しては、一億二千五百万人の国民の大部分は愛着や愛国心など持
てないのです。
国民の70−80%の反対を押し切り無理矢理に政党の理念観念で国会議員を拘束
し束縛し成立させた個人消費規制税制などは競争社会に生きる現実の国民環境には
全く適応しなかった結果が現在の大規模な経済不況をもたらしているのです。
情報公開が十分行われている環境において日本人の経済的愛国心を明確に発揮させ
るには大多数の国民自身(出来れば2/3以上の)が望む経済政策を一人一人の国
会議員が独立性を持って良心と良識によって、国民の大多数の意志を良く確認しな
がら政策を立案し国会議員の単純表決で議決し実行すれば、それだけで現場で常に
競争(必要なときは協同。以下同じ)しながら生活している感性鋭い国民大衆の主
体性つまり成功も失敗も自分自身の責任体制が確立されることになり、自分自身の
経済に悪影響のあるものは遠慮会釈無く淘汰し、自分自身の経済に良い影響のある
ものは遠慮なく選択し経済の流れはスムースになり「経済は良循環を回復し」日本
人も経済的愛国心を発揮できるのです。
国などの外部淘汰の働かない倒産の危険の無い組織の幹部は「弱い理念や観念しか
持ってはならず機関決定の正しい内部競争ルールの遵守意志が重要となります。」
さもないと危険な理念観念が淘汰されず、いつまでも生き残るからであります。
しかし国家指導者の弱い理念は、国民の支持よってのみ強い理念に変われるのです。
これと全く正反対に民間企業経営者は常に外部競争に曝されており、その経営者の
理念観念ですら常に外部競争で淘汰され倒産が発生し不誠実な理念観念は自然にこ
の世から消滅するので民間経営者は強い理念観念を持とうと一向に差し支えないの
であります。理念観念の持ち方さえ民間経営者と国会議員では全く異なるのです。
そして国家は大多数の国民が望まない政策を強行すると、どんなに努力しても「望
んだ結果は得られず、停滞と後退が開始されるのです。」
しかし国民にまかせるとバラマキ政治になり、国家財政は破綻すると言う意見があ
りますが、それは全くの間違いなのです。真に国民と国会議員の一人一人が責任を
持って、政治を担当するようになると、国家の運営費である税の負担と国家政策の
受益が同一の国民自身が担っている事実を、良く自覚するようになり、国家財政に
対する目は現状より、はるかに厳しくなり、全ては国民の目線で行われるようにな
り、普通の人の家計の財布と同じように国家財政は改善されるのです。
そして国会議員は国民の為に効率を考えながら真の努力をするようになるのです。
つまり国家財政を税を負担してもいないエリートに任せる所に自分自身痛みを感じ
ることなく理念観念を持ちだして他人のカネを使用しているから破綻するのです。
そして絶対に間違ってはならないのが、国家の全税目の全税収は消費者である国民
が負担しているという現実です。
人間世界には人間しか存在しない以上、選挙権は人間しか無く、そして実質的に全
ての税は人間が負担するのであり、企業や組織が負担する税などこの世には存在し
ないのです。消費税だけが消費者が負担している税ではないのです。
学者の学説にごまかされてはならないのです。現実は全く異なるのです。
消費税以外に法人税も勤労者の所得税も社会保険料もありとあらゆる税金や負担金
は企業が生産し販売している商品・サービス原価の中へ算入され、消費者が全額負
担しているのです。
つまり国民は全て消費者でありますので、商品の購入を通じて、実は企業の法人税
も勤労者の所得税も巧妙に全額負担させていたのであって、消費税システムという
景気を悪化させ個人消費を減退させ経済のアポドーシス(自滅)招く恐れのある無
用の長物である消費税を特別に並列して創設する必然性は全く無かったのです。
したがって全ての税金が、全商品の商品コストに算入されて国庫へ回収される性質
がある以上、どのような理論を振りかざしても個人消費の増進無くしては税収の増
加は望めず、財政再建は果たせないのです。法人税による法律上の建前の納税者は
企業であっても、企業はお札の輪転機を持っているわけでもなく、天からお金が降
って来るわけでもなく、それ以外の儲けがあるわけでもなく、全ては商品を消費者
に購入して貰い原価を負担して貰う以外納税することなど出来ないのです。
だから「カネは天下の回りものなのです。」
成熟経済になれば尚更個人消費の増加力は弱くなるのであるから、少しでも個人消
費の抑制効果のある税制は取ってはならないのです。
それでは同じ個人消費に納税を依存している法人税は何故滞納が少なく、消費税は
ケタ外れに滞納が多いのでしょうか。それは法人税の仕組みが人間の特性に巧妙に
合致した税制で人間社会に心理的、生理的にも適応しており、それに比して消費税
は単細胞な税制であり、心理も感情も持つ人間の複雑な特性に適応出来ない結果に
過ぎないのです。
したがって消費税は結果として企業経営という主として男性社会でも事実として心
理的、生理的に適応していない税制なのであり、経済の良循環を阻んでいるのです。
なお付け加えれば何故「国税庁統計年報書」や「経済企画庁 経済要覧」の「租税
負担率」が国民所得で割って算出しているかというと、正に租税というものは全て
直接間接、対象納税者の如何を問わず人間である国民一人一人の個人消費を通じて
形成される国民所得が実質的に負担していることを明確に表しているのであります。
日本人は目に見える問題を改善するずば抜けた能力を発揮しますが、逆に日本人の
最大の欠点は「目に見えない真実を見抜く追究能力が乏しい国民性」と「大勢に流
されやすい国民性」を強く感じています。
このために常に日本人は正確な問題点の把握が出来ないために決定的に大きく判断
を誤る時があるのです。たとえ目に見えない問題でも事実かどうか常に疑い、徹底
して真実を追究する態度を失ってはならないのです。
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(アメリカを甘く見て親米路線から常に脱線する日本のエリート層の判断ミス)
親米路線であった明治、大正の日本と比較して、昭和の日本の「軍務官僚など」に
よるヨーロッパの全体主義に傾倒し反アメリカ的政策でアメリカを敵に回すという
第二次世界大戦の参戦の判断ミスと同様、戦後のアメリカに影響を受けた、親米路
線の成功が頂点に達した瞬間日本人特有の我々は特別であるというおごりが生じ今
度は「内務官僚など」による国民の強い反対を押し切ってヨーロッパ型の消費税の
導入という反アメリカ的経済政策を取るという判断を下した官僚と政治家の判断ミ
スによって引き起こされた、この不況は第二次大戦と同じく大規模な人災なのです。
消費税導入前には日本経済に良いにしろ悪いにしろ適応していたアメリカ的政策に
基づき対等の経済競争において本家のアメリカを大きく凌駕したにもかかわらず、
第二次世界大戦と同じく反アメリカ的政策(ヨーロッパ型の消費税の導入)を取っ
てから、わずか十数年で決定的に対等な経済競争に敗れたうえに、100年後には
日本では人口が6000万人程度減少し人口が概ね半分になり国内需要も半分にな
り苦労して実施している公共投資も多くが無駄になると言う、このままいけば日本
の歴史上かつて無い事態に見舞われることが予想されているのです。
これは第二次世界大戦の敗戦の比ではない国家の存亡にかかわる重大な問題を含ん
でいるのです。
しかもこの人口問題や経済問題は実に驚くべき事に、第二次世界大戦の敗戦国であ
る日独伊の旧枢軸国に共通の問題であるのです。
我々の思想哲学の中に何か基本的に欠けている問題があるのかもしれません。
なお政策がしっかりしているアメリカの100年後の人口は現状維持が予測され未
来の明るい展望も超大国の地位も安泰なのです。これらの事から日本のエリート層
による「国家運営の仕組みや考え方」に大きな問題があることを示しています。
やらなければならないことは徹底してやり、やらなくても良いことは絶対やら無い
という区分や区別が出来ていないために、ひどい有様が生じているのです。
まず正確な情報を元に基礎を改善しなければならないのです。
さて日本は事実として直接税比率を意図的に急速に低下させ、間接税比率を急速に
上昇させるに比例して「当初の未来予測と全く異なり」経済の不況の深刻化が急速
に進展していることが分かります。日本ほどではありませんがドイツも同様です。
それと全く反対にアメリカの好況の原因はアメリカ自身の多民族、多文化、多言語
で且つ地方分権国家という日本と比べて圧倒的に不利な非効率さを「直接税比率を
高く維持して後述の個人消費と所得の変換システムである経済の自己循環拡大シス
テムを強化」して経済の自己拡大を徹底して維持しているのです。
つまり日本、ドイツと対極の経済政策をとったアメリカと比較した結論から言えば
日独のように個人消費に対する間接税率を高めると本書で分析の通り進化システム
機能が大幅に低下し、経済の自己拡大機能が低下し経済成長が停滞し不況が必ず到
来するのです。
第二次世界大戦においてアメリカの政策を程度の低い政策と見てアメリカに戦争を
しかけたエリート層の判断ミスの結果引き起こされた敗戦の憂き目と同じ状況を二
度にわたり今我々は味わっているのです。アメリカの政策立案の確かさと奥深さを
良く研究し、決して外見の粗雑さを過大に低評価して甘く見てはいけないのです。
アメリカ社会はアングロサクソン中心の国家でありながら「出身民族や男女を問わ
ず国民に等しく厳格な自由と平等の権利」を与え、本人の「人間性と能力を十分発
揮させ」フェアーな競争の結果によってのみ国家の中枢さえも多民族で構成してい
る様子はこれ以外の方法は無いと思うほど将来の地球社会のあり方を先取りしてい
ると感じています。これは長い歴史による社会慣行と大多数の国民の一体化した意
識が伴わないと簡単に出来ることでは無いのです。
であるからこそ社会的インフラが全くなく現在まで独立後わずか224年しか経過
していないアメリカが何故世界一の超大国になり得たか、研究すべき対象なのです。
さて直接税比率を高く維持すると、時間の経過と共に本書の理論により消費性向が
高まり、個人消費が活発化し経済成長が開始し好不況の波がたとえあっても進化シ
ステムが良好に作用し経済成長は無限に続くのです。
つまり直接税負担は重くなるにしても、間接税負担は軽減し需要は潤沢になり経済
の過剰性は拡大し、国民所得は増大して株式市場は回復し、金融は発展し、年金、
社会福祉、医療制度、環境問題へ対応する経済的余力が生じ、そして普通に努力す
る企業は生き残る経済環境が得られるのです。「何故そのような結果がもたらされ
るのかを詳しく解説し理論を完成したのが、本書であります。」
また日本ではこの消費税の強引な導入を契機として新政党が乱立し、この十数年間
日本の政治風土に混乱が続き経済にも大きな悪影響を与えた原因は、正しい判断を
下すために個人の良心や良識を必要とする「一人一人の国会議員個人の意志の単純
表決で全てを決定すべき国会への国会議員の参加の自由と対等に平等であるべきル
ール」が与野党を問わず「政党」や「特定の実力者」と言われる国会議員の「目的
のために手段を選ばない政治ルールの曲解を平気で許す日本の社会慣行の存在」か
ら党派性や理念、観念を優先させる党議拘束や束縛によって権謀術策がまかり通り
国会議員個人の意志が左右されるのを間近に目にした国民の反乱が選挙に表れ混乱
に拍車を掛けたのです。
日本にはこの様にあらゆる分野に渡り「一人一人の国民と国会議員に対する自由と
平等の厳格な必要性が真に正しく理解がされていない」社会慣行が存在するところ
に「社会経済の進化発展が停滞したり方向が誤ったりする根源的な原因」があるこ
とへの理解が遅れているのです。
特に一人一人の国会議員には形式的にも実質的にも全くフェアーな自由と対等な平
等が保証されていないと強く感じています。
それと正反対にアメリカの好況の原因と政策の正しさは、「政党の全国組織が無く
党委員長も党代表などの政党エリートが存在しない、党派性が希薄な特異な政治シ
ステムを採用している国家であるために、国民一人一人と国会議員一人一人に参加
の自由と対等に平等があらゆる分野で徹底され、国民環境に良く適応した政策をフ
ェアーな競争によって選択される」進化システムを強化することでこれを乗り越え
て発展しているのです。
日本においても、国民が選挙の投票において公職選挙法を適用されるのと同じ程度
で、国会議員の国会における投票活動(採決)においては、憲法にも主要な法律に
も基本規定が存在しない任意団体である政党が国会議員に対して党議拘束や束縛す
ることを禁止すべきとする筆者の理論(憲法も同趣旨)の正しさを証明しています。
さて選挙民はその独立性を保証するため国会議員からでも、他の選挙民からでも、
1000円を受け取っても買収として徹底的に警察に追求され、罰せられると言う
のに、国会で投票する国会議員が有権者個人からの献金を受けるのは良いとしても、
有権者とは無関係な政党や他の団体や企業や他の国会議員からの莫大な寄付を合法
としている現在の政治資金規制法によって、有権者のみの代理として国会採決を行
う国会議員の行動に寄付者が強い影響を与えフェアーな競争を歪め「カネまみれの
政治を法律が容認し」、さらに政党の人事などによる影響力の行使など各種の方法
で実質的に国会議員を陰に陽に影響を与え束縛し拘束していることは明らかであり、
これらが有権者の意志ではない「政党や他の団体や特定の国会議員の理念観念を優
先させ」国会議員の採決に重大な影響を与え国の進化発展を歪めているのです。
国会議員は憲法の趣旨に従い、国民と国権の最高機関である国会にのみ忠誠を尽く
さなければならないのです。
したがって国会議員は間違っても政党や政党の幹部や特定の国会議員その他の利害
関係者の理念観念に忠誠を尽くしてはならないのです。
そしてそのような国民や国会に対する忠誠心に基づくフェアーなルールの多数決で
採決された時に限って、その法律については強制力が生じ個人的意見が例え反対で
あっても、これは遵守しなければならないのがルールなのです。
もちろん時代と共に反対意見が優勢となり、国会採決で否決されればその法律は廃
止されるのであり、固定的理念無しの無常(常無し)の世界なのであります。
このような政治慣行が確立するよう規制法規を立案すべくマスコミは啓蒙しなけれ
ばならないのです。
アメリカの独立宣言で述べられているように「政府の権力はそれに被治者(国民大
衆)が同意を与える場合にのみ、正当とされる」という現代民主主義の究極の哲学
が大前提であり「その時々の世論を重視するアメリカの政治スタイル」として確立
されており、本書はこれと極めて似た結果を説いているのです。
それこそが遠回りのようで最も日本に豊かな社会経済を構築する早道なのです。
特に日本はしっかりした選挙制度が確立しており、選挙期間が短い欠点を除けば、
国会議員の選挙区も余り広くなく、そのためアメリカと比べて選挙費用は少なくて
済む分、アメリカの選挙制度最大の問題点である経済界や労働界の献金者の大きな
政治に対する影響力は、日本では少なくて済み、逆に日本において大きな問題であ
る政党の影響力とカネを使って他の国会議員の意志や意識に影響を与え、自分の野
心を果たそうとする行為を禁止すれば資金集めも最小限度で済み、政治分野でのフ
ェアー競争が確保され日本の経済は国民という人間環境を的確に反映し通説とは正
反対にアメリカより良い方向へ進化する可能性の方が極めて大きいと考えています。
政党の影響力は小さいとしても、大口献金者である経済界の意見が大きい影響力を
持つアメリカ政治における経済の方向性のチェック機能の脆弱性の危険は常に感じ
ています。そして日本人の持つ国民性が全体として決してアメリカ人より劣ってい
ないと筆者は実感しているからであります。
自国のルールやシステム(法律や制度など)を決定するのは「素粒子と同様に相互
作用を持ち自由な意志と意識」を持つ「国民一人一人」と、国民の声を代弁する
「国会議員一人一人」が完全に独立性を保ち、形式的にも実質的にも「完全な民主
主義」へ近づけば、経済はより一層発展し需要に満ちあふれ失業の少ない社会を実
現できるのです。
そしてこのような政治改革が早く確立していれば、昭和63年の国民の世論からし
て本来ならば消費税法などが国会で成立することはなかったのです。
そしてそれが実現すればするほど国民一人一人の身近な人間環境、地球環境の変化
に適応しようとする意志や意識が国家政策に素直に反映され、国民環境や地球環境
へ適応し生き残りを目指す良い経済政策が選択され、適応しない生き残れない悪い
経済政策は淘汰され、「経済成長は進化システムによって、人間環境、地球環境へ
適応しながら常無く無限に続くのです。」
したがって政党の役割は、「秘密結社ではないので一致団結を決して目指してはな
らず、バラバラの国会議員の意志を束縛や拘束してはならず」、「似たような思想
の有能な政治家が党議拘束をしない緩い集合体の政党を作り、そのような政党の存
在の中で国民と国会にのみ忠誠を尽くす良心と良識に基づく国会議員の単純表決で
物事を決する体制を作る」べきなのです。
政党の役割は、全国組織を保持するのであれば、この「国会議員の意志の束縛拘束
機能を厳しく規制し、これ以外の政党本来の機能の充実を計るべきなのです。」
この競争条件が遵守される環境で全ての国民と国会議員が参加するフェアーな内部
競争で、国家内の全ての善悪が決定されるのが真の大衆主導の民主主義なのです。
この「根源的な意義を正確に厳格に理解しなければ成熟経済においては経済も社会
も的確な進化発展は得られないこと」を、まずマスコミ関係者が目を開かなければ
なりません。
進化システムでは「国家には自由と平等以外のあらゆる理念、観念は不要であり」
「その時代その時代の問題毎の善悪、適不適の判断は一人一人の国民と国会議員に
対してフェアーな自由と対等に平等が厳格に守られた環境での国民と国会議員の意
志の単純表決で形成される」システムつまり「真の民主主義」が必要なのてす。
つまり自分のことは自分で決める自己責任原則と自分で決めた結果は自分に戻って
くる自己回帰原則が働くところに「国民と国家の反省と進歩」があるのです。
このように特に国会議員に対するルールが日本では徹底していないところに、中立
を厳然と守っていたアメリカに対する真珠湾奇襲攻撃に始まる第二次世界大戦への
日本国の参戦が決定され、また昭和63年当時の世論調査によると国民の70−8
0%の反対にかかわらず与野党問わず理念観念を優先し、お互い一致団結するヤク
ザの組織か秘密結社のようにお互い党議拘束を平然と行い国会議員の自由であるべ
き意志を束縛し政党主導によって国会での国会議員の良識を封じ込め洗脳し党議拘
束して消費税が導入されたのです。
そして当然のように国民意志に反した決定を怒った国民によって導入直後の参議院
選挙には、政権与党が記録的な大敗を喫し、長年に渡る政治経済の大混乱の始まり
となったのです。
この問題は憲法の第9条問題より、はるかに根源的な真の民主国家として重要な問
題なのであり、第9条問題などは本件が真に解決すれば歴史と国民意識の変化と共
に、その時代時代に適応した解決策が採択される問題なのです。
一人一人の国会議員のフェアーな自由と対等な平等の遵守つまり独立性は何にも増
して重要であり、この点マスコミ関係者は徹底して政党批判を行わなければならな
いのです。
そこで全ての国民が選挙で投票する時に厳しい公職選挙法を適用されるのと同様に
国会議員にも国会採決という投票行動においては、現状とは全く異なる公職選挙法
と類似の金銭や人事で影響力を行使できない完全にフェアーな自由と対等に平等が
守られる規制を法律化し、政党などの強い影響を受けず誰からも独立した「日本の
最高裁判所の判事や政党の全国組織が無く党委員長も党代表も存在しないアメリカ
の国会議員に近い独立的な性格を持つ税の負担者であると同時に政策の受益者であ
る国民のみに影響を受ける国民の代表者としてふさわしい国会議員一人一人が自ら
の良識と良心のみにしたがって判断し行動できる、国会議員の存立基盤」を構築し
なければ、国家の真の進化システムの作動能力は著しく低下するのです。
国会議員一人一人の独立性を確保する法律整備は緊急を要しますが、政党のあり方
や政党助成の方法、選挙制度を含め極めて広範囲で根本的な作業が必要になります。
そしてこのような国民や国会議員一人一人に対する自由と平等が形式的にも実質的
にも厳しく守られている国であればあるほど実は経済も社会も発展しているのです。
この点はそのような国の実例や経済発展の理由を本文で詳しく解説しております。
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(直接税国家と間接税国家の経済格差の実証的研究)
さらに元ジョンズホプキンズ大学八田達夫教授が1986年データーをもとに国民一人
当たりGDPと直接税比率の相関関係を自著「消費税はやはりいらない」で表して
おり、人口の多い大国(つまり国内市場が大きく結果として自国のみで総合的な消
費市場を形成し外国の影響が少ない国)では明らかに直接税比率が高い国家ほど国
民一人当たりのGDPが高いことを、明確に指摘している。
つまり各種の要因があるとしても、意図的に間接税の比率を低く設定し、直接税の
比率を高くすることが本書の指摘通り個人消費と所得の自己循環拡大システムが良
く機能する結果として国民一人当たりのGDPを高める大きな要因になることが現
実の統計的にも証明されているのです。
消費税導入前の日本が正にその典型だったのです。
これらのことから日独という何かというと「理念観念に基づく言葉のコンセプト」
を持ち出し、これを「演繹推論で拡張するマクロ思考の強いエリート主導国家」で
ある旧枢軸国は、エリート自らの理念観念を実現しようと、第二次世界大戦の開戦
時の判断と同じく、特に日本は意図的にこの十数年間一貫して国庫収入の直接税比
率を引き下げ間接税比率を引き上げた為に、自らの未来予測と全く反し結果として
自己回帰的に不況に突入しているのに対して、アメリカは自由と平等以外固定的理
念や観念を持たず「現実の諸事実」に基づき国民大衆の判断を優先する「帰納推論
のミクロ思考に基づく多民族、多文化、多言語の地方分権国家という非効率な大衆
主導国家」であるのにかかわらず、自由主義陣営国のリーダーとして成熟経済にお
ける経済成長を達成するためには経済環境つまり人間環境に適応する正しい判断を
下すことが第一義と考え「国民とそれを代表する国会議員一人一人にフェアーな自
由と対等に平等の判断が下せる環境を堅持した競争条件を遵守」し経済成長に良い
効果があり且つ国民一人一人の個別の成果を正しく評価し個人消費と所得の自己循
環拡大システムと変換システムの役割を持ち且つ国民相互に実質的に適正な競争条
件を実現するためハンディキャップを与える税制(強い者の頭を押さえ競争力を平
準化する思想つまり競争力均衡化の思想)として厳しい直接税システムを維持する
のが最善と判断した結果、弱いものも競争に参加しやすく国民が能力を最大限度に
発揮し経済は好転し自己回帰的に経済の回復と記録的な財政再建が図られたのです。
つまり「景気」と「参加の自由と対等に平等なフェアーな競争と直接税制」は「自
己回帰的な相関関係」があることは明らかであり、したがって因果関係論から、こ
れらが原因となって「国民へ失業の少ない良好な経済環境と同時に税収の増加」と
いう結果をもたらし、また目的論からそのような自由と平等と税制を構築する目的
を達成するには、本書のように好況をもたらす「真の原因を徹底して分析」しなけ
ればならないのです。
進化システムに適応しやすい世界でも唯一帰納推論を主として駆使して論理を構成
し、物事の判断を決定するアングロサクソン民族の本家であるイギリスとその分身
が建国したアメリカの経済発展の違いは、正に「人間個人個人の自由と平等」と
「直接税比率の高さ」をどれだけ徹底しているかに掛かっているのであります。
つまりイギリスはアメリカより民族的に遥かに単一性を保ち国家の存立基盤として、
有利な条件を持っているのにかかわらず多くの貴族やそれらに類似の身分制度を維
持し、微弱とは言え人間個人の自由と平等に反し、実質的に生まれながら差異を認
めている社会であるため、人間個人の能力が十分競争によって切磋琢磨され開花す
る社会でないことと、またイギリスでは全国組織の政党が存在し党首が率いる党中
央が国会議員を管理統制する仕組みが出来上がっているため、独立性のある国会議
員個人の自由と平等が遵守されて各々の競争(協同)によって物事を決着するシス
テムが出来上がっていないので国民環境に良く適応した政策を立案する国会議員の
能力が開花する機会が少ないこと、直接税比率が低く個人消費と所得の自己循環拡
大システム能力が低い間接税重視の税制システムが原因となる等、アメリカとの間
に大きなシステムギャップが存在し、これがアメリカとの格差を生じる原因となっ
ているのです。
アメリカが建国時に「自由と平等の徹底」を掲げたことは、進化システムを意識し
て行ったわけではないが、これが偶然にも進化システムの基本概念だったのです。
進化システムは自然システムと全く同一な「無常(常無し)」と固定的理念無しで
「輪廻」という自己回帰原則のシステムであり、人間の幸福を追求するという不可
能な事を実現するために「参加の自由と対等に平等にフェアーな競争の結果」で、
これを実現しようとするシステムなのです。
そしてそれこそが自然の生態系がそうであるように、自然システムが素直に働くと
ころに、豊かな自然が形成されるのと同様に、進化システムが素直に作動する環境
こそ豊かな社会を築く基本となるのです。
この様な哲学で日本を改善できれば、科学技術や生産技術ならびに社会システムで
ある教育面や医療福祉面などの点で日本は潜在的にアメリカより良い面を多く持っ
ており、経済面でも必ず再度アメリカとフェアーに対等に競争し追いつく時代が来
ることを私は確信しているのです。
さて本文で詳しく指摘していますように「日本は女性が家計支出の大部分を実質的
に支配している世界でも希な特殊な社会慣行を有する国家」であり、日本経済をア
ポドーシス(自滅)から救い、再度経済成長を開始させ財政再建と本格的景気回復
を同時に達成するには個人消費の回復を図る以外に方法は無く、したがって人間に
内在する幸福になりたいとする強い意志に基づく本能的な力で個人消費を自由に拡
大増進させる進化システムの力を活用しながら、直感力に優れた女性に受け入れら
れる個人消費を規制しない経済税制システムが必要であるという事実認識が必要な
のです。
私は日本に存在するこの特異な女性主導の個人消費システムは今後将来とも世界の
中で経済競争に勝ち抜くには、その文化のオリジナル性と特異性のゆえにこれを踏
まえて政策を立案すれば非常に有利な点であると考えているのです。
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(経験不足の未来予測と、消費に回らない過剰貯蓄が問題であり、それには経済学
において与件として研究対象から外されている分野の研究が重要です。)
さて既存の経済理論は後段記載の六分野の与件(p179参照)の上に成りたって
おり「財政政策」「金融政策」は現状の経済の微調整手段に過ぎないのです。
したがって現代経済学の欠点を大きく補完し与件無しの現実の競争社会において、
経済成長を実現するには現代経済学の与件(前提条件)として研究対象から外され
ている分野にこそ、経済停滞の真の原因が潜みこれにメスを入れ抜本的に進化シス
テムへ改善する手法が今求められており、それが実現してはじめて1億2500万人の
国民自ら個人消費の創造を開始し個人消費を自己回帰的に拡大しながら、これを国
民所得へ自動変換し、本格的景気回復と財政再建を達成することが出来るようにな
るという事実認識が必要なのです。
今回の不況はエリートによるこのような事実認識の不足に基づく経済の微調整手段
にしか過ぎない「財政政策」と「金融政策」という小手先の経済政策に大きく頼っ
たために引き起こされた度重なる失敗と当然のことながら政策の未来予測が全く誤
っていた結果に過ぎないのです。
そしてエリートという人達の最も不得意の分野が、「問題点の把握という現場のた
たき上げが持っている索敵能力」と「経験豊かな未来予測」なのであります。
「日本人の国民性や現状を苦労して良く調査もせず、税制理論の基本を自ら徹底し
て追求もせず、手軽に見た目の良い海外の手法や理念ばかりを良く研究し、快適な
机上で仕事をしているエリートの方々の、厳しい現実における前提条件無しでの経
済競争の中では、現実の分析からかけ離れたこのような手法と演繹的論理で政策を
立案した場合どのような結果がもたらされるかの、未来予測の正確性に全く欠けて
いる」のです。未来予測の正確性に欠ける政策など立案する意味すらありません。
したがってエリートの方々は現実の政策を立案する時に日本人のあるべき「理性的、
合理的、理念的」な精神部分のみを取りだし都合の良い演繹推論だけで論理構成す
るのではなく現場で厳しい経験を積んで人間の社会動物的側面である「利己的遺伝
子」によって発現する、日本人独特の社会慣行に根ざす「利己的意識、利他的意識」
の意志を持ち個々別々に判断し、さらに「相互作用」を発揮しながら行動する「人
間の現実の利己的行動や利他的行動の入り混じった現実の心理や行動を予測し帰納
推論しなければ実効ある経済政策を立案し未来を予測するなど出来ない」のです。
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(貿易黒字を貯め込む弊害について)
また同様に国家が貿易黒字を貯め込むことも、日本が金持ちになったと錯覚してい
るだけで為替相場を通じて経済学の基本である購買力平価以上の円高になっており
国家経営的には「商品・サービスの販売において適正な価格形成という産業政策の
根本において大きな弊害」つまり輸入品と国産品さらに外国人件費と国内人件費の
大幅な為替差による価格差を日本の産業界へもたらし国内経済や雇用の空洞化と輸
出採算性の悪化や安い輸入原料に対抗できない新製品や新規産業の創出まで阻害し
ているのです。
まず「国家は結果として国民を幸福にするために存在するのであるという大目的を
正確に認識し」、その上で経済構造を適正に保つためには、経済学や経営学の基本
である「企業経営にとって国内外のフェアーな競争条件を保つ根本的な条件となる
為替相場を購買力平価に近づける必要」があり貿易収支ゼロ目標値を定め基本に忠
実な輸出入政策、為替政策を取るべきなのです。
自由貿易体制であるからコントロール不可能であるという言い訳は常に不可能と戦
って利益の追求を行っている民間企業や競争社会で常に困難と闘っている国民には
全く通用しない論理なのです。不可能であるからこそ、その実現に努力する国家が
必要なのです。
輸出入に関する個別企業の情報公開や啓蒙活動や国内需要を大幅に上回る生産設備
増強は規制し出来る限り現地生産を奨励し、それらの個別企業の情報公開や規制な
ど国際ルールを破らないで貿易収支ゼロ政策を国民や企業へ協力を依頼する方法は
いくらでも存在するのです。
貿易政策の基本は輸入代価を支払うための輸出に原則として限定するべきであり、
それ以上の他国への輸出は、直接投資で当該他国への民間の経済協力と当該他国の
国家と国民の努力と協力して行うことが結果として日本文化や生産技術や経営技術
の伝播や当該他国への身になる援助となると考えています。
さらに今回の「ニューヨークのテロ事件で明からになった教訓」は経済の安全保障
問題です。
5000万人が戦死した第二次世界大戦と比較すると遥かに小規模なしかもテロ事
件においてさえ「航空路の安定性が破壊され」これによって海外からの物流(部品
や製品輸入など)に支障が発生したことを考えると日本周辺で万一事変が起こった
場合「航空路ルートならびに海路ルートの物流が完全に遮断されることは明らかで
あり」「日本国民の生命を維持する生産を安全確実に行えるのは、国内に残留して
いる国内産業だけ」なのであるという認識が重要となります。
しかし筆者は国内産業を保護しろとか有利にしろとか主張するつもりは全くありま
せん。
言うなれば「不利にするな」と言うことであり「国の内外を問わず」競争条件を平
等にしろ、競争力を均衡させろ、そのために為替相場は購買力平価を実現するため
に貿易収支ゼロ政策を推進すべきだとする当たり前の主張をしているのです。
私の主張は「国内産業には国民への所得配分機能と雇用の確保機能があり、さらに
国の安全保障機能がある」のであるから、少なくとも「国内産業をそのような機能
の無い輸入(海外産業)より不利に陥れてはならないという原則」を国家は遵守し
なければならず、成熟経済に達し且つ基軸通貨でない円の為替相場では国家は海外
産業と自国産業の競争力を平準化する貿易収支ゼロ政策を確実に実行し、経済学の
基本である購買力平価を実現し国内産業が長期に渡って海外産業と正しい競争が出
来る「競争力の平準化環境」を遵守する事が自由貿易の理念より重要なのです。
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(税制改革による自動循環型自己拡大経済システムが未来の日本を築く基礎)
そこでこれらの点を踏まえて生命維持装置のような消費と所得の自動自己拡大循環
型の巧妙な経済システムが必要になるのです。
まず国民にとって真に役に立つ進化システムである日本の市場経済機能を完全に回
復し、結果として日本経済を自動的に自己進化拡大する真の市場経済体制へ再構築
することを基本命題とします。
(1)市場経済における「需要の自己増加エンジン」である進化システムの「個人
消費」は自己決定性や反復性や人間のより幸福になりたいとする本能などに
よる自己拡大性を持つので規制しなければ自動的に増加しようとする本質的
な特性がある。
これと進歩しようとする特性がある進化システムである「供給の自己増加エ
ンジン」の「科学技術」が供給力の拡大と増大をもたらし、両者がシンクロ
ナイズして自動的に自己拡大進化する需要と供給の合体した進化システムで
ある市場経済システムを構築しているのです。
したがって左脳である論理脳を活用する男性が消費の主導権を握っている白
人のキリスト教社会などと全く異なり右脳の直感脳を併用する女性が消費の
主導権を握っている特殊な社会構造を持つ日本では、「次々と強化される個
人消費への規制が原因」となり、これを直感的に総需要抑制政策と見抜き、
過敏に反応し、供給力の増大にもかかわらず個人消費が過剰に規制抑圧され、
需要が極端に不足して経済成長が実現せず国民所得が低下し、失業が増加し
ているのです。
(2)そこで「経済成長の出発点」となる、進化システムである「個人消費」に対
する「徹底した規制緩和」を行い心理的や経済的負担を課する現状の規制を
全廃し、個人消費(その商品の生産に携わった人々への、所得を得さしめる
利他的行為)の増加を規制しない女性にやさしい抵抗感のない経済税制体制
を実現し進化システムにより自動的に増加する本質を持つ個人消費の自然な
増加を図る。
また個人消費は表現の自由の一形態でもあり本質的に規制してはならないの
です。
(3)さらに「個人消費と設備投資が所得へ変換される原理」から「個人消費」の
増加は「所得」の増加をもたらすので、「税収の確保」を図るため自己決定
性も自己拡大性も無い非進化システムである「所得」に超過累進課税の直接
税を強化し税収の増加を図る。
他人から得るしか方法がない自己決定性も自己拡大性も無い非進化システム
である「所得」に課税を強化しても需要や経済成長へ悪影響を与えず、やり
方次第で経済成長の促進作用さえある。
これによって結果として「消費性向の低い」高額所得者や法人から徴収した
税収を国家機関を通じて「消費性向の高い」中低所得者や赤字法人へ、実質
的な所得分配が実現し「国全体の消費性向を高める個人消費の拡大循環シス
テム」が完成する。
これによって消費市場は更に拡大し力の強い高額所得者は納税に見合う更に
大きなチャンスを得ると同時に中低所得者も普通の生活が送れるようになる。
副次的効果として超過累進課税により、個人、法人の競争力の平準化効果も
ある。
それに対して現状の間接税制による消費性向の高い膨大な数の中低所得者層
より、消費を削減させて得た税収を、国家という非効率機関の莫大なエネル
ギーを使用して再度同じ中低所得者に所得を再配分する現状のシステムは
「経済的に何の意味があるか意味不明な非進化システム」であり「消費性向
の低い高額所得者の膨大な余剰所得をそのまま取り残してしまうため」個人
消費の拡大循環には全く役に立たないのであります。
「個人消費」が活発にならなければ設備投資は活発化せず、それが不況をも
たらし貯蓄ばかり増加しても企業業績は悪化し銀行に国内の貸出先が無く、
預金金利は低下し銀行経営は不安定になり日本の資金は海外の投資先に流れ
日本国内の資金需要は細るばかりで経済の回復は全く実現しないのでありま
す。
これらの結果は統計書や学者や専門家が発表している直接税国家の方が間接
税国家より国民所得が高い事実でも立証されている。
(4)このように需要側の個人消費自動拡大システムと供給側の科学的生産自動拡
大システムの並立こそ市場経済の根本であり、このシステムが完成すれば個
人消費は自動的に拡大を開始し設備投資も活発化し「結果として人間は消費
を所得へ変換して経済生活を営んでいる」ので、これによって国民所得の自
動的な増大システムが完成し、少し時間が掛かっても「経済成長と財政再建
の同時達成」が実現されるのです。
そして国内経済は自ら国内で生産したものを自ら大部分国内で消費するとい
う原則つまり人間は消費者であると同時に生産者であるという自己回帰原則
が維持されるときにのみ他国に影響されること無く「経済の循環と拡大が適
切に達成される」のであります。
これは進化システムを十分活用すれば人類の経済発展の歴史が他の天体から
隔絶された地球という完全閉鎖系の経済環境でも十分発展している事実で証
明されており、一部輸出入が生じる不完全閉鎖系である国家経済もまた地球
環境における資源や原料の偏在による貿易を除けば、国家の置かれている実
状や地域に適応した個別の発展が十分可能なことを示しているのです。
これはまるで自然環境における生物が「競争を通じて」その環境環境に応じ
て独自の進化発展を遂げて分化と系統に分かれ豊かな自然を形成するのと極
めて類似しており、経済も生物の進化も同じ進化システムの流れの中に存在
しているのです。
(5)しかし国民の真の幸福を追求するために「地球の有限性」や「熱力学エント
ロピーの法則」からの実質的制限が経済に付されるのはやむを得ない事実で
あり、時代時代に合わせた個人消費の選択肢の無限の拡大を担保すべく個人
消費の方向性を確定する、その時代に適応しようとする「真の進化システム
が機能する政治改革」つまり生き残ろうとする国民意志の総和を正しく反映
することが必要になるのです。
(6)この日本の「市場経済と政治」の自動拡大進化システムの完成により、天下
の大軍である1億2500万人の膨大な国民が一人残らず進化システムに基
づくこの市場経済システムによって活動を始め、日本の市場経済は少しずつ
拡大発展を開始し、加速がつきはじめ同時に国民の自由な意志による、その
方向性も試行錯誤しながら最適化へ動き出すのです。
日本人の国民性や社会的雰囲気から判断すると一見組織に流されているよう
に見えて、実は「努力する人間個人を重視する思想、いわゆる個人主義の重
視」は進化システムを構築するのに極めて有利な国民性の条件であり、さら
に国民意識として高額所得者の莫大な寄付が社会基盤になっている、民間社
会福祉が発達しているキリスト教圏やイスラム教圏と異なり、日本国民の利
他的意識は任意の篤志家による寄付に頼る協同体意識より、直接税を強化し
ても国民全体の協力に基づく国家による強制的な相互扶助的な公平な協同体
意識を重視しているので、その経費に相当する部分は他国より税率が少し高
くても直接税の強化を受け入れやすい土壌が存在しています。
つまり以上の結論は1987年ノーベル経済学賞を受賞したロバート・ソロー博士
(アメリカ)の「供給側の科学技術の進歩」こそ経済成長の唯一の根源であるとす
るソローモデルの考え方を、本書では更に発展させ経済成長を説明するのに進化シ
ステムの概念を取り入れ「科学技術」が進化システムであるところから成熟経済に
達した日本では「需要側の進化システムの本質を持つ個人消費の完全な規制緩和つ
まり個人消費の進化システムへの再構築」もあわせて重要であり、さらに「需要と
供給を結びつける本来は進化システムの本質を持つべき形式的民主主義体制を更に
強化し一人一人の国会議員の意志の総和が素直に反映できる、大衆主導の進化シス
テムによる真の政治改革」を実現することを、ソローモデルに付加すれば個人消費
の力強い増加と、進化システムによって消費の方向性を政治が定めることが同時に
可能となり「成熟経済でも力強く適切な方向性を持つ国民の幸福に役立つ経済成長
が可能」となる基本を発見したのです。
このシステムは一見アメリカのシステムに似ているように見えますが、得られる結
果は必ず日本的な結果になるのです。それはルールは似ていても我々日本国民はア
メリカ人ではなく、日本人であり日本人に適応した結果のみが選択され、淘汰され
るからであります。
さて戦後43年間かけて焼け野原の無一文から民主主義や市場経済などの進化シス
テムの絶大な力により「日本国民の内在する力を顕在化させる」ことによって好不
況を繰り返しながら「本当の無」から3200兆円の「有」の国富を産み出し世界
一の経済大国に成長した日本が44年目(平成元年)以降、進化システムの作動が
衰え景気の循環を失い不況の連続で経済が瀕死の状態が続いている理由は以上の通
りなのです。
本書では、システム工学が「国民を対象とした制度や法律をシステムとして認識」
することが出来ますので、このシステム的概念を徹底して解決策に活用するべく、
「実用的で確実に効果の出る進化システム」を提案しているのです。
そしてシステムを理解する上で重要なポイントは、システムには「進化条件を備え
た進化システム」と、そのような条件を備えていない「非進化システム」の区別が
存在することです。
そして法律や制度などの「人間社会のルールは遺伝子のような役目をする」ので、
これを進化システムへ大改善すると、法律や制度へ進化システムが注入され、良い
遺伝子として作動し「結果として国家経済は自動的に良好に進化発展する」のです。
戦後43年間の経済を分析すると、この時期細部は別にして基本的な部分は世界で
唯一と言っていいほど日本の経済システムに完全に近い形で実質的に進化システム
が作動していた時期であることが本書は詳しく指摘しているのです。
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(シングル・スタンダードの重要性について)
日本の現代社会において、「国民一人一人、国会議員一人一人につき参加の自由と
対等に平等とフェアーな競争(協同)原理」と「不合理にならない範囲内で国家は
国民一人一人(企業一社一社)、国会議員一人一人の競争力の均衡を図る原則」と
が正確に理解されているかどうか、色々な法律、制度を徹底して検証してみると、
国会議員に参加の自由と対等に平等な競争条件が整備されていないため「政党の理
念観念によって」それらの法律、制度の競争ルールが多くの点で意図的に強くゆが
められているのが放置されたままになっていることが分かります。
人間は大人になり異性と付き合い、結婚して未来の国家を託す子供をもうけ扶養し
教育し独り立ちさせ、いづれ老いて老後を送るのであり、そして人生は無常でリス
ク(危険)が伴うことを、全ての人間が知りうる故に、人間はどの段階を進むにし
ても「勇気と覚悟」が必要になるのです。
したがって国家の重要な機能としては「国民一人一人につき切迫した危機が生じた、
あらゆる異常時には、無条件で危機の内容に応じてサポート(応援)の体制」を設
けて、国民の「次代の国家を支える国民を育てる最小単位である家族」を維持する
「勇気と覚悟」に答えなければならないのです。
「切迫した危機でない問題」に莫大な国費を使用する政策を立案し、「切迫した危
機」に対して充分な対策を立案してこなかった不平等さが問題なのです。
更に「家族」を形成するシステムを保有している利己的意識と利他的意識を持った
社会的動物としての根源的な人間の生態を遵守して誠実で正直で勤勉に生きている
「大多数の普通の家族を形成している国民を公正であるべき通常時の生存競争や経
済競争において不利にしているあらゆる政策」が日本を経済不況に陥らせたり10
0年後に人口が半減させたりしている現実をもたらしているのです。
つまり家族というライフスタイルを取るか取らないかという家族的要素によって、
本人に有利不利を国が作ってはならない、という公正競争条件が必要なのです。
同じように直接税で行われている、健常高齢者本人への税の各種減税制度は、普通
の成年労働者と比較して「弱者救済的理念観念」によって異状に手厚く減税されて
おり、税制上本来は競争ルールを同一にすべきなのに「事実」として成年労働者と
比べて特に個別的な理由なく公正な競争条件が保たれていないことが、結果として
成年労働者の負担を重くしており、競争条件の大きな歪みとして表れてきています。
この健常高齢者を含めた税制における全国民統一の競争条件の均一化の方向(個々
の所得に対しては超過累進課税)は重要な課題になるのです。
しかしながら逆に健常者と比べて競争条件が極めて問題のある特別障害者などへの
配慮が税制上充分でなく、ここにも生活する上での競争条件という、事実としての
「個別対応政策」が充分ではないのです。
つまり国家は人間の生命に切迫した危機等の「異常時に対応する個別対応政策」と
通常の「正常時に対応する一般政策」とを常に区別して異常時の個別対応対策は手
厚く、正常時の一般対策は広く薄く政策を立案する必要があるのです。
つまり社会を歪めず進化発展させるためには「本人の選択意志が関与できる正常時
に対応する一般政策については対象一人毎の同一基準で競争する環境」つまり「シ
ングルスタンダード化」を徹底して計ることが、最も財政需要を最小限度に止め、
且つ適正な社会経済の進化発展が期待できる方法なのです。
そして本書では高齢者の税の負担が多くなるので、その反対給付として人間にとっ
て死に至るまでの過程で、安心して本人の意志により色々な選択肢を選べるように、
現在非常に不足している選択肢は何であるかを高齢者の本音を徹底的に調査し、人
間の本性に合致した個別対応策を立案し実現することが、新規需要の創出と高齢者
の安心が求められるのです。
自由主義経済でこれを実施するには納税者番号制と公的扶助で行われているミーン
ズ・テスト(資力調査)の整備が不可欠なのです。
さて刑法が比較的良く機能しているのは、全国民に対して聖域を設けず全国民一律
に法を犯した本人一人のみの「同一基準」のみによって本人に刑罰を科す体制が出
来上がっているシングルスタンダードだからなのです。
特別の役職とか、家族の有無とか、年齢とかで何ら刑には影響がないのです。
同様に国政選挙に適用される公職選挙法は本人一人以外誰にも影響されない独立性
を尊重するため、役職の有無や家族の有無や年齢などに全く関係なくシングルスタ
ンダードの規制が強化されており、これこそが日本の公正な選挙の実現に役立って
いるのであります。
したがって法律を立案するときに最も考慮すべき事は、その法律がどの分野であっ
ても、参加の自由と対等に平等のフェアー競争を遵守するものであり、理由なく他
の理念観念を持ちだして、これを侵害してはいけないこと、さらにその法律が国民
大衆を規制する同一分野の他の法律とシングルスタンダート(同一基準)であるこ
とが社会経済と国民感情に合致する法律になるのであります。
したがって日本の現状につき上記の「参加の自由と対等に平等の競争基準を守るた
めの規制を強化」し「進化システム部分については徹底して規制緩和を行う」正し
く区分区別した変革をすることが、成熟経済における経済社会の進化発展をもたら
し、そしてこの様な哲学を持つ政党が正に国民政党であり、この様な哲学思想を持
つ団結の緩い政党が登場し日本で多数を占めれば、成熟経済に達した日本において
も今後とも良き未来に向かい、その時代時代に適応した良き政策を選択し、適応出
来ない悪い政策を淘汰する進化システムである社会経済システムが完成するのです。
つまり「民は足らざるを憂えず、等しからざるを憂える」のです。
そしてこの様な公正な競争で国民の幸福を目指す政党は国民政党として必ず国民へ
迎えられ選挙に勝利すると確信しています。
したがって副次的には「参加の自由と対等に平等な条件でフェアーな競争を展開す
るための条件を整備するための規制強化」を行わないと進化システムは良好に作動
しないのであるし、そして進化システムそれ自身に対しては直接的にも間接的にも
規制を強化すると人間の特性、本性に反し、社会経済の進化発展に強い悪影響があ
るので、これは徹底して規制を除去する規制緩和を行わなければならないのです。
また非進化システムに対しては、国民の幸福の追求に反するものについては規制を
強化しても、社会経済の進化発展に何ら悪影響が無く、競争基準を明示する上で極
めて良い影響があるからであります。
したがって成熟経済に達した段階において、経済成長を実現するためには、これら
の区分区別をしっかりした上で強い生存本能を根源的に持つ人間である国民の本性
を信頼し、既に述べた指針によって規制緩和と強化をすれば経済の無限の成長と社
会の無限の発展が達成できることを提案しているのであります。
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(資本主義経済における純資産増加額課税の検討について)
さて最後に税制について若干述べたいと思います。
本書の経済成長税制理論さらに日本の時代時代の税制の経済効果を総合的に検討す
ると、資本主義経済社会においては全くの私見でありますが「企業会計原則」に基
づく「純資産増加課税の法人税制」が最も基本的な姿であると実感しています。
出来れば個人所得税にも完全にこの考え方を取り入れ、全収入−全消費=純資産増
加額(個人利益)に対する課税こそ最も優れた方法と考えています。
この場合の費用にあたる全消費には「必要経費はもちろんのこと食料品や衣服や住
居(減価償却費)や教育費など全ての生活出費」を経費と見なし、複式簿記で経理
して「個人家計の純資産増加額を把握し、法人と全く同じように課税すること」が、
「資本主義社会」においては個人も企業も国も「競争力均衡化の環境における参加
の自由と対等に平等な競争による自己拡大原理による経済の過剰性が最も順調に増
進し且つ三者の財務内容の適正化が最も保たれると予測しています。」
つまり純財産の増加があった人に課税するので課税された人は所得分配を行った人
であり、課税の少ない人や課税されなかった人は実質的に国家を通じて有形無形に
所得分配を受けた人になるのであります。
そして課税が少ないか課税されなかった大多数の人は個人消費の多かった人であり、
実は個人消費の増加が純資産の増加という経済成長を支えている根源であるので、
課税の少ない人や課税が無かった人が、実は純財産の増加を支えている人となる
「パラドックス(逆説)」と「輪廻」と「因果関係」になるのです。
しかしこの様な考え方に基づく所得税制は実際問題として技術上無理が伴うため、
日本の高度成長時代に取られた消費税が無く高累進所得税率の税制は、この考え方
を実質的に焼き直し、変換し、事実上簡素化した税制であったのです。
また現状法人税制において「企業会計原則の利益」と「税法の法人所得」の乖離は
企業を管理統括する資本主義経済のシステム上、非常に望ましくなく人間社会にお
いて道徳的に望ましくない経費や支払先が明確でない経費以外は全額経費として認
めるべきと考えています。
真理は常に単純で美しい姿をしているものなのです。
さらに相続税は相続し、財産をタダで貰った人に課税するのです。
特に資本主義社会ですので「生存競争においては現実問題として資産所有者有利の
社会」でありますので、相続税の課税を大幅減税すると大金持ちの莫大な財産を相
続した子供が有利な社会となり、生まれながらにして不平等な社会となり教育の機
会均等などが妨げられ、優秀な人間が社会で認められる機会が減少し「参加の自由
と対等に平等なフェアーな競争」は行われなくなり、優秀な人間の輩出率が著しく
衰え「競争力均衡化の原則」に反する上、人間の本性、特性から更に加えて所得分
配機能が大幅に落ち個人消費が低迷し経済成長は急激に衰え、国家税収も国家発展
も急速に低迷状態となるのです。
日本のような厳しい相続税制が無く大金持ちが幅を利かす特権階級を形作る国家は
世界中にたくさんあり、そのような国家は決して日本のように経済が発展出来なか
ったのです。
日本が高度成長を達成出来た大きな原因は、敗戦によって全ての人が、本当の無か
らの自由と平等の出発になったことと、マッカーサー元帥による「財閥解体」「農
地解放」による特権的な経済的存在を全て破壊した結果と、厳しい所得税と相続税
が存在し、所得分配機能が個人消費性向の高い所得階層(低所得階層)へ良好に作
動しため、個人消費の増加は常時順調であり変換される国民所得も順調に推移し、
貧富の格差の少ない豊かな中産階級である大量の良質な消費者と大量の良質な生産
者を生みだした結果がすばらしい平和で豊かな経済国家を作り上げたのです。
この無意識に作り上げられた税制が世界一の経済大国を生みだしたのであり、日本
人や官僚が優秀だったわけでは無かったのです。
現代の税制は消費税を5%に増税し、所得税、相続税を大幅減税し、生まれながら
に不平等の社会、特権グループの存在する社会、社会階層を固定化する社会を作り
続け、所得分配機能を大幅に低下させた結果、当然の事ながら個人消費の増加率は
大幅に落ち、それにつれて国民所得は停滞し、貧富の格差は広がり貧しい消費者が
大量に増加し、安売りに群がり全産業の企業経営者を苦境に陥れているのです。
つまりこのような国家政策を立案した政策担当者の残念ながら自業自得なのです。
つまり「相続税」は平時におけるマッカーサーの役割をする税制であり、不合理に
ならない範囲内で人間を生まれながらに実質的に平等に保つ社会を実現することが、
「真の競争によって勝ち残る真に強く逞しい人間を作る秘訣であり」「国家は税収
が上がり」「経済成長には極めて良い効果が上がり」「自由と平等とフェアー競争
が実質的に保証される結果をもたらし」「多くの財産を相続し強制的な利他的行為
を強いられる痛みを伴う納税者以外の多くの国民が喜びを分かちあえる」極めて資
本主義経済には有用な税制なのです。
ただ納税については痛税感を和らげるため金銭納税を強制するのは望ましくなく、
徹底した物納の拡充(出来れば全ての財産につき)が必要となります。
実は相続税については、アメリカでは敗戦の経験がないため、理論研究がなされて
いない分野であり、アメリカでも相続税の減税問題が良く検討もされず度々議論さ
れている経緯があるのです。
アメリカでこの相続税の大幅減税が実施された暁には、アメリカの進化システムは
実質的な競争条件の不平等化つまり生まれながらにして資本保有の不平等が顕在化
し、必ず社会の進歩に悪影響を与えるようになるでしょう。
たまにはアメリカの失点も望まれる所です。
さて日本で直接税率の累進強化が実現した時には、これによって納税する税額は、
強制的な利他的行為であるので、これが極めて高額である場合は、これを経済的特
典を与えるのではなく名誉として表彰する制度が出来れば良いと考えています。
また納税額の新聞発表は所得額と国税、地方税を含めた全納税額(現状は国税のみ)
を全て情報公開し納税という利他的努力に国民は敬意を表すべきであります。
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