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(回答先: Re: 縄文ビトさんの論理 投稿者 ジャン 日時 2005 年 4 月 06 日 21:38:20)
ジャンさんはじめまして
けっして私は逃げているわけではありません。私なりに考えたことは議論板の中では思想は生まれてこないということです。じっくりと思惟し、完全なものを創っていく、それは深く入らなくてはならないものです。深く深く考えていき、あるときは歴史(時間)を遡り、「人間とは何か」なぜこのような社会が出来上がってしまったのか。等々
ジャンさんが書かれた文章読ませていただきました。
>労働の売買の禁止とは、
要するに、他者にとって価値物としての商品を生産するという意味での労働から、
生産手段の奪取によって階級自身の計画的生産によって、
いわば、自らのための労働の実現という意味なのでしょうか。
ただ、その生産手段の奪取があらたな国家権力の強化にいたるのか
それとも、国家は死滅する方向で、国家以外のものが計画的生産を行うのか
> 今は、ほとんどすたれてしまったかにみえる、社会主義など、この手の議論は、まるで学生時代を思い出すようで、なつかしく思いました。
よくご存知のことと読ませていただきました。
そこから以下の文章を書き、回答を頂きました。そこには数十年前と違った形の社会主義が見て取れるのではないでしょうか。
縄文ビトの質問
マルクス主義は私有財産否定という形での労働者による一党
独裁に動いたといえますが。当然そこからは民主主義という
主権在民の考え方からは遠いものになってしまいました。
それは社会主義国家が失敗した理由にもなりますが、マルク
スが搾取(他者の労働の私的所有)を人間不平等の始まりだ
と説いたとしたならば、やがて来るであろう主権在民という
考えを利用し他者の労働の私的所有(搾取)の禁止を徹底し
て訴えなかったのかという質問です。旧ソ連も含めた社会主
義社会が、何ゆえに私有財産否定よりも、他者の労働の私的
所有を禁止できなかったのか。
回答です(失礼かと思いましたので名前を省略いたします)
「マルクス主義は私有財産否定という形での労働者による一
党独裁に動いた」ーーというお考えにまず問題があると思い
ます。むしろ搾取の廃止を目標にしたことから「プロレタリ
アの独裁」を正当化し、ロシア革命以降、それが「一党独
裁」の正当化、したがって民主主義や基本的人権の否定、へ
と展開しました。
一党独裁によって資本主義的な搾取を廃棄することはある
程度できたのですが、しかし民主主義や基本的自由という資
本主義(が)生み出してきた成果をも否定してしまい、近代社会以
前の暴力的な、非自由な不合理な社会を生み出すことになり
ました。スターリン主義や、現在の北朝鮮がその典型を示し
ています。「プロレタリアの独裁」と称しながら、権力者は
なんら労働者を代表するものではなく、反対に資本主義以上
に労働者を抑圧し、搾取するものへ変わってゆきました。
このことは、資本主義的搾取を廃止しようとした意図が間
違っていたことを意味しているわけではありません。たとえ
意図が善意であっても、否定すべき資本主義的搾取を正しく
認識しえないと、意図に反したとんでもない結果を招くとい
うことを意味している、と私は考えています。
この点にこそ、変革すべき対象を正しく認識せねばならな
いことを主張する、社会科学の重要性があると考えていま
す。
縄文ビト ここからマルクスが考えた思想の延長線上の考え方であり。その後のロシア革命から現在の社会主義国に至る考え方とは異なった社会主義を論じているということを読み取ってください。
これからは議論板に書き込むということは少なくなると思います。ただ私が議論板で書いたデモ云々は、こういう方法もあるという方法論としての意味です。そこにムキになった人がいたとしたら、少なくとも私が真理を書いていると思っているのではないでしょうか。