現在地 HOME > 議論20 > 943.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: 平等な社会で、価値観を共有でき、住み慣れた、家族のそばに 住みたい 投稿者 東京音頭 日時 2005 年 4 月 23 日 23:13:21)
東京音頭さん、レスありがとうございます。
民族が違っていても差別する事無く済めばそれでいいのですけれどね。
どうしても「違う」→「排除」という事があるように思えるのです。
日本の入国管理制度は厳しい為にこれまで外国人の入国を抑制してきたと思います。
その事によって違う民族・人種に接する機会が少なく、他民族・他人種に対する理解が極端に低いと思っております。
少子化で労働力不足になれば外国人労働者の受け入れはどんどん進んでくるでしょうが。
その場合、低賃金で働く出稼ぎ外国人に職を奪われたという事でドイツなんかであるように外国人排訴運動が起こるかも知れませんね。
日本に滞在する中国人の犯罪の報道もありますが、石原慎太郎の「三国人」発言のようにいつ外国人敗訴運動が起こるか予断を許さないと思っております。
日本人の中にある排外主義は強いと思いますね。
中国人や朝鮮人も強いと思いますが。
日本人も含めたこの排外主義的「三国人」には排外主義をやめるように教育していく必要があると思います。
文面から拝察いたしますとあなたは、オーストラリア在住かニュージーランド在住の方のようですね。あるいは今は日本にいらっしゃるのかな?
おっと、個人の状況を詮索するのはご法度でしたな。
済みません。
>平等な社会で、価値観を共有でき、住み慣れた、家族のそばに 住みたい
>http://www.asyura2.com/0411/dispute20/msg/941.html
>投稿者 東京音頭 日時 2005 年 4 月 23 日 23:13:21: lgPwXYAv4QVow
>(回答先: 民族という虚構 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 4 月 23 日 18:19:05)
>理想はそうだと思います。が、現実はなかなか難しいですね。
>人種のるつぼのアメリカでは、自国内の人種、民族差別をしない努力はしても、愛国主>義を推進しているので、他国を馬鹿にする人々を育ててしまう。
愛国主義運動は実に迷惑な運動ですね。
「国を愛して何が悪い?」という反対しにくい論に依拠していますからね。
ところが愛国心ってのは容易に他国に対する対立を煽る原因になるのです。
自国だけが豊かになろうとする国家エゴを生み出すのです。
>又は、語学力での差別が育つ。現にアメリカでは、肌の色云々での差別は減っても、英>語力のない人への軽蔑心は強いと思います。
英語が話せなければ人間扱いしてもらえないかも知れませんね。
フィリピンではほとんどの人が英語がしゃべれるようでした。
生きていく為にそうなったのですね。
日本ではあれだけ英語教育をやってもしゃべれる人は少ないですね。
私も人の事は言えませんが。
>又、資本主義社会である限り、誰かが富を多く取り、誰かは少ないわけですから、競争>ですね。その中で、人種 (科学的根拠がなくても、アフリカ系、アジア系、北ヨーロ>ッパ系って、わか るじゃないですか。もちろん、ヨーロッパ系とそ>うでない人がミックスした ら、普通、いろの濃いほうの扱いですよ>ね。(私の海外生活の経験から)
ワスプが純粋であり、他の血が混ざると格下げみたいな感じですかね?
>と、社会、経済的地位って、ほぼ相関関係にありますよ。(例外はもちらんある。そう>じゃないと、アパルトヘイトのようになって、国家としてもまずい)
>又、どの文化を基準とするのでしょうか。これも大きな問題です。
>ヨーロッパのことは、わかりませんが、例えば、オーストラリア。 ここも、一応移民>国家で、たくさんの民族を受け入れていますが、イギリス系文化中心社会です。アボリ>ジニーではありません。
原住民を尊重しておりませんね。
白人って白人が文明人って思っているようですね。
鼻持ちならん感じがしますね。
ああ、これがまた「白人差別」に繋がるのかな?
>言葉は英語、できなければ、生きていく上で、たいへんで、仕事も低賃金労働しかな>>い。
>倫理というか、道徳観念というか、価値観の基本は、キリスト教で、個人主義の考えが>基本。
フィリピンの人に宗教は何を信じている?と聞かれて正直に「無宗教だ。」と答えたらすごく怪訝な顔をされましたよ。「あなたはそれではいけない。」って感じでした。
つまり宗教を信じない者は倫理が無い者ぐらいの感じなんでしょうなあ。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は聖典に生活の心構えみたいなものが書かれていますね。日本の仏教は意味不明のお経を上げて終わらすという感じがあり倫理や生活道徳については親にしつけてもらうというぐらいしか無いのですね。
一神教を信じている人々が個人主義になるのは当然ですね。
個人はまず神の言い付けを守るべきなのであり神との一対一の関係が一番大事なのですから人間同士の交流は二次的な位置に下げられてしまっているのですね。
>これに、移民してきた人はなれなくては、なりません。
郷に入っては郷に従えですね。
民族や人種のるつぼって言ったって、来た人全員が白人のマネをしなければならないのであれば、入っていく方は大変ですね。
マイケル・ジャクソンが顔を白くしているのを思い出します。
自分の顔の色が黒であるのが気に入らないなんて不幸ですよね。
自分の来歴を否定しているようなもんです。
>これは、当然でしょうか?
新参者が郷に従うだけではなく、郷に居た人間が新参者の事を理解してあげるべきですよね。
> どういう人々の言語を中心とするのでしょう。先にいた人たち。力を持った人々? >もし先にいた人なら、アボリジニーの文化にすべきでしょう。
>そうは、ならないのです。
>いい例は、ニュージーランド。他民族国家ですが、問題は多い。
>まず、社会、経済階級は、もう、クリアに民族に沿っている。
きれいに分かれているのですね。
>例外を除けば、(マオリには、エリートもいるので、)裕福な地域には、もう、ヨーロ>ッパ系以外みかけませんね。
それはおかしな話ですね。
民族差別が働いている結果としか思えませんね。
>平日の昼間のシティで、ランチを楽しんでいるのは、もう、例外がないほど、ヨーロッ>パ系、つまり、ホワイトカラーは、もう、白人のみ(ちょっと、説明するのが、早いの>で、差別用語使います。)。
やはりアパルトヘイトなんでしょうね。
巧妙に隠しているかも知れませんが。
>で、貧しい地域に行くと、全部、マオリ、トンガ、サモア、クックアイランド人、フィ>リピン人等。(大げさではありません。)
想像できます。
>日本人観光客や、政府から視察団などを、NZ政府は、こういう場所には、絶対連れてい>かないから、日本人のNZのイメージには ないでしょうが。
>貧しい地域のちょっと、ましなところに、白人系の労働者階級が住みます。アジア系>>は、(日本人は金持ちエリアに多い)ばらばらといますが、貧しいエリアで、店を出し>て、ちょっと、豊かになって、少しましなところに行くというかんじ。
エリアで階層に分かれているのですね。
>私が何故、どの人々の文化を中心とするか気になるのは、NZに住むマオリやポリネシア>人の文化とイギリス系が大きく違うからです。
違うでしょうなあ。
白人はキリスト教を筆頭に文化侵略をしますからね。
マクドとコカ・コーラですね。
ディズニーと。
>食、言語よりも、まず、ポリネシア人は、共同体のような社会からきていること。
社会の形態がまず違うのですね。
>彼らには、学校に行って、勉強(国語、算数とか、理科、ヨーロッパ人の歴史とか)を>頑張って、将来いい所に勤める、という発想そのものがないのです。
なるほど、何でそんな必要がある?って感じでしょうか?
>貧乏で、ちょっとしか食べ物がなくても、訪ねてきた人々皆でわけます。大家族です。>助け合う、仲間が大事です。
日本でもちょっと前まではそんな風潮があったように思うのですがね。
核家族化で壊れた気がしますね。
>彼らは、店などで働くと、よく物をちょろまかします。でも、それをお金に買えて、自>分の物を買うより、仲間や家族でわけているのです。
なるほど、仲間や家族の方が自分自身よりも大事なのですね。
個人主義の反対ですね。
>国境の問題も、彼らの発想は全く違います。例えば、NZには、不法滞在者がたくさんい>ます。
>大半は、サモア人。彼らは、働かず(働けない)福祉も受けられないので、政府も本腰>を入れてとりしましませんが、彼らの言い分はこうです。
>ここは、昔は自由に行き来できた、ポリネシア島だ。
>自分の家族がいる(従弟のそのまた従弟とか、その子供とか、彼らにとってはすごい遠>縁でも家族。核家族はイギリスの発想)所に、住んで、何が悪いの?
なるほど。白人が勝手に国境を作っただけですね。
>マオリや、他のポリネシア人をみていると、ヨーロッパ人に侵略され、国(?)共同体>の住む地域、を奪われて、今貧しく生活しているよりも、ひとつのまとまった言語、価>値観をもつ、見た目も似ている(もし、民族とよべないなら)人々と住んでいた頃のほ>うが、よっぽど幸せであったろうと思います。
それは植民地化された民族の話ですね。
植民地化された民族は民族独立を望むものでしょうね。
>NZ政府が、多民族国家だの、なんだのいっているのが、マオリには、白白しく聞こえる>のです。トンガや、サモア人も、来たくてNZに来ているわけではありません。自国で、>食べて行けて、幸せなら、こないでしょう。
なるほどね。
いえ、私は日本がもっと他民族を受け入れるようになるべきだと言いたいのですけどね。
そりゃあ自分の生まれ育った国で一生終えられたらそれに越した事はありません。
しかし、悲しいかな、現時点では日本は経済大国であり、貧しい国の人々を受け入れるべきでは?と思っているのです。
ちゃんと仕事を作らないといけませんけどね。
>たんなるお金儲けで海外へ行っている人もいるでしょう。
ほとんどそうでしょう。
>私のように、外国人と結婚して、移住している人もいるでしょう。
ほう。
おっと、結婚相手の国籍を尋ねてはいけませんな。
>でも、多くの貧しい移民は、仕方なしにきているのです。
そうですね。
生きていく為にはやむを得ないのです。
貧しい国が自立してやっていけるようにしないといけません。
この辺りのお話はこの阿修羅掲示板には詳しい方がいらっしゃるでしょう。
「貧しい国が自立する為に」というスレッドを立てますか?
この議論板にでも。
>誰が自分の育ってところから、友人や家族、親戚をとおく離れたいものですか。
そりゃあそうです。
しかし、やむを得ず出稼ぎに行かざるを得ない人々を受け入れる事もまた必要です。
現時点ではですよ。
各国の経済の自立は常に追及すべき課題です。
ところが自立させないようにしてきた経緯があるのです。
モノカルチャー(単一作物)を強制されて「それしか売るものが無いから安く買い叩かれる。」という事が行なわれてきたのです。
決まった物しか作っていないので生活に必要な様々な物資は輸入せざるを得なくさせられてまた高く売りつけられるという事が行なわれてきたのです。
>自国の人種、民族差別をなくすのは、もちろん、たいせつですが、まず、それぞれの>>人々が長く住んでいる土地にこれからも住めるような、世界をつくるのが、大切と思い>ます。
同感です。
それが最終的目標です。
しかし、その前に、他民族に対する理解を深める為に日本は他民族受け入れの門戸は常に開放しておくべきだと思います。
>近代的で、為政者によって、移民政策に基づいてつくられた多民族国家の人が幸せとい>うことは、ありません。
移民政策はそうですね。
経済活動の都市部への集中という事が問題です。
都市でしか人は生きていけなくさせられてきたのです。
農村は農産物を安く買い叩かれる奴隷的な位置にあり続けたのです。
商社など中間搾取をした連中は儲けましたが。
>外国人に土地を奪われ、移動を余儀なくされる人々や、移動しなくても、自分のルーツ>を失い、自信喪失に陥っている人々から見れば、なぜ、わざわざ、多民族国家にしなけ>ればならないのか、わからないだろうと思います。
わざわざ作るのは問題ですね。
ただ、自然と経済の流れで他民族エリアができるのは当然の成り行きだと思います。
>日本だったら、どんな価値観が中心となるのでしょう。やはり、日本?
日本の価値観ってあまり言語化していないように思うのですが。
言語化は誰にでも分かり易くする為に必要な事ですが、日本ではそのような明示的な価値観は今までは必要無かったのかも知れません。
明治維新後、そういうものを作ろうとしてきたのかも知れませんが、曖昧模糊としておりますね。
これから価値観って言うか社会道徳のようなものを作っていくべきなのかも知れませんね。
「誰とでも仲良くしよう。」とかですね。
いや、私が忘れているダケか?
日本では空気のように自然と習得される価値観ってものがありますね。
しかし、継承性から言うとちゃんと言語化した方がいいですね。
>他の民族を差別するのは、その国が単一民族(そう思っている)だからでしょうか。
少なくとも自分が何民族の人間かという事を意識し
自民族が他民族よりも優れているという意識無しには差別は生じないと思います。
もちろん、多民族国家の中で民族同士憎しみ合っているという国は沢山あるので「多民族になる事=民族差別が無くなる事」ではありません。
しかし、日常的に他民族と接する機会が増え、異民族同士で仲良くやっていくという積み重ね無しには民族間対立は無くならないと思います。
>私はそうは、思いません。 それは 為政者が推進するからでしょう。
為政者も推進しますが、民族排外主義は個人レベルからあらゆるレベルで煽られているのです。民族差別的表現が行なわれた時にそれに丁寧に対応する中から民族差別をやめさせる方向に持っていかなくてはならないでしょう。
民族とは何か?について一緒に考えていきましょう。
私はそれは人間同士を対立させる為に発明されたものであると考えます。
「我々と敵を隔てるもの」です。
差別した方も差別された方も壁を作っているのです。