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(回答先: 民族という虚構 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 4 月 23 日 18:19:05)
理想はそうだと思います。が、現実はなかなか難しいですね。
人種のるつぼのアメリカでは、自国内の人種、民族差別をしない努力はしても、愛国主義を推進しているので、他国を馬鹿にする人々を育ててしまう。
又は、語学力での差別が育つ。現にアメリカでは、肌の色云々での差別は減っても、英語力のない人への軽蔑心は強いと思います。
又、資本主義社会である限り、誰かが富を多く取り、誰かは少ないわけですから、競争ですね。その中で、人種 (科学的根拠がなくても、アフリカ系、アジア系、北ヨーロッパ系って、わか るじゃないですか。もちろん、ヨーロッパ系とそうでない人がミックスした ら、普通、いろの濃いほうの扱いですよね。(私の海外生活の経験から)
と、社会、経済的地位って、ほぼ相関関係にありますよ。(例外はもちらんある。そうじゃないと、アパルトヘイトのようになって、国家としてもまずい)
又、どの文化を基準とするのでしょうか。これも大きな問題です。
ヨーロッパのことは、わかりませんが、例えば、オーストラリア。 ここも、一応移民国家で、たくさんの民族を受け入れていますが、イギリス系文化中心社会です。アボリジニーではありません。言葉は英語、できなければ、生きていく上で、たいへんで、仕事も低賃金労働しかない。
倫理というか、道徳観念というか、価値観の基本は、キリスト教で、個人主義の考えが基本。
これに、移民してきた人はなれなくては、なりません。
これは、当然でしょうか? どういう人々の言語を中心とするのでしょう。先にいた人たち。力を持った人々? もし先にいた人なら、アボリジニーの文化にすべきでしょう。
そうは、ならないのです。
いい例は、ニュージーランド。他民族国家ですが、問題は多い。
まず、社会、経済階級は、もう、クリアに民族に沿っている。例外を除けば、(マオリには、エリートもいるので、)裕福な地域には、もう、ヨーロッパ系以外みかけませんね。平日の昼間のシティで、ランチを楽しんでいるのは、もう、例外がないほど、ヨーロッパ系、つまり、ホワイトカラーは、もう、白人のみ(ちょっと、説明するのが、早いので、差別用語使います。)。で、貧しい地域に行くと、全部、マオリ、トンガ、サモア、クックアイランド人、フィリピン人等。(大げさではありません。)日本人観光客や、政府から視察団などを、NZ政府は、こういう場所には、絶対連れていかないから、日本人のNZのイメージには ないでしょうが。
貧しい地域のちょっと、ましなところに、白人系の労働者階級が住みます。アジア系は、(日本人は金持ちエリアに多い)ばらばらといますが、貧しいエリアで、店を出して、ちょっと、豊かになって、少しましなところに行くというかんじ。
私が何故、どの人々の文化を中心とするか気になるのは、NZに住むマオリやポリネシア人の文化とイギリス系が大きく違うからです。食、言語よりも、まず、ポリネシア人は、共同体のような社会からきていること。彼らには、学校に行って、勉強(国語、算数とか、理科、ヨーロッパ人の歴史とか)を頑張って、将来いい所に勤める、という発想そのものがないのです。貧乏で、ちょっとしか食べ物がなくても、訪ねてきた人々皆でわけます。大家族です。助け合う、仲間が大事です。彼らは、店などで働くと、よく物をちょろまかします。でも、それをお金に買えて、自分の物を買うより、仲間や家族でわけているのです。
国境の問題も、彼らの発想は全く違います。例えば、NZには、不法滞在者がたくさんいます。
大半は、サモア人。彼らは、働かず(働けない)福祉も受けられないので、政府も本腰を入れてとりしましませんが、彼らの言い分はこうです。
ここは、昔は自由に行き来できた、ポリネシア島だ。
自分の家族がいる(従弟のそのまた従弟とか、その子供とか、彼らにとってはすごい遠縁でも家族。核家族はイギリスの発想)所に、住んで、何が悪いの?
マオリや、他のポリネシア人をみていると、ヨーロッパ人に侵略され、国(?)共同体の住む地域、を奪われて、今貧しく生活しているよりも、ひとつのまとまった言語、価値観をもつ、見た目も似ている(もし、民族とよべないなら)人々と住んでいた頃のほうが、よっぽど幸せであったろうと思います。NZ政府が、多民族国家だの、なんだのいっているのが、マオリには、白白しく聞こえるのです。トンガや、サモア人も、来たくてNZに来ているわけではありません。自国で、食べて行けて、幸せなら、こないでしょう。
たんなるお金儲けで海外へ行っている人もいるでしょう。私のように、外国人と結婚して、移住している人もいるでしょう。でも、多くの貧しい移民は、仕方なしにきているのです。
誰が自分の育ってところから、友人や家族、親戚をとおく離れたいものですか。
自国の人種、民族差別をなくすのは、もちろん、たいせつですが、まず、それぞれの人々が長く住んでいる土地にこれからも住めるような、世界をつくるのが、大切と思います。
近代的で、為政者によって、移民政策に基づいてつくられた多民族国家の人が幸せということは、ありません。
外国人に土地を奪われ、移動を余儀なくされる人々や、移動しなくても、自分のルーツを失い、自信喪失に陥っている人々から見れば、なぜ、わざわざ、多民族国家にしなければならないのか、わからないだろうと思います。日本だったら、どんな価値観が中心となるのでしょう。やはり、日本?
他の民族を差別するのは、その国が単一民族(そう思っている)だからでしょうか。
私はそうは、思いません。 それは 為政者が推進するからでしょう。