現在地 HOME > 議論20 > 641.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
は現実(存在)に対してアバウトな名を付けたもの。
言葉は不連続性として世界(存在)を表現する。
しかしながら、より細かく言葉によって表現する事によって
あたかもアナログ(連続性)としての世界をリアルに再現する。
が、どこまで行ってもそれは現実そのものでは無い。
人間は言葉を使う事によって、意味を求めるようになった。
「はじめに言葉ありき」という聖書の言葉は、言葉を出発点とした
人間性が目的(人生の意味)を求めるようになったという事だ。
世界には意味(目的性)は無く、ただただ存在と動きがあるだけだが
人間は意味を求めてやまない。
それで宗教や哲学を作った。
また、意味を求める為に様々な罪を起こした。
例えば「歴史に名を残したい。」という気持ちが支配欲を生み出した。
言葉は世界に対する管理能力を人間が持っているかのような錯覚を生み出した。
しかし、あくまでもそれは人間の智恵の限界内における管理であって、
実際には自然に対する破壊が進行した。
つまり、言葉が自然を破壊したのだ。
言葉によって自然を破壊する技術が生まれたのだ。
我々は言葉を使わないわけにはいかない。
だから、我々は言葉を改革するしかないのだ。
基本的に大事なのは世界には意味が無いという認識である。
また、言葉は不完全であるという認識である。