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(回答先: 生産諸手段の、類(共同体)的個人的領有[=共有に基づく個人的所有] 投稿者 如往 日時 2005 年 3 月 24 日 03:19:05)
共生さえ不可能、というのは、生産手段を持たぬグループが、持つグループから提供される財を買う、購買力を失うからですか。
これから起こり得る未曾有の災厄って、具体的に何を想定されてますか?
私の属していたGemainshaftのある部分息苦しさから抜け出て、目的と能力で結びついた、そのため、束縛と感じない関係(―これを当時、自分の向かうべきGesellshaftと思っていた)を構築したいと、10年前に思いました。構成員が、自ら望んで目的を共有し、自分の能力をその組織が評価してくれるから、そこに属したいと考える組織を作りたいと。Gemainshaftを強制としか評価しない点で、極端だったし蒼かったんですが、今、ある程度は、実現しつつあるかも。
一から育てた、この建物の構成要素の一つ一つ、物の置き方の一つ一つまで、「私」だと、思ってるんで、
例えば、、私が階段を上がっていけば、私が私の中を上がっていくような(イメージですよ、イメージ、)感覚があります。私、なんてものは、身体としてはここにあるようであっても、「私」の一部でしかない、と思っています。「私」が完結するのは、この仕事と職場をもってである、と常に感じるからです。――皆さんが仰ってるのは、賃金労働者がいかに職場で自己実現するか、立場をいかに良くするか、ですよね。いっしょに働いてくれてる人たちも、自身を投影する場と思って、ここで日々を重ねていってくれてたら、嬉しい限りです。
仕事は、私一人では成り立たないため、ここで言う『他者依存関係性』の中でしか、この「私」は実現できないことも、解ります。彼女らと、Gemainshaftで成立する、人格を目的とした関係性を持ちたいとも、思っています。問題にされてるのは、逆は成立し難いということですか?
しかし、この他者依存関係性は、何も私に限った話ではなく、殆ど全ての職種に当てはまると思います。
生産手段の共有、を具体的に私の施設で実施するとします。方法は、給与の2%を、新規設備投資のため、従業員より回収し、それを使う人に負担してもらう代わりに、領有するという意識を持ってもらう、、、てことでしょうか?・・ウーン、この案は誰も受け入れたがらないな、、
また、同様の出資で経営参加できれば、共同体的共有が実現する、というお話でしょうか。例えば、次に購入する機械を選定することに、参画してもらうとなると、彼等に情報収集と、それなりの知識を要求する必要が生じ、それはそれで難しいし、そういうことは任せてくれてもいいと思ったり。
『生産諸手段の個人的配分は、物理的なものではなく論理的(法的)なもので済む』とは、具体的にどういうことを意味するのでしょうか。
『生産手段を使用して産出される利益』は、現行の給与算定方式では、給与に含まれていないということですか?生産手段を使用しないで生み出される利益と言うものの方が、分らないのですが。
給与の成果主義も、一度、部分的に取り入れてみたことがあるのですが、そんなに、良い感触が得られなかったため、やめて、元通り勤務年数ごとに昇給する方式を採っています。こういうことも、『Gesellshaftにおける実験を繰り返し推進していく』事に、少しは当て嵌まりますか?
残念ながら、大工場のプラント等の運営で可能な実験は、具体的知識が無い私には、扱えない問題です。一つの企業で数万人の人々が関る第二次産業や、株式を発行するような有力なGesellshaftを変革する必要と方法を、如往さんは取り上げたいに違いないのですが、申し訳ないですが、そういう話に、私は、何処から、取り付いていいか判らず、また、そのような組織を運営する人たちがどんなことを思って経営しているか実際のところが分らないので、自分に分る、小事業の試行錯誤の話になってしまいました。「生産手段の個人的領有」について、私にも言える事っていったら、このような個人的な体験、、で終わってはいけませんね。広い視野については、また、お教えください。
ああ!そうですね、昔から、貧富の差を埋め、社会的平等を実現する富の再配分機構としての、税制は、重要でした!
コクドは税金を払ってなかったそうですが、そういうことではダメですね。利潤を生んでいる企業から、ちゃんと、法人税を取って、再配分すること。金融に流れ込む企業の余剰資本を、投機に無課税で使用させないこと。お金がお金を産む構造、金利や、為替取引にも課税すること。など、出来るはずなのに、実施されていない税制は、沢山ありますね。