現在地 HOME > 議論20 > 983.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: 認識能力が不足している者が政治に参加する為に民主主義なるものを生み出した。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 4 月 29 日 20:42:43)
>民衆の即時的意識で政治を行なえば衆愚政治に陥ります。
>民衆の認識レベルを高める事、これしかよりよき政治を実現する道はありません。
>マルクス主義もこの点ではあまり成果があったとは思えません。
>労働者が一番偉いと言ったところで大した事はできなかったのです。
庶民は正義感から石原を選んだのです。決して自分の個人的な嫉妬の感情ではなく、彼が都知事になってリーダーシップを発揮し、活躍することが世のため人のためになると思って託したのです。庶民には正義感が強い人はいっぱいいます。なるほど世の中には女子高生コンクリ詰め事件や女子短大生焼殺事件、連続独身女性レイプ事件などひどい者もいますが、大半は苦しんでいる人は見てられない、優しい人が多いのです。エゴイズムではなく、郵政民営化なども良い政策なのかも知れないと思っている人もいる。
>>自分が何をつかんでいるかを問わず、リーダーが権威を持ち過ぎる事に嫉妬して生ま>れてきたのが民主主義ではないのか?
>「みんなこういう風に言ってるよ。あんた変わってるね。」というのが民主主義ではな>いのか?
>最大多数が言っている事が真理に近いだろうといういい加減さじゃないのか?
>民主主義の根幹に嫉妬があるという指摘に全面的に同意します。
>ありがとうございます。
>統治者に対する嫉妬が「オレにも政治に参加させろ。」という民主主義を生み出したと思いま>す。
同意しかねます。正しいリーダーシップを持つ者にこそ権威を与えて政策立案能力のない我々庶民の暮らしを楽にして欲しい、これが民主主義の基本なんだと思う。角さんの権威を認めることは村人の多数派の気持ちだと思う。権威を認めるに値する統治者は信頼できる人であって欲しい。これが民主主義を生み出したのだと思ってます。信頼できる統治者なら、庶民はいくらでも権威を認めます。
>民衆が広く政治に参加する事自体は発展の1条件ではあるでしょう。
>しかし、参加したところで政策の1つも打ち出せないようでは何の役にも立てません。
>選挙民になった所で立候補者の政策を吟味する能力が無ければ適当な候補者に票を投じて終わ>りです。
>つまり全ての人が参加する事自体がいい政治を生み出す事にはならないという当たり前の事を>確認する必要があります。
>ところが民主主義の中には「参加する事に意義がある」というプラグマティックな意識が混入>してしまっているのです。
>必要なのは情報収集能力と批判能力です。
まあ、自民党と公明党が与党なのは、親戚に頼まれたからが大半だろうと思う。大半の人は「政治みたいな難しいことは庶民のわしには分かりません。政治意見を述べよと言われたら、石原さんと民主党に期待したい。テポドンが恐いので、日本政府は北朝鮮の圧力に屈さず毅然とした態度(の内容とは一体何か?)で臨んで欲しい」くらいしかいえない。政策を言えといわれても出てこない。過労死をなくして欲しい。ディーゼル車を規制して欲しい。保育園を増やして欲しい。くらいか。
戦前「満州を守れ。幣原弱腰外交弾劾」というようなスローガンが外務省に突きつけられた。日清戦争でも日露戦争でも国民・マスコミの方が政府より強硬タカ派だったし、日中戦争をしなければ、逆に政府が「何故居留民が中国の暴徒に晒されているのに助けようとしないのか?また、我々は中国にいる限り、南京事件や通州事件のような目に合わされるのか?こんなひどい政府世界中どこにもない!自国民も守れないのですか、あなたがたは!近衛さん、中国に毅然とした態度を取って欲しい。日本軍を派遣して下さい!人間でしょう。あなたがたも!」と国民から非難される可能性は大である。マスコミからは「中国にやられっぱなしでメス化する近衛」とか言ってボロクソに書かれるかもしれないし、参謀本部も国民を守れない無能日本軍として糾弾されるだろう。
>近代文明は、暴力を野蛮なものと断じたと同様、嫉妬をも醜いものとして退けました。
>そうでしょうね。
>しかし、嫉妬はなくならない。
>しかし嫉妬があるがゆえに、時には支配階級の横暴にブレーキをかけ、時には暴動、革>命に>発展します。上手なマスコミは、時に民衆の嫉妬の感情を利用して権力を叩きま>す。
>そういう事の繰り返しですね。
>ガス抜きですね。
>「ええじゃないか」もガス抜きだったのではないかと思います。
権力を叩いているように見せて、政治家個人を叩いているのです。権力自体は叩きません。政治家個人を叩くことで、権力全体を免罪・擁護しつつ、権力を叩いているように見せるのがマスコミの腕の見せ所です。このテクニックのすごい旨さがマスコミの特徴なんです。
>嫉妬がなぜ一つの政治制度を創り上げるまでに強力であるのか。それは性欲や名誉欲と>同じく、人間の本能と結びついた情念だからであり、つまり内部にエネルギーがあるか>らです。
>そうですね。
>人はこの世に生まれた以上は自分もいっぱしの人間であると思いたいワケですね。
>参政権を獲得した時どれだけ嬉しかったでしょう。
>今はまだその延長上だと言えるでしょうね。
>まあまあこんなものかと。
>それに対して、文明社会の後天的部分、正義とか、道徳とか哲学とか、社会秩序をもた>らす理念の力とかが弱いのは、それがエネルギーの後ろ盾を持たないからです。
>例えば理想社会を作ろうという欲求は本能的な欲求では無いのですね。
>自分の生き方の美学から生まれてくるものであり、その美学に到達できなければ欲求が生まれ>てくるはずもありません。
いいえ、庶民はそれなりに美学を持ってますよ。石原さんやヒトラーさんは本気で社会を良くしようとしてる、そんな風なものを感じたと思います。庶民だって社会変革は望んでるんです。小泉さんなら、石原さんなら、きっと日本を理想社会にしてくれる、そういう真面目な思いはありますし、無視しないで欲しい。
>>そこで文章などによってそのような美意識へと人々を組織しようとするのです。
>>労働者階級を持ち上げる言説は、「働いていさえすればそれでいいのだ。」という安易さを>>人々に植え付けたと思います。
>>「働くと言っても何をするのかが問題だ。」とか自分の向上を常に目指す意識が無ければ認識>レベルは向上しません。
>>理性が常に本能に敗れがちなゆえんです。
>破れますね。
>それは、バタイユの「マダム・エドワルダ」の「眼球譚」などで表現されていた思います。
>あの作品はカトリックの神父を殺して眼球を性的なおもちゃにするという話でしたが、性欲が。理性(道徳)に打ち勝つという主張であり、説得力を持つものでした。
ブッシュを支持する人々の中には、むしろ人一倍ストイックで真面目な人がいるよ。自分なりの美学故に小泉さんやブッシュさん、石原さんを応援して、頑張っている人を忘れないで欲しい。
>>現実認識自体が人々を組織するような運動形態。
>マルクスがやったことでもあります。彼はイデオロギー、すなわち理性で世の中を支配>できるようにするために、“民衆のエネルギー”を利用しようとしました。
>そうですね。
>しかし、実際に起こった事は理性ではなく一党支配・反対派粛清の恐怖政治でした。
>理論的対立を肉体的抹殺によって解決しようとしました。
>これは理論の死を意味します。
>私が対話の徹底、批判の徹底を主張するのはこの反省からです。
>数の力に頼ったわけです。しかし理性を何百万集めても、個人の本能の力には敵いませ>ん。
>本能は無くなりませんからね。
>本能と整合性を持った理論とシステムを作り出さなければなりません。
ここは庶民の人も同意すると思います。庶民の中にも欲望と理性の葛藤・苦悩がある。
>権力者、あるいはテクノクラートの征服欲、名誉欲、猜疑心、嫉妬心などによって“壮>大な実験”は終わりました。
>1個人に権限が集中する事の危険性を我々は見てきたのではないでしょうか?
>自分の生活を他者になるべく依存しない形がいかに作れるかだと考えます。
それは多くの庶民も同意できると思います。
>それで全ての個人にまんべんなく生産手段が与えられるようなシステムがいいと思っているの>です。
>複合的な協同組合社会がそのようなものであると私は考えております。
>経済的な民主主義こそが必要だという事です。
>ありがとうございました。
>認識を向上させ、人間の本能に適合したよりよきシステムを共に作っていきましょう。
自民党を支持する人も「親戚に頼まれたから入れた、政治のことは分からん。本当は誰でもいい」という人と自分では認識は高いつもりの人がいる。ブッシュや小泉を支持した人が「あなたの認識は低い」と言われて必ずしも「うん。私政治のことわかんなーい」という反応ではなく、「そんなことはない。小泉さんは正しい」として延々と郵政民営化の正しさを諭してくれる人もいる。それも大して金持ちでもなく、利権もないので郵政民営化しても得にならない立場の人でもね。庶民の中でも選挙に行く人は政治意識レベルが高くて、嫉妬よりもこの社会をよくしたいという正義感から投票する人が多いんだ。天皇陛下に命を捧げた人を敬う人も庶民の場合は本当に国のためになったと思っているから、敬っているのであって軍需利権のある人だけが天皇・ヒトラー崇拝なのではない。戦犯として処刑されたドイツ人の中にも人間的には誠実で真面目で「我は勇敢にユダヤの世界支配と戦って、敵に殺され死ぬ」と本気で思った人は結構いると思う。